=9.9= -(6)
「マリーは俺を助けてくれたんだ。俺は、マリーを助けられなかったのに」
皆がいい子だと云う、パパとママに信頼されている、どうしてお姉さんみたいになれないんだと云って皆が俺と比べる、そんなマリーが鬱陶しかったのも本当だけど。
だから、俺が殺してしまった気になることもあって、本当は、今まで生きてるのも、辛いくらいなんだけど。
パパとママがずっと、
「神さまが『もう生きなくてもいいよ、もう目を閉じてもいいよ』と仰るまで、人間は、生きることしか考えてはいけない」
と云っていたから。
「病気になった時も、…誰かに殺される時にも、自分自身は、次の瞬間も生きているのだと、信じていなくてはいけない」
だから、同じようにそう思っている人間を、おまえも殺したくなったりしてはいけない。
そんなパパとママが、鬱陶しかったけど。
そう云われ続けていたから、俺は、それを、どこかでずっと、信じていて。
体しか無くなったって、それすら売って、生きることばっかりを考えていた。死にたいと思ったりはしない。死にたいと思ってはいけないから、殺してくれ、とも思ったことは無い。
神さまが、もう眠ってもいい、と云うまで。
まだ、そんなことは云われていないから。
俺にそんな声が、聞こえるのかどうか判らないけど、聞こえないなら、ずっと、次の瞬間も生きていることを信じるだけで。
「シェレ。あなた、自分の名前の意味を知っている?」
「……?」
「パパは厳しいけれど、あなたに本当に跡を継がせることなんて考えていないと思うの、姉さんは」
「……」
「あなたが、本当にサン・ターシュの家の仕事をしたくないのなら、私は、あなたの好きにしていいと思うのよ」
マリーが、あの日…、「イヴ」の朝、後に男娼になる弟に云った。
「私が居るから、大丈夫。女に跡を継がせる訳には、なんてこと、今時のパパが云う筈ないわ。だから」
あなたは好きなように生きていっていいと思うの、とマリーは云った。
「あのね、シェレ」
「何…」
少し、哀しそうな顔をして、マリーが云った。
「本当は、もう、パパもママも、…マリー姉さんも、……これ以上、今のお仕事をしたくないのよ」
「……」
「それは、サン・ターシュの人間がすることじゃないから」
「よく解らない」
「うん、そうね。でも、解らなくていいんだと思うわ、だから、あなたには何も解らないまま、好きなようにしていいと、私は云うの。パパは云えないだろうから、…いえ、もう云ってるから、私が改めて云うの」
よく解らない、ともう一度云って、遅刻するから、と学校に行った。
よく解らなかったけど、パパとママに反抗している俺に、味方するようなことを云ってくれたことは、少し嬉しかった。その時は、いかにも「理解している」という姉さん面が気に食わなかったけど。
だけど、だから、そう云ってくれたマリーを、
「俺がマリーを殺すはずはない。生かしてもあげられなかったけど」
学校のライブラリで、古典語の辞書を取り出してみた。
自分の名前の意味を知った。
それで、男娼になってからは、「シール」と名乗った。
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[センタ=トリコ=プレス・ジャーナル:AD****/FEB/6:トリコ・セントラル本社発]
「ノエルの悲劇」事件、司法捜査終了。
昨日行われた司法当局の会見で、サン・ターシュ邸放火殺人事件、通称「ノエルの悲劇」事件について、司法が捜査を打ち切る方針を示した。7日午後0時を以て、サン・ターシュ邸放火殺人事件捜査本部を解散するとの広報である。
なお、地下室より発見された物品の調査は引き続き行われているが、調査の結果如何では犯人の追訴を行うとの文化庁の方針に、司法は難色を示している。犯人のこれまでの証言からは、盗難の疑いは見受けられないためであり、この見解については、文化庁担当者へも伝達済みとのことである。
会見では、サン・ターシュ家長男・シェレさんの捜索を打ち切ることも明らかになった。シェレさんの行方の捜索は放火殺人事件捜査本部から離れ行方不明者捜査部に担当が移っていたが、放火殺人捜査本部との話し合いと合意により、今後、司法当局による捜査は完全に打ち切られることになった。
会見で行方不明者捜査部の担当者は、火災当時からの足跡がまるで掴めておらず、火災現場から発見されたシェレさんのIDカードが本物であったこと、生存しているのならば、再発行の手続きがあってしかるべきであるが、それが無いこと、これらの状況を考え、シェレさんは、火災によって焼死した可能性が最も高い、との見解を示した。
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[センタ=トリコ=プレス・ウィークリー:AD****/FEB/最終週号]
「ノエルの悲劇」、解決か、それとも迷宮入りか。<担当記者・執筆:***・***>
トリコ州を震撼させた近来稀に見る凶悪犯罪「ノエルの悲劇」事件は、犯人の逮捕で一旦の終幕を迎えた。
しかし、未だに明らかになっていないことが残っている。それは、整地によって発見された地下室、その内部に存在すべきなのに発見されていない物品の行方である。
もちろん、焼失してしまった可能性の方が大きい。しかし、地下室内部の整理整頓はほぼ完璧になされており、同室内で発見されたリストは、狭い地下室内のどこに保管しているのか―見れば分かるであろう程度のスペースであるのに―まで記してある几帳面なものであった。事実、発見された物品は、そのリストと寸分違わぬ位置に保管されていたというのに、では、あるべきものが無いというのは、どういうことなのか。
文化庁関係者によれば、調査は引き続き行われているが、犯人グループを盗難で追訴する可能性は、現在のところ無・・・・
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「スクラップ帳」に保存していた「サン・ターシュ邸放火殺人事件」関連の記事は、「シェレ」の名前が完全に無くなったと確認されたところで削除したから、その後の内容はよく覚えていない。
サン・ターシュ一家の顔写真については、恐らく記事を保存する際、配信段階で既に削除したのだろう、スクラップ帳には無かった。顔の残らない悲惨な死を迎えた者が生きていた間の顔を―それが笑顔などだと尚のこと―、第三者が保存しておくことに抵抗があったのかもしれない。―だから、ルーディはシェレ・サン・ターシュの顔を、シールと会った時には覚えていなかった、知らなかったのだろう―
今覚えていることも、多分、どんどん忘れていく。覚えておこうという意志が無いから。
実際、犯人の名前ももう忘れた。判決、刑の執行については、確認すらしていない。それを覚えていることは、別に有益ではなかろうから。
この記事を、続けて保存していたのは、セイレイシィ家に全く無関係とは云えない、と思ったからだと思うが、この罪の重さだから恐らく太陽系外流刑にでもなっているだろうし、もし釈放された後この犯人が我が家に盗難に入ってきたらどうしよう、などとは考える必要が無い。
現在、窃盗・強盗の疑いで指名手配されている者の顔と名前は頭に入っていることであるし、もともと、盗みに遭ったら遭った時のこととも思っている。
だから、こんなことをずっと覚えていて、あるいは目に見える形で保存していて、シールの内部に踏み込むことになるよりは、さっさと削除したのが、正解だったのだ。
ルーディは本音でそう思っている。
ブラディ・マリーを、「美味しいから飲んでごらん」と悪意の無いままに勧めることがあったかもしれないことを考えれば、それを確認した上で削除したことは、正解だと。
――となると、文化庁の若い役人に、ブラディ・マリーを奢ったことは、相当悪趣味な皮肉だったのかもしれない、などと思いつき、ルーディは一人で小さく苦笑した。
2004.6.22
(修正:2025.1.26/2025.4.16)




