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仕事をしたくない。
そう思うことは、誰にでもあるのだろうか。
シールは、今までそういうことを思ったことがないし、そんなことを話す友人とか同僚が居ないから分からない。
かといって、したいと思ってやったことも無いかもしれないが。
それ以外にそんなに無いからやっていた。選択肢が無かった。
犯罪はやらかしたくないから、これをやっていたというようなもので。(とはいえ、今やっていることも犯罪と云えば犯罪であるが、摘発の優先度から云えば、現在の社会では後回しにされがちなのは違いない)
表舞台に立てる人間ではないけども、完全に裏社会に入ってしまえば、それもリスクを伴うから、どちらにも属さないところに、無難に落ち着いているだけだ。
無難に金を手に入れ、何とか死なない程度には生きている。それが可能なのは、この仕事だから。
…かといって(他に選択肢が無いからという理由で)、いやいややっていた訳でもない。
したいと思ったことも無いが、したくないとも思ったことが無かった。
だけど。
…今は時々、この仕事をしたくない。
何故なのか自分でもよく分からない。
だからって、他の何を、食うためにやればいいのかは、思いつかないから、やるしかない。
「……何考えてるんだ、おまえ?」
自分の上に乗っかっている男が、顔を顰めて云う。
「ぼーっとしてんじゃねぇよ」
「……いて…っ」
強く握り込まれて、シールが眉を寄せる。
ああ全く。
どうしてこう、俺は暴力的な客を繰り返し取るのだろう。
そんなことを思う。
「ごめん…」
でも、逆らうことはもっと自分のためにならないから、一応謝るくらいのことは出来る。
「続けて」
そう云って、少し笑う。
どうしたら、客の機嫌が良くなるか、それは分かってきたから。
そして、口を開いて、手を伸ばす。
ふん、と客が鼻を鳴らし、シールの口の中に舌を入れる。
媚を売る。
ということを、シールは最近、覚えた。
…効率のいい仕事を覚えていく度に、シールは、その仕事をやりたくなくなっていく。
ルーディは、仕事をしたくないときというのがあるのだろうか。
いや、多分、ルーディの場合は無いだろう。
あの人は、多分…好きでやっている。
やりたくない仕事は、やらないだろう、ルーディという人は。
それにそもそも、働く必要は無い金持ちなのだ。会社の社長、ビルのオーナーという仕事で既に富を得られるのに、酒場の主人までやっている。
酒場のあるじという仕事をやりたいからだろう。金のためだけなら、酒場はやる必要がない。好きでやっていることなのだろう…。
自分は、嫌いでやっているとは云わないけど、好きでやっているとも云いがたい。
だから、時々…、こんなことはしたくない。
今度は、他のことを考えていたために咎められるということは無かった。
こんなことを考えている自分が、客の機嫌を窺いながら身をよじり嬌声をあげる姿を、冷めた目で見ている。
「シール、どうしたんだ、この痣」
この常連客は、…優しい時には優しい男だ。
俺を、バカにしたことも云うし、やるけど。
コトを終えた後で、ベッドに横たわっていたシールの額に、薄く残る痣を、そっとなぞって云った。
「…別に…もう痛くないから、平気」
「……ヤバイ客、とっちまったのか」
勘違い男と比べたら、割り切っている。
自分が男娼であることを分かっている…。
「まあ、…そんなとこだけど。…もう大丈夫なんだ、ありがとう、心配してくれて」
そう云って微笑すると、シールはその男の頬にキスをした。
男は、何だかくすぐったそうな顔をして、そうか、と頷き、シールの肩を抱いた。
時々、乱暴なことをするし、俺を随分とバカにしたことも云うけども、……気前はいいし、優しい時には優しい。
まあ、この男は許容範囲かもしれない。
常連から、外さなくても、いい…。
そんなことを考える。
だけどやっぱり、仕事そのものをやりたくないことはあるのだ。
別に、客に不満があるとかじゃなくて。比較的、受け入れやすいこの男を相手にしているときだって、仕事そのものをやりたくない…。この仕事が、イヤだと云うのでもなく。
誰でも感じるだろう程度の、グチを持て余しつつも、やめてしまうほどイヤというのでもない、その程度に、…仕事を、したくない。
何故だかは分からない。
ただ、…仕事を覚えるにつれて、…自分が、男娼としてそれなりに磨かれるにつれて、仕事を、したく、なくなる。
そして帰宅した時には、…何か、気分が悪い。
居心地が悪いというのか。後ろめたいというのか。
自分が、そんなふうに何だか機嫌を悪くしている時に、ルーディが、いつもと同じように微笑して、
「お帰り」
と云う。
それが。
何だか、気持ち悪い。
「朝食は?」
ソファから立ち上がって、ルーディが云う。
「…食べてきた」
「おや、そう」
ルーディは、少し驚いたように目を見開いてから云った。
…シールは最近、朝食をとらずに帰ってきて、一緒に食べてから休むというのが日常になっていたから、ルーディは少し驚いた。
シールは、…ルーディが、気分を害してないかと思った。日常をはずれたから。
ルーディは朝食をもう用意しているのかもしれないと、思ってもいたので。
事実、もう朝食の用意は出来ていて、ルーディはシールを「待っていた」とも云えるのだが、…別に、それでシールに文句を云うこともなく、表情を変えることもなく、「そう」と頷く。
「じゃ、私は一人で食べよう」
平静と変わらぬ声で云って、キッチンに向かう。
シールは、その後ろ姿を目で追う。
…朝まで客と寝ていて、その客が、飯を一緒に食うかと云ったので、…いつもは断るのだけど(正確には断るようになった、だ。以前は、朝食まで食わせてもらえるのを幸運と思っていた…)、今日は、それに付き合った。
何故だか分からないけど。
ルーディが、もしかして待っているんじゃないかな、とは思ったのだけども。
シールは、キッチンから出てきて、テーブルに皿を配置するルーディをじっと見ている。
湯気が立つスープの皿と、遠目にも瑞々しいグリーンサラダと、トーストが、1人前配置される。飲み物は、オレンジジュースのようだ。
シールはルーディに近寄り、
「やっぱり、少し食う」
と素っ気ない声で云った。
「そう? じゃ、ベーコン焼こうか」
「うん」
シールの言葉に、ルーディはさらりと応え、再びキッチンに入る。
食いたければ自分で用意しろと拗ねるのでもなく、そうか、一緒に食べるのかと喜ぶこともなく。
シールは、再びルーディの後ろ姿を見て、椅子に座った。
ポケットに手を突っ込み、今日もらった小切手を出す。
じっとそれを見つめる。
金額を考える。
……この1枚をルーディに渡そう、と決める。
家賃だ。
それを出して、この家に住む。
「おまたせ」
シールの横に立って、ルーディが配膳する。
…やっぱり、用意はしていたのだろう、早い。
それが無駄になるかもしれなかったのに、ルーディは別に気を悪くもしない。
改めてベーコンも焼いてきたのに。
……それが、どうかしたのだろうかと、シールは自分で思う。
「ありがと」
シールはそう云って、ルーディを見上げる。どういたしまして、とルーディはサラリと云って、向かいに座る。
テーブルの中央に、オレンジマーマレードと、バターがある。
ルーディはマーマレードをトーストに塗り、シールはバターを皿に取った。シールは、バターにしろジャムにしろ、一度皿に取って、トーストを千切ってから塗る。
ルーディがサラダにフォークをつけ、シールはトーストを口に放り込む。
…特別、何か話題がある訳でもないから、ルーディは無言だ。
シールは、ちらちらとルーディを見ている。
ジュースを飲むルーディの喉や、トーストを口に入れるのに開く口。スプーンを皿につけるために、若干伏目がちになったときの睫毛。
そんなものを、見ている。
そんな無言の食事が、少し重くなってきたので、シールはナプキンで一度手を拭いて、テーブルに小切手を置いた。
「家賃」
端的にそれだけ云って。
「ああ、はい」
ルーディは頷き、その小切手を自分の方に引き寄せた。
すぐに、ポケットに入れたりすることは無く、食事の間は、ルーディの側のテーブルに置かれていた。
食事が終わってからも、ルーディは小切手をテーブルに置いたままで、先に皿を片づけた。
シールとしては、それをすぐに、見えなくして欲しかったのだが。
片づけが終わってから、ルーディは端末で、小切手の処理を始めた。
この家に住むための家賃である。
だから、仕事をしたくないとは、思ってはいけないのだが、時々、そう感じる。
何故だか分からない。
ただ、金を手に入れないことには、家賃が払えないから、やらなくてはいけないことだ。
…他の仕事は、自分にとってリスクが大きいから。
だから…、我慢しなくてはならない。
だけど。
ルーディは、…俺に、自分で家賃は決めろと云って、しかも、期間は、「それを受け取ったまで」と解釈すると云った。
ということは、「滞納」という概念は、ルーディには、…ルーディと俺の間では、無いんじゃないだろうかと、ふと思いついた。
……延々と、家賃を払わずに居て、ほんのたまにだけ、仕事してルーディに金を渡すのでも、別に、いいのではないのか?
……。
そんなことも考えついて、シールは首を振る。
それは、ルーディが云う「この家で暮らす価値」を軽んじている。
俺は、自分の価値はよく分からないけど、ルーディのこの家は、…価値があると思っている。その評価を、俺は、下げる訳にはいかない。そう思う。
定期的に家賃を出すことが、俺の、…多分、自尊心なのだと、思う。
だから、仕事は、しなくてはならないのだ。
イライラしたとしても、それは、労働に伴う必要悪だと割り切らなくては、
俺は、この家に住めない。
「仕事をしたくない」と「この家に住みたい」を秤にかけたら、…「この家に住みたい」が重い筈だ。
「仕事をしたくない」という気持ちがあり、それでもしなくてはならないと思うから、「楽な仕事」になるように要領を覚えていったのだ。
それで憂鬱になるとしても、それは、やっぱり、しょうがないのだろう。
……この家の暮らしに慣れてきて、安穏な暮らしに馴染んできたから、多分、俺は、贅沢なことを考えるようになったのだろうと。
メシと宿を何が何でも手に入れなくてはならない時には、仕事をしたくないなんて、これっぽっちも考える余裕が無かった。だから、それの心配が無くなった以上は、…こんな呑気なことも考えられるようになったのだと。
シールは、ルーディが端末をいじる後ろ姿を見て、そんなことを思う。
ルーディは、何を云うこともなく、いつも通り、小切手に記録された「金」を、自分の口座に振り替えている(多分、それをしている)。
シールの労働の対価を、家賃として受け取っている。
その行動で、ルーディはシールがここに住むことを許している。
少なくとも、シールはそう思う。いつものルーディのその行動を見て、俺はここに住んでいいんだ、と安堵する。
同時に、何だか気分が悪くなったとしても、その確認は、必要なことなのだ。
そんなことを考えて、シールは街に立つ。




