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「何を考えたんですか…。名前がそうだからって、誰が生き血を飲ませるもんですか」
「……え」
「トマトにアレルギーがありますか、と訊いたんですから、トマト・ジュースだと思えばいいでしょう。トマト・ジュースと、ウォッカのカクテルです」
ルーディの言葉に、役人はばつが悪そうな顔をして、恐る恐るグラスを握り、一口、それを飲み込んだ。
「…お、美味しいです」
「それはどうも」
それは、お世辞ではないようだ。ルーディは、役人の表情を見て思う。
少し驚いたような顔がお世辞ではないことを表している。お世辞なら、ひきつった笑顔になるところだ。
「お好みでこちらをどうぞ?」
そう云って、ルーディは小瓶を置いた。
役人が、何ですか、と首を傾げたので、「タバスコです」と答える。
役人は首を振り、
「アレルギーはありませんけど、辛いものは苦手なので」
と答えた。
ルーディが、ふん、と鼻を鳴らして笑った。…少しは、云われたことをやるために来ただけの役人ではなく、己というものを見せだしたようだ、と。
ルーディは、役人の「個が全く埋没したところ」が嫌いだ。口を開けば、「人類の遺産」「政府」「我々」、そんな言葉しか出てこない。「話をしているのは私とあんただろう」というふうに、思う。
少しは、人間味のある人間とじゃないと、どんな内容でどんな結論に至る--至る以前に決定している--としても、「話」はする気がしない。
「そのカクテルのレシピも名前も、…あなたが云う『歴史』を持ったものですよ。何世紀も前からあるカクテルです」
「……」
「手にしているグラスも、…現代の製品だと思いますか?」
訊かれて、若者は手にしたグラスをまじまじと見つめ、そっとカウンタに戻した。
手にしているのが怖くなったのでもあろうか…。
「…いいえ…」
「物を褒める場合は、その物を実際に見てから云うんですね。これであなたが、初めてのお客様じゃなければ、私もここまでは云いませんでしたが…」
「……」
「脚本が、あるのは別に構いませんけど、その存在を露骨に示すような態度を取っているようでは、そんな折衝は成功しませんよ、あなた。私は誰が来ようがあなた方の言葉に頷くことはありませんが、今後、他の方への打診役を命じられた時には、気をつけた方がいいですよ?」
ルーディはそう云って、役人から目を反らし、グラス磨きを始めた。
ルーディが役人を嫌いな理由には、これもある。
自分が保存したがっている店を「理解」しようとしない、お世辞は云うのに。
この若い役人の場合は、緊張のために意識が回らなかったのだとしても、おべっかを使うこともなく、交渉に入った。
この店に、本当の客としてやってきて、一度でも一個人としてくつろいだならば、この店が保存されたがっているとは思えないだろうに。酒場として存在したがっていることが分かるだろうに…。
それを理解しないまま、役人が口にするのは、まるで的を外れた、「文化」「補償額」「遺産」…そんな言葉ばかりだ。
…役人は、ちょっとの間ルーディの言葉を反芻した後で、慌てた顔をして云う。
「いえ、…あの、それはそうでしょうけども、僕は、あなたを説得するために来た訳で…」
成る程、「私」という一人称も、一種マニュアルか、と、ルーディは考えていた。
「補償額が問題なのでしょうか、それについては、今後、よく話し合いをさせて頂きますし」
「あのねぇ」
ルーディは、手は止めずに呆れた声を出した。
若者に対して忠告はしてやったが、役人に対していい顔をするつもりなどルーディには無い。
「あなたは、上司の方から、この場所と私の情報を、全くもらっていないんですか? これまでの打診の結果・経過の記録は? 残っていないんですか? 代が替わったら、そんな記録や情報は、チャラになるんですか? 私は先代の父--父に限らず、先祖代々--と全く同じ考えで、あなた方のお申し出に答えることは出来ませんよ。もし、報告書などの類が残っているのなら、それに目を通す方が、時間の無駄になりません。…それを飲んでしまったら、お引き取りください」
…酒場の客に対して、帰れ、などと云ったことは、ルーディには一度も無い。
役人は、そういう訳にはいきません、と引かなかった。
「報告書には目を通してます。…文化庁に、保管するための技術や環境が無いというご意見に関しては、こちらも改善の努力をしていますし、…そもそも、その技術を後身に伝えるために、あなたにもご協力頂きたく、そのために、政府直属の役職も用意して…」
「…どんな報告書が残っているのだか、見せて欲しいものですね」
ルーディは、呆れた溜息をつく。
「そういう問題なのじゃないと、祖父も父も、云っていた筈なのに…。あなた方には、私たち一族の言葉や想いが、これっぽっちも伝わっていないらしい」
「……あの、セイレイシィさん、あのですね」
「もしかして、あなた方は、そうやって私たちが、補償額をつり上げようとしているなどと考えてはいないでしょうね? 用意された役職に不満があるとでも? 冗談じゃないですよ?」
「…そんなことは、云っていません…」
眉を寄せて役人が云う。
顔を顰めたいのは自分の方だ、とルーディは溜息をつく。店の中だから、辛うじて表情は穏和に保っている。
「うちにあるものは、人類の遺産や文化財なんてものじゃありません。我が家に必要な、備品であり生活必需品です。必要だからここにあるんです。何であなた方にあげなくちゃいけないんですか、我が家のものを」
「ですから、補償は…」
「だからそうじゃないって云っているでしょう…」
「遺産」なんかじゃないのだ。
まだ、この酒場は、「生きている」。それがどうも分かってもらえない。
何度繰り返した議論なのだろうか。一体、何代前のご先祖様から、こんなことを繰り返しているのだろう。
ルーディは、うんざりだ、という溜息をつきながら、首を振る。
カラン……。
と、そこに鐘の音が聞こえた。
新しいお客様が、階段を下りてくる前兆の音である。
これはラッキーだ、とルーディは思い、役人に、「ちょっと失礼」と云って受付の方に向かいかけたのだが、一見の客では無かったので、店内へのドアがすぐに開いた。
ルーディは、がっかりだ、という顔をしたが、酒場の客の相手をするのが先であるので、やはり役人の前からは離れた。
「いらっしゃい」
役人に対してよりも、余程に和やかな微笑を浮かべて、ルーディが云う。
客は、シールだった。
シールは、役人と正反対の、カウンタの端っこに座った。
閉店間際だから、1杯飲んですぐに帰るつもりだろうけど、出来たら、閉店時刻まで居て欲しいものだ、とルーディは思った。
役人は、今入ってきた客を一瞥すると、…何故か怪訝そうな顔をして首を傾げた。
シールは、MENUを差し出したルーディに、ちょっと申し訳なさそうな顔を作り、ちらり、と役人の方を見る。
「…なんか、随分真剣に話してる感じじゃなかった? 邪魔だったかな」
「全然」
ルーディは苦笑して首を振る。
「いくら話が弾んでたって、新たにいらしたお客様を、邪魔だなんて云いません。…どっちかいうと、あちらがちょっと、余りお相手したくない方でしてね」
「……そうなのか?」
ルーディとシールの二人が、ちらり、とまた男の方を見る。
……その客は、懐から何か取り出して、それを覗き込んでいた。
小型の端末のようだったので、ルーディは、お役所の方へ首尾でも連絡しているのだろうか、と考え、シールは、その見た目がサラリーマンのようだったので、「この店で仕事するなんて無粋な男だな」と考えた。
シールは、男から目を反らし、ルーディに、MENUは開かないままだったけども、「ギムレット」と云った。
畏まりました、とルーディは微笑して、MENUを引っ込め、グラスを用意する。
役人である若い男は、自分と反対側のカウンタ席についた男と手元とを、交互にちらちらと見ていた。
「お待たせしました」
ルーディが穏やかな声で云い、シールの前にグラスを置く。
「ありがとう」
そう云って、シールがグラスを取ろうとしたところに、奇妙な声が聞こえた。
「サーチナンバー・TRC569…」
ルーディもシールも、何だろう、と不思議そうな顔をして、その声のした方に顔を向けた。
シールと正反対の端っこに座った男が、呟いた声だ。
シールは、「やっぱり仕事をしているのか?」と考えて顔を顰め、ルーディも「何のことだか知らないが、全く仕事熱心なことだ」と溜息をつき、つ、と目を反らしてシールに顔を向けた。
「食事は?」
ルーディの問いかけに、シールは答えない。
「…シェレ・サン・ターシュ」
シールは、妙な数を呟いた男の方に、まだ顔を向けていて、…再び、男が妙なことを呟いた瞬間、表情を凍らせた。
ルーディが、「え?」という顔をして、男の方を見る。
シールと、目を合わせて、役人は驚いた顔をしていた。
そして、役人が再び、今度は大きな声で
「シェレ・サン・ターシュ!?」
と叫んだ。
それと同時に、シールが立ち上がり、がたん!と大きな音を立てて椅子を倒す。
手にしていたグラスは、手から滑り落ちて床に落ち、ガシャン!と音を立てた。
男も、全く同じ行動を取り、椅子は倒れ、グラスは割れた。
「待ちなさい!! シェレ君!」
シールは、何も云わずに--ルーディには青ざめて見える顔をして--店を飛び出し、役人がそれを追いかけて行った。
ルーディは、その様子を眺めて、微かに眉を寄せた。
それから、慌てた様子は見せずにカウンタの端へ歩いていき、その行き止まりにある戸棚から、小さなチップを取り出した。
同じように慌てた様子は見せずにカウンタを出、数は多くないながらに客が残っており、ざわめいているフロアへ、うるさすぎない程度の声で語りかける。
「お騒がせして申し訳ございません。…先のお客様は、主人である私の私的なお客様であります。こちらの都合で、おくつろぎ中の皆様へ不愉快な想いをさせてしまったことを、主人の私からお詫び申し上げます」
「…いや、ご主人のせいでは無いでしょう」
ルーディが立っている場所に一番近いテーブルについた客が、そう云った。他の客も、うんうん、と頷いている。
ルーディは軽く頭を下げ、「恐れ入ります」と云い、次を続けた。
「これは私からのお詫びのしるしでございます。…どうぞ、閉店までごゆっくりおくつろぎください」
そう云うと、ルーディは酒場の一角に歩いていき、椅子に座ったまま微動だにしない「人」に近づいた。
その「人」の首筋に触れたかと思うと、「その人」は、目の前のテーブルのようなものの蓋を開く。
次には、オーディオからではなく、「ピアノ曲」が店内に漂った。
…客は、ほう、と溜息をついて、それに聴き入る。
その場に居た、音楽好きの常連客は恐らく、リクエストもしないままに、この曲を聴けたことで、騒ぎを起こした者に感謝すらしていたかもしれない。
ルーディは、控え室に入り、中からモップなどの掃除器具の類を取ってくると、客の目に不愉快ではないよう控えめな動作で、床に散らばったグラスの欠片と、ギムレット、ブラディ・マリーを片づけていった。
床にほとばしったブラディ・マリーは、暗い店内で、血痕のように見えた。




