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『…ブランシュ・カテ・ビルのオーナーさん?』
スピーカモードであるから、シールにも聞こえる。
どうも、マシン・ヴォイスに変換しているらしい。
「そうですが?」
『そのビルに、シールって子が住んでるだろう』
「……」
シールの喉が、ひくッ、と鳴った。
ルーディは、シールをチラリと見て、首を振る。
「如何ともお答えできません」
『住んでるかどうかだけ聞いてるんだ。どうなんだ』
「お答え致しかねます」
『コノヤロウ、ふざけるな』
「こちらの台詞です」
ルーディは、シールを手招きして、端末のモニタを指差した。
……3種類のウィンドウが開いている。このビルの、エントランスのモニタカメラから入ってきた画像のようだ。
そのうちの一つに、見覚えのある男が映っていた。
シールが、「あ」と口を開いたので、ルーディはすぐにその口を覆い頷くと、離れろ、と云うように手を振った。
シールは、自分の顔色が随分変わったのが分かった。
何で自分が髪を切っているかと云えば、今、映っていた男のせいだ。ルーディに看病されなくてはいけない怪我をしたのも、しばらく仕事に出られなくなったのも。
ルーディは、その口調と姿から、「コノヤロウ」だの「ふざけるな」だのと、乱暴な言葉遣いをするのは慣れていない男だと感じた。
見た目はやせぎすで、神経質そうな印象である。口元に何か機械をあてている。
子機を片手に持ちながら、ルーディはその映像と音声を端末に記録した。
『いいから、シールに出てくるように云え! 入っていったんだ、このビルに! 住んでるんだろう、オーナーが命令すれば、出てくるだろう』
「あなた、バカなんですね。仮にそういう人が住んでいたとして、オーナーの命令で日々の行動まで決める訳ないでしょう」
『…ば、バカだって!? この僕になんて口をきくんだ』
「バカでしょう。自分が今、何をやっているか分かっていますか? 住人の情報については、お答え致しかねます、おひきとりください」
『…え、えらそうに…。そんな口を聞いていいのか、何をするか分からないぞ、僕は! シールを出せ! さもないと、ビルに火をつける!』
ルーディは、目を細め、…ピ、と端末のキーを押した。
ピーピーピーと電子音が鳴る。
「今、当局にあなたの映像と音声を送りました。現在の会話も伝わっております。早いところ、引き取ったほうがよろしいですよ」
『当局!? け、警察か? はん、僕が何をしたと』
「ああ、本当にバカなんだなぁ」
独り言のように云った後、ルーディは、かわいそうな子供に対するような声色で続けた。
「あなたでしょう、ブラン・カテ・ビルの関係者に乱暴を働いたのは。それに今、何と仰いました? シールとかいう人物を出さない限りは、ブラン・カテ・ビルに、火をつけると云いましたね? それは脅迫です。既にあなたは、訴えられておかしくない行動を取っているんです。それを、『僕が何をした』とは片腹痛い。バカじゃないですか」
おっとりとした声で、ルーディは云う。
シールは傍で聞いていて、心臓が喉までやってきたような感覚を覚えていた。
「ほら、来た」
本当に、ポリスがやってきたのが分かる。旧時代から変わることがない、ファンファン…というポリス・カーの警音が聞こえ始めた。
画像と音声を送った後、やけに口調が緩やかになったのは、時間稼ぎだったのだ。
男は、は、っと目を見開き、
『シール! シール!!』と叫んでいた。
咄嗟に、シールは耳を覆った。
ルーディは、顔を顰めて、
「早く逃げないから」
と云って、子機のボタンを押した。
プツ。
シールがさっきよりもずっと深く、息を吐く。
「…連れて行かれた? 警察に…」
「多分」
独り言のように、シールが呟き、ルーディが立ち上がって頷く。
「随分早くないか、来るの」
「『警察官立ち寄り所』とか『特別警戒域』とかいうの見たことないですか? このビルはそれにあたるんですよ。いや、アパルトマンやテナントの人では無理ですが、ビルのオーナーである私の通報ならば、すぐに来ます。まあ、私の想像よりも早かったけど」
「……あんたの手際も良かった」
「実は昨日一昨日から、他の住人やテナント主からも、ビルの周辺を怪しい人間がうろついているという報告がなされてましてね…。警察が来るのが私の想像より早かったのは、それも既に通報していたから、特に警戒してもらえていたというのがあるかもね」
シールは、前のめりに腰を折り、顔を覆う。
「…後で、『ブティック・マージ』の店長さんにも証言を頂けたら、起訴は簡単です。良かったですね、シール。それほど神経質に、あの男から姿を隠すことはもう考えなくていい」
ルーディが云う。
シールは、それを聞いて、それはそうだろうけども、「ああ、良かった」とは思えない。
「尾行されていたんでしょうね…。なかなか君が出てこないから、業をにやしたのかしら? 良かったですね、外出しなくて」
「……」
「君への暴行を問うことが出来ないのは悔しいが…、安心しなさい。少なくとも当分の間、君に危険が及ぶことは無いでしょう」
「ルーディ、俺…」
ルーディを見上げて、シールが不安げな顔をしている。
「あんたに、迷惑かけてる…よな」
「……」
ルーディが眉を寄せて、ふう、と息を吐く。
「私が、いいえ、と云っても、君は納得しないでしょう。私は全く、そんなこと思っていないんだけど」
「……」
「これが、アパルトマンの住人であっても、同じ対応をしていましたし、それでその住人に、出て行けとは私は云いません」
本当だろうか、とシールは思う。
でも、…ルーディの怒ったような顔が、その言葉を出させなかった。
本当か、と問うことは、ルーディの言葉を疑うことだと、感じられたから。
「俺、…ここに、居てもいいのか」
「いいです」
あっさり頷き、ルーディは再び、鋏を取った。
「いくらそんなに急いて見た目を変えなくて済んだと云っても、ここで止めてはみっともないからね」
微かにおどけた声でルーディが云い、シャキ、と音が聞こえる。
シールは、全く安心することは出来なかったが、ルーディのその声には安心できたので、「今は、ここに居てもいいのだ」と思うことにした。
ルーディの云う通り、切羽詰った危険は回避されたのだと、それを安心しようと。
「警察に送った音声で、『シール』という部分はノイズにしてあります」
「ああ…。ありがとう…」
シールが、ホウ、と息を吐く。
「当局の聴取で、君の名前をあの男が出す可能性もありますが、フルネームやIDナンバーを彼が知っている訳ではないでしょうし、当局のほうも、私に住人の情報を求めることは無い筈ですから」
「……」
「そもそも、思うに…、あの男はろくな証言を出来ないでしょうね。だって、シールという人物について訊かれたら、自分が男娼を買っていたということを告白しなければならない訳で。どうもあの口ぶりでは、…『この僕に』なんて云っていたし、社会的な地位が高いのかもしれないね、命令しなれているのかもしれない――貸主の指示で店子が行動を決めるなんて馬鹿なことを当たり前に口に出来るんだもの。となると、男娼を買うなんてこと、警察に告白出来ないんじゃないかな」
そうだろうな…、とシールも思う。
あの男が、シールという名前を、警察で口にしなければいい、それを願う。
「しかし、思いつめた人間は何をするか分からないなあ…」
ぱらぱら…、とシールの髪を軽く撫でて、切った髪を落としながら、ルーディが云う。
シールは「うん」と喉を鳴らしながら頷いた。
「何を勘違いしたんだか…。街で客を待ってる男を金で買っておいて」
シールが呟くと、ルーディは苦笑した。
「シール、人の心というのは、お金でやりとりが出来ると思いますか」
「出来る訳ない」
シールは即答する。
魂を売る、とかいう表現はあるが、実際に喜怒哀楽や感情だけをやりとりすることは無理だ。
身体を売ることが、同時に魂も売ることになるような場合があるだけで、「心」を単品で売買するというのは…。
「では、高級娼婦って、どういうんだと思います?」
「何だそりゃ」
シールが呆れたような声を出す。
「金で体売るのに、高級も低級もあるのか」
「それが、無くはないみたいですよ。…今はそんなのがあるのか知りませんが」
「……」
段階が進んだら、丁寧な作業が要求される。
ルーディは、喋りながらも、ゆっくりと慎重に、鋏を入れた。
「ヤパの方にも大昔…、娼館のようなものがあって、そこに居る娼婦というのは、階級があったんですよ。一番上が、太夫とかいうんだったかな」
「…なんだよ、それ…」
「太夫というのは、簡単に客と寝ないのです」
そう云って、ルーディは細かくなった髪を、また手で払う。
「しかし、客はお金を払います。何度もお金を払って、お座敷に向かい…、宴席を持つのですね」
「…何のために」
やはり、シールは呆れた声だ。
「宴席? それは誰が持つ、太夫か?」
「客が。太夫というのは、階級が上だけあって、階級が下の者の教育もするようなのですが、それらも宴席に迎え入れ、自分や客の世話をさせ、同時に楽しませる訳ですね」
「理解できない」
「が、その代わり、太夫というのは、『高級』であるので、人格に優れている」
ルーディが、ちょっと下を向いて、とシールの後ろ頭を押して椅子に座る。
そうして襟足の辺りに鋏を入れた。
「芸事…、アートに優れ、人情の機微に敏感で、性根は慈愛深く、…ああ、当然、外見も大層美しい。故に宴席に置いては、見た目だけで華やかであるし、加えて、トークにおいても楽しませることが出来る」
「……」
「何というのでしょうかねぇ…。『いくら金を積んでも構わないから欲しい』そんな娼婦…というか、女性であった訳ですよ。そうやって、お金を積んで積んで…、いつか、床を共に出来ることを祈る訳ですね。そういう高級な女性であるわけだから、客を選ぶ権利もある」
「客を選ぶ? …『積み立て』が終わればOKっていうんじゃないのか」
「そういうもんじゃないんだなぁ…。もし、客が『良い客』であれば、そんなに浪費はさせないままに、…そう、心を開くんですよ、太夫は。逆に『悪い客』ならば、金を出させるだけ出させておいて、なかなか寝ない、なんてね。でも、それで文句は云わせない訳ですよ。人格や教養に優れ、床につくまでの過程においても、それなりに客を楽しませられるから」
「……」
「…つまりさ、客がまず太夫を気に入って、太夫が客を気に入る、そういうやりとりが、セックスの前に必要なんですよ。『心を開く』ための…」
ルーディは、淡々とした声で云う。シールは、返す言葉がない。
「しかし、確かにお金のやりとりはあるんです。この州…、トリコにも娼婦というのは居ましたよ、昔っから。そして、高級、とつく女性が居た。何と云うんでしょうか…、そう、君がこないだ云ったね、『お金による契約』で『愛人』になるのは、…街娼よりは、高級娼婦なんじゃないでしょうか。月やともすれば年単位、お金で交わされた契約によって、特定の男性としかセックスをしない、ということです」
シールは、つまり俺は、低級も低級な訳だな、などと思う。
誰も自分を、そんな長期に渡って買おうなどと申し入れたことは無いし、自分は客に心を開いて選んだことは無い。
ルーディが鋏を閉じ、立ち上がってテーブルに置く。
そして、シールの髪を手のひらでぱらぱらと払い、彼の顔を覗き込んで「目を閉じて」と云った。
素直に従ったシールの顔に、刷毛のようなものが触る。
しゅっしゅっ、と小さな音を立てて撫で、顔から小さな髪の破片が落ちる。
うん、とルーディは頷き、シールの首に回したシートを慎重に外すと、引っかかっている髪を下に敷いたシートの上に落とした。
「ちょっと待ってて」
とルーディが云う。
それから、棚から「ドライヤ」を取ってくる。
もう一度、シートを首に括りつけると、ルーディの手の中で、ドライヤがコォオ…と音を立てた。




