どす黒い悪は!
クインクはその後、遺灰を詰めた瓶を受け取って帰路についた。
『本当にごめんなさい・・・本当に・・・』
聖職者は自身が犯した過ちを深く悔い、そして兄の死を悼んでくれた。きけばその聖職者は司祭と親同然の付き合いだった人物だという。肉親同然の人物の仇を討ったと思ったらそれは間違いで、不幸をバラ撒く結果になったことを何より悲しんでいた。
悪魔のために人が涙を流すなどとは思ってもみなかった。それだけが救いだった。
「兄ちゃん・・・」
これからどうすればいいのか分からない。頼りにしていた兄はもう居なくなってしまった。
お金はどう稼げばいい?食べ物は?寒い時は?辛い時は?
どうしたら?
そんな思いで魔界に戻った時だった。
「よぉ、戻ってきたのかよ」
「ひっ」
「何してくれてんだテメエは!」
びくりとして振り返るとボルブがこちらを見ていた。そしてずかずかと歩み寄ると言うが早いかクインクの腹を蹴り上げた。
「ぐげっ!」
胃液を吐きながら悶えるクインクの頭を踏みつけるとボルブは忌々しそうに唾を吐いた。
「聖職者相手に命乞いでもしたのか?ああっ?兄貴と一緒にくたばったと思ったのによ!」
「あ・・・ぐ、う・・・」
ボルブにとっては罪を擦り付けたはずの案件が教会の知るところとなり、契約者に咎が及ぶかもしれないとの報告があったのだ。一般の聖職者ならともかく、クアットが寸前で稼いだ数秒がエトナ―を呼びよせた。
そのせいで何者かが悪魔を使って司祭の暗殺を企てたという話で大騒ぎになった。
日光教という巨大組織の司祭の命を奪った一連の騒動は魔界でも知られる事となり、普段は無関心な大悪魔やその眷属が目を光らせ始めたのだ。見つかれば処罰はもちろん、命も危ない。この事で彼のキャリアに傷がつくのはいうまでもない。
「クソが!虫けらが!黙って死んでりゃ役に立ったもんを!」
蹴りが何度も頭と体を襲い、ボールのようにクインクの体が転がる。あまりに身勝手な言動にクインクはついに、怒りが恐怖を越えた。しかしそれを実行に移すにはもう体はボロボロで、容易く命も尽きそうな状況だった。
「げほ・・・あ、ぐ・・・」
「・・・ネズミの餌にしてやる」
「あ、は・・・」
笑みを浮かべたクインクにボルブは心底不愉快な顔を浮かべたが、内心では不思議に思っていた。
何故笑う?今から殺されようとしているのに?
(笑ってんのか・・・?)
今まで自分が引き裂いてきた悪魔も人間も決まって怯え切っていた。
それが何故?
「バカ・・・なんだね・・・!」
「ああ!?」
体を起こして向かい合ったクインクはかすれた声で確かに笑っていた。
「お前の仕事が!バレたんだ!聖人に!だからみんなが探してる!犯人はどこだって!」
時々血を吐きながらクインクはボルブに精一杯の恨み節を吐いた。
「悪党の末路がどんなものか・・・大悪魔も震える、聖人の前でっ・・・どんな風にお前が震えるか見ててやる!いつか地獄に落ちる時!お前を一番に迎えに行ってやるぞ!」
「クソがぁぁぁぁぁ!」
クインクの体をボルブの爪が引き裂いた。その時だった。
「ぐっ!」
クインクが持っていた瓶が爪の一撃で粉々になり、周囲に舞い散った。
「がっ、ごげぇっ!聖別された・・・灰!テメエの兄貴のっ!」
まるで煙のように舞ったその灰はボルブの毛や肌に付着すると立ちどころに青い炎を上げて燃え上がった。複数の聖職者とエトナ―によって祈りを捧げられたその灰はクインクを守りたいという兄の遺志に応えて破魔の力を得たのだ。
「ぐぁああっ!顔が、焼ける!」
燃え上がる炎と舞い散る灰が徐々に形となり、誰かの姿が浮かび上がる。
ぼんやりと、しかし、彼女にははっきりとその優しい顔立ちが浮かんでいた。
「に、兄ちゃん・・・!」
『クインク、かっこよかった。だけど、ここで死んじゃだめだ』
クアットはボルブとクインクの間に割って入るとクインクに地上への道を示した。
『クインク、明るいところへいくんだ。優しい人のいるところへ』
「で、でも!地上に出ても、どこにいけばいいか・・・」
『大丈夫、クインクにもちゃんと勇気がある。それが僕にはわかったから。だから諦めちゃだめだ』
生きて幸せに。そう言うと青い焔と化したクアットはボルブに飛び掛かった。
「ぐあああ!くそっ!必ず!必ず殺してやるぞ!」
ボルブの叫びを背にクインクは死の物狂いで地上を目指した。力の弱い下級悪魔の特権ともいうべき制約のない界層の移動。それが叶えば追われる心配もない。
「はぁっ・・・はあっ・・・」
走る、走る、走る。無我夢中で。ただただ走った。
「あぐっ!」
転ぶたびにまた立ち上がって走り出した。ケガが痛む。体が軋むほど。
それでも立ち止まりそうになる度に、転ぶたびに兄の声が聞こえた気がして、再び立ち上がった。
そしてどれくらい走ったのだろう。目の前に光が広がる。その背後にはいつからか大きな足音が追いかけてきていたが・・・。
『GARRRRRR!』
界層を越える。クインクは差し込む朝日に目を細めた。
まるでガラスに遮られたように顔を押し付けてこちらを睨む獣に背を向けてクインクは再び歩き出した。
今度こそ、幸せに、兄たちの分まで生きるために。
「生きなきゃ・・・誰か・・・」
フラフラと歩き続けたクインク。その最中に誰かにぶつかってふらついた。力尽きて倒れるその刹那。
「!・・・大丈夫!?」
そんなクインクを、偶然通りかかったルナが抱き留めた。
(よかった・・・やさしそうな・・・ひと)
クインクは薄れ行く意識の中でそう思った。




