=9.9= -(4)
ドアの周りには半径二メートルほどの何も置かれていない、殺風景な空間が出来た。
そこに防護マットを親方と二代目の二人が敷き、「念のため、テーブルにもこれを掛けといた方が良いでしょう」と親方に差し出されたシートを、ノア・カテのあるじがテーブルやカウンタの類にふんわりと掛け、ドアの周辺が、いかにも作業場のようになった。
「ジュニア、それじゃ、もう一回改めて、おまえの目で見積もり出してみろ。何をするのかは分かってるな?」
「はい」
親方が二代目の顔を見上げて指をつきつけ、きっぱりした声で云う。二代目も、大きく頷いて、ドアの前に組んだ足場へ近づいた。
懐から出した小さな「手帳」を眺め、ドアの脇に置いていた道具のうちから「メジャー」を取り、ドアの寸法を測りだす。
「こちらの酒場が、どんなとこだか、少しは実感してるか」
ジュニアの後ろ姿に親方が云い、ジュニアは振り返ると、少し顔を顰めて、こっくり大きく頷いた。
「そうか。……てことは、迂闊な人間を、今回の仕事に参加させる訳にゃいかんことは分かるよな。そもそも、スペースも限られてる。てことは?」
「少数精鋭で仕事しなきゃいけない」
「そうだな。その上で、効率よく作業を進めるには、どういう手順でやることになるか、そこら辺もよーく考えろ」
「はい」
厳しい親方の言葉に、二代目は頷き、ぶつぶつと何事か呟きながら、ドアやその周辺を眺めている。
「そのドアと受付はな。てめえのじいさんがまだ生きてる頃、俺が初めて棟梁ンなって全部仕切った仕事だ。先代の親方が、俺を一人前と認めてまかせてくれた仕事なんだ。じいさんから俺に何が継がれたのか、そこらもよーく見て、分かれ」
「……うん」
「はい、だ、バカヤロウ」
しみじみ頷いた二代目に、親方が苦笑を浮かべて云う。
腕を組んで二代目の様子を見ていた親方の隣に、酒場のあるじが立って微笑を浮かべている。
「すいませんな、ご主人。結局、ウチの二代目教育に、ノア・カテさんを使わしてもらったみたいになっちゃって」
「いいえ。どんなことだって、『実習』というのは必要なものです。特にノア・カテの改装なんて、他の現場の経験が生きない、実地でしか経験出来ないことくらい、私の方がよく分かっています。丁度いい具合に、こういう機会が巡ってきたということでしょう」
「はあ、いい機会だったとは、本当にそう思いますよ」
「お気になさらずとも良いですよ。アクトさんのような『職人』が現代に未だに居られるということが、私自身、嬉しくて仕方ないんです。それが次世代に続くためならば、喜んで実習現場も提供しますよ。親方のような方が居られるから、このノア・カテもまだ営業出来ているんです。それを有り難く思いこそすれ、親方が謝る必要なんてないです」
申し訳なさそうな顔をしている親方へ酒場のあるじが微笑を浮かべて首をふりつつ云うと、親方は苦笑を浮かべて頷き、次には感慨深げに云った。
「思い出すなぁ。あなたのお父さんも、同じように仰いましたよ。アタシがあいつぐらいの時、先代につれてこられてさ」
「そうですか」
「そんでもって、こうやってアタシは今も現役でノア・カテに仕事しに来られて、今度はアイツが来てるんだなぁ…。何か、胸が詰まりますわ」
「残念ながら、親方のお孫さんの代には、この酒場は無いかもしれないですけどね」
酒場のあるじは、苦笑混じりにさらりと云い、親方はそれを聞いて、苦笑していた顔を曇らせた。
「……ご主人は、結婚は、する気ないんですか」
「今のところございませんね」
「子供も作らない?」
「仰りたいことは分かります」
懇願するような目をして見上げてくる親方の顔を、苦笑しながら酒場のあるじは見下ろす。
「お客様にも時々、その手のことを仰る方は居られますから。……仕方ないですね。私は結構、頭が固い部分もありますから、結婚しないで子供を作ることは考えられませんし、結婚相手になりそうな方には巡り会わなかった。その気が無いから、殊更、捜す気もないです」
「……左様で…」
力無く頷いた次に、親方は天井を仰ぎ見て「はああ」と大きく息を吐いた。
「ご主人は、この酒場の跡を継がせるってことは、考えに無いんですかね。養子って手もあれば、他人にだって、譲ることは出来るんですよ?」
「そういう人にも巡り会わなかっただけです」
ノア・カテのあるじは、肩を竦めて苦笑する。
「どうかこの酒場を私に継がせてくれ、って人が、今まで居たことがありません。お客様は、お客様としてこの店を愛している訳で、経営者になろうとは思わないんでしょう。じゃ、親方は、…親方ご本人は――失礼、お年だから兎も角、誰かお身内に、ノア・カテの跡を継ぐ気は無いかと、云う気になってくれますか」
「ううん…。そりゃあ、確かに、…誰かに云われて渋々なれる『ノア・カテの主人』とも思いませんけどね…」
「そうです。だから、私が今までに子供に恵まれる機会が無くて、こうなったのはもう仕方ありません。私に何かあったら何かあった時のことです」
特別寂しいという顔は見せずに酒場のあるじは云い、親方の方が余程に、しょげている。
「じゃ、……こんなこと云って済みませんね、ご主人に何かあったら、やっぱり、この酒場はお上預かりになっちまうんですか」
「この先、私が譲る気になる熱意を持った人に巡り会わなければ―もしかして子供が出来たとして、それも含めて―、そうなりますね」
やはり、あるじの方が余程あっさり云って、親方が顔をくしゃくしゃにしていた。
「となると、ジュニアがアタシくらいの年になる頃は、あいつァ、お上に云われてこの酒場の維持をすることになるんですか…」
「……」
「アタシは、棺桶の中で落ち着いて寝てられませんや。……アタシのジュニアが、お上に云われてこの酒場弄るくらいなら、いっそアクト工務店を閉めてやるってぇくらい、肝座らせてくれりゃいいけども」
「……」
ノア・カテのあるじは、親方の独り言を微苦笑混じりにただ聞いている。そんなこと云わないで、と慰める言葉は出てこなかった。何故なら、そう思ってくれる人が居ることが、あるじには喜びであったから、それを否定するような言葉は出ない。
「おや…方、こんな感じでどうだろう」
二代目が振り返り、親方の前にやってきて「手帳」を見せた。
もう少しで涙ぐみそうになっていた親方は、「おう」と慌てた声を出してそれを手に取る。
「フゥン…ウン、まあ、こういう判断は何とか育ってんな、しかしまだ、応用が効かねえってぇか、穴だらけだなぁ」
「何が」
「コレだと機材がボニュー・パッティホーに限られちまうじゃねぇか。ここは地下だぞ。上にはビルが建ってる、一階のど真ん中に穴ほぐ気か? 俺らが頼まれたのは、あの階段降りてきたすぐそこのドアの改装だけだ。店内の改装まで頼まれたんじゃねぇ、これじゃ後々の改装で、ハナから電気設備も何も、見直す羽目になるかもしれんだろうが」
「あ、そうか…」
「モノに頼るな。テメェの頭と手に頼れ。アクト工務店の親方はそうでなけりゃいけねぇ」
親方の苦言に、二代目はコックリ頷いて、手帳を眺めながらまたぶつぶつ云いだした。
「さて、ご主人、そんじゃあ、今日のところの作業はこんなもんでいいですか」
「いや、私には分かりませんから」
苦笑してあるじが肩を竦める。親方は「それもそうですな」とやっぱり照れくさそうに笑った。
「大方の準備は完了しました。この後はどうしましょうかね。本格的な作業に入る準備が整ったら、また連絡しますか」
「そうですね……。作業の間は、私が居なくても大丈夫ですね?」
「ええ、様子見に来る分には、いくら来てもらっても平気ですけどね」
「外の『合い鍵』を預けておきましょうか」
「いやっ! それはあんまりですわ、ご主人」
親方はぶるぶる首を振る。酒場のあるじは苦笑した。
「信用してくれるのは有り難いですけどね、度を超すとただのお人好しですよ、ご主人」
「そうですか。…ええと、では、作業日の前日に連絡を下さい。そしたら、私は外のドアの鍵を開けて、お通ししましょう。で、終了したらまた事務所に連絡をくれれば、鍵を閉めに下ります」
「それがいいでしょうな。内から鍵は掛かりますか。アタシらが居るったって、仕事の間、開け放しとくのも物騒ですよ」
「ええ」
「警備員も手配せんとな、ジュニア」
「うん。…あ、はい」
頷いた後、慌てて「はい」と言い直す二代目に、親方と酒場のあるじの二人が笑う。
「それじゃ、早速…、明日にはまた、ちょっとした作業に取りかかれますんで、ご主人、そのつもりで。時刻はまた後ほどお知らせしますわ、都合が悪けりゃ遠慮無く仰ってください」
「はい、分かりました」
酒場のあるじが頷き、ドアを三人が抜けて、階段を上る。
「お疲れ様でした。どうも有り難う」
「車」に乗り込むアクト工務店の親方と二代目に頭を下げ、酒場のあるじはその「車」が見えなくなってからまた扉に入り、鍵を内から閉めて階段を下りる。
受付の前と、店内のドアの近くに、親方とその二代目が組んだ足場があり、それを眺めてルーディは微笑を浮かべ、脇を通り抜ける。
それから、他に何か危なっかしいものは、作業場の近くに無いか、ドアの周辺が極めて殺風景であることを確認し、自分一人しか使わないエレベータに乗った。
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[センタ=トリコ=プレス・ジャーナル:AD****/FEB/5:トリコ・セントラル本社発]
サン・ターシュ邸地下室から発見された物品の文化庁移送が終了。
文化庁からのアナウンスによれば、サン・ターシュさんが管理していた文化財は、火災によって殆どが焼失した模様。地下室から発見されたものは、特に金銭的価値の高い(*)貴金属、あるいは木工の意匠が施された品であると判明した。
文化庁広報の会見によると、地下室内物品のリストが同室内に残されており、同庁リストと併せての照合も進められているが、数点の品が発見されていない。焼失の可能性を考え詳しい調査は引き続き行われている。調査結果によっては放火・殺人の罪で公判中の犯人グループを盗難容疑で追訴する可能性を会見上で示唆した。
(*)サン・ターシュさんが保管・管理していた物品は、全て現在の貨幣価値では換算出来ないものであり、この記述については、旧時代の価値を照らし合わせた便宜上のものであるとご了承ください。
エレベータは、事務所まで上っていき、デスクにつくと、カテ・コーの社長は、不動産部門の仕事をさっさと済ませた。テナントとアパルトマンの家賃を確認し、ふた月滞納している借り主には、手紙を出す。
その後、またエレベータで一階上の自宅に上がり、そのまま自分の部屋に戻って、フリーザからスープのパウチを取り出すと、個室に備えてある小さなキッチンで温め始めた。
皿にスープを注ぎながら、微笑が漏れる。
久しぶりにアクト工務店の親方に会い、次世代が育ったという話が、大変に喜ばしい。
親方はあんなことを云っていたが、セイレイシィの人間がアクト工務店に仕事を頼むのは、本音で、「無制限の保険に入っているから」なんて理由じゃない、と思う。
ああいう、「職人」気質が喜ばしくて頼んでいる。
それは、セイレイシィ家に代々伝わってきた「貧乏性」気質と、「感動」に通じるから。
「モノじゃなくて、自分の頭と手に頼れ」そんなことを云える職人は、現在、そう居るものではない。
それは、「私以外にも、居る」ということだ。
セイレイシィの人間が感じてきた、人の手に対する「感動」を、アクト工務店の人々と共有しているのだと思う。
成り行き上、お客様にもご迷惑をかけ、アクト工務店さんにも無理を云ってしまったが、決して、今の時間が悔やまれるということは無い。成り行きではなくて、巡り合わせというのだろう、これは。
久しぶりだったが、親方も元気そうで良かったなぁ、と思いながら、ルーディは、綻んだ口元にスープを運ぶ。




