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目を覚ますと部屋の中が明るくて、少し頭が重い。
寝ぼけ眼で首を傾げ、ベッドの脇に置いてあるチェストから、時計を取った。
……まだ午を回ったばかりだ。遮光カーテンを引くのを忘れていたから、窓から光が入っている。
もう少し寝よう、と思ったのだが、眠気はあるのだけども頭痛が気になって、仕方なくベッドから下りる。
顔を洗ってからクローゼットを覗き、素肌の上にコットンのシャツを羽織った。
ルーディからもらったものだ。遠慮というのは、もう無い。着ない方が、ルーディに「勿体ない」と咎められる。それに、今の価値だと相当に高いものだとは分かっていても、天然素材のものはとても着心地が良かったので、シールも、遠慮を忘れて好んで身につけるようになった。
クローゼットの中には、以前、全財産だったバッグが、まるで位置も替えずに収まっている。前にルーディがここに収めて以来、持ち主であるシール本人すら、触っていない。
ずっと、そうであればいい。
封印は、「解きたくなる」のを通り越して、「忘れられる」のが一番だ。
ふわあ、とあくびをしながらリビングに入ると、ダイニングに居たルーディが、「おや、おはよう」と、少し驚いたような声で云った。
これから昼食のつもりだったのか、テーブルに皿を配している。
「早いね」
「…目が覚めちゃって…」
首を左右に傾けながらテーブルに近づき、いつも座る椅子へシールは腰を下ろした。
おはようのキスのタイミングは逃したが、二人とも気にしない。
肘をつき、頭を抱えるのを見て、ルーディが尋ねる。
「具合が悪い?」
「いや、ちょっと頭痛いだけ。…多分、眠いのに、目が覚めたもんだから…」
「ああ、そう…」
ワゴンから、1人前をテーブルに配し終わり、ルーディは次の質問をシールに投げる。
「君はどうします。昼食」
ん、と顔を上げると、ルーディは皿を指した。
「これだけのものが、今用意出来ますよ」
軽く笑ってそう云い、シールはテーブルを眺めた。
サラダ、パン、スープ、オムレツ、アイスコーヒー。
「…スープだけでいいや…」
「そうでしょうね」
くすくす笑って頷いて、ルーディが、「ちょっと待ってて」と云い、キッチンに消えた。
ああ、体中がかったるい、とシールは、テーブルに突っ伏して頭を抱える。
頭痛が消えたら、また寝よう、でも、その頃には目が冴えていたりして。
全く、中途半端な時間に起きてしまった、今日は、「休み」にしようかな…。
そんなことを考えていると、隣で、「ことん」と音が聞こえた。
ん、と腕の隙間から覗くと、大きめのカップが見える。
ああ…と顔を上げ、改めて見ると、その中にスープが入っている。
ルーディが気を利かせてくれたようだ。確かに、皿とスプーンを出されるより、今のかったるい気分ではカップから飲む方が楽だ…。
ルーディが、向かいでちょうど椅子に掛けるところだったので、正面向いて「ありがと」と云う。
ルーディはにっこりと笑うだけにして、ひとまず、頂きます、と云い自分はスプーンを取ってスープ皿につけた。
シールは一口、カップからスープを飲み込んで、ふう、と息を吐く。
ルーディも、一口啜ってから、向かいのシールに云った。
「それでまたお腹が空いてくるようでしたら、おかわりもあるし、パンはすぐ用意出来ますから、遠慮無く云いなさい?」
「うん…」
遠慮がち、というのでもなく、シールはぼんやりと頷く。
ルーディは苦笑し、パンを千切って口に入れ、飲み込んでからまた云った。
「……その分だと、君、今日はお休み?」
「……」
シールは、一口スープを飲み込んでから、何となくふて腐れたような顔を作り、「多分な」と呟いた。
「そうですか」
「何か不都合?」
シールが休みに「ノア・カテ」へ顔を出すことは、既にルーディの中でも当たり前になっている筈だ。シールは、それに何か不都合が、今日はあるのだろうかと思い、尋ねた。
ルーディは首を振り、「別に」と答える。
「不都合なんかはありません。逆かな、都合が良かったかも。来るのなら今のうちだろうから、丁度良かったのかもね、って」
「……?」
ルーディが何を云ったのか意味が分からなかったので、シールは首を傾げる。
「いえ…、近いうちに、改装をしようかと思いましてね、店の。改装中は店を閉めるから、来るなら今のうちって」
「改装……?」
ルーディは答えてからトマトを口に運び、シールは、呟いてからスープを一口啜った。
「改装出来るような店だと思ってなかったよ、俺…」
「店内はね、確かに、滅多に大がかりなことは出来ませんね」
ルーディは頷いて、「模様替え、なら兎も角」と続けた。
「内部じゃなくて、入り口を、そうですね、改装というより改良か…」
「?」
「君も何度か来てるから分かるでしょう。階段を下りて、中に入る時の扉。あれ、不透明の金属じゃないですか」
シールは、首を傾けて何か考えるような顔をし、「そうだなぁ」と頷いた。
「一見のお客様をお待たせしてしまうのも、君も知ってるよね。…あのドアをねぇ、もうちょっと…、店内の内装にも見合うような、古ぼけた木目調で、透明のガラスを埋め込んだものにしようと思って」
実際に「木」を使うことなんて出来ませんけど、と付け加えて、ルーディはオムレツを口に運ぶ。
シールは、首を傾げて、何で?と問う。
「デザインは兎も角…。それが、一見の客待たせるのとどういう関係があんの」
だって、どっちにしたってあんた一人で切り盛りしている以上、ドアがどうなろうが待たせることには変わりない、とシールは続けた。
シールが云うと、ルーディはニッコリ笑って、まずはサラダの皿を空にした。
そして、スープを啜ってから云う。
「…お客様の心理と、経営者が考えること、…『客商売』に興味がありますか」
ルーディの言葉に、シールは「そういう訳でもないけど…」と口ごもる。
ルーディはやはりニッコリ笑って、ひとまず、食事を終わらせることにした。
オムレツとスープ、パンが、どれもバランス良く1口ずつ残っている。
それらの皿を空にして、アイスコーヒーのグラスを手にしながら、ルーディは云った。
「君が、初めてノア・カテに来たとき、…階段を下りきったカウンタの前に立ったとき、何を考えたか思い出してみるといいよ」
「……」
云われた通り、シールは思い出そうとする。
でも、何を考えたのか、なんて、ちゃんとは思い出せない。
「これからどうすればいいんだろう、と不安になりませんでした?」
そう云われて、シールは、ああ…と呟き、小さく頷いた。
「そうだったかも」
「あれでは袋小路ですからね。…でも、店内が見えれば、それほどでも無かったんじゃないでしょうか。…それに…」
云いかけてから、ルーディは苦笑して、アイスコーヒーを一口飲み込む。
「……それに?」
「…雰囲気的にねぇ…。そりゃあ、うちは全く健全な店です、とは云いませんが、ああも店内を、結果的に隠しているようですと、…敬遠するお客様も居られれば、期待しすぎるお客様も居られるでしょうし?」
「成る程ね」
シールも苦笑する。
…賑やかにいかがわしい通りから外れて、寂しい場所にあるとは云え、…街として考えれば、そんなふうに思う客も居ることだろう。
一度入ってみれば、期待も不安も、いい意味で裏切る店であることに間違いないけれど。
「それに、店に居る私もね。…階段の手前の扉を開けた時点で、ベルが鳴るようにはしているんですけど、実際、お客様がその階段を本当に下りてくるのかどうかは分からない訳で…」
「ああ…、だから、ガラス」
「そう」
うん、とルーディが頷く。
「一石二鳥なんですよ。店内に入るお客様が居られるというのが、私に見えれば…。…あの位置だとカウンタも見えますからね、私はせめて、会釈することくらいは、先に出来る。スピーカから、『いらっしゃいませ』と云うよりも、お客様にとって安心もして頂けることでしょう」
「……」
「とは云え、セキュリティ、ガードが若干緩くなるというデメリットはありますが…。いくら完全防弾の強化ガラス、あるいは弾性ガラスを使用したとしたって、今の扉と比べて弱いには違いない、爆撃やランチャーには、ガラスは耐えられないだろうし。でもそれより私は日常の営業、お客様の印象を優先したい。そんな滅多に無いことよりもね…。ロック、認証は今まで同様のシステムにするつもりではあるしさ。せめて、誰か雇うまではね」
「ふぅん…」
…この辺りの店だと、セキュリティを最優先しているところも多いだろうに…。というより殆どだろうに。何せ、お上の目もある。
ただの酒場だから、そこまで考えることは無いのか…。
「…その改装も、あんた自分でやるのか?」
シールは、底に残っているスープを飲み干してから、首を傾げて率直な声で云った。
ルーディも、アイスコーヒーを飲み干してから、苦笑して首を振る。
「まさか…。いくら何でも、そんな工事は出来ません」
「そうなのか?」
おや、という顔をしたシールに、ルーディが相変わらず苦笑する。
「君、本当に私が何でも出来ると思ってるの? 出来ませんよ、いくら何でも…。そりゃ、ある程度の電気工事は出来ますけどね? ローカルネットのライン工事とか…。ドアの工事が終われば、ロックシステムを弄りはするかもしれません」
「……そんな工事は出来るんじゃないか」
シールは、ちょっと呆れた声で云った。
「でも、いくら何でも、ドアの入れ替えと、その電気工事なんかは、流石に業者に頼みますよ」
「……あ、そう…」
「この後、事務所に行って、連絡をとってね。今日のうちに見積もりはお願いしておこうかと思って」
ルーディの言葉に、シールは、目をしばたたかせて「早いな」と云った。
「近いうちって、ほんとに、近いうちなんだ」
「ええ。…だから、君が来るなら、今日がいいかもしれませんね、って」
「そうだな…」
シールは、「やっぱり今日は休みだ」と決めた。
「もういい?」
ルーディが立ち上がりながら訊いてきたので、シールが、「え?」と首を傾げる。
ルーディはシールの手元を指さした。
「カップ。下げてもいい? それとも、お代わりを注いできましょうか?」
「ああ…。うん、もういい」
シールはカップを差し出して、そうですか、とルーディはカップを受け取り、自分の分の皿と合わせてワゴンに乗せ、キッチンへ向かった。
食器洗い機があるので、ルーディはすぐに戻ってきて、そのまま、多分自分の部屋に向かった。事務所に出勤するのに、着替えに行ったのだろう。
シールは、少しの間、テーブルに頬杖ついてぼんやりしてから、「それで今日一日、どうしようかな」と考えながら立ち上がる。
ひとまず部屋に戻ろうか、とそちらに向かいかけたときに、ちょうど、「行ってきます」を云いに来たルーディとでくわした。
「頭痛はもういい?」
ルーディがジャケットを羽織りながら尋ねると、シールは、うーん、と首を傾げる。
「まあ、さっきよりはいいかな…」
「寝不足じゃなくて、具合が悪いんだったら、大事を取るんですよ。…収まらないようなら、頭痛薬があそこ」
ルーディは、微かに顔をしかめて云って、リビングの一角にあるチェストの引き出しをさした。
「エイド・キットに入ってますから」
「分かった」
そこまで心配しなくたっていい、とシールは、苦笑混じりに頷く。
ルーディは、もう一度、「大事にしなさいよ」と云った後、
「じゃあ行ってきますからね」
と云い、シールの肩に手をかけた。
シールは、ん?と思った後、「ああ、そうか」と胸の中で呟く。
ルーディは、シールの頬に軽く唇をつけた。シールも、同じように返す。
タイミングが合った、ということだろう。
「行ってらっしゃい」
シールはそう云って、ルーディは頷き、玄関に向かった。
シールはそのまま、部屋に帰り、ベッドに横たわる。
そして、ルーディがキスした自分の頬に、触れた。
何となく、その部分が熱い。何故だろう、もしかして、本当に、寝不足じゃなくて風邪でもひいたろうか?
さて、今日はどうしようか、とシールは、ごろりと寝返りを打ちながら再び考える。
瞼の重みはもう失せてしまったけれど、頭痛が和らいできたのは確かだから、このまま横になっていたらまた眠れるかもしれないと、そのまま、ベッドに横になっていた。




