3日目
3日目 水曜日
「なあ、悟史。ちょっと山の方行ってみね?」
「は?」
昼休み。
武が突然そんなことを言い出した。
「なんかさ、昨日村の人に聞いたんだけど、山の奥に古い神社があるらしいんだよ」
「……おい」
「なんか面白そうじゃね?」
「いや、そこ禁足地だぞ」
「きんそくち?」
「立ち入り禁止ってことだよ」
「なんで?」
「知らねえよ。村長に入るなって言われたんだ」
「えー、でも気になるじゃん」
「やめとけって」
「ちょっと見るだけだって!」
「お前なぁ……」
しかし武は、俺の忠告など聞く耳を持たなかった。
結局、俺が少し目を離した隙に、山道へと入ってしまったのだ。
「おい! 武!」
慌てて後を追う。
「待てって!」
「大丈夫だって! すぐ戻るから!」
まったく。
こいつは昔からこうだ。
好奇心だけで突っ走り、後のことを考えない。
山道は思ったよりも整備されていた。
ただし、途中から木々が鬱蒼と生い茂り、昼間だというのに薄暗い。
蝉の声が響いている。
しばらく歩くと、小さな石段が見えてきた。
「お、あったあった!」
「おい、もう帰るぞ!」
「ちょっと待てって!」
石段の先には、古びた社が建っていた。
人が1人入れるかどうかという大きさ。
屋根には苔が生え、木製の扉は黒ずんでいる。
その前には、妙なものが置かれていた。
「……なんだこれ?」
武がしゃがみ込む。
小さな皿の上に、黄色いものが山のように盛られていた。
「……チーズ?」
そう。
シュレッドチーズだった。
しかも、かなりの量だ。
「なんでこんなところに……」
「供え物じゃね?」
「いや、普通は米とか塩だろ」
「チー様だからじゃね?」
「…………」
「…………」
「まあ、そうか」
納得してしまった自分が少し嫌だった。
「これ、盛り塩ならぬ盛りチーだな!」
「うまいこと言ったつもりかよ」
「盛りチー!」
「2回言うな!」
武は笑いながら立ち上がった。
その瞬間。
「あっ」
足が皿に引っかかった。
ガシャン!
皿が倒れ、盛られていたシュレッドチーズが地面に散らばる。
「…………」
「…………」
「……やっべ」
「お前……」
俺は思わず頭を抱えた。
「何やってんだよ!!」
「いや、わざとじゃねえって!」
「バレたらヤバいだろ!」
「わかってるって!」
武は慌ててチーズを拾い始めた。
しかし、土や枯れ葉が混ざってしまい、とても元通りにはできそうにない。
「……どうすんだよ、これ」
「……知らね」
「お前なぁ!」
「いや、だってもう無理じゃん!」
確かにそうだった。
俺たちは顔を見合わせる。
「……帰るか」
「……だな」
結局、散らばったチーズをできるだけ皿に戻し、俺たちはその場を後にした。
帰り道。
武は何度も振り返っていた。
「なあ、悟史」
「なんだよ」
「なんか、すげえ見られてる気がしね?」
「……は?」
「いや、なんとなく」
俺も振り返る。
そこには薄暗い山道が続いているだけだった。
「気のせいだろ」
「……だよな」
武は笑った。
俺も笑った。
ただ。
なぜだろう。
あの社の前に立っていたときから、妙に焦げ臭い匂いが鼻に残っていた。
山の中で誰かが焚き火でもしていたのだろうか。
そんなことを考えながら、俺たちは村へと戻った。
◇ ◇ ◇
4日目 木曜日
その日の朝。
宿泊先に村長がやって来た。
「おはようございます!」
「うむ。おはよう」
いつもの穏やかな笑顔。
しかし、どこか様子がおかしかった。
村長は俺たちの顔をじっと見つめていた。
特に武を見る時間が長い。
「……あの、何か?」
「いや……」
村長は小さく首を振った。
「昨夜はよく眠れたかの?」
「はい! ぐっすりです!」
武が元気よく答える。
「そうか……」
村長は何やら考え込んでいた。
そして、俺の方へと歩み寄る。
「悟史くん」
「はい?」
「……少し、よいかの」
村長は俺を廊下へ連れ出した。
「どうかしました?」
「……山へ行ったかね?」
心臓が跳ねた。
「えっ……?」
「北の山じゃ」
「…………」
俺は答えられなかった。
村長は深いため息をつく。
「……そうか」
「……すみません」
「いや、よい」
よくないだろ。
怒られると思っていた俺は、拍子抜けした。
しかし、村長はそれ以上何も言わなかった。
ただ、俺の顔をじっと見つめている。
そして。
「……悟史くん」
「はい」
「チーズをな」
「……はい?」
「チーズを、肌身離さず持っておくんじゃぞ」
「…………」
「…………」
「……はぁ?」
思わず間の抜けた声が出た。
村長は笑わなかった。
「よいな。必ずじゃ」
「……わかりました」
そう答えるしかなかった。
村長はようやく小さく頷いた。
「……それならよい」
そして、ゆっくりと宿を後にした。
◇
「なあ、武」
「んー?」
仕事へ向かう途中、俺は武に尋ねた。
「お前、昨日の夜なんか変わったことなかった?」
「は? なんで?」
「いや、村長が変なこと言っててさ」
「何?」
「チーズを肌身離さず持ってろって」
「…………」
「…………」
「ぶはっ!!」
武が盛大に吹き出した。
「なんだよそれ!!」
「知らねえよ!」
「お守りがチーズってこと!? 腹減ったら食えんじゃん!」
「俺に聞くな!」
武は腹を抱えて笑っている。
俺もつられて笑った。
まあ、確かに。
チーズを持ち歩けと言われても、どうすればいいのかわからない。
ポケットに入れておけば、夏の暑さで溶けてしまうだろう。
それに、そもそも何から身を守るというのか。
「……変な村だよな」
「まあ、給料いいから別にいいけどな!」
「それはそう」
俺たちは笑いながら倉庫へ向かった。
今日も仕事は順調だった。
大量のチーズを運び、村人たちに感謝される。
昼食はうまい。
海は綺麗だ。
村人たちも親切だ。
何も問題はない。
……そう。
このときまでは。
◇
その夜。
仕事を終えた俺たちは、いつものように民宿へ戻った。
風呂に入り、夕食を済ませる。
武はスマホでゲームをしていた。
「なあ、悟史」
「ん?」
「明日で5日目か」
「そうだな」
「あとちょっとで終わりじゃん」
「だな」
「いやー、マジで楽なバイトだわ!」
「お前、初日半分サボってるからな」
「まだ言う!?」
いつものくだらない会話。
いつもの笑い声。
窓の外からは、穏やかな波の音が聞こえていた。
「じゃ、おやすみ!」
「おう」
武が2段ベッドの上へと登っていく。
俺は部屋の明かりを消した。
暗闇の中、波の音だけが響いている。
明日も朝から仕事だ。
早く寝よう。
そう思い、俺は目を閉じた。
そのとき。
ふと、村長の言葉が頭をよぎった。
『チーズを、肌身離さず持っておくんじゃぞ』
……なんだったんだろうな、あれ。
まあ、いいか。
明日も早い。
俺は布団を被り、眠りについた。
翌朝。
武の顔が、チーズまみれになっているとも知らずに。
忠告はしました。
これ以上先に進むのであればチーズを用意する事をお勧めいたします。




