第14話「他人の悪事を、自分の名前で申請する」
寮の受領簿が書き換えられていた。
寄宿費の納入を記した綴りで、ネリーの欄の印が消され、未納の側へ線が引き直されている。未納が2期続くと寮を出ることになる。男爵家の娘が学園に残れるかどうかが、その1行で決まる。
朝の廊下で、彼女は舎監の前に立っていた。背中がまっすぐで、返事の声も落ち着いている。落ち着いている子ほど、こういうときに何も言えない。
私は自分の教室へ入って、扉を閉めた。
やられた。これは上手い。
血も出ないし刃物も要らない。線を1本引くだけで人の居場所がなくなる。私が墨をこぼしたり鋲を抜いたりしているあいだに、同じ学園でこんなに効率のいい仕事をしている人がいる。
昼休憩のあいだに、事務室の窓から現物を見せてもらった。印のあった場所は削ってある。紙が薄くなっているのに、罫線だけは元の高さでまっすぐ引き直してあった。
削って、直して、線まで戻す。人の未納をこしらえるのに、どうしてそこまで丁寧なの? 私なら削った時点で紙に穴を開けて、そのあと1時間かけて継ぎを当てている。
そして、これは私の悪事として申告できる。
考えるより先に、紙を出していた。
様式は覚えている。届いた束を一通ずつ読ませてもらったときに、頭へ入れてある。日付と時刻と場所が先で、最後にやったことを1行で書く。
『昨夜 23時20分 寮の事務室 寄宿費の受領簿を書き換える』
書きながら、届いた告発状の紙面が頭の隅にあった。あの字は几帳面で、行の高さがどの頁もぴたりと揃っている。書き慣れた人の書き方だ。私の字はそこまで揃わない。揃わないけれど、中身はあちらより正確である。何しろ私が申告している。
申告しているというか、していないというか。とにかく私がやったことにする。
自分の悪行を自分で書く紙のことを、なんと呼ぶんだろう。告発状でいいのかな。自分で自分を訴えるのだから、書式としては始末書のほうが近い気もする。
書き終えて、私は残業申請書も1枚添えた。この告発状を清書して夜会までに整えるには、どうしても17時以降の時間が要る。理由欄にそう書いた。
我ながら完璧な仕事だ。これが受理されれば、罪状がひとつ増える。増えた罪状は夜会で読み上げられる。読み上げられれば、私は辞められる。
ネリーの未納も、私がやったことになれば、彼女の欄へ戻る。
放課後、王宮の執務室の前へ行った。
扉は閉まっていた。中で人の声がする。使節の名前が聞こえたので、また分単位で待たされるやつだ。
「お預かりします、公爵令嬢」
ヨアヒム様が廊下の向こうから来ていた。板を抱えて、いつもの丁寧な速さで。
「いえ。これは殿下に直接お渡ししたいんです」
「殿下はあと2分ほどで出られます。それまで私がお持ちしていても、同じことかと」
「同じではないんです。却下の印を押していただく紙なので」
扉が開いた。
殿下が出てきて、私の手の中の紙を見た。表書きを読んだ顔が、一度だけ動いた。怒っているのとは違う。書類の数が合わないときの顔だ。
「それをよこせ」
手が伸びた。
その手より、横から出たほうが早かった。
「お預かりします」
ヨアヒム様の指が紙を挟んで、板の上へ載せた。載せて、いちばん下へ入れた。
「殿下、東の使節がまだお待ちです。こちらは私が控えを取ってから、夜にお届けします」
「ヨアヒム」
「公爵令嬢のお手は、もうお空きですね」
にこりと笑って、丁寧に礼をして、廊下の角へ消えた。
速い。人の手から紙が消える速さとして、あれは速い。
殿下がその場に立っていた。伸ばしかけた手が、行き先をなくして下りる。
「殿下。夜に届くそうですから、そのときに却下していただければ」
「あれは私の手元へ戻らない」
「戻りますよ。あの方、いつも整えて持ってきてくださるじゃないですか」
殿下は答えなかった。台帳を開いて、今日の行に何か書いた。書いた行を、私の側へは向けない。
私は少しだけ胸を張っていた。今日の私は仕事をした。他人の残業を引き受けるのは前の職場からの癖で、そこは我ながら直らない。けれど今回は、引き受けたぶんが全部そのまま自分の罪状になる。
損がどこにもない。
それなのに、殿下はどうしてあんな顔をしたんだろう?
17時の鐘が鳴って、私はいつもの馬車に乗った。
殿下は向かいで台帳を開いている。揺れに合わせて手首だけを浮かせる、あの書き方で。いつもなら、この時間に私の膝へ却下の済んだ紙が返ってくる。角が少し反っていて、印のところだけ紙が硬くなっているやつだ。
膝の上に、今日は紙が1枚もない。
却下印は、今日は押されなかった。




