=4= -(3)
「終了」
呟いて、ルーディが立ち上がる。
「それはどうも」
「商売道具をただで見やがって、と怒る前に、商売道具を大事にしなさいよ」
ふん…とルーディが鼻を鳴らして云った。
シールは、ぶすっとした顔をして、持ってきたシャツを羽織り、ダイニングテーブルに向かって頬杖ついた。
キットを片付けながら、ルーディが云う。
「…傷が治るまで、休業しなくちゃならないということでしょうが」
「……そうかもしれないな」
「気にしない客ならいいけど」
「ああ、そうさ」
相変わらず、捨て鉢にシールは云う。
ルーディは、そんなシールをちらりと見下ろし、自分も椅子に座った。
「それでどうしたんです」
「……訊くのかよ」
ちら、とルーディを見て、シールが眉間に皺を寄せる。
ルーディは、軽く首を振って答えた。
「私が最初に訊こうと思ったのは、『朝ごはんはどうしましたか』だったんですけどね」
「……要らない」
「そうでしょう。せめて夕飯までは何も口にしない方がいい」
うん、とルーディが頷く。
そして、また、はあ、と息を吐いてから云った。
「云いたくないなら、無理には訊きませんが、…同居している私の気分も余り良くない。…これからまた何度もこういうことがあるのかもしれない、と思うとね」
「二度とないようにする」
シールの答えに、ルーディは首を傾げて、やれやれ、という顔をした。
「…君が、二度とないように気をつけて何とかなることなんですか?」
「絶対に無いとは云いきれないけど、努力して何とかなることではある」
シールは、出来るだけ素っ気無い声で喋る。
あんまり、感情を出して喋りたくない。
「…仕事と云いましたね、けんかじゃなくて」
「ああ」
「SM趣味のある客だったんですか?」
「そういう訳じゃないんだけどな」
率直な云い方に、シールは思わず苦笑した。
クソがつきそうなほどの、ルーディの真面目な声、…淡々とした声を聞いて。
「そうだとしても、あんたには信じられないんだろうな。…ただでさえセックス嫌いなのに、SM趣味にまで付き合うなんてな」
「ええ、そうですね」
やっぱり、真面目な声で云う。
「そうじゃなくてさ…。トラブったんだよ、単に」
「トラブル…ねぇ」
ルーディが首を傾げて呟く。
もう、全部吐いた方が余程楽かもしれない、という気になり、途中で聞くに堪えがたいとルーディが居なくなってもいいつもりで、シールは独り言のような口調で続けた。
「常連だったんだけどさ…。勘違いヤロウだったんだよ」
「……勘違い?」
「なんつーの…。俺が、男娼というより、愛人のようなつもりで居たんじゃねえのかな。服脱いで、それなりのとこまで行った時にさ…、昨日の客の『痕』があって、それを、めっちゃくちゃ怒って」
「……」
「脚の付け根に」
云いながら、つ、とシールはそこを指でなぞる。
「キスマークがあったとか云って」
くくく、とシールは笑った。
気づいてなかった俺もドジだけど、と云いながら。
ルーディは、黙って聞いている。
「それで…」
僕は君にこんな酷いことはしないぞ。
と「商売道具」を見て客は云った。
少し、入り口が切れて、腫れていたらしいのだ。
一体、誰が。この淫売、誰を入れた、僕のものだ僕の僕の…
客の目の色を見て、ヤバイ、と思ったのだが、もう遅かった。
「ネクタイで縛られて」
と云いながら、シールはルーディに見せるように、手首を纏める仕草をした。
笑い話をしているように、おどけた声で。
「思いっきりぶん殴られた」
今度は、こぶしを自分の頬にあてる。
くっくっく…と喉を鳴らしながら云う。
「で、殴るだけ殴ったら、訳の分からないこと云いながら、まあ、突っ込むのなんの…。突っ込まれるのと殴られるの、交代で一晩中ってカンジ」
ルーディが目を細め、眉を寄せる。
「SM趣味がある客とは思ってなかったけど、隠れだったのかもな。アソコも縛られて、なかなかイカせてくれなかったしよ」
「……」
「こんなことってあるんだなぁ…。客は選ぶべきだわ、ホント」
殊更に、おどけた声で。
「シール、それは犯されたというのではないんですか」
ルーディが、シールに向かって静かな声で云う。
シールの表情が強張り、ルーディと目を合わせる。
ルーディは、…殊更に険しい顔をしているというのではなかったが、静かな…視線を送っていた。
シールは、顔を背け、俯き加減になる。
「金は貰ったから、違うんじゃねえの」
「……君がそう思うんなら、そうなんでしょうけど」
「二度と、そいつは取らねー」
「そうしなさい…」
段々、抵抗する気も無くなって、ただ揺さぶられ、シールはそいつを、冷たい目で見ていた。
う、と呻いて、何度目か体の中に吐き出したとき、そいつはそれに気づき、怯えた表情を作った。
ふぅ、とシールが溜息をつくのを聞いて、
「あああ!」
と腹に顔を埋めて抱きついて、叫んだ。
「ごめんよ、ごめんよぅ、僕を嫌いにならないでおくれ、シール…、僕は君を」
「ふざけんな、バカ」
「あああ、そんなこと云うなよぅ、こんなに僕は君を」
と云いながらまた、突っ込んだ。
いい加減にしてくれ、とシールは、明日から立つ場所を何処にするか考えていた。
「SM趣味がある客ってのが、最初に分かってるなら、それなりに上乗せして商売はするんだ、俺も」
「……」
「ただ、今回は失敗した。…勘違いしそうなのを常連にしちゃヤバイ。教訓だったよ」
素っ気無く、シールは云う。
ルーディは、微かに頷いたあとで、軽く首を振った。
それが、どういう意味だか、シールには分からない。
「取り敢えず、休みなさい、シール。夕飯になったら呼ぶから」
「……何か、すごく疲れた」
ルーディに話すだけ話したら、何か糸が切れたような気がして、とてもだるくなった。
話すべきじゃなかったのだろうかと思う。
ルーディにとっては、…とても受け入れられる話では無かっただろうし。
俺を、軽蔑して嫌うかもしれない。
「だから、休みなさい、と云ってます」
「ルーディ…」
「何です」
「俺、まだ…この家出たくないんだけど」
ちら、とシールがルーディを眺めて云う。
ルーディは、目をぱちくりしたあと、じっとシールを見つめた。
…そして苦笑する。
立ち上がって、シールの横に立ち、軽く頭を撫でる。
「追い出す気はないですよ、シール」
「……そうか?」
「君は、ルールは守っているし」
「……」
「もう、休みなさい、今は。…まだ、何か吐きたいことがあるなら、後で聞く」
そう云うと、くしゃり、とシールの髪を撫でた。
シールは、ふぅ…と息を吐き、項垂れる。
「この、年寄りが、何でもお見通しってツラしやがって」
「……」
「どんな客にバカにされたって、腹は立つけど、哀しくなんかならない。…あんたがそうやって、俺に、優しくするだけ、俺は惨めで…泣きたくなる」
そんなことを云うのも、恥かしくて惨めじゃないかと、どこかで自分が云っている。
ルーディは、苦笑して云った。
「優しくなんかしてません」
「……云うだろうと思ったよ」
呟いて、シールは立ち上がり、ルーディを、…辛く顰めた顔をして見つめた。
「夕飯になったら呼ぶって云ったな」
「ええ」
「何時?」
「いつもと同じ。18時ごろ。寝てたら起こしますよ」
「……分かった」
頷いて、部屋に向かおうと顔を背けたシールだったが、「あ、そうだ」と何か思い出した声を出して、放り投げたズボンのポケットを探った。
「これ」
「……」
ルーディの前に差し出されたのは、小切手だ。
「家賃」
「要りません」
ルーディは顔を顰めて首を振り、その手を手のひらで押し返す。
「何でだよ」
シールも眉を寄せる。
「…私は、それを、君が仕事で得たお金だと思えないから」
「……」
「私には、君が犯されたとしか思えない」
「金は金だ。最初にそう云ったのはあんただぞ」
「私は、それを正当な金銭だと思っていないと云っているんです。君の商売自体に文句は無いが、『傷』と引き換えに貰ったお金を、私が受け取るなどとは出来ません」
「…ルーディ、俺は別に」
「渡すなら!」
ルーディが、少し高い声で、シールの言葉を遮る。
「…別の小切手にして欲しい」
「……分かった」
そして、搾り出すような声でルーディが続け、シールも頷いて手を引っ込めた。
「こちらは、洗濯しておきます」
ズボンを取って、ルーディが云う。シールが、うん、と頷く。
「ひとまず、ゆっくり休みなさい」
「あんた」
「何です」
「俺が犯されたとして、何でそんな顔するんだよ」
怪我をしているのは俺なのに、何であんたが痛そうな顔してるんだよ。
「……俺は、犯されて金貰うのが仕事みたいなもんなんだよ」
「君がそう思っても」
「……」
「私が不愉快だ。…君は一応、私の同居人です。それが辱められて、平気な顔はやはり、出来ないというものでしょうよ」
ルーディの言葉に、シールは何か云うことが見つからなくて、「ああそう」としか云えなかった。
胸の中が、どうも気持ち悪い…というより、くすぐったい。
「寝る」
「そうしなさい」
「…治療、ありがとう」
「もし気分が悪くなったりしたら、遠慮なく云うんですよ、シール」
部屋の方に向かって歩き始めたシールの背中に、ルーディが慌てて付け加える。
振り返って、シールが苦笑を見せる。
「ほんと、おせっかいな年寄りだな、ルーディ…」
「若いことに胡坐をかいて痛い目を見るよりマシでしょう」
ベッドに入って眠りについたが、シールは息苦しくて目を覚ました。
足が重く痛くて、体中がだるい。
熱が出ているらしい。
喉が渇くのだが、水を飲むのに起きるのも辛い…。
「ルーディ…」
我慢しようと思うのだが出来ず、インタフォンを使ってルーディを呼んだ。
その声だけですぐに様子が分かったのだろう。
ルーディが、部屋の外のインタフォンから「入りますよ」と声を掛ける。
鍵は掛けていないから、すぐに入ってこられる。
ルーディが入ってきたのは初めてだ、とぼんやり思う。
「ああ…、やっぱり。熱が出た」
ベッドの脇に膝をついて、シールの顔を覗き込み、額に触れる。
ひんやりとした手が、柔らかく触れ、ぴく、とシールの肩が震えた。
「ほら見なさい」
「水…くれ」
「おせっかいな年寄りが居て、良かったでしょうが」
そんなことを云いながら、部屋の中のカウンタに入り、水差しとカップを用意する。
ベッド脇のチェストにそれらを置いて、「解熱剤を取ってきます」と出て行く。
ふうふうと息をしながら、シールは天井を見ていた。
ルーディはノア・カテの開店時刻の直前まで、そうやってシールを看ていた。
熱でふわふわする意識のシールに「店を閉めたらまた来ます」と声が掛けられ、ルーディが出て行く。
ああ、店に行くのか…。
ということは、一人か、とシールは思ったとたん、ぽっかりと胸に穴が開いた気分になった。
昔、子供の頃こんなことがあって、母親が少しでもベッドの傍から離れると、泣きたくなったりしたのを思い出す。
今はガキじゃないだろう、と自分をバカにする。
眠ろう、と思い、目を閉じる。
そうしたら、いつのまにか本当に眠れた。
眠っている間、何度も、額や頬に誰かが触るのを、夢なのか現実なのか分からないままに感じたのだが、現実だとしてもルーディだろうと思い、安心して目を閉じていた。
ルーディは、シールの寝顔を、「子供のようだ」と思いながら見ていた。
全くの子供じゃないから、こんな羽目になったのだとは思うけれども。
ううん、と顔を傾けたシールの首筋の汗を拭い、毛布を掛け直す。
何の疑問も持たず、シールを看ているうちに、いつのまにかルーディはうたた寝をしていた。
うたた寝を含み「眠る」というのは、無防備でなくては出来ないことなので、シールとルーディの二人の場合、赤の他人にも関わらず、互いに全く警戒心がなかったと云えるだろう。
2002.11.16




