不沸凪茶は、新芽を摘む先輩に熱湯を注ぐ ②
目崎未夢は出社すると、すでに出社していた凪茶と目が合った。彼女の出社時間は、いつも就業時間前ギリギリでのはずだ。未夢は嫌な予感がした。以前にもあった光景を思い出し、雑に書類の入った抽斗を開く。
「⋯⋯⋯⋯って、うぉい、増えてる!? 増えるワカメじゃん! スープじゃなくて、スクープじゃん!」
声にはもちろん出さないが、凪茶がまた資料を勝手に未夢の所にぶっ込んだようだ。焼肉屋のワカメスープ、美味しかったなぁ⋯⋯と全く関係ない事を思い出す未夢。
増えた書類の中には過去、凪茶が姥田から押し付けられた面倒な仕事の書類関連がはいっていた。全て担当が目崎未夢の名前になっている────。
「────なぎちゃん、どおゆうこと? デジャブ?? これって随分前の資料だよね? 私、扱った覚えないんですけど。資料室、何度も行ったらさすがに怪しまれないかな?」
面倒事をさらに押し付けられたのに、未夢は凪茶の心配をする。相変わらずノリが良く、察しも良くて凪茶も助かる。
「それは私が保管していたやつ。基本は瀬倉の時と一緒よ。姥田が自分の名前で提出した書類諸々の本来の資料、原本ね」
「⋯⋯⋯⋯待って。理解はしたけど現実を認めたくない。入社したての頃に、アイデアとか手柄を持っていかれたプレゼン資料とか、あの頃から種を仕込んでいたの??」
「当たり前じゃない。丹精込めて育てた果実だよ? 無労力で根こそぎ収穫されるのを、私が黙って見過ごすと思う?」
「なぎちゃんだから、思わないけどさ。入社間もなくベテラン経理事務員並のスキルを発揮しているなぎちゃんが、何故か鬼畜に見えるよ。めっちゃ怖いんだけど」
「未夢のブリブリぶりっ子と同じ自衛だよ。あの時はわからなかったし。まあ今は私の貴重な時間を本当に奪っているのが誰なのかを知っちゃたからね」
「ブリブリは言い過ぎだよ。ちょっと嫌かも」
凪茶の言葉に、未夢は首を傾げる。自分達の入社当時は凪茶や未夢の他にも同期入社の社員が大勢いて、就業経験は似たり寄った、よーいドン! なレベルだった。凪茶も同じスタートラインから走り出したと思っていたが、その当時から仕事を余分にこなしていたようだった。
「言っておくけど、あんたはとやかく言う権利ないからね」
凪茶は未夢にみえるようにパソコンの画面を差した。見たくはなかった、瀬倉がいた頃の業務報告書の覚え書き。淡々と書かれた何気ない業務内容の中に、未夢は自分の名前を見つけた。きっと手書きの書類が別にあるのだ。
凪茶にバッサリ切られて、サボって迷惑をかけた事のある未夢は膝から崩れ落ちた。お詫びにご飯奢っていても、凪茶の貴重な時間を奪った事実はやはり変わらないようだ。凪茶の業務管理が徹底しているだけに、言い訳や茶番は入り込む余地がない。彼女の至福の時間を奪うものは、確実に排除されるのだろう。
「仕事戻ろ⋯⋯なぎちゃん、仕事後で時間頂戴ね」
御局様からの強い視線もあり、未夢は出社してすぐの無駄話をやめてデスクに戻る。溜まっていく重要資料。チラッと目に入った凪茶の業務報告書。彼女は自分勝手な理屈や感情的に振る舞う人々を相手にしても無駄だと悟り、排除にあたり常に法的に戦う準備を整えているのがわかった。淘汰リストに名前が載っている可能性がある未夢は、思わず身震いした。
姥田新部長が張り切って起ち上げたプロジェクトの企画進行は思わしくない。部所内の人事が変わったばかりであることや、単純に姥田の性格を知る者が増えて、参加する者が集まらないためだ。
「凪茶ちゃん、俺のプロジェクトに人が中々集まらないんだよ。どうすればいいかなぁ。昔、先輩として面倒見たお返しと思って、企画の内容を精査してくれよ」
痛い目を見たのを忘れるくらい人が集まらず、姥田が凪茶に直接声をかけて来た。
「部長、邪魔なのでデスクに座るのは止めて下さい。それと面倒を見てもらったの間違いですよね」
「冗談がうまくなったね〜〜、凪茶ちゃんは」
都合が悪い事実は、都合良く記憶から消去される。ある種、羨ましい能力だと凪茶は呆れる。他力本願の他責思考、皮肉がまったく通用しない。
姥田の企画は見なくてもわかるくらいに内容がスカスカだ。部長に抜擢されて、上層部のお偉いさん達を前に、何も考えずに調子いいことを言ったのだろう。
姥田の性分と内容のなさから、成功すれば手柄は姥田に、失敗すれば責任を押し付けられるに決まっていた。
「プロジェクトに誘う前に、先に部長がやるはずだった瀬倉元部長の残務処理と、休職中の目黒さんの仕事をご自分でやって下さいませんか」
「あっ、うん、そうだったね。それは君に任せるから、よろしく頼むよ」
凪茶が姥田から押し付けられた仕事が溜まっている事を告げると、そそくさと退散した。部長として部内を任された事で、毎日邪魔ばかりして来る姥田に、凪茶のストレスが溜まってゆく。
「────!!」
翌日、出社した凪茶は目を疑う。姥田のプロジェクト参加者に勝手に自分の名前が記入されていたからだ。
プロジェクトに参加しないか声をかけた───自分が押し付けた仕事を含めて、やる事やってからにしろと遠回しに告げたはずが、いつの間にか姥田の中で了承したと脳内ですり替えられていたようだ。
不沸凪茶のデスクから伝わる激しい苛立ちと怒り───が、発せられる事はなかった。
「えっ? なぎちゃん、何で怒らないの?」
「声が掛かろうが掛けまいが、勝手に名前を使いそうだったからね」
恐る恐る慰めに近づく未夢に、凪茶は無感情に答えた。そう⋯⋯やると思っていたのだから期待に応えてやるしかない。姥田が、自分から望んだのだから。
「未夢ちゃん、あんたに頼みがあるけど、聞いてくれるよね?」
凪茶は、怒っていない。でもヤル気満々だった。
「未夢ちゃん呼びが怖いよぉ。なぎちゃん‥‥気持ちはわかるけど、頼み方が脅し入ってるよ。軽いパワーハラスメントだよ。反社だよ。やってる事、姥田と同じだよ」
「私達は友情と愛情と、断れない貸し借りで結ばれた仲だからハラスメントはクリアよね」
「ひぃぃぃ、悪魔の取引来た!」
「あんた、本音が出てるよ。仕事の終わった後、時間もらえる? 今日は私の奢りだよ」
凪茶のニッコリ微笑む顔を見て、背筋を凍らせる未夢。この人なんで事務員やってるんだろうか‥‥本気で思った。




