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 ルーディはダイニングに向かって、床にシートを一枚敷き、そこに椅子を置いた。

 ルーディがその椅子を指差すので、座れということだろうと思い、シールは従う。

 すると、もう一枚のシートを広げて、シールの胸の前から背後に向かって覆うと、首の後ろで括った。

 逆向きにマントを纏ったようだ。

「出来をちゃんと見ていたいなら、鏡を出しますが」

 ブラシで髪を梳き、その流れを見ながら、ルーディが云う。

「別にいい。適当に切ってくれれば」

「そうですか」

 シールの言葉に頷き、ルーディはブラシと交代に「鋏」を取った。

 それを見て、びく、とシールの肩が強張る。

「…それで、切るのか、あんたが」

「そうです。怖いですか?」

 しゃき、とルーディは鋏を開く。

 先が大変鋭利に尖っている二枚の刃物。

「任せる…けど、気をつけてくれよ」

 これは、鏡があったって、見ていられなかっただろうと、シールは思う。

 ぎゅ、と目を閉じた。

 ふふ、とルーディが笑って頷く。

「俺…、髪洗われてるときも思ったけど、昔の美容院って…どんなだったんだって、不思議でならないよ」

「ふん、そうでしょうとも?」

 ルーディは鼻を鳴らしながら頷いた。

「しかし、何だなぁ、君、ヤパの女の子に生まれていたら、とてもモテていたでしょうねぇ」

「何で? …つぅか、今時純血のヤパニーなんて居ないだろ」

「うん、まあそうだけど。大昔のねぇ、ヤパの女性と云ったら、黒髪が美人の条件だったんですよ」

「ふーん…。俺は、あんまり好きじゃない…。金髪に比べて、不利だし」

 どこか、不貞腐れたような声でシールが云う。

 しゃき、しゃき…と、まずは適当に長さだけを見て鋏を入れながら、ルーディは云う。

「価値観というのは、十人十色ですねぇ。私は、君みたいにさらさらの黒髪って、いいなぁ、と思いますがねぇ」

「……」

「本当は、勿体無いとも思うよ、こうして鋏を入れるのが。…とりあえず、私は切ってあげるけども、後でパーマあてたりするのも止めておきなさい、勿体無い」

「他人の髪なのに。勿体無いも何も」

「本当にそう思うから」

 ルーディの声が、お愛想ではないようだったので、何だかルーディはくすぐったい。

 耳元で、しゃく、ザ、と鋏が動き、髪が切り離される音が聞こえる。

 ルーディの声に混じり。

「まあ…、前は、重宝がられたこともあるけど」

「何を?」

「俺、東洋の血が混じってるのはそうらしいからさ。ヤパかどうかは知らないけど。黒髪っていうより、クセが無いってのが、珍しいみたいで」

「そうでしょうね」

 ルーディが、うん、と頷いて云う。

 その声を聞いて、シールは、ハっと思う。

 自分の素性を、語るつもりは全く無かったのだが…、つい、口にしてしまった。

 だが、ルーディがそれ以上のことは訊いてこず、受け答えもサラリとしていたので、胸の中で安堵の息を吐いた。

「あんたはさ、何で、こんな旧式の髪の切り方なんて知ってるんだ?」

「何でと云われてもねぇ…。カットに限らず、私の家の場合、旧時代の技術を身につけなくては、一人前ではないというような雰囲気があって」

 ルーディが苦笑混じりに云う。

「君には呆れられそうだけど。…この鋏」

 ちょっとルーディの手が止まったので、シールは目を開けて、振り返る。

 ルーディが手にしていた刃物を見た。

「これは美容・理容用の鋏でして、コレがあるんだから、コレが使えなかったら勿体無い、そういうこと。だから、コレが使えない以上は、この家では一人前じゃなかったのです。父が亡くなってからは、私一人であるので、流石に私も自分の髪はちゃんとデザインしては切れないから、カット技術を披露するのは久しぶり」

 やはりシールは、呆れた顔をした。そんな顔を見て、ルーディはやはり苦笑する。

「…バカじゃねーの」

「そう思われてもしょうがないね」

 うん、とルーディは頷き、再びシールの髪を切る。

「そんなものが沢山ありますよ、うちには。だから、そんな道具なんかのメンテナンスのための旧時代の技術も、私は手にしていたりする」

「……すっげー、変」

「ふん、そうかもしれないけどね…。その分、余計なお金は使わなくていいじゃないですか、自宅でカットが出来るなら?」

「そりゃそうだけど」

 ルーディは、自分用の椅子を背後に置き、シールの首の後ろに指を添えて鋏を入れる。

「今の美容室というのは、技術がそんなに要らないけども、器具が必要でしょう。美容師というのは、その器具を使うための『エンジニア』というのに近い」

「ん…、まあ、そんな感じかな」

「昔の…、こんなふうに、『手』が使われていた美容技術というのは、あくまでも『人』の技術を要求されていた。逆に云えば、技術さえあれば、美容室に行かずとも、こんなことは家で出来るんです」

「……」

「だから、美容師が、『エンジニア』でなく、『アーティスト』だった時代もあった。人の手の『技術』がメインであったから」

 ルーディの声は静かだが、…どこか、熱っぽくも聞こえた。

 シールは、何と云っていいのか、よく分からない。

 ただ、どことなく、申し訳ないという気分になっていた。

「それは、美容師の技術に限りませんけれどもね。人の『手』が作り出すもの、という話だと」

 …やはり、どこか申し訳ない。

 シールは口を噤んでいる。

 プルルルルル。

 どこからか、機械の音が聞こえた。その音の印象からして、発信音であるようだ。

 ん?とシールは音のした方向を見やり、ルーディもそちらを向いていた。

 シールがルーディを振り返ると、ルーディは怪訝そうな顔をしている。

「変だな」

 ルーディは首を傾げて、鋏を置き、ダイニングの端っこにあった「電話台」から、子機を取ってくると、ボタンを押してテーブルに置いた。

「はい? 何か御用ですか?」

『カテ・コーのオフィスですか?』

 ボタンは、スピーカボタンだったらしい。シールにも向こうの声が聞こえる。年のいった男の声だ。

 いいのだろうか、とシールは思ったのだが、ルーディは気にせず、鋏を取った。

 シールは、なるたけ大きく息をしないように、声を出さないように、と意識した。

「そうですよ、どちらさま」

『ああ、良かった、セイレイシィさん?』

「ええ、そうです、どちらさま?」

『良かった…、定休日であるから、いらっしゃらないかと…』

「……ですから、どちらさまでしょう?」

 ルーディは、シールの髪を切りながら、眉を寄せて目を細めた。

 何度、誰何すればいいんだろう、と思っているらしい。

 向こうにも、それは伝わったのだろう、焦った声で、「すみません」と云った。

『ブランシュ・カテ・ビル3Fにテナントをお借りしております、「ブティック・マージ」のオーナーです、マージです』

「ああ、はい…」

 どこか気の無い返事をルーディは返す。

 シールには、ルーディが機嫌を悪くしているように感じた。

 確かにその通りで、今日は、このビルのオーナー会社である「カテ・コー」の定休日であり、それは、社長であるルーディにとっても休みということだ。

 この「電話」が掛かってきたのは、オフィスからの転送である。借主のテナント側がルーディの私宅の番号を知っている訳ではない―だから、定休日である今日、この家に「電話」が掛かってくるのは尚更変だ、と最初に呟いたのだ―。

 しかし、いくら転送されるようにしていたからと云って、定休日だと分かっていて電話をかけてくるというのは、気分が良いものではないので、ルーディは、若干無愛想になっていたのだ。

 だが、それは何(、)ら(、)か(、)の(、)非(、)常(、)時(、)の(、)た(、)め(、)に(、)転送するように設定しているのだからして…、

 もしかして「非常事態」が起きたのだろうか?「ブティック・マージ」で?とすぐに思いつき、コホンと咳払いをして、ルーディは声色を変えた。

「どうかなさいましたか」

『ええ、それが…』

「何か、非常事態でも?」

『あのですね、うちの店長が先ほど、昼食を取るのにビル外に出た時』

「はい」

 その内容に、ルーディの顔が険しくなる。

 しかし、シールの髪を切る、その手は止まらなかった。

 内容はこうである。

 その店長は女性である。いつもはビル内のレストランへ向かうのだが、今日はサブマネージャーとシフトが重なったのでゆとりがあり、外に出ることにした。ちょうど、銀行に私用もあったので。

 そういう事情は、無駄なことではないかとルーディは―ついでに傍で聞いていたシールも―感じたが、我慢強く聞いていた。

 そうしたら、店へ戻る途中、ビルの前で、何者かに襲われた。

 …そこがメインではないか、とやはり思う。

 後ろから羽交い絞めにされて、刃物を喉にあてられた。

 物騒な話である。ルーディは顔を顰めた。

「店長さんにお怪我は?」

『ええ、幸いなことに…』

「それは良かった」

 だが、それは不幸中の幸いであって、ルーディの「パンドラの箱」の見解からすれば、「やっぱり不幸はあるのじゃないか」ということになる。シールはそんなことを思う。

 話はそれで終わらない。

 ビルのオーナーであるルーディに、セキュリティをちゃんとしてくれ、という要望なのではなかった。

 その際、その暴漢に、「このビルのオーナーへの連絡先を教えろ」と脅迫されたという。

「成る程」

 ルーディは、手を動かしつつ頷いた。

 それは非常事態だ。

 怪我が無かったということは、「カテ・コー」の連絡先を教えたから、解放されたと解釈するべきだろう。

『済みません、今後は、こういうことが無いように叱っておきますから…』

「マージさん、バカなことを云ってはいけません」

 ルーディが、とても冷たく聞こえる声で云う。電話の向こうで、息を飲むのが聞こえた。

「店長さんに怪我が無かったのが幸いなのだからして、こちらの連絡先を教えたことで命が助かったのなら、それが当たり前です。叱ったりしちゃいけません。すぐにオーナーであるあなたへ報告し、私に連絡をさせたことを賢明だと褒めこそすれ」

『そう云って頂けると…』

 テナントにしてもアパルトマンにしても、オーナー会社の情報を流出しないことは、貸し出しの条件の一つなのである。だが、命を賭けてまでそれを守れなどとは、ルーディは云わない。

「逆に云えば、店長さんでよかったですね。アルバイトなどだと、こちらの番号を知っている筈が無いから、もしかしてもっと酷いことが起きていたかもしれません。分かりました、対策は取っておきます。店長さんにはお大事にと伝えてください」

『分かりました、それでは失礼します…』

 プッ。

 ラインが切れる。

 シールは、息を潜めていたとも云えるので、はーッと大きく息を吐いた。

「ルーディ…」

「シール、ちょっと待っててくれますか」

 ルーディはリビングに移ると、小型の端末を取ってきてテーブルに置いた。

 そして、子機とそれをラインで繋いだ。

 起動させてキーをいくつか叩く、…その途中で、また、プルルルルと発信音が鳴った。

「早いな」

 ルーディが呟く。

 先に、端末を弄ってしまってから、スピーカボタンを押した。

「はい」



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