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リビングのソファに座って、小型端末を弄っていたルーディは、シールが入ってきたので振り向いて、「足は大丈夫?」と訊いた。
「うん、まあ、まだ痛いけど…、歩けないってんじゃないから」
シールは頷いてから、ルーディに訊いた。
「あのさ、こないだのジャケット…、洗濯終わってる?」
「ええ、それが?」
「俺、昼間に外に出るのに着られそうなジャケット、まだアレしか持ってないからさ…」
頭を掻きながらシールが云うと、ルーディは微かに眉を寄せた。
「え? 外出するんですか」
「うん…」
「何処に?」
「カジュー・ストリート」
それを聞いて、ルーディは首を振る。
「大人しくしてなさいと云ったでしょう」
「大丈夫だよ」
「何しに? 洋服を買いに? ちゃんと足が治ってからにしなさい」
カジュー・ストリートには、このビルの最寄の駅から2駅ある。若者がよく利用するファッションや雑貨の店が連なる街だ。
「このビルにもブティックは入ってますよ。ことさら、カジューに行かなくてもいいでしょう、そんな足で」
また発熱するといけないから、と云ったのを聞いてなかったのか?とルーディが窘める。
シールは、やはり首を傾げて頭を掻きながら続けた。
「いや、服買いに行くんじゃないんだけど…」
「何しに」
「…コンタクトをさ…。それと…、じゃあさ、このビル、整形屋って入ってんの?」
それを聞いて、やっぱりルーディが顔を顰める。
「…君、それは天然じゃないの」
シールの顔を指差して、ルーディが云う。
シールは苦笑して首を振った。
「いや、コレは天然。今まで、そんな金持ったことなかったし」
そう云って、自分の顔を指差す。
「そりゃあ良かった。君の顔のつくりはいいんだから、やめておきなさい、いくらお金があっても。しかも、怪我をした足でいちいち…」
ふう、とルーディが息を吐く。
初対面の時に、シールの名前と顔は指名手配犯のリストには無いと確認していたが、整形を施しているとなると話が変わってくる。
そんな事務的な思いもあったので、ルーディは安心した。
「何でそんなことを思ったの。え、コンタクトレンズ?」
「うん、カラーをさ…。ついでに…美容院にも行こうと思って」
「何だってまた…」
そんな、外見関係ばかりの買い物に、何で今行かなくてはならない、とルーディは呆れた顔をした。医者に行くというならまだしも。
「カジューだったら、小切手で精算できる美容院があるんだ。…よくある美容院だと、キャッシュカード以外は使えないところが多くて」
来店記録やカルテのことを考えれば、美容院はそうであろう。ルーディも、キャッシュカード精算をしない美容院の方を利用したことがない。
しかし、そんなことを訊いたのではない、とルーディは首を振る。
「足を怪我している今殊更に、そんな命に関わるようなことではない呑気な買い物をしに行くとは、『何だってまた』と云ったんです」
やけにクッキリした声で言い聞かせるようにルーディが云う。
シールは、ああ…と呟き、うん、と小首を傾げながら答えた。
「顔…とか見た目、ちょっと変えようかと思ってさ」
シールが、どこか寂しそうな声で云う。
ルーディは、「え?」と首をかしげた。
「だから…、もし、一昨日の客が」
「もうさきおとついですよ」
「え、俺、そんなに寝てたのか」
道理で、目がばりばり云うと思った。
「だから、その客がさ、俺見つけたら…ヤバイかなと思って」
「……」
「外見、ちょっと変えようかと…」
「そういうことですか」
ルーディは、ふう、と息を吐いて、成る程と呟いた。
「それは、いい考えだとは思いますけども、整形するのはやっぱりやめておいた方がいいよ。勿体無い」
「……」
「それにしたって、そういう理由なら、尚更、今行かなくてもいいでしょう。昨日の今日、ならぬ、さきおとついの今日、ですよ? 外に出るほうが危ない。君は今、逃げることだって出来ないのだし」
ルーディは立ち上がり、ちらりとシールの足を見下ろして云った。
シールは、それもそうか…と頷く。
「確か、このビルに入っているブティックは、コンタクトも置いていたと思いますから、それでいいでしょう。この家から出るなとまでは云いませんから、私も」
「美容院は? 今度外に出るまでに、さっさとやっておきたかったんだけど」
「うーん、残念ながら。君が良ければ、私が切ってあげましょうか。随分伸びているから、短くしただけで印象は変わるでしょう」
ルーディがあっさりした声で云ったので、シールは、「ああ、そうなんだ」と素直に受け入れた。
だが、すぐ後に、え?と驚く。
「あんた、切れるのか?」
ルーディが肩を竦めて、苦笑する。
「極めて旧式の方法ですが、それでもよければ?」
「どんな方法だか分からない」
「刃物が直接、顔の周りや首なんかを右往左往しますが、それでもよければ」
シールも肩を竦ませた。
「しかし、昔の美容院はこんなだったんですから、美容師の腕さえ良ければ、怪我する心配はないですよ」
「あんたの腕はいいのか?」
「さあ、どうでしょう」
に、とルーディが意地の悪い笑顔を浮かべる。
シールは顔をしかめた後で、やれやれ…と頷いた。
「うん…、それでいいよ。あんたが切ってくれ。よく考えれば、このツラで外に出るよりは、家に居る間に顔変えた方がいいもんな…」
「そうです」
ルーディは大きく頷くと、壁際の棚を漁り始めた。
何かシートのようなものと、「鋏」を含むキットを取り出すと、ダイニングのテーブルに置き、「さて」とシールを振り返る。
「じゃ、バスルームに行きます」
「どうぞ」
何でだ、とシールは首をかしげたが、訊かずにそう云った。禊か何か必要なのか?などと考えながら。
するとルーディは、呆れた顔をして
「君も来るんですよ。というか、君が行くんですよ」
「え、何で?」
「髪を濡らすんです、いいからいらっしゃい」
ルーディがシールの手首を握り、く、と引っ張る。
顔に疑問符をいくつも貼り付けて、シールは仕方なくルーディについていった。
それぞれの部屋にバスルームはついているが、ここは共有のそれである。こちらは、部屋についているものとは違って広い。ユニットではなく、バスタブと洗い場が分けられていた。
ルーディはバスタブの近くに洗い場用の椅子を置くと、シールに、バスタブを背もたれにするように座れと云った。
洗い場の床は全く乾いているので抵抗は無いが、何をされるのか分からないので、少し眉を寄せている。
ルーディは、腰を屈め、バスタブの中でシャワーの水を出し、温度を見ていた。(大体、この風呂も結構旧式だとシールは思う。今時、ミストのシャワーじゃないなんて?)
「ここに首を傾けるみたいにして」
とルーディがバスタブの縁を叩く。
云われた通りにしたけれども、
「首が痛い」
シールは、顔をしかめて呟いた。
ルーディは苦笑して、ちょっと我慢していて、と云った。
ぶすッ、と不貞腐れたシールの目に、ルーディの顔が逆光で映る。
ルーディは、中腰になり、「失礼しますよ」と云って腕を伸ばし、シールの頭を抱えるようにした。
えッ、とシールが驚いた顔をする。
ルーディの胸元に、引き寄せられるように、頭を持ち上げられた。
「な、何?」
「頭を洗いますから」
「……濡らすって云ってなかったか」
「でも、どうせだから洗った方がいいでしょう」
ルーディはそう云って、シャワーの水量を手元の目盛で調節し、飛沫に気を使いながら、シールの髪の生え際から濡らしていった。
「ただ濡らしたまま放っておくと、臭くなるしさ」
「……こんなことなんだったら、俺に、髪洗ってこいって云えばよかった話じゃねーのか?」
ルーディの目線が頭の方にあるので、シールは上目遣いになってそう云った。
カチ、とノズルのスイッチを弄る音が聞こえ、湯が止まる。
一旦、そっとシールの頭をバスタブの縁に戻して、ルーディはシャンプー液を手のひらに取った。
そして、手のひらで少し泡立ててから、両手でシールの髪に触れる。
しゃくしゃく…、と濡れているはずなのに乾いて聞こえる、小気味のいい音が漂う。
相変わらず、正面を見ていたらルーディの胸元だ。腋とも云えるだろうか。
シールは、ずっと上目遣いに、ルーディの顔を見ようとしていた。白目を剥いた顔をしているんじゃないだろうか、などとフト感じる。
「なあ?」
ルーディがすぐに答えないので、シールはもう一度訊く。
俺が自分で髪を洗ってくるのはいけなかったのか。
「私はその方が楽だったでしょうけど、そうなると、君はお風呂に入るのと変わらないんじゃ?」
「……まあ、そうだけど」
「一人で、髪だけ濡らすのは難しいでしょうからね。…老婆心ながら、君の傷の状態を考えた場合、今日一日はバスルームを使うのはよした方がいい」
手は止めずに、ルーディは静かな声で云う。シールは、口を噤んだ。
「お風呂に入るというのは、清潔にする行為ではあるけれども、外傷があるのを考えると、却って雑菌が入ることも無くはない行為でして? それに、随分染みるでしょうし…。だから、君も、目しか触ってないでしょう、洗顔で」
くす、と笑いながら、ルーディが、腋から覗くようにして、シールの顔を見た。
シールは、え、と戸惑った顔をする。
「分かっちゃったか?」
「うふん、そりゃあね、少し薄汚れているし?」
「……」
「顎と鼻の下。…うっすら無精ひげが生えてますよ」
くすくす、とルーディが笑う。
「触れなかったんでしょう。…どうせなら、そのまま伸ばしたら? 相当、印象が変わるよ」
「…客足がにぶる。女は前戯で嫌がるし、男で上になるやつは、萎えるとか云うし」
「ああ、無精ひげで『出勤』した経験があるんですね」
やはりくすくすと笑ったルーディは、シャワーを再び取り、「失礼」と云って、また頭を抱える。
手のひらに湯を溜めるようにして、その中でシールの髪をたぷたぷとすすぐ。
生え際から、耳の裏まで、泡が完全に消えるまで丁寧に、シールの頭を撫でた。
シールは、首が痛い…と思いながら、くふん、と喉を鳴らした。
シャワーの音が止まったので、終わりか、と思い、シールは身体を起こそうと力を込めたのだが、それを察知したルーディに慌てた声で止められた。
「ばか、今起きたら、服が濡れるでしょう」
「……」
バカっていうなよ、と胸の中で呟き、シールは大人しく、まだ首を傾けている。
ルーディがシールの髪を、キュっと絞り、タオルをとって覆う。
「はい、起きていいよ」
やっと、身体を起こして、シールは首を擦った。
ルーディがかしかしと髪を拭く。
「…ああ、首が痛い。何でこんなこと必要なんだ…」
「君、美容室では髪を洗わない? 濡らしてる方が、カットしやすいからだよ」
シールは、ああ…と思いつく。
そういえば、顔を覆って、一瞬、ブワっとミストを吹き付けられたりするっけか、と。
しかし
「こんな苦しい体勢にはならなくていいだろう、普通…。これも旧式のやり方か? 冗談じゃない」
「昔の美容室でも、こんな苦しいシャンプーはしてなかったですよ。もうちょっとゆったり、横たわるみたいにしてね」
「…そうかい。人間が頭を抱えて、なんてのは」
「それは昔もやっていたみたいだけど?」
「……」
不思議なことを、昔はやっていたのだなと、シールは理解しがたい。
昔の人間には、危機感が無かったのだろうか。
こうも密着して無防備になっていたら、客は何をされても抵抗が充分出来ないし、美容師の方だって、客が刃物でも隠し持っていたら、即ブスリとやられておかしくないじゃないか…。
そんなことを思う。
「さてと、切るよ」
「ああ…」
それでもって、カットの際には、顔の周囲を直に刃物が行き来する?
恐ろしいことだ。




