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それは、結構早くに来た。
初めて見る顔の男が声を掛けてきたので、
「ホテルと飯は奢れよ」と云った。
うん、と頷いた男に、「それと、コレだけ」と指で数を示した。
結構、思い切った数を、シール本人としては出した。
その男が、ルーディの家に居候させてもらってから、最初の客だった。
それで、帰るのが朝になったので、ルーディの家に入り、リビングに向かうと、ルーディが居たので、「ただいま」と云った。
ルーディが、「お帰り」と云った。
「朝ごはんは食べましたか」
とルーディが云う。
「一応、適当に…」
とシールが答えると、「そうですか」とルーディが頷いた。
「お帰りと云ったばかりだけど、お休みを云うべきかしら?」
シールに背を向ける位置のソファに座り―ルーディの定位置らしい。そういえば、ホログラフモニタの正面である―、苦笑しながら、ルーディはテーブルに置いてあった端末を膝に置き、ぱかり、と開く。
シールは特に答えず、ポケットから磁気カードを出した。
「これ」
そして、ルーディの顔の横に差し出す。
「はあ」
ルーディが受け取る。
「家賃…と食費。…に、なるかな」
「だから、金額は君が決めればいいんです」
ルーディはそう云って振り向き、カードでシールを指す。
「ふーん…。『小切手』ねぇ、久々に見たなぁ」
独り言を云いながら、すぐに前を向き、ルーディはまじまじとそのカードを見つめた。
貨幣経済は未だ健在だが、実際に硬貨や紙幣などの貨幣というものは今時滅多に見られない。
IDカードがキャッシュカードと兼用なので、普通はそれがあらゆる消費活動で使用される。
だが、それなりの端末が必要になってくる。シールのように、「行商」「露店」的な商いをしている人間には、そんなキャッシュカードは使えない。店舗を持っていても、IDでもある正規のキャッシュカードは、VRセックス店のようなものになると、客の側が履歴を残したくないので、あまり使用はされない。
客は大抵、小型端末を持っている。口座にアクセスして、簡易磁気カードに金額を読み込ませ、それをシールは受け取る。「小切手」という名前が、その磁気カードにはついていた。昔の小切手は、店舗ですぐに使えるものでは無かったらしいが、この小切手は、それ用のレジスタ端末がある店でならばいつも使える。
ルーディは久々に見たというが、シールにはこちらの方が馴染みだった。
一応、カードの表面に印字された金額を見て、ルーディは微かに眉を寄せる。
シュ、と端末に滑り込ませ、ルーディはキーを叩く。金額が確認される。…印字されたのと同じ金額が、ちゃんとこのカードには読み込まれている。…一層、ルーディの表情が渋くなった。
そしてシールを振り返る。
シールは、どきり、として、ちょっと肩に力を入れた。
「た、足りない?」
そして、ルーディに訊く。
ルーディは、「だから、足りないとか足りるとかじゃないって」と呆れた声で云う。
「ちょっと、聞いておきたいんだけど」
「…何?」
「君、ヒモが居るというのじゃないんですね?」
ルーディが眉を寄せて云う。
シールも目を細め、
「…え?」
と確認するように首を傾げた。
ルーディが、だからね、と続ける。
「君が貰ったのはこれだけ? 例えば誰か仕切りが居て、それに何割か上納しているとか。そういう訳ではない?」
「……違うよ」
シールは首を振り、フリーだ、と呟くような声で続けた。
「つまり、まだ足りないのか、ルーディ」
「家賃に足りないとは云ってません」
そう云うと、ルーディはシールに一旦「小切手」を返した。
「それとも、これとは別に小切手を持っている?」
「……いいや」
「客は一人だったということですか」
「そうだ」
シールは、溜息混じりに頷く。
「……」
ルーディは腕を組んで、ふぅ、と息を吐いた。
「君、趣味と実益でこの仕事やってるの?」
「どういう意味だよ」
「セックスが好き?」
「……」
すぐに答えられる訳がない。
ルーディがあまりにアッサリと訊いてくるので、一瞬何を云われたのかも分からず、不愉快に思うことも出来なかった。
ただ、一瞬黙り込んで、呟くように答えた。
「キライとは云わない」
「あ、そう」
ルーディは素直に受け止めて頷き、首を傾げた。
そんなルーディの顔の横に、シールはカードをもう一度出す。
「貰ってくれよ」
「いくらを」
「……」
ルーディがシールを見上げ、…まっすぐに目を見つめて云う。
シールは、ぐ、と息を飲んだ。
「私はいくら貰えばいいの」
ルーディが受け取りながらもう一度訊く。
「……あんたの、言値で構わない」
「……」
ルーディが顔を顰めて、また深く息を吐き、首を振る。
そして端末にカードを滑り込ませて、処理をする。
処理の終わったカードを、もう一度シールに渡した。
「不愉快です」
シールが受け取る時に、ルーディはそう云った。
戸惑った表情で、シールはカードを見る。
印字された金額が、若干、減っている。
だが、シールは、これだけでいいのか、と思った。
「ブラン・カテ、1杯分の金額を頂きました。君が、気に入ったようだったので」
シールが、戸惑った顔をしているのが分かったので、ルーディは先にそう云った。
え…、と呟いたシールに、座りなさい、とルーディが声を掛ける。
「どこに」
「私の声が聞こえるところなら何処でもいい」
そんなことを訊くな、と云いたそうな苛ついた声に聞こえたが、しかしルーディはそうは云わずにちゃんと答える。
シールは、同じくリビングのソファへ座った。
ルーディの隣と云えるが、そのソファが直角に曲がっているタイプだったので辺の1本ずつに座る形だ。向かい合うほど畏まらずに済む、だが、1辺に隣り合うよりは顔を見て話せる。
「シール、私はとても、不愉快です」
ルーディが、また、云う。
シールは少し不貞腐れたような顔を作って、だが、何となく後ろめたい気分にもなって、口ごもりながら云う。
「何がだよ…」
「ブラン・カテ1杯分、私に出させた」
「足りないってんなら、もっと出せばいいだろ」
シールが怒ったような声で云って、「ほら」とまたカードを出す。
ルーディの方は、眉を寄せるだけで、声は淡々として続ける。
「そんなことを云っているんじゃありません」
「云ってんじゃねえかよ、このケチ」
「私に決めさせたことが不愉快なんです」
ルーディの声はやはり、淡々としている。ただ、少し…、熱を帯びている、とシールは思った。
赤味を帯びた声色、とでも云おうか。
だが、すぐにそれは、また色を薄めた。
「まるで私が、君に仕事をさせているかのようだ。さっき云った、…私が、ヒモのようではないですか」
「…俺にはそんなつもり、ねえよ」
「じゃあ、何故、私に家賃を決めさせた」
ルーディが云いたいことが、何だかよく分からない。
そもそも、家賃と云うのは家主が決めるものなのだから、ルーディの今の、(多分)怒りは、シールにとってみれば、お門違いに思える。
「その小切手の全額を、私が貰ったとして、君は文句も云いませんか」
「云わねえよ、家主はあんたなんだから」
「じゃあ、それを何故、君が云わないんです。全部、受け取ってくれ、と。何故、私に判断させる」
やっぱり、お門違いだと思う…。
普通、家賃は、家主が提示するのが当たり前なのに。
何で、自分が責められなくてはならないのだろうと、シールは思う。
「あんたさ」
少し、シールの声が呆れたようなものになる。
「ケチなのかな」
「そうでしょうよ。無駄なお金を使うのは嫌いだ」
ルーディは素直に頷く。
「じゃ、何で…、俺から金取るのが、不愉快みたいな云い方するんだよ、ブラン・カテ1杯って…、それ以上、別にとったっていいのに、それだけしか取らなくてそんな…」
「私は」
シールの言葉を遮ってルーディが声を出す。
「君に、自分の値段は自分で決めろ、と云っているんです」
「……」
「この家で暮らす価値も、君が値をつけろ、と云ったの。自分の値段と、この家の価値を秤にかけて、自分の取り分と私に払うべき金額を、決めろ、と」
シールが、口を噤んで狼狽えた表情を作った。
ルーディはまた、何度目か溜息をついて、…今度は、もうちょっと柔らかな声で云った。
「私が、君に説教をする立場ではありませんけどね? 君の『値段』にケチをつけるのもそれで君が不本意ではないのなら、僭越でしょうよ」
「…あんたは、理解できない安売りしてるように思うんだろうな、俺を」
「そうですね」
こく、とルーディは頷く。
シールは黙り込む。
「私だったら、この値段でセックスは売らないもの。もともと、あんまり好きじゃないから、相当高く売るね」
「…だから、アレが好きなのか、なんてことも訊いたのか」
どこか自嘲めいた声で、シールが云う。そうですよ、とルーディは答えた。
「嫌いじゃねぇ。…それなりに、気分はいいから」
もう一度云うと、あ、そう、とルーディは同じくもう一度頷く。
「私は相場も知りませんから、それじゃ高いと云われても、値引きも出来ませんね」
「そりゃ、あんたは金持ってるから、そう云うだろうよ。…俺は、買われなきゃ、飯も寝床もねえんだ」
「ふん、今はあるじゃないですか」
精一杯、皮肉な声で云ったシールだったが、ルーディはまるで気にせず、却って皮肉めいた声で返した。
「少しは、そういう実費を除いた部分で、自分の価値を考える余裕もある筈です」
「……」
「君が貰ったその料金が君の価値だとして、その価値を作り上げているうちのどれだけが、この家で暮らす分であるのか。それを考えろと、私は云っているんですよ」
シールは首を振り、はあ、と息を吐いた。
「あんたが、プライド高いのはすっげぇよく分かったよ」
「そうですか」
「俺は、あんたほど…プライド高くねえってことなんだろうな」
「ええ、私から見ればね」
「でも、そんなこと云うあんたが、自分の家の価値を俺に提示しないのは何でだよ。…俺は、そんなこと今まで考えたことがねえバカだから、…云われなきゃ、分かんねえ」
今度は、ルーディが息を吐く。
「ああ…、そう」
「俺、結構…、これでもふっかけたつもりだったんだよな」
そう云いながら、シールはカードを見つめる。
…何となく、惨めな、…というより、哀しい、気分になった。




