(メイン) -(5)
「何でそう思う」
「だって、あんた、こんな商売してる俺だって怯むくらいに、セクシュアルなことあけすけ喋るし、下品なシモネタ全然嫌がらないし」
「医者がそんなもん嫌がってて、商売になるか」
呆れたような声で云って、医者はまたタバコに火をつけた。
ぷか、と煙を吐き出してから、わざと他意のないあっさりした声で云う。
「それ云ったら、こういう商売してるおまえを自分の家に住まわせてるあいつの方がよく判らん」
「……」
男娼は、辛そうに眉を顰めて医者から視線を逸らす。男娼にとっては、この商売をしていること自体を蔑まれることよりも「人間のクズ」などと蔑まれることよりも、その言葉の方が辛いのだった。
医者はそんな若者の表情を見て、「ふぅん」と鼻を鳴らした。セイレイシィに世話になってるのを、「申し訳ない」と思う気持ちが、こいつにはあるらしい、そんな事を考えて。
「俺は俺で、セイレイシィのやつは、宗旨替えしたのかと思っていたんだがな」
すう、とひとつ煙を吸って、灰皿に灰を落とした。
男娼が、それには何も返さず、医者に訊く。
「あんた、ルーディがセックス嫌いな理由って、知ってんの?」
「理由なんかなくたって、嫌いなもんは嫌いだろ、セックスに限らず」
「――」
「そんなこと訊いてどうすんだ? 俺だって、知らないよ」
医者が肩を竦めながらあっさりした声で云うので、若者もそれ以上問いつめず、「そうか」と頷いた。
医者は、独り言の声で、少しばかりおどけた調子も混じって云った。
「知らないけど、まあ、あれだ。『過ぎたるは及ばざるがごとし』ってことかもな」
男娼が「え?」と寝転がったまま首を傾げた。
「学生時代からモテたからな。もう若い頃に、食傷ってことになったんじゃないか?」
「……そうなのか?」
「と云っても、俺も、あいつに何人も恋人居たなんて具体的なこと知ってる訳じゃないし、というか、あいつの『浮いた噂』てのはあんまり聞いたことがないんだが」
「……」
「まあ、そもそも俺もあんまり興味は無かったから、耳に入ってこなかっただけかもしれん、本当のとこ、どうなんだか」
やっぱりあっさりした声で医者は云って、タバコを消した。
消して立ち上がり、ベッドに近寄って若者を見下ろした。
「おい、ところで、その後どうだ」
「何が」
「あの後呼ばれなかったから大丈夫だったんだろうし、……今の間もそんな特に気がつくこた無かったが、念のため聞いとくよ。傷が化膿したり、どこか関節の調子が悪いとか、無いか?」
医者が淡々と尋ねてくるのに対して、男娼は「無い」と頷く。
「……まだちょっと、痛いとこもあるけど、段々収まってきてるし」
「そうか。それで、小便に異常は?」
「――」
同じく淡々とした声で尋ねてきた医者に、男娼はすぐには答えず、軽く目を細める。
「……そーいうとこは、あんたとルーディが友達って納得出来る」
「質問に答えろよ」
医者は、質問に答えていない若者に対して、「おまえ、本当にバカだな」と云いたそうな呆れ声で云った。
若者がむっつりとした顔と声で答える。
「大丈夫だった」
「背中や腰が痛いとかは?」
「傷はちょっと痛いとこある」
「表面の傷や打撲じゃなくて、内部でだ」
「それは無い」
「そうか」
こくっと頷いて、医者は「そりゃ良かったな」と息を吐きながら云った。
「しかし、それにしちゃ、やけにだるそうなんだよな」
良かったな、と云った後で、医者は首を傾げ、無造作に若者の額に触れ、もう片方の手は、投げ出された若者の手首を取った。
若者はと云えば、無遠慮に触れてきた医者の手に、一瞬びくりと身を竦ませる。
医者は黙って、自分の手の感覚に神経を研ぎ澄ませている。
額から手を離し、握った手首を呆気なく放してぽとりと落とし、医者は身を屈めて、若者の顔を覗き込む。
頬を包むと、若者が「何だよ」と慌てた声を出した。
医者は答えずに、目の下の皮膚をのばし、下瞼の裏側を眺め、次には「口開け」と云った。
強引な医者に、もう反抗するのもめんどくさくて、若者は素直に従った。
口の中を覗いた医者はそこで手を離して、腰を伸ばした。
「疲れてるな」
「――」
「ちょっと不養生すると、もうすぐ本格的に風邪をひくぞ、おまえ」
医者はそう云った後、からかうような笑みを浮かべた。
「セイレイシィに、精のつくモン食わしてもらえ。あと、ビタミンCの豊富なものをな」
「――」
「美味いメシ食ってるみたいだな、栄養の偏りはなさそうだ」
「うるせぇ」
ふて腐れて目を背けた若者に、医者はくすっと笑ってテーブルに近づいた。
椅子に座らないまま、バッグを取ったので、男娼は戸惑った顔をして
「どこ行くんだ?」
と訊いた。
「メシ食って帰る」
「――は?」
「どうする。おまえ、一緒に食いに行かないか。当然俺が奢るが」
「……帰るのか?」
「そう云った」
あっさり医者は頷き、男娼は起き上がって「おい」と何だか焦った声を出す。
「それならそうと先に云えよ、だったら、俺、時間制の部屋にしたのに」
このホテルは、一日以上の「宿泊」料金しか設定されていない。そうと判っていれば、もうちょっと安い、時間設定料金があるホテルを選んでいたのに。
「あんたが、俺に終日料金よこしたから、てっきり」
「おまえに帰れとは云わないさ。何だったら、このままここに次の客を連れ込むも良し、ゆっくり寝といて朝帰るもよし。俺は今、朝まで休まなきゃいけないくらいに疲れてはいないし、ホテル宿泊に慣れてないから落ち着いて寝られない気がする、だからもう帰ることにする。単にそういうことだ」
「……」
医者が、当たり前のような口調で云うので、男娼は「何だ、こいつ」と呆れたような目をしていた。
医者がもう一度訊く。
「で、どうすんだ。メシは食わないのか。帰りたけりゃ、おまえもそのまま帰ればいいんだし。……そのクーラのミール・パウチ、ろくなものが無いぞ」
ホテル代金はもう出しているのだから、無賃宿泊にはならない。先ほど水を飲むのに開けたクーラの中には、「食事」になるようなものは無かった。恐らく、食事というよりも、酒のあてのつもりで入っているのだろう。
「……金貰ってんだから、付き合えって云えば付き合うけど…、どこ行くんだ」
男娼が戸惑った顔をして尋ねると、医者は、
「セイレイシィの店」
とあっさり答えた。
男娼は顔を顰め、再び寝そべって顔を背けた。
「行かない」
「何だ、その態度。行かないってより、行きたくないって云いたそうだな」
「……俺」
「ん?」
「『仕事の日』には、ノア・カテに行かないって、決めてるんだ」
「……」
「他の店なら、付き合っても良かったけど」
ぽつぽつと云った男娼に、医者は静かな声で「そうか」と頷いた。
「じゃ、そのまま寝てるのか」
「……そうする」
それじゃ、と医者は、手にしていたバッグを、再び一旦テーブルに置き、中身を一つ取り出した。
それから、壁に近寄り、空調機器を弄る。少し温度を上げて、湿度も上げた。
それに気付いて、若者が「ん?」と医者に目線だけを向ける。
「云ったろ、ちょっと不養生すると、もうすぐに風邪をひく。……寝るんなら、ちゃんとそのブランケット、かけて眠れ」
今の部屋の温度は、涼しいと云えばそうだが、眠った後だと、少し肌寒いというくらいになる筈で、湿度も、どちらかと云えば「乾燥している」という表現になる。そうした環境で、居眠りをしたのでは、風邪をひく可能性が高い。
医者は、ただ単にベッドに寝そべっているだけの男娼の足下に畳まれているブランケットを丁寧に指さしてそう云った。
若者は、「ああ…」と何か思い付いた声で呟いて、素直にブランケットを肩までかける。
医者は「よし」と頷き、ベッドに近づいて若者を見下ろし、手にしていた小瓶を差し出した。
寝そべっていた男娼は、……さっきの試験管のことを思い出して、ちょっと眉を寄せ、受け取る前に「何だよ」と訊いた。
「こっちをチップ代わりにやるよ」
「……だから、何だ」
「シロップだ。喉の粘膜を保護して、免疫活動をほんの少しだけ活発にする。……今のうちなら、風邪の予防薬になる」
「――」
この医者の口調と表情では、好意とは感じられない。だが、悪意とも受け取れないので、男娼は戸惑った顔をして受け取った。
「とんでもなく甘いんだが、おまえ平気か。甘いものが駄目なようだと、むせるかもしれんな」
「……そこまで苦手じゃないけど…、薄めてもいいか?」
「ああ…構わんが、二倍程度にしとけ。それでも甘いだろうけど、それ以上に薄めると今度は効果がなくなる」
頷きながら云って、医者はテーブルに戻り、今度こそバッグをちゃんと抱えて、ドアに近づいた。
じゃあな、と云いかけたが、「あ」と何か思い出した声を出し、くるりと振り返る。
「水で、だぞ。絶対、酒で薄めるな」
「……そしたらどうなる?」
若者がそんなことを訊いてきたので、医者はピクリと目を細める。
医者にやるなと云われたことはやらず、やれと云われたことはやっていれば、大抵の場合、無事でいられるのに、いちいち訊くというのは利口じゃないな、と考えた。
が、やるなと云われたことはやりたくなるのが「人間」だということも知っているので、医者は云う。
「爆発するかもな」
「……」
さらっと云った後で、医者は、ふんと鼻を鳴らし、嘘だよ、と軽く云う。
「風邪はひかずにすむかもしれないが、肝臓が壊れるかもしれない。これは本当だ」
「……判った」
若者は頷き、先に飲んでから寝よう、と思ったのか、ベッドから下りた。
下りて、医者が一口飲んでそのままだった水のボトルを取りながら云う。
「あんたさ」
「何だ?」
ドアを開けようとしていた医者が、呼び止められたので振り返る。
なかなか帰られないな、とそんなことをふと思って苦笑する。
「おせっかいって云われないか?」
「……」
くす、と笑って男娼が云い、医者はすぐには答えない。
さっき云われたばかりだな、と思い出す。
「俺、別にあんたに、最近体調が悪いとか云った訳でもないのに」
「云わなくても、全くの本調子じゃないらしいことは、見れば判る」
「それにしたって、俺、『お医者さん』に泣きついた訳でもない」
「……」
「そういうとこは、ルーディと友達って云われて、何か判るよ」
そう云って、男娼は薄めたシロップを呷った。
顔を顰めて、「マジで甘いな」と呟く。
「ありがと」
軽く、若者は云って、ベッドに戻った。
医者は、「何で礼を云われたのか判らない」と云って首を傾げる。
「お客様に『ありがとうございました』ていうのは当たり前だろ」
ブランケットを肩までかけながら、男娼がふてぶてしく作った声で云って、その後、静かに続ける。
「……シロップも貰ったし。確かに、喉がすっきりした。ありがと、お休み」
「どういたしまして。……お休み」
この若者は今は患者でなかったので、自分の「ごきげんよう」である「お大事に」は云わずに、医者はドアを開けて部屋を出た。
ドアは自動ロックなので、出てそのままエレベータへ向かう。
歩きながら、
そう云えば、「お大事に」ではなく、「お休み」という言葉を云ったのは、相当に久しぶりのことだ。もう、十何年、何十年くらいになるんじゃないか。
と思い付いた。
その後、エレベータに乗り込んでホテルを出、次の目的地に向かいながら、医者は、「あの若造は、あの商売というより、この街に住むこと自体が、本当は適していないんじゃないか?」と考えた。
だが、裏を返すと「この街にしか生きられないのかもしれない」とも感じられる。
ああいう人間は、案外、「いかがわしくない街」で生きる方が、今は難しいかもしれない。
……あんな商売をしているにも関わらず、セックス嫌いの悪友が自分の家に住まわせて平気な理由は、何となく分かった気もした。
(デザートとコーヒー)へつづく




