不沸凪茶は、新芽を摘む先輩に熱湯を注ぐ ①
瀬倉部長の解雇により、新たに部長の座についたのは姥田義人課長だった。次長を差し置いての抜擢は、瀬倉の不正にを暴いた功績が大きい。
「前々からセクハラが酷いし、怪しかったんだよ──あの人はさ。俺に感謝してもいいんだよ、未夢ちゃん」
わざわざ給湯室へやって来て、バチッとウインクしかねないくらい、高揚して浮かれているのがわかり、未夢は身震いした。
姥田が暴いた瀬倉の不正の数々は、未夢の同僚、不沸凪茶が密かに集め用意した資料だ。まるで彼が自分で不正に気づき暴いたように振る舞い自慢気に話す姿に、事実を知る未夢は笑うより呆れた。
「⋯⋯人間って怖いんだね、なぎちゃん」
「ようやく人間になったばかりで何をのたまう」
「し、仕事は出来てたよ? サボっていただけで」
「なお悪い。それで、何故下界を覗き見た神様みたいな視点で感想を述べたの」
「新しく部長になった姥田先輩がキモいの! うざいの!! 馴れ馴れしいの!!! なぎちゃんの手柄なのに、自分が暴いたみたいな顔をしちゃってさっ!」
「面倒臭いから少し落ち着いて‥‥菫さんが淹れてくれたお茶を飲みなさいよ。いいじゃない、セクハラ部長や係長と違って、あれは基本的に自慢がうざいだけだし」
「よくないって。瀬倉ルート進んでるもん。係長と違って、自慢話の大半が元は部内課内みんなの手柄だし。なぎちゃん、新入社員時代の事忘れたのっ?」
「忘れてないよ。うざい先輩とうざい同僚たち、トリプルで引いちゃってうんざりしたなって事はさ」
「うぐっ、無気力無感心を貫くなぎちゃんに言われたくないっ」
「それで‥‥本題は何? セクハラ部長二世が誕生した?」
「うん、それもあるよ。何かね、新たなプロジェクトのチームに入らないかって誘われたの」
「ふーん、良かったわね。出世コースじゃない」
「いや良くないよ。二世だよっ? 凪茶トラップ付きだよ? なぎちゃん、もしかして私ごと消そうとしてない?」
良くも悪くもノリのよい凪茶の同僚、それが目崎未夢だ。一応真面目に働くようになり、給湯室で不味いお茶淹れを止めてくれたので、凪茶からの敵意は減っている。
未夢は自分のデスクの引き出しに、いつの間にか知らない資料が紛れ込んでいた事に気付いていた。重要性の低い他の書類などが一緒にしまわれていたので、処分しようと軽くチェックして青ざめた。
何故、瀬倉の交わした契約や提出された書類などの原本が、自分のデスクの引き出しに無造作に仕舞われていたのか。同僚の凪茶がやったに決まっている。
「未夢。あんた、資料を素手で触ったよね? あの書類さ、人の脂をよく吸うんだよねぇ。ちなみに私は手袋してました」
「私のデスクだもん、普通に触るよね。酷いよっ、なぎちゃん。でも何で私に?」
「未夢はあざといし、腹黒く計算高そうだからね。人が勝手に漁れてしまう場所に、不用心にプライベートなものを置きっぱなしにしないでしょ?」
瀬倉以外にも、予備軍や隠れファンの多い未夢。私用のカップや湯呑みなども、共同棚には置かず、使って洗った後はしっかり乾かしてから鍵付きの引き出しにしまっていた。そんな未夢のデスク上に忘れ物があるとするならば、それは未夢自身や他人がわさと置いた物に決まっていた。
「酷いよ、なぎちゃん。でもなぎちゃんには多分もうバレてるし否定はしないよ。それでね、今回の姥田先輩が必要とするプロジェクトの本命は私じゃなくて、多分なぎちゃんなんだよ」
「あの先輩らしいわ。チキン頭にカテキンって所ね。未夢、忠告ありがとうね」
「はわわ、なぎちゃんに素直に感謝されると、ぶぶ漬け出されたみたいで怖いんだけど」
「うん──はよ仕事に戻れって思っているのは事実だよ。御局様に叱られたくないし。まあ、未夢とは長い付き合いだもの。感謝の気持ちくらいあるわよ」
「なぎちゃんはもう少しお腹が黒くなるくらい、本音の言葉を飲み込んだ方がいいと思う」
本音より思惑はしっかり飲み込んでいる凪茶は、実際の所、未夢に感謝はしていた。紙コップに茶葉を直に入れて出されたり、紅茶のティーパックの紐を切って袋まで切れた状態で出されたり、インスタントコーヒーをカップ一杯に入れたものに湯を足したものを出されたり⋯⋯不味いお茶や飲み物を出されたというよりも、嫌がらせや殺意を感じるお茶を量産された過去がある。
サボってスマートフォンを弄る暇があるならば、お茶の淹れ方くらい調べろっ────と思う凪茶だったが、何となく未夢の素性を察していたので腹黒い演技にあえて乗せられていた。
用務員の菫さんが休みの日は、凪茶は自分でお茶を用意する。悪習慣が残る会社だが、未夢のおかげか、お茶汲みは女性の仕事ではなくなっていた。それに凪茶に便乗しついでに頼むと後々面倒になるのを知る課内の同僚達は、ついでにお願いをしてこない。────姥田を除いて。
「あっ、凪茶ちゃん、お茶淹れるなら俺のもついでに頼むよ。それに手が空いてるならこれもシクヨロ」
瀬倉のいた部長の席から声がかかる。かつて凪茶の教育係だった先輩社員は、別の部所の課長になっていた。要領が良い⋯⋯といえば聞こえはいいが、仕事の大半は同僚や部下に押し付け、手柄だけを奪って来た男だ。
それも人の上に立つ者の特性で、会社として利益が出るのならば、上役達も問題ないと考えていそうだ。瀬倉の件もあるので後釜の人選は慎重にすべきだろう。凪茶が誘導したとはいえ、調子ばかり良い無責任な姥田をあっさり昇進させた人事部の考えが見て取れた。
「⋯⋯実直な堅持次長よりも、姥田先輩を選ぶあたり、上層部にも腐った茶葉が潜んでそうね」
古い悪習慣は残っているくせに、昇進は年功序列ではないあたり、闇が深いと凪茶は思った。
湯を沸かしている間に、姥田の湯呑みをレンチンして超熱々にしておく。熱湯をぶっかけるほどイラッとしたわけではないが、悪しき風習に戻さないためにも姥田の軽い舌を鎮めておきたい。
用意しておいたシリコン製の滑り止めを指先に貼る。自分のお茶は適正温度に、姥田の熱々になった湯呑みには、熱いお茶を並々注ぐ。
部長の席でニヤニヤと出世コースの眺めを楽しむ姥田。そのデスクにコトッと、熱々のお茶の入った湯呑みを置いてやる。
「⋯⋯⋯⋯冷ましてから、どうぞ」
凪茶は一応注意をした。どうせ聞いていないので、もった瞬間に悲鳴をあげることになる。
給湯室から凪茶が平然とお盆にも乗せずに湯呑みを手に持って来たので、姥田は何も考えず湯呑みを掴み持ち上げかけた。
「⋯⋯⋯⋯熱っ!!」
────ゴシャッ!!!!
叫ぶ声と、湯呑みが熱いお茶と共に落ちて割れる音がした。間一髪大事な部分に熱湯がかかるのは避けたようだ。
自分のデスクに戻り、平然と湯呑みを持ってお茶を口にする凪茶を見て、姥田は何やらブツブツ文句を口にしていたが、彼女はしっかり注意していた。チキン頭でも、三十秒くらいなら覚えているんだと思いながら、凪茶は姥田の様子を無表情で眺めていた。
熱いお茶の件があったせいか、姥田の薄い記憶力から、過去が思い起こされたらしい。注意を聞かない子供は痛い目を見て反省するが、他責思考の大人になると、自分の不注意も誰かのせいに置きかわる。
姥田は割れた「義」と書かれた湯呑みの破片を片付けようと、まだ熱い破片を拾い再び赤い指先が熱さに痛む。面倒を見ている後輩から貰ったお気に入りの湯呑みだった。間抜けな自分が恥ずかしいのか、誰にも頼めず泣く泣く後始末をする姥田。彼に声をかけて、いらない恨みを買いたくないのか、手伝おうとする社員はいなかった。
「前々から懲りない人だよね」
想定される嫌がらせを考えながら、凪茶は入社当時を思い返す。口ばっかり調子良くて、何もしないどころか他人の仕事まで安易に引き受け、押し付けるのが姥田という先輩社員。
社員として仕事にも慣れ始め、しばらくした頃、顧客からお土産の甘いロールケーキをいただいた事があった。
ロールケーキとくれば紅茶かコーヒーか。または濃い目のお茶で、抹茶風味を楽しむのもありか。悩んで給湯室に向かう凪茶に、教育係‥‥当時はまだ係長になったばかりの先輩社員、姥田から馴れ馴れしく声が掛かった。
耐性のなかった当時、凪茶は姥田のキザでキモい言葉に吐き気を感じたのを覚えている。要望通り特別なお茶を淹れて出してあげた。
「凪茶ちゃん、一緒に俺にもお茶を淹れてくれるかい」
「どのお茶が良いのですか?」
「何でもいいよ。凪茶ちゃんのおすすめが飲みたい」
「そうですか。それなら流行りのお茶をいれますね」
本人の要望通り、凪茶は流行ったお茶を用意した。
「ん⋯⋯? 何か苦くないか、このお茶」
「何でもいいよ、と仰ったので女性に人気の特別なお茶にしました」
「そうかい、ありがとう凪茶ちゃん」
凪茶が淹れたお茶はギムネマ茶だ。ダイエット目的で飲む人も多く、一時期流行った事もある。個人差があるが癖がある苦味や、甘味をしばらく感じなくなる効果がある。
課内の皆が好きな飲み物でいただきもののロールケーキを楽しんでいる中、姥田だけは渋い顔をしていた。口だけは調子の良い事を吐き出す姥田なので、苦笑しながら課内の同僚たちに話を合わせ、しきりと首を捻っていた。
凪茶が何をしたのか察したものは、気安くついでに──と、お茶を頼んではいけない事業部内ランキングのトップ3に、彼女の名をを入れた。
姥田は凪茶が鳥頭‥‥チキン頭と比喩するだけに自分が相手にやらかした不都合な事実は簡単に忘れる。
しかし、苦い経験は中々忘れないもので、やられた事はしっかり覚えているようだ。その後‥‥凪茶から手柄を奪い続け、昇進して課長となり、同じ課内からいなくなった。それまでずっと面倒な仕事を押し付けて来ては、彼女の貴重なお茶の時間を奪う嫌がらせが続いた。
「面倒がって押し付けて成果だけ奪って⋯⋯だいぶ育ったから、そろそろ放置をヤメて実を回収しないとね」
瀬倉、姥田に摘まれた新芽達のためにもバッサリ行こうと凪茶はお茶を啜りながら覚悟を決めた。




