キャピュレット家の墓
わたし達の人生は天の差配によってあらかじめ決められているのだと言う。
どのような生活を送り、どのような人と出会うかは勿論のこと、喜びも悲しみも全て筋書き通りに進行し、そして最期の瞬間さえも定められているらしい。
偶然に見えるものでも、全ては必然の下に成り立っている。
マロニエの梢でカササギが羽を休めるのも、湖の香りを乗せた南風も、めいっぱい土を押し出して顔を出すミミズも、それをぱくりと食べてしまうイタチも──、ありとあらゆる事象が森羅万象という名のシナリオに従って動いているに過ぎない。
わたしたち人間ひとり1人も、所詮、『世界』という壮大な歌劇に出演する演者だと思っていい。
ここで戯れにたとえ話をしてみよう。
突如としてわたしに超能力が宿り、未来を透視できるようになったとする。好奇心から未来を覗き見てみると、なんと残酷な結末を迎えることが分かった。具体的には、そうだな……、マリー=アントワネットのようにギロチンにでもかけられてしまうことにしようか。
『なんとしたことだろう。今すぐに行動を起こし、悲劇的な死を回避しなくてはならない! 民衆の心に寄り添い、貴族には課税だ! 贅沢は以ての外、財政を改めよう! 国民の生活が第一である! ゆくぞ、勇敢なる我が夫ルイ16世! 共に改革を実行するのだ!』
残念だ。決意や改革など無意味、どれだけジタバタしようが結末は変わらない。課税に反対する貴族により『オーストリアのスパイ』などと適当な罪を着せられて、彼女はギロチンにかけられることだろう。運命論によれば終わり方は定められているのだから、致し方がない。
このように『人間の意思の届かない部分で物事が決められている』という考え方を、一般に運命論と呼ぶ。最近ではこうした考えを古めかしいだとか、夢みがちであるとか、或いは無責任であるとか、とかくさまざまな言葉で批判されるようになった。
『運命なんて寝ぼけたことを言うな! わたし達は自らの手で人生を切り開かなくてはならないんだ! 親から授かった尊き手足を使って、働いて、金を稼ぎ、理想の暮らしを手に入れようじゃないか!』
つまりは産業と機械が発達するにつれて、神の意思や星々の力は弱まり、社会は自由意志によって成り立つよう変化したというわけだった。野生動物が環境に適応していくように、わたしたち人間もまた、新たなる環境に思想を適応させるようになった。
とても良いことだと思う。人は自由であるべきだし、運命なんて無い方が良い。物事が神秘で成り立つよりもその方が健全だ。
だけど、わたしは運命を信じている。人生は決められていて、その中で出会う人も決められているに違いないと考えている。
単に信じているだけじゃない。壮絶な運命を夢見ていた時期すらあって、悲劇の末に死ぬことを夢見ていた。シェイクスピアの世界のように理想的で運命的な愛に生き、現実の荒波に耐えられず死ぬ……、なんて甘美な人生だろうか。
だけれどわたしは10年という歳月の内に、『運命』という言葉が決して甘い響きを持つものではないことを知り、『悲劇』という言葉が想像以上に残酷な獣であることを知った。
運命によって形作られた世界にロマンティックな景色はない。目の前に砂漠が広がるだけだった。味方はいない。常に一定の悲しさが胸にあって、漠然とした不安や、理由のない孤独を背負って生きている。
苦しいだけなら彼を憎むことで少しは気が紛れるだろうに、いつまで経っても、ひどく、ひどくその人が愛おしく輝き続けるものだということも分かった。
こんなに辛いのは何故だろうと考えた。大した答えが見つかったわけではないが、思うに、きっとわたしはまだ夢を見ていて、情けなくもキャピュレット家の墓の中にいるのだと勘違いしているのかも知れなかった──。
「──ど、どうっ!? ユーク義姉さま、すっ、凄いと思いませんこと!?」
そしてリリーローズ・デヴァルーは、ぷんすと鼻息荒く続けた。
「つっ、つ、つまり、私たちの人生は、あらかじめ運命によって定められていているのですわっ。だからねっ、私が生まれ落ちた瞬間からユーク義姉さまと家族になることは決まっていたわけで……。それで、それでねっ、今こうして話しているのさえ『運命によって定められていた会話』に過ぎないのですわっ!」
次いで肩で息をしながらプレートの上を指差した。
「こ、このスコーンもそうよっ! すくすく育った小麦や、それを育てた太陽や風も、あくせくと働いた百姓も、小麦粉を屋敷まで運んだトラックも、屋敷まで続く道路を作った人たちも、道路から見える湖と日のきらめきも、スコーンを焼いてくれた家政婦も、そしてそれを食べる私たちも、何もかもが運命によって繋がっているのだわっ! 全ては必然の下なのよっ!」
そうして彼女は運命のスコーンを一口も齧ることなく、分厚い本のあらゆる頁を捲ってはあれだこれだと早口で捲し立てた。
テーブルの上の紅茶はすっかり冷めて、グーズベリーのジャムもスコーンとの運命的な出会いを果たせないまま途方に暮れている。胡瓜を挟んだサンドウィッチに関しては不貞腐れたように横倒しになっていた。
彼女の妹シャーリーもスコーンには手をつけず、ただただうっとりとした表情を浮かべて、
「運命……。なんって素敵な言葉なんでしょう。ああ、私にもあらかじめ定められた運命の相手がいるに違いないわ……。いつになったら現れてくれるのかしら……」
そしてリリーローズは、上目遣いで、そろりとわたしの顔色を窺った。
「ユ、ユーク義姉さまは運命を信じます……?」
小っ恥ずかしくて答えにくい質問だが、こうした話題を完全否定するのは淑女的ではない。
「どちらかと言えば、信じます」
するとリリーローズは頬を赤くし、
「ああ、やっぱりっ! お義姉さまが『こっち側の人間』で嬉しいわっ」
彼女にはオカルティズムを長々と、それも徹底的に語る癖があった。わたしの反応が悪かろうとも、一度口を開けば尾っぽに火のついた雄牛のように止まることはない。いわゆるマニア──、無礼を承知で言うなれば彼女はオタク女子であった。
リリーローズの話は真偽不明で眉唾が大半、基本的には空想幻想の類だから、親を前にしては語れない。もちろん使用人に聞かせられるような話でもなく、迂闊に大人に話そうものなら妙な噂が立つであろう事は彼女もよく理解していた。
しかし妹のシャーリー1人に聞かせるのでは満足できない。もっと多くの人と神秘の世界を共有したい。彼女の内で燃えたぎるオカルト熱は爆発寸前、誰か、誰か他に話せる女子はいないものか──。
満たされない日々を送っていたところに現れたのが、わたしだった。恐る恐る語ってみて、拒否反応を示さないとなれば、リリーローズはもう止まらない。火山は噴火した。わたしとしては彼女のオカルト話に耳を傾けていただけに過ぎないのだが、いつしか『こっち側の人間』とやらにカテゴライズされてしまったわけだった。
「あ、あのねっ、内緒なのだけどねっ、じ、じつは、私、交信に成功したのよっ」
「えーっ! それってどういうことですの、お姉さまっ」
リリーローズは周りに誰もいないことを確認してから、声を顰めた。
「きっと高次の存在よ。それか神様ですわ。ある夜にね、わたしの体を乗っ取って、メッセージを伝えたのよっ!」
シャーリーは目を丸くした。
「すごいわ、お姉さま……。信じられない……」
「か、神様は迷子の天使を探しているのっ。わたしに探すよう、指令を下したのよっ。きっと哀れな天使様が人の世界に迷い込んでしまったのだわ」
「ああっ! だからお姉さま、最近1人で庭園をきょろきょろと、何かを探すように歩き回って……!」
「しーっ! 静かにっ! 声が大きいわ、シャーリー!」
「お姉さまっ、白状してくださいましっ。その交信とやらは、どのようにするんですのっ!? 私もやってみたいわっ」
リリーローズは目を泳がせる。
「そ、それはっ、えっと……、その……。め、目に見えない世界から手紙を受け取るための秘密の方法がある……、みたいな……。と、とにかく内緒よっ! シャーリーにはまだ早いし、危険なのっ! 気が触れてしまう可能性だってあるのだからねっ」
本気で言ってるのか妄想を楽しんでいるのか、或いは虚言なのかは判断つかないが、とかく根拠のない話でわいわいきゃっきゃっと盛り上がるのが彼女達の日課だった。
たとえば先日は、太古に消えた伝説の大陸の話で盛り上がり──。
『みなさま、アトランティス大陸ってご存知かしら……? もう海の底に沈んでしまったのだけれど、そ、そこには高度な文明が存在していて、クリスタルや磁力から取り出した未知のエネルギーを使って、それはもう先進的な生活をしていたのよ……!』
『すごい……! 博識なのね、お姉さま……っ!』
他には怪談話も好物のようで──。
『庭園に大きな樫の木が見えるでしょう……? 昔ね、あの辺りにはロッジがあってね、昔、そこで使用人が殺されたらしいの。な、何者かに首を絞められたそうよ……』
『そうなんですの……? 私、恐ろしいわ、お姉さま……』
『領地で起きた事件だから警察も必死になって犯人を探したのだけど、結局、見つからなかったんだって。きっと、亡霊の仕業よ。だって、何回か見に行ったけど、いかにも出そうな雰囲気だったもの……』
リリーローズは簾のような前髪の下できらきらと瞳を輝かせて、生き生きと語った。自分が話したい事だけを話すだけ話すといったスタイルが基本らしく、他者からの意見や現実的な観点は求めていないようで、わたしとシャーリーは概ね聞き手に回っている。
そのようなことが毎日続いていたので、お義母さま──デヴァルー夫人がわたしの為に茶会を開いてくれるようになった。
「話し相手を見つけて舞い上がっちゃっているのよ。ほら、あの子、吃音だし赤面症でしょう? まともに会話できる人は限られているし、興味のある内容も幼稚なオカルトばかりで、本当にどうしたら良いのかしら……」
夫人は文字通り頭を抱えていた。
「このままじゃ結婚なんて出来やしない。今は若いから1人でも生きていけるような気がしているかも知れないけど、三十路や四十路になっても平気でいられると思っているのかしら? 手遅れになってから焦ったって仕方がないのよ。歳をとって体が思うように動かなくなったら誰が面倒を見るの? 姉妹や甥姪の世話になるわけ? 肩身を狭くして死んでゆくの?」
夫人は娘達の結婚のことで常に苛立っている様子だった。彼女のアンテナは『だれそれの家がだれそれの家に嫁ぐか』とか『どこの家にどんな男がいるのか』といった情報を掴むのに研ぎ澄まされていて、わかりやすく言い換えるならば『莫大な資産をもつ若い未婚の男性はどこに存在しているのか』ばかりを気にしていた。そういうわけなので、どこそこの家の縁談がまとまったなどという噂が耳に入ればすっかり不機嫌になってしまい、使用人も迂闊に近寄れなかった。
戦時下に於いては晩餐会も開かれず、見込みのある勇敢な男子は国外で戦っている。即ち娘達に出会いの場はないわけで、このまま戦争が続けば、ついに行き遅れてしまうのではないかと心配していた。そのせいで胃が痛むのであろうか、毎食後に重曹を服用している。
「シャーリーやヴィクトリアは気立が良いし顔も良いから、最悪、持参金を積んででも何とかしてみせるわ。でもリリーローズはダメね。努力する気があるならいいけれど、そんな様子も見られない。こうなったら鰥でも良いからさっさと引き取って貰いましょう」
次女のシャーリーは、リリーローズのカテゴライズでいう『こっち側の人間』であり、取り分けてロマンティックなことに興味津々ではあるのだが、母親の前では上品にしているためか心配されていないようだ。思うよりも器用なタイプなのかも知れなかった。
ヴィクトリアは三女のことで、あまり一緒に過ごすことはなく、食事の時くらいにしか顔を合わせることがない。三姉妹の中では一番若いが、一番大人びて見えるのも彼女だった。
「いいことユーク、よくお聞きなさい──」
夫人にはちょっとした口癖があった。
「人類史が始まって以降、最も人を殺したものは何だと思う? 『飢餓』? 『疫病』? それとも『戦争』? いいえ、答えは『孤独』よ。人は孤独によって気を病み、破滅を受け入れてしまうものなのだわ」
人を最も殺してきたのは『孤独』。夫人は頻繁にそれを口にした。
「ユーク、あなたには笑顔が足りないわ。女は愛嬌と教養。あなた教養は満点だけれど、愛嬌は落第点よ。息子が戦地から帰って来て、澄ました顔で迎える気? 笑顔のない女性に男性を癒すことが出来るかしら? ああ、息子にその気が無くなって、婚約が拗れないとも限りません。今からでも良いから、せいぜい努力なさい」
8歳の頃、わたしは病を患い、前世の記憶に蝕まれた。脳に蛆が湧いたものと思う。
存在しない記憶が頭を掠めたその日から、何故だか笑ったり泣いたりすることがし辛くなった。『笑ってやる』と意気込めば微笑むくらいは出来るが、わけもなく億劫だ。
理由は分からない。精神病だからなのかも知れない。ただ、どう言語化すれば良いだろうか──、わたしの中には常に淡白な悲しみがあって、笑おうとする気が起きないし、泣こうとする気も起きない。どういうわけか感情が揺れるたびに、心が萎えてしまう。
色々と考えてみたが、あの日、わたしの魂は半分になってしまったのだと思う。確かだったものが確かではなくなり、自分が何者であるかも分からなくなっしまった。生活も、目に見えるものも、大好きな人も、全てが移ろってしまった。
どうにか言語化してみたが、やはり気が触れていると思う。末期の気狂いとして今からでも徹底的な薬物療法を受けた方が良いだろう。アヘンだけが私を救ってくれるのかも知れない。
・キャピュレット家
『ロミオとジュリエット』におけるジュリエットの家。ヴェローナの貴族。
・キャピュレット家の墓
ジュリエットは仮死状態のまま廟に入り、ロミオの帰りを待った。




