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another---アンティーク (なろう)  作者: 橘隆之
番外編 =6と8の間 [コンシデレィション]= ※
55/124

(前菜) -(1)

※番外編 =6と8の間 [コンシデレィション]=:全体的に生臭い回です※



 往診用の重たいバッグを持ち、人目につかないよう暗い路地を選んで歩き、指定されたアパルトマンに着くと、正面玄関を避けて裏口に回り、指定された部屋の、これまた裏口へ向かい、ピン…ポン・ポーン、と指定された回数とリズムで、医者はインタフォンのベルを鳴らした。

 すぐにドアが小さく開き、内側から「どうぞ」と小さな声が聞こえ、「どうも」と云いつつ一歩踏み出すと、手を握られ、引っ張られた。早く入れ、という意味だ。

 「客」――もとい、「患者」は、若いが、それに比例した快活さは見受けられない神経質そうなやつれた女で、おどおどした態度を全く隠さず、寝室までそのまま医者を引っ張っていった。

 寝室のドアを閉めてやっと、自分から取った手だというのに「汚らわしい」とでも云うふうに、乱暴に医者の手を放った。医者はそれを気にするふうでもない。

 女は、どさっとベッドに腰掛けて、「そちらにどうぞ」と、部屋の中央にある椅子とテーブルを指さす。

 素直に医者はその椅子に座り、テーブルにバッグを置いた。

 女は俯き加減になって、頬に手をあてたまま、落ち着かない様子だ。

 医者は、大層無神経に、自分がここにやってきた用件を終わらせようとする。さっさと終わらせて欲しいのは女の方だと分かっているからだ。

 だったら、猫なで声で「どうしました」などと尋ねる方が、無駄だ。

 何でこの女が医者を呼んだのかは、先ほど「電話」をされた段階で分かっている。女が何を診て欲しいのかは。

 バッグから一つ、細長いスティックを出すと、立ち上がって女に近づき、それを差し出した。

「これに、おしっこをかけてらっしゃい」

 淡々とした声で医者が云うと、女は顔を顰めて医者を見上げ、それを受け取らないまま、怒ったような声で返した。

「……さっきしたばかりだから、出ないわ」

 それが本当かどうかは、医者には分からない。

 嘘だとしたら、早く済ませたいのはそっちだろうに、と呆れる。本当だとしたら仕方ない。

 医者は、ふう、と息を吐いて小首を傾げた。

「じゃ、ちょっと採血してもいいかい?」

「……血を採るの? いやよ、痛いのは…」

「――」

 女は拗ねた口調で云う。この分だと、小便が出ないというのも嘘かもしれんな、と医者は息を吐く。

「困ったな。そうすると、内診する羽目になるんだが」

 困った様子などまるで見えない冷めた声で医者が云い、女は微かに戸惑った顔をした。

「内診って?」

「君の脚を広げて、***を直に診る」

 医学的な性器の名称を云うよりもその方が効果があるだろうと、医者は無造作に隠語を使った。

 女は肩を強ばらせ、咄嗟に自分の股間を覆い、医者を見上げて睨みつける。

 医者が、冷たい目で見下ろすので、女は表情を狼狽えたものに変え、掠れた声で訊いた。

「そッ…、ソナーとか、『レントゲン』とか、そういうのじゃ、ダメなの?」

「ダメだ」

 あっけなく医者は云う。

「病院の方に来てたなら兎も角、往診のアレじゃ無理だ」

 医者がテーブルのバッグを振り返る。

「君、来院するのが何より嫌だと云ったんだろ」

 女はすっくと立ち上がり、医者が手にしたスティックをひったくった。

「ど、どこにかければいいのよ。ほんの少しでも、いい?」

「ああ…。ここからここまで」

 スティックの先端に、ほんの少し色が違う範囲があって、医者は親指と人差し指でそれを指した。

「この間にちゃんとかけてくれりゃ、ほんの1、2滴でも何とかなる」

 最初は言葉遣いに少し気を遣っていたが、医者はそんな気遣いに疲れてきたので、口調も声も普段と同じものに替わっていた。

 女は、慌てた様子で寝室を出た。

 医者は、椅子に座り直して、バッグから小さな薬瓶と皿、スポイトなどを出しておき、テーブルに頬杖をついて、女が戻ってくるのを待つ。

 女はすぐに戻ってきて、黙ったまま、医者にスティックをつきだした。

 医者も黙ってそれを受け取り、二秒ほどそれを眺めた後、薬瓶の蓋を開けた。女はさっきと同じようにベッドに座り込む。

 医者は、スティックに染みこんだ尿の薬品検査を終え、一つ息を吐く。

 女が自分を呼んだ理由以外の反応が出たので溜息をついた。

 俯いている――というより、項垂れている女をちらりと見て、「やれやれ」と首を振る。……尿の検査と血液検査を拒んだのは、羞恥や痛み以外の理由もあったのかと納得した。――非合法な「くすり」の反応が出た。

 だが、この医者は、「この街の医者」だったので、それについては指摘しない。

「君は妊娠していないよ」

 あっさり云って、医者は薬品と器具を片付ける。

 女は、はっと顔を上げて、医者に焦った声をかけた。

「嘘」

「嘘じゃない。良かったな」

 ……女がこの医者を呼んだのは、「配偶者ではない男の子供が出来たかもしれない。秘密に検査してくれ」という理由だった。

 だから医者は、妊(、)娠(、)し(、)て(、)い(、)な(、)い(、)ことに「良かったな」と云った。

 ヴァーチャル・リアリティの風俗店が増えてきた――というより、「殆ど」である昨今、こういう診察も減ったが、どちらにしてもこの街の場合、大昔っから、妊娠が「おめでた」であることは滅多に無い。

「嘘よ。……もっとちゃんと調べて? 血を採った方がいいなら、採ってもいいわ。……イヤだけど、***見られるのも、我慢するわ」

「……」

 医者は、焦って詰め寄る女を見て、目を細めた。

 どういうことか。まるで、それを信じたくないとでも云いたそうだ。

 妊娠を、していない方が良かったんじゃないのか。

 医者は、じっと女の顔を見つめる。

 女は、相変わらず焦った顔をして立ち上がり、部屋の隅にある戸棚から、何か取り出した。

 小さな「手帳」だ。それのパワーを入れて、ボタンをいくつか押し、椅子に座ったままの医師へ見せる。

「生理だって、この二ヶ月くらい無いのよ。ほら、見て、基礎体温だって」

 手帳の画面は、折れ線グラフだ。

「……朝、とは云えないけど…、目が覚めてすぐ、ベッドの中でちゃんと、計ってるわ。起きる時間は殆ど同じよ。……つわりもあるのよ、最近、吐き気が止まらなくて、全然食事が喉を通らなくて、点滴しか出来ないんだから」

 女は、続けて云い張る。

 これが本当にこの女の基礎体温だとすれば、確かに、妊娠の兆候があるし、やつれた顔を見れば、点滴に頼るしかないほど気分が悪いというのも納得は出来る。

 だが、医者は確かに、この女が妊娠していないことを知っている。

 医者は、それを受け取って眺めながら、「まあ、座れ」と女に云った。

 女は再び、ベッドに座った。

 「そうは云っても、本当に君は妊娠してなど居ない」と医者は云い張りはしない。

「――ちょっと解せないんだが、君、子供が欲しかったのか? 秘密で検査しろと云うから、ダンナには内緒で、……ことによっては、堕胎まで済ませるつもりなのかと思っていた」

 静かに医者が尋ね、女は、戸惑った顔を俯かせる。

「……そうだけど……」

「あんまりあっさりした検査だったから、信用が出来ないか」

 緊張しているらしい女を、少しはリラックスさせるため、医者は意識して苦笑を浮かべ、軽い口調で云った。

 女は、戸惑ったままの顔を上げて、曖昧に首を傾げた。

「あんたの噂は聞いてるから…、信用しないとは云わないけど」

「……そうかい」

「――産める訳、無いけど、……赤ちゃんが出来たって思ったら、嬉しいような、気がした…」

 女は再び俯き、独り言の口調で呟く。医者は黙って聞いている。

 俯いた女の髪の隙間から、ぽとりと雫が膝に落ちた。

「だって、あの人は、いつもアタシのこと放っといて帰ってこないダンナより、ずっと優しくて、アタシのこと愛してくれて…」

 ぐすぐすと鼻を鳴らし、相変わらず独り言を女は呟く。

 医者は黙って聞くだけだ。妊娠の検査から、カウンセリングに変更になったようなつもりで。

 とは云え、この医者は、こ(、)の(、)街(、)で特に必要とされる可能性が高い整形外科や婦人科は勿論、内科に外科に耳鼻咽喉科、歯科、薬科に至るまで、一通りのことに手を染めているが、最も厄介な精神科だけは全く「囓ろう」とも思ったことがないので、それについては自分がヤブ医者だと認めていた。

「産める訳、ないけど、デキたって思ったら、嬉しいのは、そうでしょ。そういうもんでしょ」

「……俺は、女じゃないから分からんが、そういうもんかもしれんな」

 医者は素っ気ない声で返す。

「そうよ、そうなのよ…。だって、寂しいんだもん。アタシが、あの人と浮気するのだって、ダンナが悪いんだもん」

 段々興奮が混じってきた声で女は云い、すっくと立ち上がると、また戸棚に近づいた。せわしなく中身を探り、医者の前に一枚のディスク・ケースを出す。

「ねえ、いい男でしょ、すごく優しいんだから。アレも上手だしさ、Samenだって、すごく濃くて熱いのよ。ねえ、嘘でしょ、赤ちゃん居ないって、嘘でしょ?」

 熱っぽく、潤んだ目で訴えてくる女の顔を見て、医者は冷静な顔のまま、頭の中で溜息をつき、顔を顰めた。

 女が見せたのが、医者が知らない男のただの「写真」ならば、「浮気ののろけ話を聞かされても」とうんざりするばかりで、そこまで厄介な気分にはならなかったが…。

 それは、ヴァーチャル・リアリティ・セックスのメディアだった。医者すらもよく知っている人気者の媒体モデルが、ケースの表面から熱っぽい視線を投げかけている。

 医者は、「実物に会ったことがあるのか」と確認するつもりにはならなかった。それで「無い」とあっさり返された時が何だか恐いので。

 「くすり」もやっていることを考えれば、これは仕方のない妄想だ。

 しかし、そこから救ってやるには、自分は精神科に於いてヤブだ。

 そう思って、医者は苦笑を作り、女へ「そうだな」と頷いた。

「済まなかった、もう一度、ちゃんと検査しよう」

 医者がそう云うと、女は笑ってベッドに座り直した。

「血、採る? ***は?」

「いや、いい」

 さっきと違って協力的になった女に、医者は首を振って、もう一度尿検査用のキットを取り出し、尤もらしく丁寧に検査をし直した。

 やはり、……これっぽっちも妊娠の証拠は出てこない。月経の停止、基礎体温の高温期、吐き気、……それは、女がやっている「くすり」の症状として現れるものではない以上、全部「想像妊娠」の兆候である。

 「ふう」と息を吐いてからスティックをシートにくるんで振り返り、女に向かって

「……済まないな、やっぱり、妊娠してたよ」

 と嘘をついた。女が、どっちにしたって喜びはしないことを分かっているから。

 産む筈は無いから。

 女は、「は」と微かに笑顔の形に口を開いた後、その口を噤んで、ぽろりと涙を零した。

「でも、産めない」

「そうだな」

「……中絶手術って、痛い?」

「いいや。今は、薬で出来るから、痛くはない。……薬は苦いけどな」

「痛いよりいいや…」

 俯いてそう云うと、女はスッと手のひらを差し出した。

「もう予想してたなら、持ってきてるんでしょ、薬、頂戴よ」

 ああ、と医者は頷き、バッグからアンプルを取り出すと、女に渡した。

 ただのホルモン剤だ。……「くすり」をやっていることを考えても、これは副作用など出ない。

 これを飲んで一週間もしないうちに、基礎体温は元に戻り、月経も普段通りにやってくるだろう。「つわり」も消えて、食欲も出てくる。

 この女にとっては、それが、堕胎薬である。


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