(メイン) -(2)
「二時間の中に移動時間は?」
「それは、入れない。サービスってことにしとくさ」
男娼は、意識してふてぶてしく云い、医者は「そりゃそうだ」と続ける。
「移動に二時間かかるホテルをおまえがせがんで、甘い顔しちまった客は詐欺にあったと思うだろうからな」
「……」
「客の家に行く分にはOKか?」
「……今まで、そんな客居たことねぇけど……まあ、別に。――それが五時間もかかるような遠い家なら、終日料金にするけどな、流石に!」
「おまえの部屋なら?」
医者がわざとあっさりした声で尋ねると、ふてくされた顔をしていた男娼は、一瞬表情を凍り付かせ、次には顔を真っ赤にして、「ふざけんな!」と叫んだ。
「あッ、あんた、俺が、ルーディに世話になってるの知ってて、それで、ルーディの友達のくせして、よくそんなこと云えるな!」
この若者の顔が紅潮したのは、羞恥なのだろうか、それとも怒りなのだろうか。
医者は、そんなことを考えて、微かに笑う。
「あ…悪趣味」
「ふぅん……。――その剣幕だと、おまえセイレイシィのセックス嫌い知ってんのか。居候が家主に気を遣ってるだけじゃないみたいだな」
医者は、無精髭の生えた顎をさすりながらそんなことを云った。
若者は紅潮した顔を背け、横目に医者を睨む。
「あんただってそれ知ってて、そんなこと云ったんなら、そうとう無神経で悪趣味だ」
「……やっぱりちょっと高い気がするな」
睨みつけてくる男娼の視線を、何とも思わず、薄ら笑いを浮かべたまま医者はそんなことを云う。
一歩踏み出して、男娼の顎を指で掬い、くい、と正面向かせて目を合わせた。
「ツラと体が悪くないのは判るが、肝心の技術はどうなのか、一見の俺には判らんじゃないか。『お試し価格』ってのは設定してないのか?」
「……」
「まけろ」
「ダメだ」
端的に医者は云い、男娼は端的に返す。
ふっと医者は笑って、男娼の顎に触れた指を離した。
「何故」
「……この値段で、文句を云うやつはもう居ない。チップ弾むやつだって居る」
「ふぅん……」
「嫌なら、それこそVRで女でも男でも抱いてろ、ヤブ」
吐き捨てるような声で男娼が云い、医者は気を悪くすることもなく、俯き加減に拳を口元にあてて、くっく、と笑った。
ちらりと男娼の顔を見れば、その頬が少し赤くて、表情はふて腐れている。声も何となく狼狽えているのが、医者には分かった。
いきがっているが、やっぱり「若造」だな、と医者は考えていた。
「何がおかしいんだよ、買わないんならどっか行けって」
「だから、買わないとは云ってないだろ?」
「そうやって、あんたがのらりくらりやってる時間が無駄なんだ。……誰か来たら、先客が居ると思われるだろ」
「ああ……それもそうだな」
医者は、とぼけた声を出して頷く。
さて、果たしてこの若者は、俺が本当に「買う」と思っているだろうか。「売る」気はあるのだろうか。
三秒くらいの間があって、医者は、声色も表情も変えずに云う。
「じゃ、ここで、だったらどうなるんだ?」
「……え?」
何を云われたのか分からない、という顔をした若者の目の前に立ち、医者は鼻先がくっつく程顔を近付けた。
「今すぐここで、俺のコレ銜えてエレクトさせて、そのまま入れるとなったら、安くならないのかと訊いてるんだ。1時間もかからんぞ」
「コレ」と云うところで、医者は自分の膝小僧で、くいっと若者の足の間を掬った。
若者は、顔を真っ赤にして絶句した後、うわずった声で吐き捨てる。
「割り増しだ!」
「何故」
「何でって……当たり前だろ」
「当たり前? おまえ、随分な高級品だな」
高級品、とはどういうことか。男娼が、頬を染めたままで微かに眉を寄せる。
医者は、全く狼狽えもせずに尋ねた。
「恥ずかしいからか?」
――そんなことを云えるような立場か、身の程なのか、と問うような目をして、薄く笑っている。
男娼は、ぐっと息を飲んで答えた。
「……そういうプレイはオプションだ」
「何だ、やっぱり随分高級なんだな、おまえ」
医者は、からかう声で云った。男娼は次の言葉がすぐに出ない。
「何でそれがオプションになるんだ」
「……何でって…」
「俺は、ここでも構わないからまけろ、と云ってるんだが、おまえは、それをこっちの『プレイのリクエスト』と思ってる訳だろ」
「……」
「リクエストを受け入れるんだから割り増しだ、っていう、理屈だよな。それが云える高級品ってことだろ、おまえ」
からかうような……バカにしたような口調で医者は云うから、抗いたい気持ちが男娼にはある。――それに、自分で自分を「高級」などと思えないから、否定をしたい。
……だが、否定するのは「じゃあ、ここで構わないから値下げしろ」と云う医者へ、OKと云うのと同じだ。それも勘弁だった。
男娼はふと頭の片隅で「前に、こんなことを、説教半分で云われたことがある。一体自分の価値はどんなものなのかって」と思い出した後、必死に、医者の「リクエスト」を拒める理屈を考えていた。
「誰かに見られたら困る」
「何で」
「……何でって……」
「恥ずかしいのか?」
もう一度医者が問う。男娼は、それに頷くことも否定することも出来ない。
頷いて、「それを云える立場か」と云われると、次に何を云ったらいいのか判らないし、否定すれば、「じゃあここで」という理屈になってしまう。
「――警察来たら、どうすんだ」
「こんな裏までは滅多に来ないだろうけどな。適当にはぐらかしてやるさ。『恋人』と、それこそ、野外プレイやってたって云って、俺が『公序良俗違反』の罰金払ってやるよ。おまえが売春で捕まるこたないようにな?」
「……」
医者の言葉ひとつひとつに狼狽え、いちいち口を噤む男娼に対し、医者は、男娼の問いかけひとつひとつに、すぐにつらつらと答えてしまう。
男娼は、……そろそろ冷や汗をかきそうになっていた。
男娼が相当に困惑しているのを感じ取りつつ、医者は表情を変えずに顔を傾けた。
ぐっと息を飲んだまま、一文字に結ばれた男娼の唇へ、同じように閉じた自分のそれを触らせる。
乾いたままの唇同士が、ぴたっと触った後、離れた。
男娼は、「こいつの口、冷てぇ」と思った後で、目を見開く。
「これは見られても平気なのか」
「……キスは、挨拶でもするだろ」
うわずりそうになる声を何とか抑えて、男娼は呟くような口調で云った。
ふっと医者が笑い、「そうだな」と頷く。
「皮膚が接触しただけなんだから、握手と一緒だ」
「――」
「じゃ、これは」
と云って、医者は手を男娼の顔に伸ばし、唇の合わせ目に人差し指を触れると、それと中指でこじ開けた。
えッ、と喉で呻いた男娼の口の中に、そのまま指を入れる。
口の中に入った医者の指は、内側の粘膜を撫でた。
男娼は、突然のことに驚いて、拒絶するタイミングを逃した。
そうしようと思い付いてからは、医者が、もう片方の手で顎を掴んだので、顔を背けて吐き出すのも、噛みつくのも無理だった。
掴まれた顎が痛いし、溜まってきた唾液をむせないように飲み込むのに努力していて、男娼はちょっとばかり苦しそうに顔を顰めていた。
「ちょっと舐めてみろ」
と医者が、まるで、それが何かの診察ででもあるかのような声で云う。
男娼が、顔を顰めつつも従い、ぺろ、と口の中に無遠慮に侵入してきた医者の指を軽く舐めると、医者はすぐに手を離した。
濡れた指を目の前に持ってきて眺めた後、男娼の顔に視線を戻す。
男娼の目は、苦しかったせいで潤んでいる。その目で医者を睨んだ。
「……何すんだ」
けほッ、とひとつ咳き込んだ男娼は、吐き捨てるように云う。
医者は、やはり薄笑いで、口調もどことなくからかうようなものに戻して云った。
「これも見られて平気か?」
「――」
男娼の表情が、戸惑いの色を浮かべる。
「俺は金を払うべきか?」
医者の問いかけに、男娼は戸惑った顔のままで、曖昧に首を傾ける。
「……平気ってことでもないけど、無茶苦茶困る訳でもない…。こんなんで、金貰うのも、どうかと思う…」
「誰か来たとして、俺は医者だと云えば、突然歯が痛くなったおまえを診てやったと思ってもらえるかもしれんしな」
軽く頷き、医者は口調も軽くそんなことを云う。
「不意に指を切った時、咄嗟に口に傷口を含んでやることも、まあ、今でも無くはないことを考えてみれば」
「……」
「人目のある場所で、他人の粘膜に皮膚が触れることも、珍しかない」
医者はそう云うと、ふっと笑って、……まだ戸惑った顔をしている男娼のシャツの衿を掴んだ。
その感触が、天然素材のものだと判ったので、「セイレイシィが呉れてやったのかな」とふと考える。まさか、いくらこの若者が「高級品」だとしても、天然素材の衣類を普段着や仕事着に出来るほど稼いでなどいまい。
え、と男娼が目を見開いた瞬間に、医者は男娼を壁に押し付けた。
こッ、と、軽くではあったが、痛みを感じる程度に頭が壁にぶつかり、「何すんだ」と文句を云おうとして開いた口に、医者は自分も開いた口を当てはめる。
「!」
目をかっぴろげたまま、医者は男娼の口の中にある舌の表面と裏を、自分の舌で舐めた。
舐めてから、すぐに口を離す。
指と違って舌は、思い切り噛みつかれると死ぬかもしれない。
男娼は、頬を赤くして後頭部と喉を押さえ、医者を睨んだ。
「なっ…何しやがんだ! コレは金取るぞ、バカヤロウ!」
医者は、薄笑いのまま、とぼけた声で云う。
「おや、そんなに強くしたつもりはなかったんだが。俺が医者なんだから治療費取るこたないだろ、こぶでも出来たか? どれ、見せてみろ」
「ちが……、そっちじゃねぇよ!」
医者は、後頭部に触れている手を退けさせ、頭頂部を押さえて男娼を俯かせようとする。
男娼は思い切り頭を振って、医者の手を振り払う。
「違う! いッ、今の、キスの方だよ、バカ!」
「ああ……」
医者は、とぼけた声で「ああ、そうか」と頷く。
男娼は医者の肩を押して、離れるように促し、医者は一歩後ろに下がった。
睨みつけてくる男娼の目を、全く悪びれずに見返して、医者は薄笑いのまま、こくっと頷いた。
「そうだな」
「え」
「今のは、金を取って当たり前だというのは、俺にも納得出来る。いくらだ」
「……」
医者が素直に認めたのに拍子抜けしたのと、金を取るなどとは云ったがキス一回の料金など全く考えていなかったのとで、男娼は微かに狼狽えた表情を作り、口を噤む。
「……粘膜同士が触れるというのは、相当に特殊なことだからな…」
医者は独り言の口調で云った後、口を噤んだまま自分を、今まで見たこともない奇妙なものを見る目つきで眺めている男娼へ、あっさりした声で続けた。
「それじゃ、何で、ここでコレを銜えるのも入れるのも、困るんだ?」
医者は、「銜える」というところで、自分の下半身を指し、「入れる」というところで、手の平が上に向く形で、男娼の下半身を指した。指した人差し指は、緩く上を向いている。
「指は口に入れてOKなのに? 皮膚が粘膜に触れるのは同じだろ」
「……!」
「それがどこの皮膚と粘膜かの違いだけじゃないか」
男娼は、この医者のあっさりした論理に、頬を赤くしつつ大層呆れた顔をした。
「だけじゃねぇだろ! それが重要なんじゃねぇか、バカ!」
「そうか?」
若者は医者の論理が理解できないが、医者は、男娼の反論が疑問だと云うように首を傾げた。
男娼が、やはり呆れた顔をして、その後には微かに、奇妙を通り越して恐いものを見る目つきになった。
医者は、つくづく「若造」が自分に怯んでいるのがおかしくて、薄笑いを浮かべている。




