↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生した悪役令嬢ですが、悪事で残業ばかりしていたら、王子が定時で終われとルールを定めてきます  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/31

第23話「頼みは1つ。夜会で定時に帰るな」

王宮の中庭は、砂を敷いた道が1本通っている。


17時の鐘のあと、道の端の石段に殿下が座って、台帳を開いていた。角灯はまだ出ていない。日が長い。


私は立ったまま、袖へ手を入れた。


紙は、袖の内側で私の手の形に固まっていた。もう皺の谷のほうが紙より厚い。


出すのに、思っていたより時間がかかった。


私は人に物を渡すのが下手である。受け取るほうは得意だ。他人の残業でも失敗でも、差し出されればいくらでも引き受ける。逆向きだけ、一度も練習していない。


「殿下。これをお渡しします」


石段の上へ置いた。


殿下は皺を伸ばして、消し跡のところを見た。それから顔を上げずに言った。


「これはハルトマン嬢が拾ったな」


「……なぜそこまで分かるんです」


「卓の下に踏み跡がある。あの日そこへ入ったのは彼女だけだ」


見ていたんだ、そこも。


「いつから持っていた」


「拾っていただいた日からです」


「そうか」


怒られると思った。殿下は台帳を開いて、今日の行の下に一行足しただけである。


『下書きの提出。握っていた日は数えない』


「殿下。それでは私の悪事が1件減ります」


「握っていた日は、お前の罪ではない」


羽根ペンを持つエドヴァルドの指に、今日も墨がついていた。


「あの下書きを書いたのは、ヨアヒム様です」


「知っている」


やっぱり。


袖の中で何日も温めた名前が、口から出た瞬間に既知の事実として処理された。


「いつからご存じだったんですか」


「初めの一通からだ。証拠なら、お前も見ている」


「そんなもの、私は何も見ていません」


「束の角に、私の字がある。届いた日だ」


執務室であの束を読んだとき、どの角にも小さな字があった。私は下のほうだけ見て、勤務規定より古い、と思って返した。


古い、で終わらせてはいけなかったのだ。


「あの紙に書いてある夜より、紙が届くほうが早いということですか」


「そうだ。初めの一通からその形だ。寮の勝手口の件は、いちばん上の一通だ。角に書いた日付が、件の起きた夜の前日になっている」


「……それはもう、書いた人にしかできません」


知っていた根拠は束の下から続いていて、いま人に見せられるのがいちばん上の一通だ。


風が砂の道を撫でた。私はもうひとつ、喉に引っかかっていたものを出した。


「台帳が新しくなって戻った日、表紙の裏に紙が挟んでありました。原本は綴じ直しに出しております、と。あのとき殿下は、戻らないと即答なさいましたよね」


「王宮の綴じ直しは、私の名で出す。出していない」


「……出先も確かめずに、その場で言い切られたんですか」


「確かめた。私の名を使った覚えのない仕事が、私の名で動くことはない」


この人は自分の名前がどこで使われているかを、たぶん全部知っている。だからあの日、あんなに早く顔の色をなくした。


「殿下。式次第の会では、台帳がヨアヒム様の板にありました」


「知っている」


「お預けになったんですか」


「預けていない。あの男が運べるのは紙だ」


一度書き直した人が、二度書けないわけがない。それはそうなんだけど、渡ってもかまわないみたいな言い方をするこの人が、白い頁に手を置いたまま動けなくなっていたのを私は見ている。


殿下は台帳を閉じて、膝の上に置いた。


「ひとつ頼みがある」


頼み。


命じたことはある。規定を読み上げ、鐘を鳴らし、印を押した。全部、上から下へ落ちてくる言い方だった。頼むというのは、押される側の言葉だ。


「夜会で、定時に帰るな」


「……はい?」


退職したい人間に向かって、定時に帰るなと言う上司がいる? 定時を作った当人が、その定時を自分で取り下げにきている。


「17時に鐘が鳴っても広間を出るな。閉会まで残れ」


耳を疑った。疑ってから、私は様式の話へ逃げた。


「殿下。それは残業でございます。事前の申請書が要ります。第4条です」


「書く」


「え」


「様式は台帳の後ろだ」


殿下は最後の頁から用紙を1枚抜いて、膝の上で書きはじめた。申請者の欄に、殿下の名前が入っていく。


承認された残業は、1通きりだ。29通が落ちて、最後の1通にだけ藍の印がついた。あれは私が出して、この人が通した。


向きが、入れ替わっている。


「殿下。理由の欄が空いています。必要な理由、と刷ってありますよ」


「理由は、私が書く欄ではない」


それでも殿下は、しばらくその欄を見ていた。それから何も書かずに、紙をこちらへ差し出した。


「承認欄はお前だ」


「私、却下の印も承認の印も持っておりません」


殿下が羽根ペンを差し出した。なら書け、ということらしい。私はその先を借りて、承認欄に自分の字で承認と書いた。返そうとしたら、殿下が首を振る。


「控えはお前が持て」


あの夜、同じ形の紙を私に渡して、控えは私が持つと言った人だ。今日の紙には、承認と書いた私の字が入っている。


日が落ちかけていた。砂の道に影が長く伸びている。


「殿下。私は夜会で、何をすればいいんですか」


「残れ」


「残って、何を」


「それが分かるなら、頼まない」


理由の欄が空いている意味が、少しだけ分かった気がした。気がしただけで、私にも書けるものはない。


袖には、承認欄に私の字の入った紙が1枚。丸めた紙の代わりに、折り目のない紙が入っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。