↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
another---アンティーク (なろう)  作者: 橘隆之
番外編 =6と8の間 [コンシデレィション]= ※
62/124

(デザートとコーヒー) -(1)



 地下にある酒場の入口がもう見えている。

 のんびり歩いて近づいていくと、ちょうど、階段を上ってきた客がそのドアから出てくるのが見えた。

 客一人だ。

 閉店時刻まで、あと五分ほどだった。酒場のあるじは、閉店時刻ちょうどに店を出る客は追いかけて見送るが、閉店時刻より前に店を出る客だと、それをしない。

 どうせ新たな客を受け入れるつもりは無いのに、閉店時刻までは営(、)業(、)し(、)て(、)い(、)る(、)つもりでいるのだ。だから、次の客に備えて、いくらさっきの客が、どう考えても最後の客になると判っていても、店を離れはしない。

 さて、客は居ないけれどもそうした意識で出てきていないだけか、それとも、単にまだねばっている客が居るからなのかは判らないが、もし前者であれば、

「ゆっくり出来そうだ」

 と考えて、医者は、閉店時刻まであと五分しか無いのに、何の躊躇いもなく地下への扉を開けた。


 店内に入るためのパスワードはもう持っている。

 それを受付の機械に入力してドアを開けて中に入ると、カウンタで食器を洗っていた店主が慌てた顔をしていた。

「申し訳ございません、当店の営業はもうすぐ終了で……」

 とても恐縮そうに云いかけてドアの方に目を向け、その客が誰であるかを知ると、拍子抜け、という顔をして

「何だ、あんたでしたか」

 と云った。

「何だとはご挨拶だな」

 と医者は笑う。

 ちらりと店内を見ると、他に誰も居なかった。

 酒場のあるじが、「もう閉店ですよ」ともう一度云う。

「だから?」

 医者は全く悪びれずに、小首を傾げて笑う。

 あるじは、「まったく……」と首を振り、

「長い付き合いだと思って、たびたび図々しいですね」

 と云いながら、カウンタの端っこの席を指さした。

 これから閉店作業をするので、一番邪魔にならない席に座れ、という意味だ。

 くすくすと笑いながら、医者はあるじが指した席に座り、どさり、とカウンタテーブルにバッグを置いた。

 他に客が居たら、こうは行かない。閉店時刻になっても追い出されない、あるいは受け入れられるこの客は、主人の何なのか、という興味を持たせてしまう、あるいは詮索をされてしまうので、確実に、他の客と同じく、丁重に「入店をお断り」される。

 あるじが、今洗っていた食器を拭いて、しかるべき場所に置いた時に、閉店のチャイムが鳴った。

「ちょっと失礼」

 と云って、あるじはカウンタから離れ、地上のドアと店へのドアの鍵を閉めた。

 こういうことはたまにあるので、医者は、この後自分がどこから出ればいいか知っている。従業員が他に居るとすれば、そういった人間が使用する裏口だ。ちょっと前までならば、あるじの機嫌が良ければ、「家で飲み直しますか」ということもあったが、最近は無い。しばらく無いだろう、と医者も想像している。

 カウンタに戻ってきたあるじが、「ご注文は」と聞く。

「メシを食わせてくれ」

 医者が云うと、あるじは、ほんの微かに困った顔をした。

「……食事ですか…。もう、余り食材が残っていないので、大したものがご用意出来ないんですが、おつまみ程度じゃだめなのです?」

「ああ、出来たら、ちゃんと食事がしたい。昼飯が中途半端な時刻だったんでな、夕飯を食ってないんだ」

「そうですか。――えぇと…」

 何か思い出す顔をしながら、あるじは店内からは見えない場所に引っ込み、しばしの間を置いて、ひょこ、と顔を出した。

「シチューが少し残っていました。温めるだけでいいですかね」

「? 構わんが、それだ(、)け(、)ってのはどういう意味だ?」

 医者が首を傾げると、あるじは、手に「鍋」を持って現れた。

 カウンタテーブルの下に仕込んである、小さなキッチンで、シチューを温め始める。

 首を傾げている医者へ、店に居る間は、それが誰であれ平等に見せるのであろう微笑を見せつつ云う。

「あなた、うちで人気のパイ・グラタンは食べたことなかったですか」

「……。ああ、あれか、カップの上に、パイを被せて焼いてある」

「そう。このシチューも、温めてからもう一度、あんなふうに軽く焼くんですが、そうじゃなくてもいいですか、って意味です」

「……時間がかかりそうだからいい」

「そうですね」

 医者が軽く首を振りながら云い、あるじは、こくりと頷く。夕飯を食べていないということは、結構腹が減っているだろう、そういう時は、待つ時間もご馳走、という訳にはいかない。

 医者は医者で、想像をしてみて、「それはそれで、結構美味そうなんだが、惜しかったな」と考えている。

 考えた後で、何か思い付いたような顔をして、あるじに云った。

「パンはあるか。あるなら、それも呉れ」

「ほんとに図々しいなあ…。そりゃ、ありますけどね」

「パイの話を聞いたら、食いたくなった。ちょっと焼いてくれ、シチューに付けて食うと美味いだろう」

 呆れた溜息を吐いたあるじに、平然と医者は云い、あるじは、「わかりましたよ」と苦笑を浮かべて、パンを焼き始めた。

 頬杖をつき、医者は、あるじがてきぱきと右往左往している様をぼんやり眺めている。

 お待たせしました、とテーブルに、シチューとパンの皿が置かれた。

 医者はスプーンを取り、シチューをまず一口啜る。次にパンを千切って、シチューに浸し、それを口に運ぶ。

 あるじは、医者がシチューとパンを一口ずつ口にする様子を見てから、テーブルを拭くためのクロスを取りだし、その仕事をしにカウンタを出た。

 この医者が、食事をしている間は余り喋らないことを知っているので、雑談をするのは、その皿が空になってからだ。それが空になるまで、酒場のあるじは、時間を無駄にしないために、閉店業務に取りかかる。


 医者が皿を空にして、ふう、と息を吐き、フロアの方に居るのだろうあるじを振り返ってみると、あるじは、床のモップがけを終わらせて、道具を控え室に戻しているところだった。

 あるじが戻ってきて、手を洗ってから、「美味かった」と医者は云う。

「それはどうも」

 あるじは軽い口調で云って、その皿を下げ、洗い場に一旦置いた。

 医者は、あるじが食器を洗い始める前に、すかさず、「ノア・カテ」と呟いた。

「え?」

「酒は、すぐに用意できるだろ、飯と違って。ノア・カテを呉れ」

「……ブランじゃないんですか?」

 あるじは、微かに不思議そうな声で云って、首を傾げた。

「あんたはまだ『閉店』じゃないでしょう。アルコールなんて入れちゃ、使い物にならないじゃないですか」

 酒瓶は用意しつつ、あるじはそんなことを云う。

 この医者の「営業時間」……診療時間は、ノア・カテの閉店時刻の三時間後までであることを知っている。この街の場合は、そのくらいの時間帯に診療時間を設定するのが最も適している。

 医者は平然と、「だから今日はもうこれで休診にする」と云った。

「だから、ノア・カテを呉れ」

「急患があったら?」

「医者は俺だけじゃない。他をあたれって云うさ。もう寝てれば意地でも寝続ける。大体、俺の病院は救急病院じゃない。急患を受け入れる義務なんか無い」

 素っ気ない声で医者は云い、あるじは「やれやれ」と苦笑して、ノア・カテのグラスを医者の前に置いた。

 真っ黒な液体を一口飲み込み、ふう、と医者は息を吐く。

「あんたと同じで、俺も一人でこの商売やってるからな。このくらいフレキシブルにさせてもらわなきゃ、こっちが体を壊す」

「……まあ、そうでしょうね」

 主人は軽く云って、ちらりとテーブルの往診バッグを見た。

「仕事帰りですか? やっかいな患者でしたか」

「厄介と云えば厄介だったし、楽と云えば楽だった」

「――」

 あるじが苦笑する。医者は、あっさりした口調のままで続けた。

「仕事帰りと云えばそうだし、そうじゃないと云えばそうでもない」

「……?」

 これには、酒場の主人が「どういう意味だ」と首を傾げた。

 不思議そうな顔をしているあるじへ、医者が、に、と笑って簡単に云う。

「仕事の後に遊(、)ん(、)で(、)帰るところ、なんでな」

「……」

 主人が顔を顰める。この街で、「遊ぶ」という意味は色々ある。

 そして、医者が、何だかこちらをからかうような、挑発するような顔をしていることを考えれば、それは、「ああいう意味」だろうと感じられて、酒場のあるじは眉を顰め、医者の食事の後の皿を洗い始めた。

「御主人は最近如何ですか、こちらの方は」

 やはり、からかう声で医者は云い、頬杖ついたのと逆の手で、卑猥なことを意味するポーズを作った。やっぱりか、とあるじは顔を顰める。

「私は、あんたのそういうところが嫌いだ」

「どういうところだって?」

「それが本当なのかどうかは知ったことじゃないですが、そもそも、私がそういう話は嫌いだと知ってて、わざとそんな顔して振るんですから、悪趣味です。セクハラですよ」

「セクハラ? おまえ、そんなこと云ってて、こんな場所で商売出来るのか?」

「純粋なお客様相手であれば、ある程度なら色っぽい方向に流れた会話も我慢しますよ。あんたは、閉店間際にやってきて食事と酒をせびるような図々しい客で、その上、私がそういう話が嫌いなのを知っていて、わざと唐突に振ってくるじゃないですか」

「せびるとは何だ。ちゃんと金は払うぞ」

 くすくす笑って医者が嘯く。俯き加減に食器を洗っていたあるじは、そんな医者を上目遣いに睨んだ。

「おまえさんだって別に、話するのも嫌だって訳じゃなかろう? セックスを本当にするのが嫌なんであって」

「客観的な話題としてならばね。しかし、あんたはさっきみたいに、おまえはどうなんだという話を、わざと悪趣味な云い方で聞いてくる。それが嫌だ」

「どっちもそんなに違わないだろう。セックスの話ってことには違いない」

「セックスの話、と、猥談、というのは境目がスレスレですよ。あんたは、私がしたくない系統の猥談を振ろうとするんです。……どっちにしたって、セクハラである時はセクハラです。私だからまだいいです。これが営業時間中で、あんたがもし、他のお客様にそういう話題をふって、お客様が不愉快に思われるようなら、私はあんたを追い出しますよ」

「成る程。じゃ、俺は出来るだけ、営業時間内には来ないようにしよう」

「……そうじゃないでしょう」

 全く悪びれず医者が嘯くと、酒場のあるじは、溜息混じりに呆れた声で云う。……この医者が、いくら説教をしたってしょうがない人間だということを、長い付き合いで知っているのか、その口調は、もう諦めているというふうもあった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。