第12話「残業はよくないですよ、と私が言う」
学期発表の資料が、教室の後ろの棚に集められていた。
魔法理論の担当が学年ごとに出させるもので、束が名前の順に並んでいる。ネリーの束はいちばん厚かった。中を見なくても分かる。この子は必ず、要らないところまで全部調べてくる。
私は自分の束を置くふりをして、彼女のを抜いた。
時刻は10時。就業時間のまん中である。堂々たる勤務時間内の悪事だ。
方針は決めてあった。順番を入れ替える。結論を最後の頁の下のほうへ埋める。図を外して、代わりに専門語を増やす。3回読み返さないと分からない資料にしてやる。発表の場で、彼女は自分の言いたいことを自分で見失う。
窓際の机に広げて、1枚目から読んだ。
読んで、2枚目へ行けなかった。
中身がいい。第2節の実験の組み立てなんて、担当の先生が去年の授業で「できたら見せなさい」と言っていたやつだ。それなのに、その話が16枚目に置いてある。最初の5枚は用語の定義で埋まっていて、誰も16枚目まで辿り着かない。
前世で何百と資料を直してきた身として、これは見過ごせない。いや、見過ごすのが仕事でしょう、私の。
気がついたら、見出しを立てていた。
第2節を頭へ持ってきて、用語は後ろへ回す。図をもう一度描いて、結論を1枚目の上へ置く。読む人が最初の30秒で何の話か分かる形にする。そこまでやってから、はっと顔を上げた。
やってしまった。
「ロザリンド様、それ」
ネリーが戸口に立っていた。走ってきたらしく、息が上がっている。
「違います。これは改悪です。並びをめちゃくちゃにして、あなたに恥をかかせようとしたんです」
彼女は私の手元を覗きこんだ。1枚目を読んで、それから3枚目まで読んで、目を上げた。
「わたしの実験、こんなに前に出してよかったんですか」
「よくないです。いえ、よくないのはそこじゃなくて」
その日の午後、学期発表の代表が貼り出された。
『魔法理論・学年代表 ネリー・ハルトマン』
掲示板の前に人だかりができている。週ごとの表彰とは別の、学期に一度の発表だ。壇上で全学年に向けて話す役である。
私の悪事が、彼女を壇の上へ押し上げた。押し上げてどうするの、私は。
人だかりの後ろで、誰かが言っていた。ハルトマン嬢の資料は並びが親切だったらしい、あれは誰かが手を入れたのではないか。そこで一拍おいて、別の子が私の名前を出した。声をひそめてすらいない。
この学園では、私が人の物に手を出すと、それが親切の噂として流れる仕組みになっている。悪名というものを、私は1件も積めていない。
「ロザリンド様」
人だかりを割って、ネリーがこちらへ来た。紙を抱えている。
「あの、発表までにもっと直したいところがあるんです。今夜、図書館の灯りを借りられるか訊いてみます。夕食のあとから、朝までかけて」
「朝まで、ですか」
「はい。それで、ご迷惑でなければ」彼女は抱えた紙を持ち直した。「ロザリンド様も、ご一緒に残業していただけませんか」
そうか、この子はもう覚えてしまったのだ。私が夜中に働く人間だということを。悪事の時刻が全部夜だったせいで、彼女の中で私は、夜に机へ向かう人になっている。
だから、断る理由がない。ないのだけど。
「残業はよくないですよ」
言ってから、自分の声が止まった。
いま、誰が言ったの。
「でも、間に合わせたいので」
「間に合いますよ、もう。1枚目を読めば分かります。これ以上は、直すところではなくて直したくなるところです。朝までやると、明日のあなたが半分になります。半分の人が壇に上がっても、いいものは出ません」
「でも、前の日に見直しておけば」
「前の日は寝るんです。当日の朝に1回だけ読み返して、直すのは声に出して詰まったところだけ。それ以上さわると、直した先で新しい間違いが増えます」
すらすら出てくる。おかしい。前世でこれを言ってくれる人がひとりでもいたら、私は29歳で灯りごと消えていない。
「17時だ」
鐘が鳴った。
殿下が掲示板の脇に立っている。いつからいたのかは訊かない。訊いても時刻しか返ってこない。
そもそもこの人は学園の生徒ではない。王家が後援する学園を見て回るのが公務の一行で、掲示板の脇に立っているのもその範囲に入る。範囲、広すぎませんか。
「本日の悪事、終業。10時14分、東棟の棚。ハルトマン嬢の発表資料を改悪。定時内につき有効」
「殿下。括弧の中は」
「学年代表に化ける、と書いた」
「ですよね」
ネリーが殿下に礼をして、それからこちらへ深く頭を下げた。
「ありがとうございます。今夜は寮へ帰ります。ロザリンド様が、そうおっしゃいますので」
そうおっしゃいますので。
私の言葉で、この子が今夜、灯りを消して寝る。そういう効き方をする言葉が、私の口の中にもあったらしい。
帰りの馬車で、私は今夜ぶんの残業申請書を書きはじめた。




