=9.9= -(2)
「昨日、見積もりお願いした件でね、アレね、もうちょっと上乗せすることになってもいいから、今日、今からでも始めて欲しいんですが、どうでしょうか。急なことで済みませんけど」
『え? そりゃまたほんとに急ですね』
「無理ですか」
『いえ、始めるだけなら大丈夫ですよ? とっかかりの足場辺りはもう用意しときましたからね』
「さすがアクトさんだ、有り難い」
『ただ、その後の人や機材なんかを集めるのが、おいおい、その都度ってことになって、時間がかかっちまいます。何せ、ノア・カテさんの改装でしょう、人材も厳選しなくっちゃねぇ。工事決まるのはもうちょっと後だと思ってたもんだから、まだそっちには手をつけとらんのですわ。そんなもんだから、昨日の見積もりは完全に反故ですな』
「時間がかかるのはいくらかかってもいいです。いくらでもかけて欲しいくらいで。足場だけ組んで、取りかかりはずっと後ってことになってもいいです」
『いいんですか? お客さんにも迷惑おかけするでしょうに』
「それは仕方ないんです。もう、休業の知らせもしてありますし、そちらさんが恐縮する必要はないですよ」
『はあ、そうですか』
「すぐに始めて頂きたい上、当然、丁寧な仕事をして頂きたいので、代金の方も終了後に提示してくれていいです。無理を云っているのはこちらなんですから、ゴネたりしませんよ」
『それはまた、いいんですか、そんなお人好しなこと云ってて』
「常識はずれにボられちゃ、流石に今後の取引を考え直しますけどね」
おどけた声でルーディが云うと、向こうは「はあ、そりゃ困ったな」とやはりおどけた声を返した。
『カテ・コーさんとは今後とも宜しくお付き合いしていきたいものですからな。分かりました。すぐ向かいましょう』
「お願いします」
『一時間後、ノア・カテさんの入り口でいいですか?』
「ええ、分かりました、それで。ありがとう」
そういう会話をした後で、ルーディは地下まで降りて、それから階段を上って地上に出た。
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[センタ=トリコ=プレス・ジャーナル:AD****/JAN/17:トリコ・セントラル本社発]
昨年12月に発生したサン・ターシュ邸放火殺人の犯人グループ全て逮捕。
17日未明、パリス州警は、通称「ノエルの悲劇」事件の首謀者、及び実行犯グループを逮捕したと発表した。
首謀者はアリージュ市内に本籍を持つ******・******。*****容疑者の証言から、動機は怨恨と見られている。パリス州立大に所属していた学生時代に、旧クリステン信仰に興味を持ち始め、次第に狂信的復活を意図し始めた*****容疑者は、出身地であるアリージュ市内に於いて旧クリステン文化財を「私有」しているサン・ターシュさん一家に一方的な恨みを抱いていた。その他の実行犯は、*****容疑者に、盗みの話を持ちかけられて集められた、互いに面識のないグループだった。
なお、証言によれば、何らかの信仰集団や、反政府組織とは無関係の模様。今後も詳細な取り調べを続け、起訴の準備を進める。
首謀者の逮捕により、「ノエルの悲劇」は解決に向けて加速する。
「電話」の五十五分後にノア・カテの入り口に立ったルーディは五分待ってから、「アクト工務店」の「車」が目の前の道に止まるのを見た。
「やあ、どうも。お待たせしましたかな」
頭髪が殆ど残っていないつむじ辺りを擦りながら降りてきた、背は小柄だが太めの男性に、ノア・カテのあるじは苦笑を浮かべて首を振った。
「全然。『親方』だって、遅れたなんて思っていないでしょう、キッチリ一時間ですよ」
「わはは、まあ、社交何とかとかいうやつで」
大笑いした後で、「親方」は少々、眉を寄せた。
その表情に首を傾げて、ノア・カテのあるじは「どうかしましたか」と訊いた。
「いや、セイレイシィさん、顔色が悪くないですか。どっか、悪くしてますか」
「いえ? そうですか? ああ、ちょっと寝不足だからかな? クマでも出来てますか」
「ええ。まあ、そんくらいならいいですけどねぇ。ご主人はまだアタシよりは若いからナンだけども、段々無理はきかなくなりますよ、気をつけなきゃ」
「心しときますよ」
「見なさいよ、アタシのこのクマ。立派な耳と掌でしょう。寄る年波には勝てませんわ。親方稼業も楽じゃなし」
そう云って、「親方」は自分の頬骨の辺り―と云っても、肉付きがいいので骨の形は見えないが―を指さした。
ノア・カテのあるじが、ぷっと吹き出す。確かに、「熊」の形をしたしみがある。
「おや…、親方。せっかく約束通りに着いたのに、無駄話してたんじゃ意味がないだろう」
陽気な冗談を云っていた「親方」の隣には、ルーディの同居人と同じくらいの背丈の若者が立っていた。
若者は「すみません」とノア・カテのあるじへ頭を下げる。
「いえ。私も、こういう時間は嫌いじゃないので、お気になさらず」
えへへ、とやはりつむじ辺りを擦りながら肩を竦めた親方と若者を交互に見ながら、ノア・カテのあるじは手を振った。
若者は相変わらず渋い顔をして親方の禿頭を見下ろしていたが、ルーディは別にお愛想で云った訳でも無かった。こういう、無駄かもしれないけれども陽気な冗談が出てくる会話は、嫌いじゃないというより、好ましいと思っている。
「こちらは?」
「親方」へノア・カテのあるじが若者の方へ手を差し出しながら訊くと、何だか照れくさそうな顔をして「倅ですわ」と「親方」は答えた。
「それはそれは」
少し大げさではないかと思われる驚きの表情をノア・カテのあるじは浮かべた後、和やかな微笑を浮かべ「はじめまして」と若者へ改めて右手を差し出した。
「ルードゥルフィーア・セイレイシィです」
恐らく、名前は「親方」から聞いているだろうけども名乗ると、若者の方は少しだけ驚いた顔をして、慌てて、右手のひらを一度腰の辺りにごしごしと擦りつけた。
それから「はじめまして」と云って、あるじの手を握った。
「お父さんには長らくお世話になっております」
「いえ、こちらこそ」
「喜ばしいことですね、親方。二代目が育ちましたか」
「ええ、まあね」
「親方」の方へ顔を向けると「親方」はやはり照れくさそうな顔で、大きく額からつむじをさすっている。
「と云っても、まだまだ半人前ですが」
「しかし、ウチの仕事に連れてきても大丈夫、ということなんでしょう?」
からかうような声でノア・カテのあるじが云うと、今度は、照れ笑いの中に少し誇らしげなものを含ませて、「親方」は「そうですな」と頷いた。
「セイレイシィさんのとことは、アタシの目が黒くなくなっても、お付き合いしていきたいものですからね。コイツが跡継いでくれる気になってくれて、嬉しいことですよ」
そんな「親方」へにっこり笑って、ノア・カテのあるじも頷く。
「アクトさんがそう思ってくれるのが、私も嬉しい」
「オヤジ、もういい加減、作業に入らないか」
「父親」と「雇い主」が自分をネタにして、何だか恥ずかしくなる会話を続けるので、「倅」はそれを遮るように口を挟んだ。
すると、「親方」が大げさに顔を顰め、「親方」と吐くように云った。
「ああ、親方。だから」
「倅」は首を傾けながらそう云い、ノア・カテのあるじは苦笑して、「そうですね」と頷く。
「二代目がせっかくやる気になってくれているのだから、いつまでも立ち話を楽しんでないで、私もそろそろご案内致しましょうか」
「あ、…いえ、あの、スイマセン、別に、セイレイシィさんに文句はないんですけど、あの」
「車」から機材を取り出そうとして、二人に背中を向けていた「倅」が慌てて振り返るとぶるぶる首を振り、ノア・カテのあるじはクスクスと笑った。
「別に気を悪くしたのじゃないから、お気になさらず。では宜しくお願いします」
ペコリ、と軽く頭を下げ、酒場に続く階段への扉を、あるじが開く。
機材を一緒に下ろしながら、「親方」が「倅」にからかうような声で云う。
「セイレイシィさんのああいう物言いに慌ててるようじゃ、いつまで経っても俺は引退できねぇぞ」
「……どういう意味だよ」
「いちばんのお得意様は、ああいう、ちょっとばかし皮肉屋さんだってことは解っておかねぇと、ってこった」
「倅」はふて腐れた顔を「親方」に見せた後、先を歩くように手を階段に向けて微笑を浮かべるノア・カテのあるじに軽く頭を下げ、「すいません」と云いながら階段に一歩を踏み出した。
その後ろを「親方」がついていき、その後ろにノア・カテのあるじがつく。
「ホントの二代目への階段、第一歩だな」
親方が云い、ノア・カテのあるじが「下りですけどね」と笑う。
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[センタ=トリコ=プレス・ジャーナル:AD****/JAN/18:トリコ・セントラル本社発]
「ノエルの悲劇」事件首謀者起訴。
パリス地裁によると、審判は今月中に開始される。
「そういえば、見積もりをお願いするときと、先ほどお電話した時に応対してくれた方は、彼」
ノア・カテのあるじが、軽く顎をしゃくって云うと、ちらりと振り返った親方が「はい」と首を傾げる。
「二代目に似てらしたけど、娘さんですか」
「ええ、まあ」
親方はやはり照れくさそうな顔をした。
「腹から産むとそうなるんですかね? どっちも女房似なんですわ、顔は。娘の背丈はアタシに似ちまいましたが」
「お腹でもチューブでも遺伝子の発現に差は無いと思いますけどね。まあ、どっちにしたって、それは運が良かったことです」
「ああ、おい、ジュニア、聞いたか。こういう皮肉に慣れなきゃ、セイレイシィさんとは付き合えねぇんだぞ」
「よく覚えときマス」
親方が叫ぶような声で云うと、二代目もちらっと振り返って苦笑を見せた。
ノア・カテのあるじはクスクスと笑った。
「慣れる前に気付かない人ともうまく付き合えないと思いますけども」
「ああ、そりゃそうですな」
「しかし、全く皮肉でもないんですけどね。女の子は小柄な方が愛くるしいでしょう。親方に似て良かった」
「フォローのつもりですかね」
「いえ、本音ですよ?」
「どっちしたって、アタシにはイヤミですわ。…しかし、それがどうかしましたか」
二代目はもう突き当たりに降りてしまっていて、お喋りしながら降りてくる年寄り二人を我慢強く待っている。
「娘さんには、親方とは呼ばせないんです? 社長、て仰ってましたが」
「ノア・カテ」は現在のあるじになる以前から、「アクト工務店」と付き合いがあり、代々の社長が「親方」と呼ばれることに自尊心を持っていることを知っているので、そう訊いた。
「ああ…。事務方ですからな、女の子に『親方』て呼ばせるのもなーんとなく、オヤジとしては抵抗がありまして」
「成る程」
「でも流石に、職場で『パパ』とは云わないように、きつく言い含めておりますよ」
そう云って、親方は目の前で待っている倅の顔を、目を細めて見た。
倅は、ばつが悪いという顔をして鼻の頭を指で擦る。
先ほど、二代目が「オヤジ」と云ってしまったのを聞いていたノア・カテのあるじは、くすっと笑った。




