第22話「台帳を燃やせと言われて、燃やせない」
夜会の式次第を詰める会に、私も呼ばれた。
被告が呼ばれるんだ。前世でも、辞めると言ったあとのほうが打ち合わせは増えた。出ていく人間を座らせておいて、残る人たちが段取りを決めていく。
王宮の小広間に卓が1つ。燭台が2本。読み上げの順番と立ち位置、広間の扉を開ける拍子まで決まっていく。私の名前が出てくるのは3番目らしい。
「以上でございます。公爵令嬢、お疲れさまでした」
ヨアヒム様が紙を揃えて、係の人たちを先に帰した。扉が閉まると、燭台の火が急に大きく見えた。
板の上に、台帳が載っている。
角の立った表紙。少し反った背。殿下が書き直した頁が、あの中に全部ある。
「殿下がお預けになったんですか」
「読み上げる順に挟みをしております。夜会の場で殿下が頁をお探しになるわけにはまいりませんので」
正しい。この方の言うことはいつも正しくて、だから私は毎回うなずいてしまう。
うなずいてから、引っかかった。誰が預けたのかを訊いて、何をしているかを返されている。休日の玄関でも同じだった。
「公爵令嬢。ひとつ申し上げてもよろしいですか。退職をご希望でいらっしゃいますね」
「よくご存じですね」
「存じております。3通目のころから、ずっと」
「では話が早いです。何かご提案が」
「あの台帳が夜会で読まれますと、あなたの退職はなくなります」
手の中の紙が、勝手に折れた。
「殿下はあれで断罪を行うと仰せです。ですが、あの中にございますのは罪の時刻と、その時刻に殿下がどこにおられたか、です。読み上げれば、あなたの罪の時刻はすべて殿下とご一緒だった時刻になります。断罪は成立いたしません」
そうか。
台帳が私のアリバイだということは、応接室でとっくに分かっていた。アリバイは私の引き出しの中の話で、断罪は広間の話。殿下が私の台帳で行うと言ったとき、私はあれを、罪を数える紙としていちばん厚いからだと思っていた。
違う。あの一冊は、全部の夜に私が無実だと書いてある紙だ。
「お困りでしょう」
「困ります」
「では、燃やしておしまいになっては」
ヨアヒム様は台帳を板から下ろして、燭台のすぐ脇へ置いた。火が紙の縁に近い。
「今夜この部屋の火の始末は、私の役目です。紙が一冊足りなくなっても、どなたにも分かりません」
親切だ。
この方はいつも親切である。書類を預かり、人選を先に書きつけ、私の退職の数を私より正確に数えてくれる。
私は台帳へ手を伸ばした。
伸ばして、指が紙の上で浮いた。
待って。
燃やすと私が助かる、という順番で話が来ている。けれど私は助からない。無実のまま辺境へ行ってもかまわないし、むしろそのほうが早く寝られる。
助かるのではなくて、困らなくなるほうだ。
あの台帳と、届いた紙の束は、同じ夜について別のことを言っている。片方が広間で読まれれば、もう片方はその場で嘘になる。嘘になって困るのは、書いた人だけだ。
私はこの筋を、前にも一度たどっている。たどって、途中で指に力を入れて、丸めて袖へ押し込んだ。押し込んだ理由は自分でも分かっていた。名指しが済むと、私の退職が消えるからだ。
その理由を、いま向かいの人が私に差し出している。
自分で握っていたものを人の手から返されると、握り方が分からなくなる。
「ヨアヒム様。伺います。これが燃えると、誰が困らなくなりますか」
丁寧な笑みが、ほんの少しだけ遅れて動いた。
「……お嬢さん」
呼び方が変わった。
公爵令嬢が、お嬢さんになった。それだけで、袖の中の紙が急に重くなる。
「燃やしません」
「なぜです」
「保管年限が来ていませんので」
「は」
「勤務記録です。退職の日までは保管するものです。それに、あれを書いたのは上司であって私ではありません。人の書いた記録を勝手に処分するのは、悪事ではなくて事故です」
悪事には時刻があって、台帳があって、括弧がつく。事故にはそのどれもつかない。私は悪役令嬢であって、事故を起こす人ではないんです。
ヨアヒム様が一歩、卓のほうへ出た。
「却下します」
言ってから、自分で驚いた。私は却下印を持っていない。持っていないのに、この人の申し出を突き返している。毎晩押される側にいると、押す側の言い方がうつるものなの? うつったところで手元に印は1つもないし、印のない却下ほど頼りないものはない。それなのに、言った本人がいちばん驚いている。
ヨアヒム様は台帳を板へ戻した。戻す手つきの速さが、いつもとまったく同じだった。変わらないのが、いちばん怖い。
「差し出がましいことを申しました。お忘れください」
「忘れません。私、書いたものも言われたことも捨てられないんです」
扉が開いて、係の人たちの足音が戻ってきた。ヨアヒム様は板を抱えて礼をして、いつもの速さで廊下の角へ消えた。
廊下は火の気がなくて、燭台の熱だけが頬に残っている。
あの台帳が読まれて困る人は、さっきの広間にひとりしかいなかった。
袖の中で、丸めた紙の角が硬い。




