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嘆きは誰が為に

「しかし今度は扇動する僧侶も資金源もないのに」


治安維持部隊の隊員は出動準備を整え、次の命令を待つ中でそう呟いた。


「だがバンシィが死を運ぶと言うデマが僧侶によって撒かれた事実は変わらん。皮肉なことだが日光教の僧侶は社会的な地位が高いからな」


年嵩の隊員がパイプをふかしながら言った。

日光教の影響力は良くも悪くも絶大だ、当時騒動の鎮圧に当たった隊員は僧侶の言うことだからと疑いもせず騒ぎに参加していた市民の多さに驚いたものだ。


「しかしまさかくそ坊主に出会っちまうとはな」


人間如何様な所にも悪人はいるものである。その逆もそうだ。

その時は残念ながら多数の善人が詰める筈の日光教の僧侶の中にいた悪人に行き当たったのである。

その金持ちは憐れとしか言えない。だがその騒動が起こした被害はかなりの物でその金持ちは出家して生涯を懺悔に費やしているという。


「火が消えたのに煙は残ったままか・・・厄介だよな」


嘘を並べた僧侶は異端審問官の罰を受けた。エトナ―達は口を酸っぱくして周囲にバンシィの事を説いたが一度広まった噂はなかなか消えることはなかった。


「今回は逮捕者がでなけりゃいいんだが」


夕闇の中、窓の外では夕食の煙が登っている。皆はこれから夕食で、早いところはもうそれを片付けて寝る準備をしているかもしれない。その景色はいつものそれと変わらないもので、隊員はまさか街にまた騒動の種がまかれたなどとはとても信じられなかった。




『ーーーーーっ!』


涙で霞む視界をものともせずマリーは声を上げて町中を疾走した。幽体に近しい状態の彼女は例え誰にぶつかっても動じることもない。その際にすれ違う人々は燃えるような赤色の瞳に涙を流しながら走っていくその姿に仰天した。


「ごめんなさ・・・ひっ!」

「幽霊!?・・・妖精か?!」


マリーとぶつかった際にそれがまるで空気のようにすり抜けて悲鳴をあげる婦人、その姿を見て驚く男性。街の通りはその突然の出来事に大騒ぎになる。


『行かなければ・・・だれかが・・・待っている!』


まるで何年も会えなかった家族の元に走るように。マリーは走り続ける。





「・・・ふぅ」


ある家で一人の老婦人が鏡台の前で寝支度をしていた。ブラシで髪を梳いて、整えてみてもその髪はとっくに艶を失っており、肌も乾燥しているのか生気がない。

こほんと咳をして窓の外を見る。息子は大きくなった。夫も歳をとって、自分もそれ相応に年齢を重ねた。

後は人生の仕舞い方を考える頃合いだろうか。


「・・・思えば私には何もなかったのかしら・・・」


結婚して、子供も生まれて、何不自由ないとはいかないまでも人並みに暮らせてきたはずだ。しかしながらその人生には誰もが羨むようなドラマも、悲劇も、ロマンスもなかった。そんな無味無臭のスープのような人生が自分のそれだった気がする。おそらくは、このまま胸の中に残ったしこりのような、喉にひっかかった小骨のような気持ちを抱えたまま自分の人生は終わるんだろう。


思えば体調も良くない気がする。年齢を考えればもう・・・。


そんな時だった。


『うぅ・・・ううう・・・』


どこかで泣く声がする。まるで目の前で泣いているかのようなクリアな声に老婦人は声の方を向いた。

思わず窓に駆け寄って外を覗くと少女が家の前で真っ直ぐにこちらを見て泣いているのが見えた。

その目は燃えるような赤色をしていて、自分を見て悲し気に泣いているのだ。


「バンシィだわ・・・」


思わずそう呟いて、老婦人はハッとした。自分にももうじきお迎えがくるんだ。

バンシィが泣いている。自分の為に泣いている。まるで善き人を惜しむかのように。

その姿を見て老婦人はまるで自分の人生が評価されたような気持ちになって嬉しくなった。


「私の為に泣いてくれるのね・・・」


別れを惜しむ友人などもういない。それにも関わらず彼女は老婦人を思って泣いている。

それが何よりうれしかったが・・・。


『バンシィめ!あっちへ行け!母さんの魂は渡さないぞ!』


息子の声がそれをぶち壊しにした。息子は鉄製のフライパンを振り回して玄関から身を乗り出している。

それがなんともみっともなくて、嬉しいやら腹立たしいやら。しかし今は自分の、滅多といなかった客人をバカにされたような気持ちになって老婦人は窓を開けて叫んだ。


「コラァァァ!バカ息子ぉぉぉぉ!私のお客人になんてことするんだい!」


こんなに叫んだことがあっただろうか。腹の底から叫んだからか、喉のつかえも胸の疼きもなんだから吹っ飛んだような気持ちだ。


『か、母さん!でもこいつは!』


階下から息子の抗議する声が聞こえたがこちらはそれどころではない。バンシィが呆れているのが見える。

なんて恥ずかしいんだろう。せっかく来てくれたのに!


「うるさいよ!このバカ息子!バンシィにそんな力なんかあるもんか!この、大バカ者!」

『ひーーっ!』


ブラシを投げつけると息子の頭に綺麗に当たり、息子は頭を押さえて家の中に逃げ込んだ。

ああ、すっとした。思えばずっと我慢ばかりしてきた。思い込みが激しくて問題ばかり起こす息子には一度くらいこうしてやるべきだった。


「あー・・・すっきりした・・・」


もう明日死ぬことになっても悔いがないほど、すっきりした。そう思って再び窓の外をみると泣いていたバンシィの少女が涙をひっこめてこちらに困ったように微笑んでいた。


『まだ、元気そう』


こまったような、それでいてどこか嬉しそうにそう呟いて闇に消えていったバンシィの姿を見て老婦人はあっ、と額に手を当てて思わず呟いた。腹の底に熱が宿ったように活力を感じる。鏡を見ると頬は赤くなって、汗すらかいていた。とてもつい先ほどまでもう少しで死にそう、なんて考えていた自分とは大違いだ。


「ありゃま、寿命が延びちまった」


老婦人はその後、20年は生きたそうだ。


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