=6= -(1)
※=6=:暴力の描写が含まれます※
ルーディが貸してくれた小型モバイルのキーボードを叩く。
モニタの中には表があり、文字と数字が味気なく並んでいった。
経理--とまで云うにはおこがましい帳簿画面だ。単なる「金銭出納帳」…、それは子供のための言葉では「お小遣い帳」ともいう。
所詮その程度の簡単なものであれ、
「されど出納帳」
とはルーディの言だ。
「正式なキャッシュカードを持っていないんなら、お金のやりとりはちゃんと記録をしておいた方がいいですよ」
とある日云われた。
小切手に印字されるのは金額だけで、明細は記されない。どこで何を買ったのか、そんなことは自分で覚えておかなくてはいけない。そして人間の記憶力はそんなに大したものではないから、メモをしておかなくてはいけない。
「何枚も小切手を持っていると、もっと訳が分からなくなるし。ということは、お金の使い方が雑になるということです」
シビア、あるいはケチ…、そんなふうにルーディを何度も思ったことがあるシールは、ルーディのその真面目な声と言葉に苦笑しながら曖昧に頷いた。
「でも俺、メモ出来るもの持ってない」
そう云うと、「じゃあ貸してあげます」とルーディはあっさり云って渡した。
「あげてもいいけど、君は遠慮しそうだし」
ルーディは笑ってそう云い、「お金が貯まったら、自分で買うといい」と続けた。
「その方が、大事に扱うようにもなります」
…やはり、ルーディは至極あっさりした声で云う。
だが、「もっともだ」とシールは思った。そして、「なるほど」とも。
それが、「財産」というものだ。
「『商売』を考えましたらね、収入の明細もある程度は記入した方が役に立ちますよ」
ルーディが云う。…シールは、微かに眉を寄せた。
ルーディはそんなシールの表情に気付いているのかいないのか…、そのまま続けた。
「どこで誰が、…まあ名前は分からないこともあるだろうけど、顔つきとか」
「…何でそれが必要なんだ」
「顧客の把握と、リサーチ、統計ですよ」
…真面目な声でルーディは云う。
「どこで捕まえた客が、どの程度チップをはずんだか、そういうことを明確に把握しておくことは、得になっても損はしません」
「……」
「無駄や危険も減る」
ルーディの言葉に、シールは、「そうかもな」と小さな声で云って頷いた。
愉快なことではないが。
そうして、シールはそのモバイルを、…「出納帳」を眺めている。
最近、常連客も減らしているから…、名前の数は減った。残っている常連客は「上客」ということだ、「仕事」は楽だが、「収入」は多く見込める…。故に、数は減っても、頻度は高い。
その合間合間に、「一見」が入る。その中に、それまでの常連よりも上客が居れば、とってかわることもある。
……「金銭出納帳」では、統計はしにくい。
が、経理用の帳簿などが欲しいとは思わない。笑い話だ、この商売でそんな几帳面な経理などやっていては。
シールが仕事から帰ってきて朝食をルーディと共にとる。
その後、後かたづけを終えて、「じゃあ、行ってきますよ」とルーディが出勤し、シールが「行ってらっしゃい」と云う。
それは、既に習慣となっていた。
シールも最早、戸惑いは無い。
ただ、たまに。
シールはルーディに、「家賃」を渡さなくてはいけない。
その時は、シールはいつも、少々、胸か腹の辺りがもやもやと重くなる。
必要なことだと分かっていても何となく、気持ちが悪い。
ルーディが、「はいはい」とあっさり受け取るだけに、どうして自分だけがこんなに何か釈然としないのか、それが自分で分からないこともあって、何となく…。
だけど、それはすぐに忘れる。
忘れなくては、ここに住めない、と思うからだ。
今日家賃を渡す、と決めたら、すぐに小切手を手放さないと、それもモヤモヤとするので、必ず帰宅後すぐの朝食時になる。
飯時だからかな、とシールは考えたこともある。食事時に思い出すようなことじゃないことを思い出すからか、と。
自分がその小切手を、どうやって手に入れたか、を思い出すからか…。
だけどやっぱり、すぐに手放したくなることは確かだから、どうしてもその時になる。
「じゃあ、行ってきますよ」
ルーディがリビングに顔を出して、ソファに座っていたシールに云った。
「うん、行ってらっしゃい…」
シールが頷いて云う。
ルーディが出て行く。
ソファの上で、シールは大きく伸びをしてから立ち上がり、部屋へ向かう。
シールは、これから寝る。
今日はどうしようか、と考えながら着替え、もぞもぞとベッドに潜り込んだ。
ちょっと疲れてるなぁ、と思ったので、今日は休みにしよう、と横になったまま頷いて目を閉じた。
それで、「ノア・カテ」に飲みに行こう。
…まだ、習慣というほど回数は重ねていなかったけれども、自分が休みと決めた日にノア・カテに向かうことは、既に決定をしていたので。
夕食は、ルーディが一旦帰ってきたので共にとることになった。
だからその時にシールは、「今日、そっちに行くよ」と予め告げた。
ルーディが、「そうですか」と頷き、
「お休みなんですね、今日は」
と口調は独り言のように、微笑しながら云った。
うん、とシールは頷き、パンをちぎって口に放り込むと、俯き加減になってモグモグとそれを噛みしめた。
「カウンタに座る?」
「え?」
「何時頃来るか決めているなら、1席空けておきますよ?」
合成肉のステーキにナイフを入れながらルーディが云った。
シールは首を傾げて、少し困ったような顔をする。
「…別に、そんなことしてくれなくていいよ」
「どうして? …ああ、特別贔屓されたみたいな気分になったのかな」
「……」
「別に、そういう訳でもなくてね、今予約を受けたと考えれば、そのくらいのことしたっていいでしょ?」
ルーディは苦笑しながらそう云った。
シールの方は、「ああ、それもそうか」と表情は戸惑ったままで頷いたが、
「やっぱり、いいよ」
と首を振った。
「そう?」
「うん、行くつもりではあるんだけど、もしかしたら、行かないかもしれないし…。予約っていうほど、絶対行く気分ってんでもないから」
「そうですか」
「でも、行くとしたらカウンタには座ると思うよ」
ルーディは、そうですか、と軽く頷いて、ステーキを口に運んだ。
シールはスープを啜る。
夕食の後、食器を片づけて、ルーディが「行ってきます」と云う。
シールは、行ってらっしゃい、と云ってから、リビングのソファに座って、ホログラフ・モニタを眺めた。
結局シールは、云った通り「ノア・カテ」に向かった。
時刻はだいぶ遅い。閉店前の方が、客が少なくていいかもしれないと思い立ち日付が変わる少し前に家を出た。
カードを受付の機械に読ませて扉の向こうに入ると、…閉店前の方が、と思ったのは間違いだったらしいと、シールは思った。まだ、結構店内には客が居た。女性は時刻が時刻であるからか、姿が見えないけども。
テーブル席に、若い男性が集っている。会社や学校か何かの仲間なのか、お喋りの声が陽気で少し大きい。…ちょっと店の雰囲気に合わないな、という感想をシールは持つ。
集団の客が居るから、今日に限ってこんな時間でも人が多いのか、それともいつもこうなのか、シールには判断がつかない。
いよいよ、ああいう集まりがある中に座るのは気乗りしない。カウンタに座るのが全くの正解であると思う。
席に座ると、ルーディが「いらっしゃい」と微笑してMENUを目の前に差し出した。
うん…と頷きながらそれを開き、まず酒を見る。
「ブラディ・マリー」がどうしても目に入る。多分、Bで始まるからだ。メニューの上の方にあるから、どうしても。
ぷるぷると首を振ってから、シールは他のものを探す。
「シャンディ・ガフ」
シールが呟くように云うと、「畏まりました」とルーディが頷き、
「食事は、どうなさいます?」
と云った。
…シールがルーディの顔を見ると、…薄く笑顔を作っていた。
何か食べながらじゃないと、アルコールの周りが早いんじゃないの、とでも云いたそうだ。
シールはむっつりとして、
「チーズの盛り合わせ」
と云った。
やはり「畏まりました」と頷き、ルーディが離れる。
カウンタの中で作業を始めるルーディを、頬杖ついてぼんやりと、シールは眺める。
…ただぼんやり眺めているだけである時と、何か用がありそうな時、…そんな客の雰囲気をちゃんと感じ分けられるのか。以前と違って、「何かご用ですか」と尋ねてくることは無かった。
「おまたせ致しました」
目の前に皿とグラスが置かれ、シールは微苦笑を浮かべる。
別に、そんなこと云われるほど待っちゃいない。
「ありがとう」
一言そう云って、グラスの中身を一口含む。
ジュースのようなものだ…。ただでさえ度数の低いビールと、ジンジャーエールのカクテル。
それでも、何か食べながらじゃなきゃ、なんて、余計な世話である。ルーディにからかわれた気がしたから、シールはむっとしたのだった。
「余計な世話だ」というよりも、そのままチーズを頼む方が、多分、それ以上からかわれることは無いのだろうから、正解だったろう。
皿の上のチーズは、当然合成なのだろうが、盛り合わせというだけあって、種類が違うらしい。
色味が微妙に異なる。
添えられたピックを一つに突き刺し、口に運ぶ。
……。今まで食べたことがあるチーズとは全然味が違う。
戸惑った顔をして、シールはルーディを見た。
「…何か? 問題がありましたか?」
やはり、雰囲気を感じ分けているのだろう…。ルーディが近寄ってきた。
「いや、問題なんか、無いけど」
「?」
「すごく、美味い…」
「ありがとうございます」
にっこり笑って、ルーディが云う。
「どこで仕入れてるんだ…?」
合成チーズの味なんて、いくら見た目変えたって、どれもこれも似たようなものになるのじゃないだろうか。そう思って、シールは戸惑っていた。
いくら「ノア・カテ」が「高級な飲み屋」だとしても…。
「チーズは自家製です」
ルーディはあっさりそう云った。
シールは、何を云われているのか分からなくて、首を傾げる。
ルーディが、微苦笑を浮かべて云った。
「そりゃあまあ、原料であるミルクは合成ですけれども、それがあればチーズは自分で作れるでしょう?」
「……」
「…現代の文明というものが、先人のそれとはかけ離れたところにあり、昔出来ていたことを今出来ない、出来る必要が無いとしても」
ルーディがそこで一つ息をついて、続けた。
「昔は、自然に頼らざるを得なかったチーズ製造の環境が、今は簡単に、人工的に作れるとも云える訳です。現在の文明はそういうふうになっている」
「……」
「はなっから工場で、チーズを合成してるから、一般に口に入るものは同じような味がするんですよ。私はそうじゃなくって。『ミルク』が存在するんだから、チーズは作ればいい。…そういうことです」
ゆえに、バターなんかも自家製ですよ、とルーディが続ける。
「しかし、私が作るチーズやバターは、昔の人が口にすれば、まるで工場で作られた普通の味なのかもしれません」
くす…と小さく笑って、ルーディは云う。…別に、内容はそんなふうでも、本当に自嘲しているようには見えない。
逆に、そんなことすら出来ない自分より、ルーディは偉い、そう云っているようにシールには思えた。
「てことは、ハムなんかも? 肉が先にあって、自分でハムを作る?」
シールが尋ねる。
ルーディはやはりあっさり頷いた。
「そうですね」
「……」
シールは、感心したというよりも、どこか呆れた顔をしていた。
それ以上、何か尋ねることもなく、グラスの中身を啜って、チーズの固まりを口に入れる。
「ごゆっくり…」
ルーディはやはり微笑したままそう云って離れた。
居心地がいいところだから、食事はとてもゆっくりと進む。
なるべく長くここに居たいと思っているのだろう。
だが、今日は若干様子が違う。
…背後のテーブル席に居た集団の声が、少し、煩わしかった。
ひとところに集まっていたその声が、ばらけたのが分かる。
「坊ちゃん、じゃあ、ボクはコレで失礼します」
「そうか?」
「私もこれで…、ごちそうさまでした、坊ちゃん」
「おう、じゃあな」
……ドアの方へ、何人かが流れていった。
一人、「坊ちゃん」などと呼ばれていた者だけが、残ったようだ。
静かになったので、シールはほっとする。
シールに限らず、もしかしたら他の客もそうだったのかもしれない。何となく、店内の空気全体が緩んだような感触があった。
…だが、シールは、微かに眉を寄せた。
背後に人が近づく気配がして、次には、自分の隣に誰か座った。
ちらり、と横目に見ると、…ニヤニヤした男が、馴れ馴れしくシールの肩に腕を乗せる。
「よぉお、シール。珍しいところで会うじゃないか」
顔を近づけられたので、酒臭い息がかかった。




