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 片手に洗濯済みのシャツを、片手にジャケットと汚れたシャツを持って、シールはリビングに入った。

 上は何も着ていない。

 エイド・キットをテーブルに置いて、シールを待っていたルーディが立ち上がる。

「貸しなさい」

 手を出して、シールに云う。

 ためらいがちに、シールは洗濯物を渡した。

 ふ、とルーディが溜息をつく。両手に抱えた洗濯物の一番上に、とりわけ汚れたハンケチがある。

 何も云わずに、ルーディは廊下を歩いていき、バスルームの近くに設置した複数の洗濯機にそれらを分けて入れた。

 リビングに戻ると、シールがルーディの方を向いて立ち尽くしていた。

「何、ぼんやり立ってるのでしょうかね」

「…座るとまずいかと思って」

 あまり口を開かないようにしていたので、篭った声で云いながらシールが肩を竦めた。ルーディは、苦笑して、「ああ、そうかもね」と頷いた。

 ソファなどに血がつけば、また掃除が大変だ。

「…何だろうね、この様は。何だか、エイド・キットどころか消毒エアでも浴びてもらった方がてっとり早そうだ」

 エイド・キットの箱を開けながら、ルーディが呟く。

 シールは、胸や肩、腹などにも、傷や痣があった。

 そうかもな、などとシールが云う。

「…悪い、手間、かけさせて…」

「別に、そんなこと気にしてませんけどもさ。…ああ…、やっぱり座ってくださいよ。君、背が高いから届かないよ」

 届かないというのは大げさであるが、ルーディは自分より若干背の高いシールを、首を傾けて見上げ、苦笑する。

 シールは、出された手から顔を背け、「いや、自分でやる」と云った。

「自分でやれるなら、キットは出てたんだから、私が洗濯物持って行く間にやってなさいよ」

 ルーディが平然と、皮肉な声で云う。

 シールは、不貞腐れた顔をして、ふん、と鼻を鳴らした。

 正直、勝手にエイド・キットを開ける気が全くしていなかったから、ルーディを待っていた。

 蓋が開いた今となっても、中身がよく分からない。こういうものを見るのが、久しぶりだったので。

「どこに座ればいい」

「そうですねぇ…、椅子の方が、いいかな」

 そう云うと、ルーディがダイニング・チェアを指した。

 素直にシールが座り、立ったままのルーディと向き合う。

 ルーディは、キットケースの中から新品の袋を出して開けた。その中から取り出した薄っぺらい合成樹脂の手袋をキュっと嵌めた。それからキットの中から小壜を取り出すと、まず顔の中で、すりむけているところを消毒した。

「いてぇ…」

 と眉を寄せてシールは呟き、反射的に体が逃げる。

「当たり前です。怪我してるんだから」

「……」

 平然と云う。大丈夫、とかなんとか云えないものなのか、とふと思い、シールは不貞腐れて黙った。

 絆創膏を取り出し、すりむけたところに貼る。そして、湿布を小さく切ると、腫れの目立つ頬へ貼った。

 ひんやりしたので、一瞬、キュっとシールの体が縮こまる。

 ルーディがケースからチューブを取り出し、シールの方は見ないまま、蓋を開けつつ云った。

「まだ、血が止まらない?」

「…え…」

「口の中」

 ちら、とルーディがシールを眺めて云う。シールは、反射的に舌で口の中を舐めた。

 …ぢッ、と舌に鉄の味が触るのが分かった。

「……」

 頬を、もぐ、と動かしたのが分かったので、ルーディはガーゼを出し

「吐いて」

 と端的に云い、差し出した。

 シールは戸惑った顔をしながらも受け取り、ペッとそれを吐く。

「口を開けて」

「…え…?」

 首をかしげながら、おずおずと顎を動かして口腔を曝す。

 ルーディはチューブから軟膏を指に取り、シールの口の中を覗き込んだ。

「味はしないから平気です」

「…え」

 独り言のような声でルーディが云い、シールが呟きかけ、次には身を引く。

「いや、自分でやる、それは」

 焦った声で云い、表情も焦ったままで、シールはルーディの肩を掴んで止めた。

 ルーディが肩を竦めて首を傾げる。

「そうは云っても、もう手袋が切れててね」

「……素手でいい」

「それはいけない」

 眉間に皺を寄せて、ルーディがシールを、じっと見つめ、首を振った。

「いいから、口を開けてなさい。また血が出たら面倒でしょうが」

「……」

 仕方なく、かぱ、とシールは口を開けていた。

 シールの目の前で、ルーディは彼の口の中を覗き込み、そっと指を入れた。

 ぶる、とシールの背筋が強張る。

 ひんやりした粘液が、口の中の粘膜に触れた。

 ゆっくりと、…それは、慎重に、なのだろう、ルーディが指で、頬の内側を撫でている。

 シールは、時々、「えく」と喉を鳴らした。

 唾液も湧いてくる。

 何となく、ルーディに申し訳ない気分にもなったが、「恥かしい」という気分にもなった。

 ちら、とルーディの顔を見ると、ルーディはそういうことをまるで気にしてる表情ではなかった。

 それに安心しながら、やはりどこか恥かしく思う。

 ルーディの目が、シールの口の中を覗き込んで、ルーディの指は、シールの口の中を撫でている。

 シールは、ルーディの顔を見るのを止め、上目遣いに天井を見た。

 ルーディの指が、一度出て行き、シールが、ほ、と息を吐いた。

 終わったのかな、と思いながら溜まった唾を飲み込んで、ルーディを見ると、ルーディは、チューブから新たに軟膏を出して、指に乗せてシールを見下ろしていた。

 しょうがない、と思いながら、シールがまた口を開く。

 ルーディの指が、再び粘膜をなぞる。

 何で、こいつ、こんなことが平気なんだろう、とルーディを見る。

 …全然、嫌がってる顔じゃない。

 唾液が湧く。

 それをルーディも分かっている筈だ。

 えく、えく…とシールの喉が動く。

 口で息をするのが、いけない気がして、やけにフウフウと鼻息が荒くなる。

 申し訳ないという気分と、恥かしさと、何か妙な気分がする。

 何で、ルーディはこんなことしているんだろう、こんなことが出来るんだろう?

 放っておいたって、死にはしないのに。

 目の前にあるのは、ルーディの顔だ。

 目線は合わない、口の中を覗いているから。

 こんな顔してたんだっけ?などと思う。

 あ、こいつ、ほくろがこんなところにあったんだ、とそんなものも見つける。

 今度は、天井を見るのではなく、目を閉じた。

 そうしたら、やけに自分のその鼻息が、大きく聞こえて、これまた恥かしい気がした。

 そして、ルーディの微かな息の音も、聞こえた、気がする。

 ぷる、とシールの肩が震えた。

 ルーディの指が、舌の側面に微かに触れる。

 先端から奥へ、慎重になぞる。

「っ」

 シールが焦った顔をして、ルーディの肩を掴み、強く押して自分から離させた。

 思わず、噛み付きそうになってしまった。

 いや、遅かったかもしれない。歯に、指があたったような気がする。

「げほッげほッ…」

「…ごめん、喉に触ってしまったかな」

 ルーディが静かなのだが、少し申し訳なさそうな響きを滲ませた声で云う。

 シールは喉に手を当てて、こくこくと頷く。

「あ、あんたは?」

「え?」

 シールは目を細めて、ルーディを見上げ、訊いた。ルーディが首を傾げる。

「俺、噛み付かなかった?」

「ああ…、いや、そんなに」

 ちら、と手を見て、ルーディは首を振る。

「痛くなかった」

 痛くなかった、ということは、噛み付いたということじゃないか。

 シールがその手を見た。

 合成樹脂に覆われて、作り物のような指が濡れている。

 か、と顔が熱くなるのが、シールには分かった。

「もう、終わったのか?」

「ええ」

 シールは俯き、軽く頭を振った。勘弁してくれよ、と何に対してなのか、ルーディには聞こえない程度の小さな声で呟く。

「さて、顔は終わった」

 そう云うと、ルーディは手袋をしたままの手を拭い、改めて消毒薬の壜を取る。

「……もういい」

 シールが云う。ルーディは、よくないです、と端的に云って、肩に消毒薬をつける。

「ツ…っ」

 顔をしかめるシールには構わず、傷を消毒し、絆創膏やガーゼ、湿布などを貼り付けていく。

 一通り終わると、ルーディはシールの肩や腕などを軽く掴むようにして触った。

「…何だよ」

「折れたりしたところは、無いね」

「…多分」

「息苦しくは無い?」

 訊きながら、ルーディはシールの胸に手のひらをつけ、軽く押す。

「…ああ」

「ふん、肋も大丈夫、と」

 そう云うと、ルーディは手を離す。

 シールは顔を背け、肩をぐるぐると回した。

 自分でも、大丈夫だ、と思う。骨や関節、腱に異常は無い。

 ほ、とシールは息をつくが、ルーディはシールを見下ろして眉を微かに寄せている。

 視線を感じて、シールがチラリと上目遣いになると、ルーディが云う。

「下半身も」

「……」

「無傷ではないんでしょう」

 静かに、どこか厳しく聞こえる声で、シールを見下ろしてルーディが云う。

 シールはルーディを見上げた後、ぷい、と顔を背けた。

「無傷じゃないけど、治療してもらうつもりはない」

 あまり大きく口をあけないようにして、シールが答える。

「何故」

 ルーディが訊く。

 シールは、顔を顰めてルーディを横目に見、ふん、と鼻を鳴らした。

「口の中は平気だろうけど、まさかケツまで弄れないだろ、あんた」

 殊更にニヤニヤしながら、しかしどこか捨て鉢な云い方を、シールはした。

 ルーディが顔を顰めた後、ふぅ、と息を吐く。

「そりゃそうだけど。…そんなとこじゃなくて、足には傷は無いんですか? 打撲や捻挫は」

「……」

 シールは、顔を背けたまま、黙り込む。

 最初から、そんな下品なことは訊いちゃいない、とルーディは云っている。

「あるけど…、そんなにひどくないからいい」

「見せなさい」

「……パンツいっちょになれって?」

「そうです」

 平然と云う。

「ふん、このお節介。好きにしろよ」

 吐き捨てるように云って、シールはベルトを外し、ざっとズボンを下ろすと、乱暴に投げ捨てた。

 余計な肉がついていない。引き締まった下肢が現れる。

 どさ、と椅子に座り、もう一度、好きにしろよ、とルーディを睨んで云う。

 ルーディは、何を気にすることもなく、消毒薬の小壜を手に、跪いた。

 シールが、ルーディを見下ろす。

 開いた脚の間に、ルーディのつむじが見える。

 ヘンな構図だ、と思う。

 …俺に、サービスさせる客は、こういう風景を見ているんだろうか、などということが頭を過る。

 そして、バカ、と自分に対して心の中で呟く。

 ルーディは、さっきと同じように淡々と、傷を消毒している。

 シールが、また吐くように云う。

「ったくよ。金取るぞ、ルーディ。俺の裸は商売道具なんだからよ」

 聞いたルーディは、ちら、とシールを見上げて、微苦笑を見せた。

 そして、絆創膏を貼る。

「治療代と相殺でしょう」

「あんたのおせっかいだろうが、それは」

「おせっかいというより、当たり前のことでは? 部屋や備品を汚されて困るのは私ですから」

「……ふん」

 シールは顔を背け、鼻を鳴らす。

 ぶすっとした顔をして、…出来るだけ、ルーディを見ないようにした。

 何だか、妙な気分がする。

「い、てッ!」

 足を掴み、くい、とルーディが曲げたので、シールは突然のことに悲鳴を上げた。

「ふん、ここが一番の重傷のようですね」

 ごめん、とは云わずに平然とルーディが云う。

「…てめ、心の準備くらいさせろよ」

「心の準備があったら痛くないというものでもないでしょう」

 やはり平然と。

 シールが舌を打つ。

「捻挫かな。歩けてはいたものね」

 独り言のように云って、一度立ち上がりルーディはケースを漁り、また跪いて、自分の膝にシールの足を乗せた。

 どく、とシールの脈が上がる。

「何…」

「何って?」

 顔を上げてルーディは首を傾げた。

「いや、別に」

 構図が、やけに、シールに意識される。

 いつも自分のやっていることを、ルーディがやっているような構図なのだ。

 立場が逆転したような。

 だから、何だか、やってはならないことをやっているような気になり、どこかで申し訳なく、どきどきする。

 考えすぎだ、バカ、と再び自分に云う。

 ルーディは、てきぱきと足首にバンデージを施した。



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