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「終了」

 呟いて、ルーディが立ち上がる。

「それはどうも」

「商売道具をただで見やがって、と怒る前に、商売道具を大事にしなさいよ」

 ふん…とルーディが鼻を鳴らして云った。

 シールは、ぶすっとした顔をして、持ってきたシャツを羽織り、ダイニングテーブルに向かって頬杖ついた。

 キットを片付けながら、ルーディが云う。

「…傷が治るまで、休業しなくちゃならないということでしょうが」

「……そうかもしれないな」

「気にしない客ならいいけど」

「ああ、そうさ」

 相変わらず、捨て鉢にシールは云う。

 ルーディは、そんなシールをちらりと見下ろし、自分も椅子に座った。

「それでどうしたんです」

「……訊くのかよ」

 ちら、とルーディを見て、シールが眉間に皺を寄せる。

 ルーディは、軽く首を振って答えた。

「私が最初に訊こうと思ったのは、『朝ごはんはどうしましたか』だったんですけどね」

「……要らない」

「そうでしょう。せめて夕飯までは何も口にしない方がいい」

 うん、とルーディが頷く。

 そして、また、はあ、と息を吐いてから云った。

「云いたくないなら、無理には訊きませんが、…同居している私の気分も余り良くない。…これからまた何度もこういうことがあるのかもしれない、と思うとね」

「二度とないようにする」

 シールの答えに、ルーディは首を傾げて、やれやれ、という顔をした。

「…君が、二度とないように気をつけて何とかなることなんですか?」

「絶対に無いとは云いきれないけど、努力して何とかなることではある」

 シールは、出来るだけ素っ気無い声で喋る。

 あんまり、感情を出して喋りたくない。

「…仕事と云いましたね、けんかじゃなくて」

「ああ」

「SM趣味のある客だったんですか?」

「そういう訳じゃないんだけどな」

 率直な云い方に、シールは思わず苦笑した。

 クソがつきそうなほどの、ルーディの真面目な声、…淡々とした声を聞いて。

「そうだとしても、あんたには信じられないんだろうな。…ただでさえセックス嫌いなのに、SM趣味にまで付き合うなんてな」

「ええ、そうですね」

 やっぱり、真面目な声で云う。

「そうじゃなくてさ…。トラブったんだよ、単に」

「トラブル…ねぇ」

 ルーディが首を傾げて呟く。

 もう、全部吐いた方が余程楽かもしれない、という気になり、途中で聞くに堪えがたいとルーディが居なくなってもいいつもりで、シールは独り言のような口調で続けた。

「常連だったんだけどさ…。勘違いヤロウだったんだよ」

「……勘違い?」

「なんつーの…。俺が、男娼というより、愛人のようなつもりで居たんじゃねえのかな。服脱いで、それなりのとこまで行った時にさ…、昨日の客の『痕』があって、それを、めっちゃくちゃ怒って」

「……」

「脚の付け根に」

 云いながら、つ、とシールはそこを指でなぞる。

「キスマークがあったとか云って」

 くくく、とシールは笑った。

 気づいてなかった俺もドジだけど、と云いながら。

 ルーディは、黙って聞いている。

「それで…」


 僕は君にこんな酷いことはしないぞ。

 と「商売道具」を見て客は云った。

 少し、入り口が切れて、腫れていたらしいのだ。

 一体、誰が。この淫売、誰を入れた、僕のものだ僕の僕の…

 客の目の色を見て、ヤバイ、と思ったのだが、もう遅かった。


「ネクタイで縛られて」

 と云いながら、シールはルーディに見せるように、手首を纏める仕草をした。

 笑い話をしているように、おどけた声で。

「思いっきりぶん殴られた」

 今度は、こぶしを自分の頬にあてる。

 くっくっく…と喉を鳴らしながら云う。

「で、殴るだけ殴ったら、訳の分からないこと云いながら、まあ、突っ込むのなんの…。突っ込まれるのと殴られるの、交代で一晩中ってカンジ」

 ルーディが目を細め、眉を寄せる。

「SM趣味がある客とは思ってなかったけど、隠れだったのかもな。アソコも縛られて、なかなかイカせてくれなかったしよ」

「……」

「こんなことってあるんだなぁ…。客は選ぶべきだわ、ホント」

 殊更に、おどけた声で。

「シール、それは犯されたというのではないんですか」

 ルーディが、シールに向かって静かな声で云う。

 シールの表情が強張り、ルーディと目を合わせる。

 ルーディは、…殊更に険しい顔をしているというのではなかったが、静かな…視線を送っていた。

 シールは、顔を背け、俯き加減になる。

「金は貰ったから、違うんじゃねえの」

「……君がそう思うんなら、そうなんでしょうけど」

「二度と、そいつは取らねー」

「そうしなさい…」


 段々、抵抗する気も無くなって、ただ揺さぶられ、シールはそいつを、冷たい目で見ていた。

 う、と呻いて、何度目か体の中に吐き出したとき、そいつはそれに気づき、怯えた表情を作った。

 ふぅ、とシールが溜息をつくのを聞いて、

「あああ!」

 と腹に顔を埋めて抱きついて、叫んだ。

「ごめんよ、ごめんよぅ、僕を嫌いにならないでおくれ、シール…、僕は君を」

「ふざけんな、バカ」

「あああ、そんなこと云うなよぅ、こんなに僕は君を」

 と云いながらまた、突っ込んだ。

 いい加減にしてくれ、とシールは、明日から立つ場所を何処にするか考えていた。


「SM趣味がある客ってのが、最初に分かってるなら、それなりに上乗せして商売はするんだ、俺も」

「……」

「ただ、今回は失敗した。…勘違いしそうなのを常連にしちゃヤバイ。教訓だったよ」

 素っ気無く、シールは云う。

 ルーディは、微かに頷いたあとで、軽く首を振った。

 それが、どういう意味だか、シールには分からない。

「取り敢えず、休みなさい、シール。夕飯になったら呼ぶから」

「……何か、すごく疲れた」

 ルーディに話すだけ話したら、何か糸が切れたような気がして、とてもだるくなった。

 話すべきじゃなかったのだろうかと思う。

 ルーディにとっては、…とても受け入れられる話では無かっただろうし。

 俺を、軽蔑して嫌うかもしれない。

「だから、休みなさい、と云ってます」

「ルーディ…」

「何です」

「俺、まだ…この家出たくないんだけど」

 ちら、とシールがルーディを眺めて云う。

 ルーディは、目をぱちくりしたあと、じっとシールを見つめた。

 …そして苦笑する。

 立ち上がって、シールの横に立ち、軽く頭を撫でる。

「追い出す気はないですよ、シール」

「……そうか?」

「君は、ルールは守っているし」

「……」

「もう、休みなさい、今は。…まだ、何か吐きたいことがあるなら、後で聞く」

 そう云うと、くしゃり、とシールの髪を撫でた。

 シールは、ふぅ…と息を吐き、項垂れる。

「この、年寄りが、何でもお見通しってツラしやがって」

「……」

「どんな客にバカにされたって、腹は立つけど、哀しくなんかならない。…あんたがそうやって、俺に、優しくするだけ、俺は惨めで…泣きたくなる」

 そんなことを云うのも、恥かしくて惨めじゃないかと、どこかで自分が云っている。

 ルーディは、苦笑して云った。

「優しくなんかしてません」

「……云うだろうと思ったよ」

 呟いて、シールは立ち上がり、ルーディを、…辛く顰めた顔をして見つめた。

「夕飯になったら呼ぶって云ったな」

「ええ」

「何時?」

「いつもと同じ。18時ごろ。寝てたら起こしますよ」

「……分かった」

 頷いて、部屋に向かおうと顔を背けたシールだったが、「あ、そうだ」と何か思い出した声を出して、放り投げたズボンのポケットを探った。

「これ」

「……」

 ルーディの前に差し出されたのは、小切手だ。

「家賃」

「要りません」

 ルーディは顔を顰めて首を振り、その手を手のひらで押し返す。

「何でだよ」

 シールも眉を寄せる。

「…私は、それを、君が仕事で得たお金だと思えないから」

「……」

「私には、君が犯されたとしか思えない」

「金は金だ。最初にそう云ったのはあんただぞ」

「私は、それを正当な金銭だと思っていないと云っているんです。君の商売自体に文句は無いが、『傷』と引き換えに貰ったお金を、私が受け取るなどとは出来ません」

「…ルーディ、俺は別に」

「渡すなら!」

 ルーディが、少し高い声で、シールの言葉を遮る。

「…別の小切手にして欲しい」

「……分かった」

 そして、搾り出すような声でルーディが続け、シールも頷いて手を引っ込めた。

「こちらは、洗濯しておきます」

 ズボンを取って、ルーディが云う。シールが、うん、と頷く。

「ひとまず、ゆっくり休みなさい」

「あんた」

「何です」

「俺が犯されたとして、何でそんな顔するんだよ」

 怪我をしているのは俺なのに、何であんたが痛そうな顔してるんだよ。

「……俺は、犯されて金貰うのが仕事みたいなもんなんだよ」

「君がそう思っても」

「……」

「私が不愉快だ。…君は一応、私の同居人です。それが辱められて、平気な顔はやはり、出来ないというものでしょうよ」

 ルーディの言葉に、シールは何か云うことが見つからなくて、「ああそう」としか云えなかった。

 胸の中が、どうも気持ち悪い…というより、くすぐったい。

「寝る」

「そうしなさい」

「…治療、ありがとう」

「もし気分が悪くなったりしたら、遠慮なく云うんですよ、シール」

 部屋の方に向かって歩き始めたシールの背中に、ルーディが慌てて付け加える。

 振り返って、シールが苦笑を見せる。

「ほんと、おせっかいな年寄りだな、ルーディ…」

「若いことに胡坐をかいて痛い目を見るよりマシでしょう」


 ベッドに入って眠りについたが、シールは息苦しくて目を覚ました。

 足が重く痛くて、体中がだるい。

 熱が出ているらしい。

 喉が渇くのだが、水を飲むのに起きるのも辛い…。

「ルーディ…」

 我慢しようと思うのだが出来ず、インタフォンを使ってルーディを呼んだ。

 その声だけですぐに様子が分かったのだろう。

 ルーディが、部屋の外のインタフォンから「入りますよ」と声を掛ける。

 鍵は掛けていないから、すぐに入ってこられる。

 ルーディが入ってきたのは初めてだ、とぼんやり思う。

「ああ…、やっぱり。熱が出た」

 ベッドの脇に膝をついて、シールの顔を覗き込み、額に触れる。

 ひんやりとした手が、柔らかく触れ、ぴく、とシールの肩が震えた。

「ほら見なさい」

「水…くれ」

「おせっかいな年寄りが居て、良かったでしょうが」

 そんなことを云いながら、部屋の中のカウンタに入り、水差しとカップを用意する。

 ベッド脇のチェストにそれらを置いて、「解熱剤を取ってきます」と出て行く。

 ふうふうと息をしながら、シールは天井を見ていた。

 ルーディはノア・カテの開店時刻の直前まで、そうやってシールを看ていた。

 熱でふわふわする意識のシールに「店を閉めたらまた来ます」と声が掛けられ、ルーディが出て行く。

 ああ、店に行くのか…。

 ということは、一人か、とシールは思ったとたん、ぽっかりと胸に穴が開いた気分になった。

 昔、子供の頃こんなことがあって、母親が少しでもベッドの傍から離れると、泣きたくなったりしたのを思い出す。

 今はガキじゃないだろう、と自分をバカにする。

 眠ろう、と思い、目を閉じる。

 そうしたら、いつのまにか本当に眠れた。

 眠っている間、何度も、額や頬に誰かが触るのを、夢なのか現実なのか分からないままに感じたのだが、現実だとしてもルーディだろうと思い、安心して目を閉じていた。


 ルーディは、シールの寝顔を、「子供のようだ」と思いながら見ていた。

 全くの子供じゃないから、こんな羽目になったのだとは思うけれども。

 ううん、と顔を傾けたシールの首筋の汗を拭い、毛布を掛け直す。

 何の疑問も持たず、シールを看ているうちに、いつのまにかルーディはうたた寝をしていた。

 うたた寝を含み「眠る」というのは、無防備でなくては出来ないことなので、シールとルーディの二人の場合、赤の他人にも関わらず、互いに全く警戒心がなかったと云えるだろう。



2002.11.16


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