第4話 遅い夕食。
「厩舎にご当主がいると聞いてきたんだが」
金髪の少年が汚れた自分の手をスラックスにこすりつけながら、私に聞いてきた。
「行き違いになったか?なあ、おばちゃん」
「……」
屋敷に向かって並んで歩きながらそう聞いてきた少年。年は16歳ぐらいだろうか。
弟が生きていたら、こんな感じなんだろうと、今まで何度もそう思ったことをやはりジュリエンヌは考えた。
「とりあえず、風呂に入ろう。手伝ってくれてありがとう」
屋敷の前で、執事のオーレリアンがうろうろしていた。
「オーレリアン、この子たちががリュシーの出産を手伝ってくれた。逆子だったが、無事産まれた」
「ああ!ようございました!呼びに行こうかと思っていたところでございます」
「私は風呂に入る。この子たちにも風呂と着替えを。すっかり汚れてしまったのでな。少年は手を痛めたようなので、治療してやってくれ。それと、ヤンとエデルと先生がまだ厩舎にいるから、夕食を持って行ってくれないか?」
「かしこまりました」
それだけ言うと、ジュリエンヌは勝手口に回って、使用人用の大風呂に向かった。
…おばちゃん、か、違いない。
もうすぐ24歳になる。よその国ではどうかわからないが、この国フールでは、もう子供の2人や3人いてもいい年だ。年端の行かない少年にしたら、そう言われても仕方がない年になった。
血や羊水で汚れたシャツとスラックスとエプロンを洗濯籠に入れて、風呂に入る。
髪も洗わないとな…。面倒だな。
ごしごしと全身を洗い終わって風呂を出ると、着替えが用意してあった。
髪を拭きながら、脱衣所に据えられた姿見を眺める。普段はあまり見ないようにしている。使用人たちは、気にするほどの跡ではないと言ってくれるが…顔や腕のあちらこちらに残る凹凸跡とシミ。そこにソバカスまである。腕には薄っすらと夏の日焼けの跡もまだ残っている。
…おばちゃん、な。違いない。
ジュリエンヌはふっと笑って、さっさと着替えると、濡れた髪のまま自室に戻った。
***
「私がヴェレリー伯爵家当主のジュリエンヌだ。遠いところ御足労頂いて感謝する。先ほどはうちの馬の出産を手伝ってくれてありがとう」
夕食の席に現れたのは地味な深緑色のドレスを着た女性。噂の通り、顔を見せたくないのかベールを被って、口元しか見えない。
…さっきの人じゃん…おばちゃんて言っちまった。
シリルは内心動揺した。顔には出さないが。
「レミ伯爵家のシリルと申します。今後ともよろしくお願いいたします」
さっき、ロープを引いたので、手の皮を擦りむいてしまったシリルは、両手に包帯を巻いたまま、席を立ってお辞儀をした。
「……」
ジュリエンヌと名乗った女性がベール越しに、じっと自分のことを観察しているのを感じたが、そしらぬふりで勧められるまま席に着いた。後ろには屋敷から付いてきたアンドレが立っている。
「うちのおばさまが無理を言ったようだ。気にせず、お帰り頂いて構いません」
「あ、いえ。いいご縁談を頂いて、私も父も感謝しております」
まさか…このまま帰ってもいいと言われるとも思っていなかったシリルは、必死だった。このまま帰ったら…人生終了だ。
食事が終わって、ティールームに移動してお茶を出されたシリルは、アンドレが持ってきた父親と自分の署名済みの婚姻承諾書をジュリエンヌにすっと差し出した。
「まだ若輩者ではございますが、ヴァレリー伯爵家のお役に立つよう、尽力いたします」
シリルは真面目そうな人間に見えるように、言葉を選んでそう言った。
「……あなたは、まだ16歳ぐらいか?」
「いえ、18歳になりました」
「……ふむ。私はもう23歳だ。それにここは王都から遠い。あなたほどの美少年なら、引く手あまたでしょうに。どうして?」
「いえ。ご存じかとは思いますが、伯爵家と言えど三男にはそうそう選べる道はございませんので」
「…そうなのか?」
「ええ」
シリルはほんの少し首をかしげてにっこりと笑って見せる。ちょっと自信のある角度だ。さらりと金髪が揺れて…年上なら庇護欲をそそられるはず。
この屋敷自体も通された客間も立派なものだった。良く磨かれた家具、センスのいい装飾品。長い廊下に敷かれた絨毯。…まあ、いいんじゃないだろうか。そんな感じだ。この人が望むなら、夜のお務めだって頑張る。どうせ暗闇の中だしね。そのベールの中に何が隠されていても、なんにも見えない。
「それでは…1年だけ名前を貸していただくことにしよう。一年たったらご持参いただいた持参金を倍にして支払って離婚する、というのでどうだろうか?好きに過ごしていただいて構わない。あなたの経歴に傷がついてしまうが…」
「あ、いえ。とんでもございません。当主がそうお望みならば。ただ…そうすることであなたに何かメリットがおありですか?」
「ははっ。いつまでも無駄に見合いなど勧められなくて済むようになるし、ダメだったとなれば、養子でも取る理由になるしな」
そう言いながら、ジュリエンヌは上品な仕草でお茶を飲みだした。
…そうしたら、父親にも言い訳が付くし、僕に残されるのは、自由、だ。一年ぐらい寝ていても過ぎる。シリルはこみあげる笑みを必死に抑えた。当主の後ろに控えた執事長らしい人物が、微妙な顔をしているが、知ったことではない。
「では。この婚姻は成立ですね。こちらにご署名を頂いても?」
シリルはアンドレが用意して来たペンを、にっこり笑ってジュリエンヌに差し出した。




