第20話「行う。私の台帳で行う」
その日の悪事は、朝のうちに片づいた。
講堂の鍵を隠した。ネリーが発表の稽古に使う予定だった部屋である。彼女は鍵の番人を探し回って、見つからなくて、仕方なく中庭の噴水のところで声を出していた。
昼には、その中庭に人が集まっていた。噴水のふちに反響して、彼女の声が校舎の壁まで届いている。担当の先生が「当日もそのくらい張りなさい」と言っていた。
「10時25分。中央棟。ハルトマン嬢の稽古部屋の鍵を隠す。定時内につき有効」
「括弧は結構です。だいたい分かりましたので」
「括弧、声の通る場所へ移る」
「書かないでくださいと申し上げました」
「申し上げられていない。結構ですと言われただけだ」
条文の読み方が細かい。この人は私の言葉を、いつもこの角度で受け取る。
昼過ぎ、王宮から人が来た。
私と殿下が呼ばれたのは、王宮の小広間だった。長卓の向こうに宰相閣下が座っていて、その後ろにヨアヒム様が立っている。卓の真ん中に、封を切ったばかりの書状が置いてあった。
「王命である」
宰相閣下が読み上げた。夏至の夜会において、ウィンズロウ公爵令嬢の罪を公に問い、断罪を行うこと。王太子エドヴァルドがこれを執り行うこと。
王命。
私は自分の手が震えるのを感じた。感動である。
60日ぶん申請を出しても1枚も通らなかった退職が、夏至まで残り30日というところで、いちばん上から降ってきた。上司の承認が要ると言われ続けてきたのに、上司の上から話が来たのだ。というか、私の退職っていつから国家の案件になったの?
閣下、ありがとうございます。私はこの国の制度を、今日はじめて信頼しました。
「殿下。念のため、経緯を申し上げておきます」
宰相閣下は書状の横へ、別の紙を置いた。細かい字で、箇条になっている。
「私的な勤務規定に王印を用いられたこと。規定そのものと、あとから足された第5条と、2日のうちに2枚。学園の始業の鐘を、鐘つきへ直接命じて動かされたこと。寮と礼拝堂の鐘まで同時に。夜間、王太子が単身で学園の敷地へ入られたこと。記録に残るだけで数十度」
数えてある。
3つとも、私が見てきたものだった。花壇の角灯。折り目の四つついた紙。9時に一斉に鳴った鐘。私はあれを、王太子はこういう無茶ができるんだな、くらいに思っていた。
思っていただけで、誰も咎めなかった。咎めなかったのではなくて、数えられていたのだ。
それと、閣下は気づいていないと思う。咎めるために数え上げたぶんだけ、あの王印つきの紙が国の紙であることは確かになっていく。私の台帳は、その紙が書けと命じている記録だ。
「陛下はご懸念でいらっしゃる。婚約者ひとりのために国の印と国の鐘が動くと、外から見える。ゆえに、夜会で公に区切りをつけていただきたい。断罪はその区切りです」
区切り。人ひとりを辺境へ送ることを、こういう言い方で片づけていいんだっけ?
私は喜んでいいはずだった。喜びたい。喜ぼうとして、視界の端で殿下の手を見た。
指が、卓の縁に置かれている。動いていない。
この人が私の時刻を書くために使ったものは、全部この箇条書きの中にある。王印も、鐘も、夜の時間も。払ったぶんがそっくりそのまま、この人を削る材料として並べ直されている。
私が退職するための紙を、この人が自分の立場で買っていた。
「殿下、いかがでしょう。王命にございます」
ヨアヒム様が、閣下の後ろから丁寧に言った。手には、いつもの板を抱えている。
殿下が顔を上げた。
「行う」
部屋の中の誰かが、息をのんだ。私かもしれない。
「殿下、よろしいのですか」ヨアヒム様の声が、ほんの少しだけ速くなった。「婚約者でいらっしゃいます」
「王命だ。夏至の夜会で、私はウィンズロウ公爵令嬢を断罪する」
宰相閣下が満足そうにうなずいた。書状が畳まれ、箇条書きの紙が閣下の手元へ戻る。話は終わった。終わったはずだった。
「ただし」
殿下が立ち上がった。
「行う。私の台帳で行う」
閣下の手が、書状の上で止まった。
ヨアヒム様の顔から、丁寧な笑みが一度だけ消えた。消えて、すぐ戻った。戻り方が速すぎて、消えたことのほうが嘘みたいに見える。
「……台帳、と申しますと」
「勤務記録だ。60日ぶんある」
殿下は書状のほうを見もせずに、扉のほうへ歩いていった。
私は慌てて追いかけた。廊下で追いついて、袖を引くわけにもいかないので、半歩うしろから訊いた。
「殿下。あの、いま何を宣言なさったんですか」
「断罪だ」
「はい。断罪は分かります。私の希望ですし。台帳のほうです」
「夜会で読む」
「読んだら、私の罪が全部並びますよ。時刻つきで。あれ以上に不利な書類、この国にありません」
殿下は答えなかった。
答えないまま、次の用へ歩いていく。
夜会で読み上げられるのは告発状ではなく、あの60日ぶんの台帳になった。罪を数える紙としては、たしかにいちばん厚い。
台帳で断罪するというのは、いったいどういう手順なんだろう。




