=5= -(3)
ルーディはダイニングに向かって、床にシートを一枚敷き、そこに椅子を置いた。
ルーディがその椅子を指差すので、座れということだろうと思い、シールは従う。
すると、もう一枚のシートを広げて、シールの胸の前から背後に向かって覆うと、首の後ろで括った。
逆向きにマントを纏ったようだ。
「出来をちゃんと見ていたいなら、鏡を出しますが」
ブラシで髪を梳き、その流れを見ながら、ルーディが云う。
「別にいい。適当に切ってくれれば」
「そうですか」
シールの言葉に頷き、ルーディはブラシと交代に「鋏」を取った。
それを見て、びく、とシールの肩が強張る。
「…それで、切るのか、あんたが」
「そうです。怖いですか?」
しゃき、とルーディは鋏を開く。
先が大変鋭利に尖っている二枚の刃物。
「任せる…けど、気をつけてくれよ」
これは、鏡があったって、見ていられなかっただろうと、シールは思う。
ぎゅ、と目を閉じた。
ふふ、とルーディが笑って頷く。
「俺…、髪洗われてるときも思ったけど、昔の美容院って…どんなだったんだって、不思議でならないよ」
「ふん、そうでしょうとも?」
ルーディは鼻を鳴らしながら頷いた。
「しかし、何だなぁ、君、ヤパの女の子に生まれていたら、とてもモテていたでしょうねぇ」
「何で? …つぅか、今時純血のヤパニーなんて居ないだろ」
「うん、まあそうだけど。大昔のねぇ、ヤパの女性と云ったら、黒髪が美人の条件だったんですよ」
「ふーん…。俺は、あんまり好きじゃない…。金髪に比べて、不利だし」
どこか、不貞腐れたような声でシールが云う。
しゃき、しゃき…と、まずは適当に長さだけを見て鋏を入れながら、ルーディは云う。
「価値観というのは、十人十色ですねぇ。私は、君みたいにさらさらの黒髪って、いいなぁ、と思いますがねぇ」
「……」
「本当は、勿体無いとも思うよ、こうして鋏を入れるのが。…とりあえず、私は切ってあげるけども、後でパーマあてたりするのも止めておきなさい、勿体無い」
「他人の髪なのに。勿体無いも何も」
「本当にそう思うから」
ルーディの声が、お愛想ではないようだったので、何だかルーディはくすぐったい。
耳元で、しゃく、ザ、と鋏が動き、髪が切り離される音が聞こえる。
ルーディの声に混じり。
「まあ…、前は、重宝がられたこともあるけど」
「何を?」
「俺、東洋の血が混じってるのはそうらしいからさ。ヤパかどうかは知らないけど。黒髪っていうより、クセが無いってのが、珍しいみたいで」
「そうでしょうね」
ルーディが、うん、と頷いて云う。
その声を聞いて、シールは、ハっと思う。
自分の素性を、語るつもりは全く無かったのだが…、つい、口にしてしまった。
だが、ルーディがそれ以上のことは訊いてこず、受け答えもサラリとしていたので、胸の中で安堵の息を吐いた。
「あんたはさ、何で、こんな旧式の髪の切り方なんて知ってるんだ?」
「何でと云われてもねぇ…。カットに限らず、私の家の場合、旧時代の技術を身につけなくては、一人前ではないというような雰囲気があって」
ルーディが苦笑混じりに云う。
「君には呆れられそうだけど。…この鋏」
ちょっとルーディの手が止まったので、シールは目を開けて、振り返る。
ルーディが手にしていた刃物を見た。
「これは美容・理容用の鋏でして、コレがあるんだから、コレが使えなかったら勿体無い、そういうこと。だから、コレが使えない以上は、この家では一人前じゃなかったのです。父が亡くなってからは、私一人であるので、流石に私も自分の髪はちゃんとデザインしては切れないから、カット技術を披露するのは久しぶり」
やはりシールは、呆れた顔をした。そんな顔を見て、ルーディはやはり苦笑する。
「…バカじゃねーの」
「そう思われてもしょうがないね」
うん、とルーディは頷き、再びシールの髪を切る。
「そんなものが沢山ありますよ、うちには。だから、そんな道具なんかのメンテナンスのための旧時代の技術も、私は手にしていたりする」
「……すっげー、変」
「ふん、そうかもしれないけどね…。その分、余計なお金は使わなくていいじゃないですか、自宅でカットが出来るなら?」
「そりゃそうだけど」
ルーディは、自分用の椅子を背後に置き、シールの首の後ろに指を添えて鋏を入れる。
「今の美容室というのは、技術がそんなに要らないけども、器具が必要でしょう。美容師というのは、その器具を使うための『エンジニア』というのに近い」
「ん…、まあ、そんな感じかな」
「昔の…、こんなふうに、『手』が使われていた美容技術というのは、あくまでも『人』の技術を要求されていた。逆に云えば、技術さえあれば、美容室に行かずとも、こんなことは家で出来るんです」
「……」
「だから、美容師が、『エンジニア』でなく、『アーティスト』だった時代もあった。人の手の『技術』がメインであったから」
ルーディの声は静かだが、…どこか、熱っぽくも聞こえた。
シールは、何と云っていいのか、よく分からない。
ただ、どことなく、申し訳ないという気分になっていた。
「それは、美容師の技術に限りませんけれどもね。人の『手』が作り出すもの、という話だと」
…やはり、どこか申し訳ない。
シールは口を噤んでいる。
プルルルルル。
どこからか、機械の音が聞こえた。その音の印象からして、発信音であるようだ。
ん?とシールは音のした方向を見やり、ルーディもそちらを向いていた。
シールがルーディを振り返ると、ルーディは怪訝そうな顔をしている。
「変だな」
ルーディは首を傾げて、鋏を置き、ダイニングの端っこにあった「電話台」から、子機を取ってくると、ボタンを押してテーブルに置いた。
「はい? 何か御用ですか?」
『カテ・コーのオフィスですか?』
ボタンは、スピーカボタンだったらしい。シールにも向こうの声が聞こえる。年のいった男の声だ。
いいのだろうか、とシールは思ったのだが、ルーディは気にせず、鋏を取った。
シールは、なるたけ大きく息をしないように、声を出さないように、と意識した。
「そうですよ、どちらさま」
『ああ、良かった、セイレイシィさん?』
「ええ、そうです、どちらさま?」
『良かった…、定休日であるから、いらっしゃらないかと…』
「……ですから、どちらさまでしょう?」
ルーディは、シールの髪を切りながら、眉を寄せて目を細めた。
何度、誰何すればいいんだろう、と思っているらしい。
向こうにも、それは伝わったのだろう、焦った声で、「すみません」と云った。
『ブランシュ・カテ・ビル3Fにテナントをお借りしております、「ブティック・マージ」のオーナーです、マージです』
「ああ、はい…」
どこか気の無い返事をルーディは返す。
シールには、ルーディが機嫌を悪くしているように感じた。
確かにその通りで、今日は、このビルのオーナー会社である「カテ・コー」の定休日であり、それは、社長であるルーディにとっても休みということだ。
この「電話」が掛かってきたのは、オフィスからの転送である。借主のテナント側がルーディの私宅の番号を知っている訳ではない―だから、定休日である今日、この家に「電話」が掛かってくるのは尚更変だ、と最初に呟いたのだ―。
しかし、いくら転送されるようにしていたからと云って、定休日だと分かっていて電話をかけてくるというのは、気分が良いものではないので、ルーディは、若干無愛想になっていたのだ。
だが、それは何らかの非常時のために転送するように設定しているのだからして…、
もしかして「非常事態」が起きたのだろうか?「ブティック・マージ」で?とすぐに思いつき、コホンと咳払いをして、ルーディは声色を変えた。
「どうかなさいましたか」
『ええ、それが…』
「何か、非常事態でも?」
『あのですね、うちの店長が先ほど、昼食を取るのにビル外に出た時』
「はい」
その内容に、ルーディの顔が険しくなる。
しかし、シールの髪を切る、その手は止まらなかった。
内容はこうである。
その店長は女性である。いつもはビル内のレストランへ向かうのだが、今日はサブマネージャーとシフトが重なったのでゆとりがあり、外に出ることにした。ちょうど、銀行に私用もあったので。
そういう事情は、無駄なことではないかとルーディは―ついでに傍で聞いていたシールも―感じたが、我慢強く聞いていた。
そうしたら、店へ戻る途中、ビルの前で、何者かに襲われた。
…そこがメインではないか、とやはり思う。
後ろから羽交い絞めにされて、刃物を喉にあてられた。
物騒な話である。ルーディは顔を顰めた。
「店長さんにお怪我は?」
『ええ、幸いなことに…』
「それは良かった」
だが、それは不幸中の幸いであって、ルーディの「パンドラの箱」の見解からすれば、「やっぱり不幸はあるのじゃないか」ということになる。シールはそんなことを思う。
話はそれで終わらない。
ビルのオーナーであるルーディに、セキュリティをちゃんとしてくれ、という要望なのではなかった。
その際、その暴漢に、「このビルのオーナーへの連絡先を教えろ」と脅迫されたという。
「成る程」
ルーディは、手を動かしつつ頷いた。
それは非常事態だ。
怪我が無かったということは、「カテ・コー」の連絡先を教えたから、解放されたと解釈するべきだろう。
『済みません、今後は、こういうことが無いように叱っておきますから…』
「マージさん、バカなことを云ってはいけません」
ルーディが、とても冷たく聞こえる声で云う。電話の向こうで、息を飲むのが聞こえた。
「店長さんに怪我が無かったのが幸いなのだからして、こちらの連絡先を教えたことで命が助かったのなら、それが当たり前です。叱ったりしちゃいけません。すぐにオーナーであるあなたへ報告し、私に連絡をさせたことを賢明だと褒めこそすれ」
『そう云って頂けると…』
テナントにしてもアパルトマンにしても、オーナー会社の情報を流出しないことは、貸し出しの条件の一つなのである。だが、命を賭けてまでそれを守れなどとは、ルーディは云わない。
「逆に云えば、店長さんでよかったですね。アルバイトなどだと、こちらの番号を知っている筈が無いから、もしかしてもっと酷いことが起きていたかもしれません。分かりました、対策は取っておきます。店長さんにはお大事にと伝えてください」
『分かりました、それでは失礼します…』
プッ。
ラインが切れる。
シールは、息を潜めていたとも云えるので、はーッと大きく息を吐いた。
「ルーディ…」
「シール、ちょっと待っててくれますか」
ルーディはリビングに移ると、小型の端末を取ってきてテーブルに置いた。
そして、子機とそれをラインで繋いだ。
起動させてキーをいくつか叩く、…その途中で、また、プルルルルと発信音が鳴った。
「早いな」
ルーディが呟く。
先に、端末を弄ってしまってから、スピーカボタンを押した。
「はい」




