(メイン) -(1)
「2時間いくらだ」
ビルの壁にもたれ、暗い路地に俯き加減に立っていると、頭の上からそんな声が聞こえた。
何となくからかうような声色だった。
若者は、自分が何かを口ずさんでいたことに気付かないままにそれを止めた。
…よく聞くフレーズだけど、一見にしては聞いたことがある気がする声だったので、男娼は微かに、顔に疑問の色を浮かべた。
「そっちが入れるんなら、最低でコレ」
指で数を示しながら、顔を上げてそう云って、「ん」と眉を寄せる。
「あんた…」
「なるほどな。こういう仕事をしている小僧だったか」
医者は改めて顔を眺めて、「やっぱりな」と思う。前に診たことがある若者だった。
男娼は、「前に世話になった医者じゃないか」と気づき、真正面からだと、こういう顔をしていたのか、などと思う。横たわっている時に、医者が立っているのを見上げたことしかなかったから。
どういう顔かと云えば、髪には白いものが混じっている。無精髭を生やして、目尻に少し皺が見える顔からは、…その表情が、どこか子供のような悪戯心を隠しているようにも見えることもあって、果たして、年を取っているのか、それとも思ったより若いのか、よく分からない。
男娼と医者の背丈はそんなにかわらなかった。
――ということは、ルーディより少し高い。ルーディも本当の年齢がよく分からないから、それと同級ということだと、やっぱり、分からない。やっぱり、似たもの同士で、ルーディと仲がいいのかもしれないな、どっちとも、皮肉な性格で、ミステリアスで――
男娼が自分の顔を眺めてそんなことを考えているとは、医者は知らない。別に知りたくもないのだろう。「何をじろじろ見ているんだ」と云わないのがその証拠だ。
少し戸惑った顔をしている男娼へ、クス、と医者は笑い、そっとバッグを地面に置いてから、コートの内ポケットを探ってタバコを1本とライターを取りだした。
医者が使っているのは、男娼の同居人が使っているのとは違ってポピュラーな火種だった。炎など上がらない。アタッチメントをつければ、「ライト」にもなる、要するにライター。
ふう、と煙を吐き出しながら、医者は、
「効率の悪い仕事だな」
と、からかうような声で云った。
むっとした顔を作って、男娼が云う。
「買わないんだったら、どっか行ってくれ。客が寄りつかなくなる」
「買わないとは云ってないじゃないか」
「じゃ、どこ行く?」
「せっかちなヤツだな、まだ買うとも云ってない」
「……」
相変わらず悪びれない軽い口調で医者が云うと、男娼は一層、表情を渋くした。
「冷やかしかよ」
「商品の吟味は念入りにしとかんとな。とんだ粗悪品売りつけられるのは勘弁だ」
「……」
ふん、と鼻を鳴らしたあと、男娼は、勝手にしろよ、と呟いた。
「脱ごうか? ここで」
「こないだ見たから構わん」
平然と医者が云う。
やっぱり男娼は鼻を鳴らし、医者から目を反らした。
医者は、通りの左右を見渡して、独り言のように呟いた。
「つくづく、効率が悪い仕事だな」
「……」
「客になりそうな人間どころか、そもそも、人通りなんか殆ど無いぞ、ここ」
「俺がここに立ってるの、知ってるヤツが来るさ」
「生意気な。常連が居るのか」
呆れたような声で医者が云い、その口からもわぁと煙が漏れる。
短くなったタバコを、医者は、同じく胸ポケットから出した灰皿に入れた。
……この医者は今時珍しい「ヘビースモーカー」らしく、すぐにもう1本に火をつける。
「居るよ」
「それにしたって、今日買いに来るって保証も無かろうよ」
「無いな」
「効率が悪い」
「そうだな」
「俺と似てるな」
そう云って、医者は苦笑し、若者がうん?と首を傾げた。
「医者も、需要を待たなけりゃ供給が出来ない商売だからな」
「……」
男娼が、呆れた顔をした後、皮肉めいた声で云う。
「…俺、医者ってのは、『経済活動』には入らないと思ってたけど」
「医者だって、メシは食う」
あっさりした口調で医者は云い、ぷかり、と煙を吐いた。
男娼は苦笑し、そうだな、と簡単に頷いた。
医者は、微笑を浮かべた。やっぱり、この若造、全くバカという訳でもなさそうだ、と。
「…あんたは、こんな人通りの無いところに、何の用だ」
どこかに行く、どこかから帰る、「道」ならこんな場所じゃなくたって、いくらでもある。
医者は、にか、と笑って、「往診の帰りだ」と云った。
「それにしたって」
「俺とてこの街の医者だからな。…大通り歩くのは抵抗がある」
「……」
「患者の方が、『医者にかかってる』なんて知られたくないこともある訳さ。勝手口から出されて、必然的にこんな裏路地を歩かされる場合もある」
それが不愉快ではないらしい表情で、医者は云う。
「おまえも気をつけろよ、若造。今時、悪い病気持ってるような見上げたヤツは居ないだろうが」
「見上げるようなことじゃないだろう」
呆れた苦笑を男娼が浮かべる。
医者は、それを聞いていない素振りで続けた。
「万が一ってことがあるからな。…ああ、病気はともかく、こないだのはアレか、仕事のトラブルか?」
「……」
指に挟んだタバコを男娼に向けて医者が云うと、その若者は口を噤んだ。
おっと、と医者は呟き、軽く頭を掻く。
「スマンな。詮索するつもりは全く無いが。まあ、あれだ…。おまえ、セイレイシィに世話になってる身なんだろう、だったら、自分の身は大事にしろよ」
「……分かってる」
若者は独り言のような声で呟き、医者は、ふう、と煙を吐いた。
「ところで、おまえ、女も相手にするのか?」
「……するよ」
素っ気ない声で男娼が答え、医者は、ふうん、と頷いた後、眉間に小さな皺を作った。
「なら、尚更気をつけろよ。不本意だろうが、一回、検査しといた方がいい」
「…え?」
男娼が首を傾げ、医者は、2本目のタバコを灰皿に入れた。
「検査って、何を」
「精子の数さ」
医者だからか、随分あっさり云い、男娼は顔をしかめた。
その顔を見て、医者は、「それとも、パイプカットでもしてるのか、おまえ」とやはりあっさりした声で云った。
「してねぇよ」
「じゃあ、尚更だ。最近の女は、子宮の機能が弱ってるから、確率は低いが」
「……」
「おまえの精巣がまともなら、客孕ますことが無いとも限らんぞ」
医者がそう云うと、若者は一瞬ぶるっと震えて、咄嗟に自分の肩を掴んだ。
「おまえ、VRセックスは知ってるか」
「……知識としてだけならな」
「使ったことないのか」
「こんな商売してるから、却ってそっちのことを知らないんだ」
「ふん、そうか」
医者は軽く頷いて続ける。
「男用と女用があるのは知ってるか?」
「……?」
男娼は首を傾げた。
「女用?」
「知らないのか?」
「……知らない」
「おまえがこんな商売してるんだから、VRだって両方あるのくらい想像つくだろ」
「あ、ああ、そりゃそうだな……」
「おまえがホログラフになって女を抱くみたいなもんだ。最近のメディアは相当に進歩してるからな、とんでもなくリアルだぞ。そりゃ、おまえらが商売あがったりになって仕方ない」
「……そうだろうよ」
何せ、同じ「いかがわしい商売」でありながら、こちらは蔑まれる。
この若者はそれがもう当たり前だと思っていたから、今までそれほど腹を立てたりしたことは無かったが。
「病気する危険も、妊娠する『危険』も無いんだからな。そりゃ流行るさ。俺も俺で商売あがったりだ」
医者は肩を竦めて云い、男娼は「この医者、相当不謹慎なことをさらっと云う」と呆れた苦笑を浮かべた。
……ほんの少し、間を置いて、医者が独り言の口調で呟く。
「それにしても、人間ってのは妙な生き物だな」
「……?」
突然に、素朴な声でそんなことを云った医者を、男娼が訝しげに眺める。
医者は、「あ」と何か思い出した声を出して首を振った。「話がずれた」と云って首を振り、男娼に云う。
「だからな、若造」
「何だよ」
「VRセックスにのめりこんで想像妊娠するような女が居る妙な世の中だってのに、……おまえみたいに生身相手では、想像で済まないんだから気を付けろ、と云いたかったんだ、俺は」
「――」
男娼は顔を顰める。そして、やっぱり、寒気を感じたように震えた。医者の忠告が、男娼にとって身につまされるというのもそうだけども、さらっと云ったその「妙な世の中」というのが、男娼にも妙すぎるように思えて。
「俺の患者のべつまくなしに増やされても困る」
「何が云いたいんだよ…」
「別に。今云ったのが全てさ」
医者は、軽く肩を竦めた。
「……仕事する気がなくなるじゃねぇか。営業妨害すんな」
「ふん。プロの責任ってものを確認させてやっただけさ。そんなことでやる気無くすようなら、やめろ、その仕事」
「……」
誰かさんと同じようなことを云う、と若者は、微かに戸惑った表情を作った。
男娼にプロ意識を持てなんて、今まで他に誰が云っただろう。
「今まで考えてなかったんなら、おまえ二流だな」
医者の言葉に、男娼は、「三流て云われなくて安心したよ」と、意識してふてぶてしい声で云った。
「何なら、格安で精子見てやろうか? パイプカットもしてやるぞ」
「ふざけんな。営業してたのか、ヤブ」
「おまえ、結構頭いいな」
眉を寄せた男娼に対し、医者は、ははは、と笑った。
笑った後で、医者は、静かに云った。
「どういういきさつで、おまえがセイレイシィのところに居るんだが知らんがな」
「……」
「ありゃあ、結構お人好しだ。調子に乗って、世話かけるのはやめろ」
医者の言葉に、若者は、戸惑った顔をした後で俯く。
「まあ、おまえは、そういう若造じゃあないようだけど」
その言葉は、医者は軽く、からかうような声で云った。
「今時珍しい、他人の顔色窺うやつだ」
「……褒められてる気がしない」
「別に、褒めてはいないからな」
「……」
「職業柄だろうかな。初対面の俺に、頭下げたろ、おまえ」
今時、そんな若者は、――というより、人間は滅多に居ない。
医者は、思ったよりバカじゃないけども利口でもない、……が、結構、親が古風だったんじゃなかろうか、と考えている。
若者は、特に何も返さず、俯いたままだった。
今、何をこの若者は考えているんだろう、と医者はふと興味を覚える。
改めて男娼を、頭から足まで眺め、医者はさらっと云った。
「で、2時間いくらつったっけ?」
「……買う気か?」
男娼は、少々呆れた顔をした。今みたいな話の後で。
医者は、ふん、と鼻を鳴らして答える。
「確認してるだけだが?」
「……」
「売る気が無いのか。今みたいな話の後だと、女相手にする方が抵抗あるだろ」
男娼が戸惑っているのを見透かしているのか、医者は、にっと笑った。
「……ルーディに世話かけるなとかも云ったじゃないか」
「それで俺が何で、おまえを買わないって理屈になる。……知り合いの店で特に欲しくもないもの義理で買ってやることだってあるだろ」
全く悪びれない口調でサラリと云う医者に、男娼は、ちッ、と舌を打って、「一回云われたこた覚えてろよ」と悪態をつく。
「最低コレだけ」
改めて指で数を示すと、医者は「最低?」と尋ねる口調で云った。
「基本料金ってこったよ」
「高いな」
医者が大げさな溜息とともに云った。
「そりゃ、メシと部屋込みか?」
「ふざけんな、そんな訳ないだろ」
「何でそんな訳ないんだ」
怒った声で云った男娼へ、医者は薄ら笑いを浮かべた。
「何でって。メシと部屋は決まってる訳じゃない。選んで決めるのはそっちだ。メシと部屋が高けりゃ、俺はただ働きになるじゃねぇか」
「ああ、そりゃそうだな」
バカじゃねぇの、と云いたそうな顔をして男娼が答えたのを、医者は気を悪くするふうもなく頷く。




