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ちー様。【全てのチーズ好きへ捧ぐホラー】  作者: 三久田ともかさ


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5/6

最終日

7日目 日曜日


 最終日。

 今日は午前中の仕事を終えれば、明日の朝には村を出られる。


 あと少し。

 あと少しで帰れる。

 それだけを考えていた。


 昼過ぎ。

 俺は美咲に電話をかけた。


『もしもし? 悟史?』

「……ああ」

『どうしたの? 珍しいね、こんな時間に』

「……なあ、美咲」

『ん?』

「俺さ……マジでやばいかもしれない」


『……え?』

「武が……なんか変なんだよ」

『武くん?』

「ああ。夜中になると、顔にチーズ塗りたくってさ……」


『…………』

「しかも村の人たちも同じことしてるんだよ」

『……えっと』

「いや、俺も意味わかんねえんだけど!」


 自分でも何を言っているのかわからない。

 ただ、誰かに聞いてほしかった。


「……それでさ」

『うん』

「3日目に、村の山奥にある社に行ったんだよ」

『社?』

「ああ。禁足地って言われてたんだけど、武が勝手に入っちゃって……」


『…………』

「そこで供え物のチーズをぶちまけたんだ」

『……チーズ?』

「そう。盛り塩みたいに盛られたチーズ」


 電話の向こうが静かになった。

 ……そりゃそうだ。

 こんな話、信じられるわけがない。


『……ねえ、悟史』

「ん?」

『その社って、写真撮れる?』

「……写真?」

『うん。私の親戚に霊媒師の人がいるんだけどね』


「……え?」

『写真とかでも、何かおかしなものがあるかわかるらしいの』

「…………」

『もちろん、何もないかもしれないけど……』


 俺は黙り込んだ。

 あの社へ。

 もう一度?

 正直、行きたくなかった。

 あそこに行ってから、すべてがおかしくなった気がする。


 でも。

 何かがわかるかもしれない。


「……わかった」

『え?』

「写真、撮ってくるよ」

『……無理しないでね?』

「ああ」


 電話を切る。

 俺は大きく息を吐いた。

 あと1回。

 あそこへ行くだけだ。


     ◇


 山道は相変わらず薄暗かった。

 蝉の声が響いている。

 しかし、3日目とは違って、妙に静かに感じられた。


 石段を登る。

 そして。

 あの社が見えてきた。


「……あった」

 古びた木製の社。

 その前には、小さな皿が置かれている。

 皿の上には、新しいシュレッドチーズが山のように盛られていた。


「……誰か、片付けたのか」

 俺はスマホを取り出した。

 社の全体を撮影する。

 もう1枚。

 供え物も撮っておこう。

 数枚の写真を美咲へ送った。


「……よし」

 これで帰れる。

 そう思ったときだった。


 キラリ。

「……ん?」

 社の中で、何かが鈍く光った。


 風が吹く。

 その瞬間。

「……うっ!」

 鼻を突く異臭。


 焦げ臭い。

 いや、それだけじゃない。

 何かが腐ったような、ひどい臭い。


「……なんだよ、これ」

 臭いの元は、どうやら社の中らしい。

 俺は扉を見つめた。


 人間が1人くらいなら、入れそうな大きさ。

 古びた木製の扉は、わずかに開いている。


 ……やめておけ。

 頭の中で、何かが警告していた。

 だが。

 好奇心が勝った。


 俺はゆっくりと扉へ手を伸ばした。

 ギィ……。

「…………」

 中は暗かった。

 しかし、確かに何かがある。

 人の形をした。

 何か。


「……え?」

 それには、大量のお札が貼られていた。

 頭から。

 肩から。

 腕から。

 幾重にも重なった、黄ばんだお札。

 顔と思われる部分にも、びっしりと貼り付いている。


「…………」

 背筋が凍った。

 何かがおかしい。

 いや。

 何もかもがおかしい。

 俺は思わず後ずさった。

 その瞬間。


 ガシャン!!


「うわっ!!」

 足元の皿を蹴飛ばしてしまった。

 盛られていたチーズが、地面に散らばる。


「…………」

 3日目と同じだった。

 ただし。

 今はそれどころではない。

 俺は背後を振り返ることなく、一目散に逃げ出した。


     ◇


「おい、悟史!」

 宿へ戻ると、武が声をかけてきた。

「どうしたんだよ、そんな顔して」

「…………」

「おい?」

 俺は何も答えられなかった。


 身体が震えている。

 寒いわけじゃない。

 怖い。

 ただ、怖かった。


「……悪い。ちょっと寝る」

「は? お前、大丈夫か?」

「……ああ」

 俺は布団に潜り込んだ。


 スマホを握りしめたまま。

 美咲からの返事を待とう。

 そう思っていた。

 しかし。

 いつの間にか、眠ってしまっていた。


     ◇


「……ちぃーー」

「…………」

「……ちぃーーー」


 目が覚めた。

 暗い。

 時計を見る。

 午前2時47分。


「…………」

 上から声が聞こえる。


「……ちー」

「……ちぃーー」


 武だ。

 また始まった。

 俺は布団の中で息を潜めた。


 見たくない。

 もう、何も見たくない。

 そのとき。


 ブーッ。

 ブーッ。

「……っ!」

 スマホが震えた。


 慌てて画面を確認する。

 美咲からだった。

 未読メッセージは13件。

『悟史、写真ありがとう』

『今、親戚の人に見せてる』

『ねえ、これ本当にあの村の写真?』

『ちょっと待ってて』

『悟史?』

『電話出られる?』

『お願い、返事して』


 俺は息を呑んだ。

 さらに下へスクロールする。


『今どこにいるの?』

『まだ村にいる?』

『お願い、返事して!!』


 そして。

 最後のメッセージ。

『お願い! これを見たら今すぐ逃げて!!』


「…………」

 背筋が冷たくなった。

 全身の皮膚がざわつく。

 急激な吐き気が込み上げてきた。


 ……逃げる?

 どこへ?

 俺は恐る恐る、上段のベッドを見た。


「……ちぃーー」

 武は今日もチーズを塗りたくっていた。

「……ちぃーーー」


 ぺたり。

 ぺたり。

「…………」

 もう駄目だ。

 ここにはいられない。

 俺は靴を履くのももどかしく、宿を飛び出した。


     ◇


 夜の海。

 月明かりに照らされた砂浜。

 見晴らしのいい海岸には、誰もいなかった。


「はぁ……はぁ……」

 俺は膝に手をついた。

 心臓が激しく脈打っている。


 逃げろ。

 美咲はそう言った。

 でも、どこへ?

 村を出るバスは朝まで来ない。


 背後は山。

 目の前は海。

 俺は途方に暮れた。

 そのときだった。


「…………?」

 遠くに、何かが見えた。


 山の方角。

 あの社がある場所。

 暗闇の中で、黒い影が蠢いていた。


「……なんだ?」

 影が次第に大きくなる。


 いや。

 違う。

 近づいている。


「…………」

 ゆっくり。

 一歩。

 また一歩。

 何かがこちらへ歩いてくる。


 そして。


「……ちぃーー」

「…………っ!」

 声が聞こえた。

「……ちぃーーー」


 掠れた声。

 まるで喉を火傷して、潰れてしまったような声。


 俺は動けなかった。

 足が地面に縫い付けられたようだった。


 影が近づく。

 その大きさは、2メートルほどだろうか。

 人間の形をしている。

 だが。

 人間ではないなにか。


「……ちぃーー」

 月明かりが、その姿を照らした。


「…………」

 顔は見えなかった。

 いや。

 顔があるべき場所には、大量のお札が貼り付いていた。


 何十枚。

 黄ばんだお札が幾重にも重なり、顔の輪郭すらわからない。


 その時。

 強い風が吹いた。

 風に吹かれバサバサと音を立てて捲れるお札。


 その隙間から覗く皮膚。

 赤黒く爛れていた。


 焼け焦げたように変色し、ところどころが泡立っている。

 どろりと溶け落ちた皮膚が、首筋へと垂れていた。


 まるで。

 バーナーで炙られたチーズのように。


「…………っ」

 そして。

 お札の隙間から、何かが覗いた。


 目だ。

 血走った目。

 焦点の定まらない、濁った瞳。


 それが。

 ゆっくりと。

 俺を捉えた。


「……ちぃーー」

 手を伸ばせば届く距離。

 目の前にいる。


 俺は。

 俺は。

「…………」

 ブーッ。

 突然、ポケットのスマホが震えた。


「……っ!!」

 我に返った。

 そして。

「うわあああああああ!!」

 走り出した。


 全力で。

 振り返らずに。

 ただひたすら走った。


 ヤバい。

 ヤバい。

 ヤバい。

 アレはヤバい。

 頭ではなく、本能が訴えていた。


 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。

 だが。

 どこへ!?


     ◇


 灯りの消えた村。

 誰もいない道路。

 俺は必死に走っていた。


「はぁっ……はぁっ……!」

 肺が焼けるように痛い。

 足がもつれる。

 それでも止まれなかった。

 そのとき。

 遠くに、明かりが見えた。


「……あっ!」

 1軒だけ。

 灯りのついた家。

 あれは。

 村長の家だ。

 俺は最後の力を振り絞った。


 走る。

 走る。

 走る。

 その途中。

 ふと、村長の言葉が蘇った。


『チーズを、肌身離さず持っておくんじゃぞ』

「……チーズ?」

 そうだ。

 チーズ。

 でも、そんなもの持ってない。


 なんでチーズなんだよ!?

 その瞬間。

 脳裏に浮かんだ。

 武の姿。


 顔中に貼り付いたシュレッドチーズ。

 そして。

 あの化け物。

 顔を覆い尽くす大量のお札。


 赤黒く爛れた皮膚。

 武の顔に貼り付いて、夏の暑さで溶けたチーズ。


「…………」

 その姿が、重なってしまった。


「……まさか」

 そう考えているうちに、村長の家へ辿り着いた。


 ドンドン!!

「村長!!」

 ドンドンドン!!

「助けてください!!」


 ガラッ。

 扉が開いた。

 そこには村長が立っていた。


「……お主」

「村長!! 化け物が!!」

「…………」

 村長は俺を見つめた。

 そして。

 深いため息を吐いた。


「……あれほど忠告したというのに」

「…………」

「……まあ、よい」

 村長はゆっくりと背を向けた。


「入りなさい。どのみち、ワシはもう長くないからの」

「……え?」

 奥の部屋へ消える。

 しばらくして戻ってきた村長の手には、大量の紙と袋があった。


「……ほれ」

「……これは?」

 渡されたのは。

 大量のお札。

 そして。

 シュレッドチーズだった。


「…………」

「これを身体中に貼り付けなさい」

「……は?」

「早く!」


 村長が怒鳴った。

 初めて聞く、強い声だった。

「……は、はい!」

 俺は震える手でお札を掴んだ。


 顔に。

 首に。

 腕に。

 身体中に貼り付ける。

 さらにチーズを掴み、顔へ押し付けた。

 ぺたり。

 ぺたり。

 何度も。

 何度も。

「……これで、いいんですか?」

「……うむ」

 村長は小さく頷いた。


「朝になるまで、絶対にここを出るんじゃないぞ」

「……村長は?」

「…………」

 村長は答えなかった。

 ただ、少しだけ笑った。


「……達者でな」

 そう言って。

 村長は外へ出ていった。


 ガラッ。

 ピシャリ。

 扉が閉まる。


「…………」

 俺はその場に座り込んだ。

 身体中にお札を貼り付け。

 顔には大量のチーズ。

 普段なら、笑い飛ばしていたはずだ。

 でも。

 今は笑えなかった。


 そのとき。


 ドン!!

「……っ!」

 扉が揺れた。


 ドンドンドン!!


「……ちぃーー」

「…………」

「……ちぃーーー」


 聞こえる。

 あの声だ。

 ガリッ。

 ガリガリッ。

 何かが扉を引っ掻いている。


「…………っ」

 俺は膝を抱えた。


 目を閉じる。

 耳を塞ぐ。

 何も見たくない。

 何も聞きたくない。


 ただ。

 朝になってくれ。

 お願いだから。

 朝になってくれ。


「……ちぃーー」

 ガリガリッ。

「……ちぃーーー」

 ドンドンドン!!


 永遠とも思える時間が過ぎた。

 どれくらい経ったのだろう。

 気づけば。

 音が聞こえなくなっていた。


     ◇


 瞼の向こうが明るい。

「…………」

 ゆっくりと目を開ける。

 朝日が、寝不足の目を刺激した。


「……ああ」

 朝だ。

 朝になった。

「……助かった、のか?」


 身体中に貼り付いたお札。

 顔にこびりついたチーズ。

 俺はふらつきながら立ち上がった。

 そして。

 扉を開けた。


「…………」

 外側の扉には、大量のお札が貼り付いていた。

 その上から、何かで引っ掻いたような跡。

 赤い。

 真っ赤な傷跡。

 そして。

 足元。


「…………っ」

 そこには、血溜まりがあった。


 大量の血。

 赤黒く変色した、どろりとした液体。

 その中に。

 何かが混ざっていた。


 肉片のような。

 骨のような。

 もはや原形を留めていない、何か。


「…………」

 俺は。

 それが何なのか。

 理解してしまった。


「……村長」

 返事はなかった。

 ただ、遠くから波の音が聞こえていた。


     ◇


 ふらつく足取りで宿へ戻った。

「おー! 悟史!」

 武が元気よく手を振っていた。

「お前、昨日どこ行ってたんだよ!」


「…………」

「なんだよ、その顔! チーズまみれじゃん!」

 武は笑った。

「お前までやってんのかよ!」


「…………」

 俺は何も言えなかった。

 武の顔にも、まだ少しチーズが残っていた。

 しかし、本人はまったく気にしていない。

「そうそう! 俺さ、やっぱ残ることにしたわ!」


「……え?」

「村の人に聞いたら、夏休み中ずっと働いていいって!」

「…………」

「こんな割のいいバイト、逃す手はねえだろ!」

 武は嬉しそうに笑った。


「がっぽり稼いで帰るぜ!」

「…………」

「悟史も残れば?」

「……いや」

 俺は首を振った。


「……俺は帰る」

「そっか! まあ、彼女いるもんな!」

「…………」

「じゃあ、また学校でな!」

 武は笑っていた。

 いつも通りの笑顔だった。


「……武」

「ん?」

「……お前も、帰った方がいい」

「は?」

「……ここにいない方がいい」

 武は一瞬、不思議そうな顔をした。

 そして。


「何言ってんだよ!」

 笑った。

「お前、昨日から変だぞ?」

「…………」

「大丈夫だって! 俺はもうちょい稼いでから帰るわ!」


「…………」

 俺は、それ以上何も言えなかった。

 何を言っても。

 きっと、伝わらない。


 だから。

「……じゃあな」

「おう! またな!」


 俺は荷物を持った。

 振り返らずに。

 宿を出た。


     ◇


 村を出るバス。

 窓の外には、青い海が広がっていた。


 山の斜面に並ぶ古い民家。

 小さな漁港。

 そして、遠くに見える山。

 あの社は、ここからでは見えない。


「…………」

 スマホを取り出す。

 美咲からのメッセージが届いていた。


『悟史!!』

『大丈夫!?』

『お願い、返事して!!』

 俺は震える指で文字を打った。


『大丈夫』

『今、帰ってる』

 すぐに既読がついた。

『よかった……!!』

『本当に心配したんだから!!』

『帰ってきたら、ちゃんと話聞かせてね』


「…………」

 俺はスマホを閉じた。

 窓の外を見る。

 やがてバスは、長いトンネルへと入った。


 暗闇。


 そして。

 出口から差し込む眩しい光。

 俺はようやく、大きく息を吐いた。

 終わった。

 全部。

 終わったんだ。

 




無事に生きて帰られてなによりです。

次回最終話、エピローグです。

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