=5.5= -(2)
「シール、今日は私、会合がありましてね、夕飯はそちらで会食になるんです。今から事務所に出て、そのまま帰らないんですが…君はどうします?」
ソファに座っているシールの背中に、ルーディが云う。
「あ、そう…」
ホログラフのモニタを見ていたシールは、ルーディを見ないまま頷く。
ルーディは、気のない返事に「おや」と首を傾げた。
いつもなら、少し迷った様子は見せるものの、ちゃんと「自分で用意して食べる」とか、「じゃあ外で食べようかな」とか…そういう答えを返すのだが。
何か他のことを考えているのか? ぼんやりしている、とも見える。
なので、ルーディは、自分から云った。
「用意してから出ましょうか?」
「別に…」
やはり、何となくぼんやりした、力ない声だ。
いつものシールなら、そういうふうに云うと、「いや、いいよ」と少し焦った声で遠慮するのに。
ルーディは、身を屈めてソファの背もたれに手を置くと、ぬっと顔を出してシールのそれを覗き込む。
シールは驚いた顔をして身を引いた。
「な、なんだよ?」
「……体の具合でも悪いんですか」
「え?」
「いや、何だか、元気がない。…ぼうっとしているというか」
「……別に」
シールは、ルーディの肩を軽く押し、自分も身を引く。
ルーディは首を傾げながら立ち上がった。
「具合が悪いというのではない?」
「ああ。……心配させたんなら、悪い。ちょっと考え事してただけ」
頭を掻きながらルーディを見上げ、シールは意識して苦笑した。
ほ、とルーディが息を吐く。
「そうですか。…それならそれで、何か考えているときにしつこくして、こちらこそゴメンね」
ルーディも同じく苦笑を返し、肩を竦めて云った。
「それで、夕飯は? 用意しておきましょうか?」
「いや、いいよ。適当に食うから…」
シールは首を振る。
ルーディが、「そうですか」と頷く。
「じゃあ、行ってきますね」
手にしていたジャケットをまといながら、ルーディが云った。
シールが「行ってらっしゃい」と云い、ルーディは玄関に向かう。
……最近は、ルーディも「外出するときは戸締まりを忘れないようにね」ということを云わなくなっていた。
少し居眠りをしていたシールが、肌寒さを感じて目を開ける。
リビングのソファに寝ころんだまま、窓の方を見て、「ああ」とため息をつく。
もう、暗い。
日は沈んだらしい。
視界が不安になったので、ムクリと起きあがるとテーブルの上にあるリモコンを使って、室内の照度を上げた。
ううん、と背伸びをし、首を何度か傾ける。
それから、「すごく腹が減ってる」と思う。
キッチンの方角に目を向けると、やっぱり暗い。
あれ、と思った後で、
「そっか」と呟く。
今日は、ルーディは居ないんだった。
首からぶら下げたロケット式の時計を覗いて苦笑する。
正直な腹時計だ、と思う。19時を回っていた。
いつもの夕食は、18時台だ。
ふう…と息を吐いてから、肩を抱いた。
どうにも、肌寒い。寒気がする、というのではないから、風邪をひいたという訳ではないと思う。
大体、空調だって、寒くも暑くもなく程よい、少々居眠りをしたからと云って、そう簡単に風邪などひくほど柔ではないとシールは自分で思う。
キッチンの方角をもう一度見て、暗いな、と思う。
あの暗い場所に行って、何か食べるものを一人分作るのも何だか気が乗らない。
シールは部屋に帰ることにした。
部屋の中にあるクーラーに、昨日、夜食にルーディが作っていくつか残ったツナサンドを貰ってきていた筈だから、それを食べよう、と考えた。
それだけじゃ足りないから、…と時計を見る。
ノア・カテが開くのは、何時なんだろう、ルーディに聞いておけばよかった、と首を傾げる。
自分が知っている飲み屋の開店時刻は、大体20時辺りだから、
21時頃、下りてみようかな、と思った。ノア・カテに食事をしに行ってみようと。
ルーディは、どんな仕事をしているのだろう。
そんなことを、ふと思いついて。
シールは、ノア・カテに入る扉は、エントランスからだとどっちの方角になるのだったっけ、と考えた。
時計を覗き込んで、そろそろいいかな、とシールは、自分の部屋から近い玄関に向かって、そちらに面したエレベータに向かった。
一旦1階に降りてビルの外に出る。
それからグルっと壁伝いに歩道を歩んだ。
…ノア・カテの入り口は、路地裏と云っていい場所にある。所有者がこのビルのオーナーであるとはとても思えない、うらびれた場所と入り口だ。
古びて煤けた扉を、シールは押してみた。
開く。
ということは、もう開店をしているのだろう、と安心した。
そういえば、初めてここに入ったときは、もう閉店していたのだ。客が誰も居なかった。
…雰囲気としては、古ぼけた安っぽい酒場のような記憶であるが、それは逆に云えば、「今時珍しい意匠」ということなのだから、もしかして、…自分のような若造が入るのは似合わない、趣味人が集まっているのではないだろうか。
そんなことを考えて、気後れする。
だけど、ルーディはシールに、「店に来るな」とは云わなかった。店の中で客を捜すな、と云っただけだ。
……一度入ってみて、居心地が悪いようだったらすぐに帰ろう。
そう考えて、扉をくぐり、階段を下りた。
階段を下りると、また扉があって、それを開くとどこか遠くで、カランと音が聞こえた。
何だろう、と思う。
階段を下りた先は、小部屋に入ったような感じで、横に目を向けるともう一つドアがある。正面には、受付と思われる小さなカウンタがある。そういえばこんなだったか、と思い出す。
そのカウンタの中は無人だ。奥の壁にそこへ入るための扉が見えるのだが、開く気配がない。
以前は、ルーディに促されるままついていっただけだから、この先どうしていいのか分からない。
「いらっしゃいませ」
と正面から声が聞こえた。
え、と目を見開くと、…よく見てみれば、そのカウンタの奥の壁には、スピーカのようなものがあった。
「初めまして、ようこそ、ノア・カテへ。少々お待ちください」
ルーディの声だ。
…他に従業員は居ないのだろうか。
穏やかな声だが、とても申し訳なさそうに聞こえた。
ちょっと待つと、カウンタ内のドアが開いた。
ルーディの姿が見える。
「おや」
ルーディが、少し驚いた顔をした。その後、にっこり笑う。
「こちらで夕飯にすることにしたんですか、シール」
「…ちょっと、覗いてみようかと、思って」
鼻の頭を掻きながら、シールはもごもごと呟いた。
「よく来たね」
にっこり笑ってルーディは云った。
「ごめんね、応対が遅れて。今、私一人しか居ないものですからね。初めてのお客様には、どうしてもこう、お待ち頂くことになってしまう」
シールは首を傾げ、「そういえば」と思い出す。
「…初めましてって、云ったよな」
「ええ。…常連の、というか、2度目以降のお客様の場合は、今はパスを発行してますから。こちらで受付しなくても、入れるようにしているんです」
頷きながらルーディが云う。
「他に従業員が居れば、こちらに来てもらうんですが…。カクテルや料理を作る合間に出てくるものだから、どうしてもお待たせしてしまうんですよ…」
独り言のように云って、ルーディは「さて」と云った。
「シール、君、IDは持ってますか」
「……」
それを聞かれて、シールはグっと息を飲む。自分が、脂汗をかくのが分かった。
「…IDカードなくちゃ、入れないのか?」
やっぱり、俺が来られる店じゃない、とシールは思いかけていた。
ルーディは苦笑しながら首を傾げ、
「いいえ、持っていないなら別にいいですよ。じゃあ、家の鍵は持ってますね?」
「あ、ああ…」
戸惑いがちに頷いて、シールは家のカードキーをポケットから出すと、差し出されたルーディの手に渡す。
ルーディは、カウンタの中で素早く何事かの処理をし、シールに渡した。
「はい、ありがとう。あのね、心配させると悪いから先に云っておくと、顧客リストの中に名前と連絡先を記録するだけです。君じゃなくても、リストに名前を入れて困る方も居られるから、IDカードが必須という訳ではないんですよ。そういう方には、この店だけの顧客ナンバー発行しますから」
ルーディは微笑んで説明した。…シールは、ほう、と息を吐く。
「ああ、君の名前をデータに入れたという訳でもないですけどね。私は既に知ってるから。だからね、今、家の鍵の方にパスを記録しておきましたから、今度来るときは、ここに」
と云いながらルーディは身を乗り出し、レジスタ端末の脇にあるカード認知用の溝を指した。
「カードを読ませなさい。そうしたら扉が開くから」
「……分かった。でも、それにしたって…家の鍵にそんなことしていいの」
「IDカードにそんな記録は出来ませんから、パスを発行してるんですけどね。テンキーもあるでしょ」
シールは機械に目を向けると、うん、と頷く。
そしてルーディは、フフ、と笑った。
「ブラン・カテ・ビルの住人やテナントの従業員にはね、カードキーをそのときお持ちなら、読ませてもらうことにしてます。……割引サービスをさせて頂いておりましてね」
ご希望の方には、パスの記録もそのときしてますよ、と続けた。
「手間が省けるしね? …君は、別にいいでしょう? 私と同居しているんだから、断らなくても?」
ルーディの問いに、シールは苦笑しながら、「うん」と頷いた。
「じゃ、通してごらん、鍵」
云われた通り、溝にカードを通す。
すると、横にあるドアが、カチリ、と小さな音を立てて、横に開いた。
「どこでも好きなところに座って結構ですよ」
そう云いながら、ルーディはカウンタ内の扉の向こうに消えた。
シールは、ドアの向こうへ、営業中のノア・カテの中へ入る。
ぐるっと視線を巡らせて、シールは「えっと」と呟いた。
……少しの間立ちつくして、どこに座ろうか、と思う。
すると、ルーディがカウンタの中へ入るのが見えた。そして、今入ってきたばかりの客…シールへ、微笑を浮かべて、小さく会釈する。
少しくすぐったくて、シールは視線を外した。
どこに座ろう。
……と考えている自分に気づく。
そして、…気後れしていた自分が全くどこかに行っているのにも気づく。
とても、居心地のいい空間だ。
自分と比べたら、雲の上の立場・身分のものが客として来ているのであろうに―着ている衣服や態度を見れば、それが何となく分かる―、それを見てしまっても、自分を卑下する想いも湧いてこない。
…ルーディは、こういう店をやっているわけか、と思う。
……いい仕事を、しているのだな、と、思う…。
テーブル席の密度が高そうに見え、―しかも、どうもカップルが多いように見えたので―、シールは、カウンタに向かうことにした。幸運なことに、誰もカウンタ席に居なかったから、その方が却って落ち着くというものだ。
一番端っこの席に向かった。




