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[センタ=トリコ=プレス・ジャーナル:AD****/FEB/2:リミテ・エスパ支社発]
昨年12月に発生した、通称「ノエルの悲劇」事件の現場となったサン・ターシュ邸跡の整地が2日午後より始まる。
二人の年寄りも地下の入り口に降り立ち、ノア・カテのあるじが酒場への扉を開け放した。
「こっちの方が狭いから、おまえが中に入れ」と親方が二代目を促し、ノア・カテのあるじが、ではどうぞ、と二代目の顔を見て手を店内に向ける。
確かに階段から下りてきた突き当たりの受付部分は狭いから、まだ未熟な二代目が作業するには辛いだろう。
親方が一人でてきぱきと仕事のための場所を作り始め、二代目は店内の床にがしゃがしゃ音を立てて機材を置いた。
「おいコラ、このバカヤロウめ」
その音を聞き、慌てた顔を上げて二代目の様子を見ると、親方が怒号を発した。
えっ、と二代目は狼狽えた顔をして、ノア・カテのあるじは苦笑する。
「全く、だからまだ半人前ってんだ。もっと丁寧にやらねぇか、ウチの機材は換えがきくが、床に傷がついたらどうする。マットが先だろ!」
多分、他の現場でこのような叱られ方をしたことは無いのだろう。ジュニアは目を白黒させて、つかつかと近寄ってくる親方にたじろいでいる。
ノア・カテのあるじは、苦笑を浮かべたまま、親方に首を振った。
「親方、そんな神経質に気を遣わなくてもいいですよ。ああ、ジュニア、あなたもそんな、恐縮しないで」
険しい顔をしている親方と、眉をハの字にしている二代目へ、ノア・カテのあるじが両手を胸の前で振る。
「マットを敷けったって、ジュニア一人でやってるんですから、一度床に置かないことには無理ですよ、ねぇ」
「いや、ご主人がそう云ってくれてもね、こいつの意識の問題なんですわ。だったら、もっと丁寧に静かにやれってこって。こんな大雑把な仕事してるようじゃ、それこそこいつの代にはカテ・コーさんからの仕事は貰えませんや。オイ、分かったのか、おまえ」
「はい」
二代目に対しては当然だが、親方の声はノア・カテのあるじに対しても叱責するような響きがあり、二代目は肩を竦めて頭をかき、酒場のあるじは肩を竦めて首を傾げた。
まあ、確かに、ここでクライアントが甘い顔をしていても、二代目の教育に良くないというのは分かるので、ノア・カテのあるじもそれ以上は黙っていた。
先ほどまで「好々爺」という風情だった親方が、厳しく頼もしい「親方」の顔をして、二代目を叱責する。
「そら、マットを敷いて、足場を組んで」
「はい」
尻を叩かれて促され二代目が防護マットを床に敷き、親方と二人してドアの前に梯子のような金属の網目ををてきぱき作っていく。
作業する二人の後ろ姿へ、酒場のあるじが声を掛けた。
「広さはどのくらい要りますかね? スペースを作った方がいいですか」
すると、親方が振り返り、「ああ、そうですね」と頷く。
「アタシが四、五人居て作業する分にはこんだけありゃ大丈夫ですが、若い者はそうはいきません。念のため、この辺空けといてくださいな」
「分かりました」
頷いて、ノア・カテのあるじは、ドアにいちばん近いテーブルや椅子の類を中央に寄せ始める。
年を取ってきた腕力では少々重く、時々引きずることになる。
酒場のあるじが振り返り、二代目に向かって云った。
「故意は流石に許容出来ませんけど、こんなことで床に傷がつくことはしょっちゅうなんですから、神経質にはならなくていいんですよ、ジュニア」
ジュニアはそれを聞いて、戸惑った顔をしたが、少し安心はしたのか、若干口元を綻ばせた。
逆に親方が渋い顔をする。
「セイレイシィさん、そんな甘いこと云ってないでくれませんかねぇ」
「いえ、だからね? あんまりビクビク神経質になって仕事される方が、却っていい仕事にはならないだろうと思ったんですよ。リラックスはしてもらいませんと」
「それはそうですけどね…」
親方は渋い顔をして頷く。
「大体、長年の傷なんかがあってこその、この味わいでもあるのですからして」
「それもそうでしょうけどねぇ…」
そう云って、親方は長い月日を経てきた床を溜息混じりに眺めた。
「あの、手伝いましょうか」
足場の網目を作る作業は終わったらしく、ふう、と時々息をつきながらテーブルを動かすあるじへ、二代目が声を掛ける。
親方が慌てて止めた。
「バカ、半人前のおまえがノア・カテさんの備品に触るなんて」
え、と驚いた顔をした二代目と親方へ、酒場のあるじが苦笑する。
「親方、うちの、というか、クライアントの持ち物を大事にするのはいいですけど、いい加減気にしすぎですよ。お客様は何百人と触っているテーブルですよ? 親方だって、ウチに飲りにきたことがあるでしょう」
「そ、そりゃそうですが…。何せ、こんな大雑把なヤツで」
流石に、二代目は今度の叱責は納得できなかったのか、「そうだよ」というふて腐れた顔をして親方の禿頭を見下ろす。
「正直、ありがたいです。ちょっと重いものですから。親方、ジュニアと二人でこれ、邪魔にならないところに動かして貰えますか」
作業のための充分なスペースを作るには邪魔になる場所に、まだテーブルと椅子がある。
親方は戸惑った顔をして「はあ」と頷き、二代目は大きく頷いた。
ノア・カテのあるじは、動かせないカウンタテーブルに近づき、その上に置いてある花器などの装飾品や酒瓶の類を片付けていった。テーブルなどより、これらの方が壊れやすい。よほどノア・カテのあるじ本人が安全な場所に移しておかなければならないものだ。
「じゃ、おまえそっち持て」
テーブルを二人で持ち上げ、酒場の中央よりに動かしている。
「ジュニア、いいか。セイレイシィさんはああ仰ってくれてるけどもな、おまえは、この酒場がどんなにすげぇところかまだ解ってねぇ。解ってりゃ、雑な仕事なんか出来ねぇんだ。俺の跡継ぐ以上は、カテ・コーさんと仕事するには、肝を座らせて座りすぎってことぁねぇんだからな。おまえは、後は性根だけなんだ、解ってんのか」
「解ってるって。口じゃなくて手を動かせ、ってのもオヤ…親方がいつも云ってることだろ、足動かせよ、もう」
そんな会話を、微笑を浮かべたノア・カテのあるじが背中で聞いていた。
「ノア・カテさんがウチに仕事くれるのは何でなのか解ってるか? 無制限の損害保険と自賠責保険に入ってるからなんだぞ。もし何かあってセイレイシィさんが本気で賠償要求してきたらな、ウチみたいな小さな工務店、銀行にも保険会社にも見捨てられてぺちゃんこに潰れらぁ。そんくらい、この酒場はすげぇところなんだぞ」
「聞き捨てなりませんね、人を金の亡者みたいに」
くすくす、と笑いながら、あるじが振り返り、椅子を移動させ始めていた親方と二代目に云う。
二代目は、何となく狼狽えた顔をしてノア・カテのあるじを見る。
「数え切れないほどの代々、アクトさんとお付き合いしてきた理由が、まさか、他のところじゃ滅多に入ってない保険に入ってるからなんて理由だと本気で思ってますか、親方。そのくらいに自分の腕に自信を持っていて、なおかつ、我が家を代々大事に思ってくれている、アクトさんを信用しているから、ですよ。これは皮肉じゃなく、全く本心ですよ?」
あるじの言葉に、親方は微かに頬を染めて、笑いたいのか泣きたいのかよく分からない表情を作り、やっぱり頭頂部を撫で回した。二代目の方も、何だか照れくさいという顔をして首を傾げている。
「いやあ、まあ、そう云ってくれるセイレイシィさんだから、アタシも長いことお付き合いさせてもらってんのが、有り難くってしょうがないんですが」
「ジュニアとも宜しくお付き合い出来たら、こんな嬉しいことはないです」
そう云うと、自分に矛先が回ってきたジュニアが、驚いた顔をして肩を強ばらせ、「どうも、こちらこそ」と口籠もりつつ頭を下げた。
「こいつはねぇ、もう、腕の方は何とかなったと思うんですが、まだ性根がね。今日こちらについてきたのも、どっちかってぇと、好奇心ばっかりなんですわ。使命感っつぅのか、そういうのがどうも」
親方が息子の背中をバシンと叩いて、苦虫を噛みつぶす。
酒場のあるじは、くすっと笑って云う。
「好奇心だけだろうが、良い仕事をしてくれるのなら、それはそれで構いません。仕事に熱意を持ってるのならば良いですが、この酒場自体に過剰な興味を持ってる人間がやってきて、迂闊に弄り回される方が私には受け入れられませんから。神経質にはならずに、リラックスして、ジュニア、『あなたが』やるべきことをやってください。ね?」
にっこり笑って云われ、二代目はシャキンと背筋を伸ばすと、「はい」とハッキリ大きな声で答えた。
そういう態度を見ているだけで、ノア・カテのあるじは「親方はああ云っていたけど、大丈夫だろう」と判断して頷く。
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[センタ=トリコ=プレス・ジャーナル:AD****/FEB/3:リミテ・エスパ支社発]
「ノエルの悲劇」現場サン・ターシュ邸跡より、地下室発見さる。
司法当局のアナウンスによれば、旧礼拝堂の地下に、シェルター仕様の地下室が発見されたとのことである。内部は旧クリステン文化財の収蔵庫となっており、サン・ターシュさん一家の遺体すらも損壊する業火に見舞われながらも、全て無事だった。
司法当局はこれらの物品に関しては文化庁の調査を依頼し、サン・ターシュさん一家の遺品・家財の整頓と管理は一旦行政に委ねられることとなった。




