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「いらっしゃいませ、初めまして。ようこそ、ノア・カテへ…。少々お待ちください」
昼に、改装の話をシールとしたばかりで、タイミングがさて悪いのか良いのか…。
カードキー、パスを持っていない客が訪れたらしく、カウンタの中からルーディは、マイクに向かって語りかける。
ちょうど、客の注文の切れ間だったので、それほど待たせずにエントランスに向かうことが出来、ルーディは初対面の客に向かって微笑を投げた。
「初めまして。IDカードの提示をお願い出来ますか?」
「あ、ああ、はい…」
キッチリとスーツを着込んだ男客は、どこか緊張したような様子で、ぎこちなく胸ポケットからカードを取り出した。
初めて訪れる店で、どうしたらいいのか分からないのだとしても、ルーディの微笑に、それなりに緊張がほぐれるのが大抵の客であるのだが、この客の場合は、カードを処理する間も、どことなくそわそわとして、店へのドアと、端末に向かったルーディの横顔を、交互にちらちら眺めたりしていた。
ルーディは一見して、どうも普通のサラリーマンのようであるから、そもそも、この街に来たこと自体が初めてなのじゃないだろうかと考えた。
シールより5つ以上10未満で年上というところだろうか、初めてこの街に来る時というのは、大抵誰かに連れられて来たりするものだが…。
不安とか緊張があるのに、たった一人でこの街に来るというのは、大胆なのかバカなのか。
そんなことを考えながら、客のIDカードを処理し、…端末の画面に現れたプロファイルを見て、ルーディはほんの微かに眉を寄せる。
もしかして、待たせるだけ待たせたって構わない客だったろうか。
それとも、そもそも入店拒否してもいいだろうか。
……いや、それは短絡だ。単なる客、かもしれないし。
それに受付において、IDの照会を行い、その内容について客に問うたり態度を変えたりすることは、履歴に前科でもない限りタブーだ。「ノア・カテ」の場合は、そうだ。
「次回おいでの際には、こちらにパスワードを入力して頂きます。受付を待たずにご入店頂けますので…」
そう云いながら、ルーディは、客の側に面したキーボードを手のひらで指した。
「処理を致しますので、入力して頂けますか?」
ルーディが云うと、若い男は、ぎこちなく頷き、何桁かの数字を入力した。
ピピっと小さな音がして、処理が終わる。
「ありがとうございます。次回からはそのパスワードをこちらに入力してください。…ただし、恐れ入りますが、こちらの諸事の判断で、お客様には予告なくパスワードを消去する場合もあることをご了承おきください」
「恐れ入ります」という表情を作って、ルーディが云うと、男はやはり、「そうですか」と気もそぞろな様子で頷いた。
ルーディは、改めて男の顔を眺めた後、IDカードを返し、直接にドアを開け、
「どうぞお好きな席へ。ごゆっくりおくつろぎください」
とやはり微笑して云う。
「ど、どうもありがとう」
…若い「サラリーマン」は、やはり緊張を解いた様子がなく、ぎくしゃくと店内に入った。
ルーディは、入り口のドアが閉まってから、店内のカウンタに戻った。
閉店間際で、客が少ない頃だ。
テーブル席は空いている。
…初めての客が、カウンタ席に座ることというのは、滅多に無いのだが…。
その客は、カウンタの、端っこに座っていた。
ルーディは、その様子に再び、誰にも分からない程度、顔を顰める。
MENUを取り出し、客の前に出す。
「何になさいますか?」
「……あの、私はこういうもので」
酒場のマスターの問いかけに答えず、その男は、懐からIDとは別の、小さなチップを取り出した。
それから、もう一つ小型のモバイルを取り出し、それにチップを挿入して、液晶画面をルーディに見せる。
ルーディは、やっと、誰にでも判別が可能な程度に、顔を顰めた。
やはり、この男を、客とは思わなくてもいいらしい。「敵」と云ってもよいのかもしれない。
液晶には、先ほども見た、彼の「身分」が表示されている。
男は、モバイルからチップを取り出すと、テーブルに置いて、ルーディに差し出した。
「…私は『名刺』など持っていませんが、宜しいですか?」
ルーディは、酷く素っ気ない声で云う。その「名刺」を手に取りはしない。
男は、「構いません」と頷いた。
「ご丁寧なご挨拶をどうも。…で、ご注文は?」
ルーディは、再び問う。
男は相変わらず、「あの…」と、どこかおどおどした声で云い、MENUを開きもしない。
男の「名刺」には、「テラ世界政府文化庁トリコ支部パリス事務所 博物保存部 保存課長補佐 ****」とあった。
久々の、「打診」がやってきたらしい、と、ルーディは、受付の段階で既に予想していた。
その後、改めて男の態度を見て、ルーディは、「舐められたものだ」と考えていた。
そう云えば、父が亡くなってから最初にやってきた「打診」だろうか。
…ジュニア--正確には、もう数え切れないほどの代を重ねてきた「ノア・カテ」だが--への交渉には、こんな若造でも構わないのか…、トリコ支部・パリス事務所の課長補佐? 舐められたものだ、と。
そうでなければ、代替わりに伴い、新しい主人はどんな様子か、ひとまず斥候を出してきたというところなのかもしれない。
父よりも自分の方が一筋縄ではいかない筈であるから、こんな若者を最初に寄越してきたのは失敗だな、とルーディは苦笑する。心証を悪くしただけだ。
「何か?」
微笑して、ノア・カテのあるじが尋ねると、男は、「私は、ご主人に話があって参りました」と云った。
…緊張した雰囲気が、少しは無くなっている。自分の職務を思い出して、冷静になる必要があると判断したのだろう。
ルーディは、微苦笑を浮かべて、
「大体、どういうご用件かは想像がつきますが、私はこの酒場の主人で、今は営業中でありますから、あまりあなたとばかり話をする訳にはいきませんよ」
「…今は、お忙しいですか?」
「タイミングが悪い時に来てくれましたね、それほどでもないです」
…微笑して云ったルーディの言葉が、すぐには皮肉と受け取れなかったらしく、男は、首を傾げて何か考える顔をした後で、ムっとした表情を作った。
が、すぐに「それでは」と続ける。
…若者がつらつらと述べ始めた言葉は、殆ど、父の傍らでこれまで聞いていたご託と、そう変わることは無かった。述べる者がまだ若輩であるので、ベテランのキャリアに比べると、時折舌がもつれ、余り威厳が無いというのがせめてもの個性か。
しかし、内容はそれほど変わることがない。
こちらで所蔵されている文化財は人類の遺産とも云え、是非政府の管理におかせて欲しい、保管体勢・管理システムは以前と比べて進歩しているし、持ち主のあなたに不安を持たれることはまず無いと思う。当然補償もする、取り敢えず、書籍に限ってこれだけ…。
と提示された金額は、父の存命中にやってきた最後の役人が示したそれよりも、若干削られている。
やはり舐められているんだろうか、とルーディは胸の中でだけ呆れた溜息をついた。
繰り返し聞いていた言葉を、いい加減ちゃんと聞く気もしないので、ルーディの意識は、店内にだけ向いていた。
どうせ、pardon? というキーワード1つで、簡単に「リピート」出来るのだろうし。
MENUを開きもしない招かれざる客に、ノア・カテの主人が気を取られる訳がないのだ。
ピー…とテーブル席からの呼び鈴が鳴って、ルーディは辛うじて、若い役人に「失敬」と呟きはして、その席へ向かった。
役人はその間だけ黙り、カウンタに戻って追加注文のカクテルを作り始めた主人へ声をかける。
「ご主人…、いかがでしょうか。あの、私は若輩者ですが、こちらの意匠、インテリアが、歴史あるものだとは分かります。まさに、人類が残すべき文化財だと思われます。是非、政府の方へお預け頂けませんでしょうか」
シェイカーを振りながら、ルーディは苦笑する。
そして、チラリと若者の顔を見て、…酒場の客じゃないんだから、もう構わないだろうと、若干皮肉めいた声で云った。
「つらつらと口ばかりよく動くものです。その席にお座りになってから、あなたはろくに店内も眺めていないというのに。…そんなおべっかを仰る前に、ポーズだけでも、店内のそれらをまじまじと眺めてみてはどうなんです?」
「……」
皮肉な物言いに、若者はむっとした顔を作った後に、狼狽えた表情に変えた。
そして、ばつが悪そうに、ノア・カテの主人から顔を背ける。
若いなぁ、とルーディは苦笑した。
そう云え、と上司から云われてきたのだろうか。…そして、その通りのことしか、出来ないのか。
まあ、政府の役人になれるような若者である。しかも、「補佐」とは云え役職を貰っているような人間だ、もしかして、この街にやってきたのも、本当に初めてなのかもしれない。その緊張も、まだ残っているのかも…。
ルーディは、文化庁の役人に対してはいい気持ちを持っていないが、「若者」に対して殊更に偉そうに振る舞うのは本意でないので、やれやれ、と首を振った後、ひとまずテーブル席のカクテルを先にそちらへ運んだ。
カウンタに戻ってから、若い役人に質問する。
「あなたは、お酒は飲めないんですか?」
「……はい?」
俯き加減になっていた若者が、何を訊かれたのか分からない、という顔を上げた。
ルーディは、我慢強く繰り返す。
「ですから、お酒は飲めないんですか?」
「い、いえ…。飲めます、アレルギーがある訳じゃないし」
そこで、先に「アレルギー」という言葉を口に出すのが現代の人間だなぁ、とルーディは思う。酒が飲める飲めないというのは、強い強くない、好きか嫌いか、で云うものだったのでは無かろうか、飲めると断言した後で、1杯でべろべろになるようでは嘘つきということになるだろうに。
「では、トマトにアレルギーは?」
ルーディは、淡々とした声で問う。
役人は、「いいえ、ありません」と首を振った。
「そうですか、ではちょっと待っていてください」
若い役人は首を傾げるが、ルーディは何を云うこともなく、すぐに1杯のカクテルを作った。
そのグラスは、役人の前に置く。
「どうぞ」
「…え?」
「おごりますから。…一見のお客様に、おごりなんて滅多にあることじゃないですよ」
「……す、すみません…」
「大体…」
ルーディは溜息を吐いてから、若者に向かって苦笑混じりに云った。
「あなた、こういう仕事が初めてなのか、それとも、慣れていないのか、この場所に来ることだけでいっぱいいっぱいだからなのか、それは知ったことじゃありませんが、余りに、お粗末ですよ、態度が」
「……」
若い役人は、上司でも無い者に叱られた気分になり、少し気を悪くしたが、…どうも、その主人の声色がそれほど険を帯びたものでは無かったので、グラスに手をのばしながら、怒るというよりも戸惑った表情を作った。
「ろくに店内も見ないままにお世辞は云うし、店に来ておいて、酒の1杯をお愛想で注文しもしない。…私の心証を考えれば、お芝居することくらい考えたら?」
「……」
「いいですか? そのカクテルは、『ブラディ・マリー』といいまして」
役人が手にしたグラスを指して、ルーディが云う。
それを聞いて、役人は、慌ててグラスから手を離した。
ルーディがその仕草に苦笑し、首を振る。




