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ちー様。【全てのチーズ好きへ捧ぐホラー】  作者: 三久田ともかさ


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5日目

5日目 金曜日


「……おい、悟史」

「…………ん?」

「おいって!」

 肩を揺さぶられ、俺は重たい瞼を開いた。


 目の前には武の顔。

「……なんだよ。まだ眠いんだけど」

「なんだよ、じゃねえよ!」

「……は?」

「お前さ、悪戯するにしても限度ってもんがあるだろ!」

 武は呆れたようにため息をついた。

 ……何を言っているんだ、こいつは。


「とぼけんなって!」

「いや、だから何が?」

「これだよ、これ!」

 そう言って武は、自分の顔を指差した。


「…………」


「…………」


「……は?」

 思わず間の抜けた声が出た。

 武の顔には、大量のシュレッドチーズが貼り付いていた。


 頬にも。

 額にも。

 鼻の頭にも。

 寝汗で湿ったチーズが、肌にべったりと張り付いている。


「…………」

「…………」

「ぶはっ!!」

 俺は盛大に吹き出した。


「お前! なんだよその顔!!」

「だからお前がやったんだろ!?」

「いや、知らねえよ!!」

「嘘つけ! 寝てる間に顔チーズまみれにするとか、やりすぎだろ!」


「いやいや! 俺じゃねえって!」

 笑いが止まらない。

 なんだよ、その顔。

 朝から笑わせるなよ。


「ほら、床も見ろよ!」

 武が指差した先には、大量のシュレッドチーズが散らばっていた。


 ベッドの下。

 枕元。

 布団の上。

 まるで誰かが袋をひっくり返したような惨状だった。


「……お前、寝ぼけて食ったんじゃね?」

「んなわけあるか!」

「いや、だって俺じゃねえし」

「じゃあ誰がやったんだよ!」

「知らねえよ!」


 結局、犯人はわからなかった。

 武は最後まで俺を疑っていたが、俺には本当に心当たりがない。

 まあ、寝相の悪いこいつのことだ。

 何かの拍子にチーズをぶちまけたのだろう。

 ……なんで部屋にチーズがあったのかは知らないけど。


     ◇


「おやおや、ちー様がお守りくださったんじゃのう」

 朝食の席。

 武の顔を見た民宿のお婆さんが、嬉しそうに手を合わせた。


「……え?」

「ありがたや、ありがたや」

「いや、あの……」

「ちー様は本当にお優しいお方じゃ」


 お婆さんは何度も頭を下げる。

 武と俺は顔を見合わせた。


「……なあ、悟史」

「……なんだよ」

「俺、やっぱこの村わかんねえわ」

「……奇遇だな。俺もだ」

 その後、武は顔を洗い、何事もなかったように仕事へ向かった。


 俺もそれ以上、深く考えることはなかった。

 変わった風習のある村。

 少しおかしな出来事。

 それだけの話だ。

 そう思っていた。


     ◇ ◇ ◇


6日目 土曜日


 アルバイトも残すところ、あと2日。

 仕事にはすっかり慣れていた。

 大量のチーズを運び、村人たちに届ける。

 相変わらず意味のわからない仕事ではあったが、給料がいいのだから文句はない。


「いやー、明日で終わりか!」

 昼休み。

 武が海を眺めながら大きく伸びをした。


「お前、なんだかんだ楽しんでるよな」

「そりゃそうだろ! こんな楽なバイト、なかなかねえぞ?」

「まあな」

「俺さ、延長できないか聞いてみようかなー」


「は?」

「夏休みまだあるし。ここで稼げるだけ稼ごうかなって」

「……好きにしろよ」


 俺は苦笑した。

 武らしいといえば武らしい。

 目先の利益に飛びつくところは、昔から変わらない。


「悟史も残れば?」

「いや、俺は帰るよ」

「なんで?」

「美咲と約束してるし」

「あー、はいはい。彼女持ちはいいですねえ!」

「うるせえ!」


 武は大袈裟に肩をすくめた。

 俺たちは笑った。

 このときまでは。


     ◇


 その夜。

 俺は奇妙な音で目を覚ました。


「…………ん?」

 時計を見る。

 午前2時を少し回ったところだった。


 窓の外からは波の音が聞こえる。

 それに混じって、何か別の音がした。


「……ちぃーー」

「…………」

「……ちぃーーー」


 ……なんだ?

 寝ぼけた頭で耳を澄ます。

 声は、すぐ近くから聞こえていた。


「……ちー」

「……ちぃーー」


 上だ。

 2段ベッドの上。


「……おい、武」

 返事はない。

「……お前、うるさいぞ!」


「……ちぃーー」

「……は?」

 俺は身体を起こした。

 ベッドの縁に手をかけ、上段を覗き込む。


「…………」

 そこには。

 武がいた。


 いや、正確には。

 顔中にシュレッドチーズを塗りたくる武の姿があった。


「…………は?」

 武は目を開けていた。

 しかし、その視線はどこにも定まっていない。

 手には大量のシュレッドチーズ。

 それを掴んでは、何度も何度も顔に押し付けている。


「……ちぃーー」

 口から漏れる奇妙な声。

 頬に貼り付いたチーズ。

 額からこぼれ落ちる細かな欠片。

 まるで何かに取り憑かれたように、武は同じ動作を繰り返していた。


「……おい」

 声が震えた。


「武……?」


「……ちぃーー」


「おい! ふざけんなよ!」

 肩を掴もうとした。

 その瞬間。


「ちぃぃぃぃぃ!!」

「うわっ!!」

 武が突然、甲高い声を上げた。

 その目は俺を見ていない。

 ただ必死に、チーズを顔へと押し付けている。


「……なんだよ、これ」

 背筋が冷たくなった。

 昨日の朝。

 顔中にチーズを貼り付けていた武。

 あれは。

 誰かの悪戯なんかじゃなかった。


「……ちぃーー」

「……ちぃーーー」

 もう駄目だった。

 俺は逃げるように部屋を飛び出した。


     ◇


「誰か!!」

 深夜の村。

 街灯は少なく、民家のほとんどは明かりが消えていた。


「誰かいませんか!!」

 近くの家へ駆け寄る。


 ドンドン!!


「すみません!!」


 ドンドンドン!!


「誰か!! 助けてください!!」

 返事はない。

「くそっ……!」

 扉を叩く手が痛くなる。

 そのとき。


「……ちー」

「…………え?」

 微かな声が聞こえた。


「……ちぃーー」

 家の中だ。

 誰かがいる。

 俺は恐る恐る窓へ近づいた。

 カーテンの隙間から、室内を覗き込む。


「…………っ!」

 そこには老人がいた。

 薄暗い部屋の中。

 椅子に腰掛けた老人が、両手いっぱいにシュレッドチーズを掴んでいる。


「……ちー」

 ぺたり。

「……ちぃーー」

 ぺたり。

 老人は顔にチーズを貼り付けていた。


 何度も。

 何度も。

 まるで、それ以外のことなど何も考えられないかのように。


「……う、そだろ」

 俺は後ずさった。

 すると、隣の家からも。


「……ちぃーー」

 さらに向かいの家からも。


「……ちー」

「……ちぃーー」


 聞こえてくる。

 あちこちから。

 同じ声が。


「…………」

 俺は走った。

 どこへ向かえばいいのかもわからず、ただ走った。


 民家の間を抜け、海沿いの道へ出る。

 そこには誰もいなかった。

 ただ、暗い海が広がっていた。


 俺は砂浜に座り込んだ。

 膝が震えている。

 何が起きている?

 武はどうなった?

 村人たちは?


 ……ちー様?

 ふと、その名前が頭をよぎった。

「……いやいやいや」

 馬鹿馬鹿しい。

 チーズの神様だぞ?

 そんなものがいるわけない。


 ……じゃあ。

 あれは何なんだ?

 答えは出なかった。

 俺はそのまま、朝まで砂浜で震えていた。


     ◇


 翌朝。

 恐る恐る宿へ戻ると、武はいつも通りだった。

「おー、悟史! どこ行ってたんだよ?」


「…………」

「なんだよ、その顔」

 武は笑っていた。


 ただし。

 その顔には、昨日と同じように大量のチーズが貼り付いていた。

 床にも。

 枕元にも。

 布団の上にも。


「……お前」

「ん?」

「……昨日の夜、覚えてるか?」


「昨日?」

「ああ」

「普通に寝てたけど?」

「…………」

「なんだよ?」


 俺は何も言えなかった。

 そこへ民宿のお婆さんがやって来た。

「おやまあ!」

 そして武の顔を見るなり、嬉しそうに手を合わせた。


「ちー様がお守りくださったんじゃのう!」

「……は?」

「ありがたや、ありがたや」


 お婆さんは笑っていた。

 武も笑っていた。

 俺だけが笑えなかった。




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