バンシィの泣き声
街はその日、皆がバンシィの再来に震え上がった。
善き人の死が迫っている。それはもしかすると自分の・・・。
そうなっては仕事どころではない。
「バンシィが来た!」
誰かがそう叫ぶと街中が大騒ぎになった。古今東西、葬儀は大きな行事である。しかも善き人は惜しむ人が多い為に弔問客も多いだろう。それに、まだまだと余裕を見せていた老人や病人達もまた自分の死に備えて遺言や身辺整理に奔走する羽目になる。
「バンシィが死を運ぶぞ!」
そしてアダムの予感の通り、迷信深い人々がバンシィへの誤解のまま玄関先に魔除けの札を吊るし始めた。
「これはどうした騒ぎだ!」
魔法局では治安維持部隊に街が大騒ぎになっている事を受けて出動命令が検討されていた。
「バンシィが出たと一部の市民が騒いでいるようだ」
「バンシィが・・・?それが何だというんだ?」
魔法局に勤めるような人間は大抵の妖精や魔法の知識が詰まっている。中でも民間に広く伝わっているはずのバンシィの目撃例ともなれば驚くようなことでもない。ただ心当たりのある人物は落ち着いていられないかもしれないが。
「忘れたのか、教会の僧侶が悪徳を広めた事件を」
それを聞いて隊員はあっ、と思い出したように頭に手をやった。バンシィを誤解した金持ちを騙した僧侶の広めた悪評に尾ひれがついて、まるで彼女たちが死告天使かもっとひどければデュラハンやスルーアのような恐ろしい妖精や精霊と誤認している者まで居るのだ。
「あれかぁ・・・そうだったな・・・」
金持ちはただ妻の命を救いたかっただけだった。そして、皮肉にもバンシィを遠ざけたが為に彼とその家族は自身の家族の死を満足に看取ることもできず、危篤状態だった妻は慌ただしく走り回る家族を心配そうに見つめながらただ一人、年老いた傍付きに見守られながら薄暗い部屋の中で息絶えたという。
『バンシィの声が遠いわ・・・あの人たちの声も・・・』
寂しそうにそうつぶやいたのが彼女の最後の言葉だった。傍付きの老女は僧侶の言葉をうのみにして彼女の最期を看取らなかった一族を口汚く罵った。
『バンシィを遠ざけ、奥様を孤独に死なせたお前たちもいずれ孤独に死ぬだろうさ!』
そう言って涙ながらにその家を辞した老女の行方は誰も知らない。しかしその時に残した言葉が金持ちをさらに追いつめた。
『そんなはずは・・・バンシィが、やつが妻を連れて行ったんだ・・・』
罪の意識に耐えきれず、金持ちは現実を直視できなくなった。妻が死んだ事、その犯人を捜さずにはいられなかった。ただ、自分が妻を孤独に追いやった事を認められなかったのだ。
『バンシィを・・・ヤツらをこの街から追い出せ!妻の弔い合戦だ!』
金持ちは妻の遺品を握りしめて叫んだ。そして、街に僧侶の一方的な言い分と共に金銭をバラ撒いた。
『バンシィを追い出せ!奴らはスルーアと同じ死を運ぶ妖精だ!』
『懸賞金が出るぞ!』
教会の対応が後手に回ったのはなんてことはない。いつもならば市井を歩き回っているエトナ―が街に居なかったことだった。そしてその騒ぎは当時の治安維持部隊の知るところとなり、多数の隊員が懸賞金と恐怖に狂った市民と衝突した。
『解散しなさい!バンシィは悪霊の類ではない!死を運ぶ力などありはしないぞ!』
『教会が嘘をつくってのか!役所のいうことは信じられねえ!』
『埒が明かない!突入しろ!全員逮捕だ!』
治安維持部隊は本来ならば教会がやるべきである妖精種の保護の為に市民と幾度となく衝突した。
そして騒ぎの中心である金持ちを捕縛した時、ようやく騒ぎは沈静化に向かっていった。
『良識のあるべき名士の家がこのような騒ぎを起こすとは!』
『つ、妻の仇を討ちたいだけだ!やつらは・・・!』
金持ちは憔悴しきった様子で、それでもバンシィへの呪詛を吐いていた。
その姿はとても見るに堪えないものだったが隊員の放った一言が彼をようやく正気に戻した。
『そう言って妻の亡骸をいつまで放置するつもりですか・・・バンシィはそれに備えさせる為にあなたの家を訪れたというのに』
呆れと憐みを籠めた一言、そして棺桶すら作られず未だにベッドに置き去りにされたままの妻を見て金持ちはようやく現実を知った。葬儀の準備すらできていない有様に。防腐処理を重ねていたおかげで遺体は腐っては居なかったが肌は乾燥し始めており、その姿はとても痛々しいものだった。
『うぐぅう・・・ワシは、ワシはいったいなにをしていたのだ・・・ううう・・・なんでこんな・・・ことを』
冷静さを取り戻した金持ちは妻の変わり果てた姿に思わず口元を覆った。涙が滝のように溢れて、止まらなかった。
まだ生きていた彼女に言うべきことはたくさんあっただろう、思う事も。しかしそのすべては遅かった。
妻は死に、バンシィはその大半が街から出て行ってしまった。懸賞金が支払われないと知ってこの家に石を投げる者までいた。
『神よ・・・妻の安寧を・・・どうか頼みます・・・私は地獄へ行きます・・・もう、そうするしか・・・』
葬儀の中で喪主であったはずの金持ちは素足のまま、くたびれた喪服を羽織って棺桶に縋りついて神に祈った。
『許す必要もなく、貴女の妻は天へ昇るだろう。貴方はただ、残りの人生で罪を贖いなさい。過ちに気付いた者を地獄に招くかどうかは貴方の死にざまが教えてくれるだろう』
『うぅぅぅ・・・わかりました・・・』
悪徳を働いた僧侶は帰還したエトナ―によって捕縛され、異端審問官の手にゆだねられた。
種の尊厳を貶め、惑う人を欺いた罪は重かった。
彼は最後まで言い訳を上げ連ねたがそれが審問官に通じるはずもなく。彼が太陽の下に出てくることは永遠になかった。




