第21話 アンドレの新しい生活。(番外編)
「いいか、アンドレ。シリルが女中や侍女に手を出したら、金を握らせて黙らせろ」
「はい。旦那様」
「これで駄目だったら、修道院に入れる」
「はい」
「お前も首だ」
「…はい」
のんきに坊ちゃまがタイを選んでいたすぐその後、旦那様に呼び出された俺はほとんど首が決定だろうという宣告をされた。坊ちゃまのお相手は、5つ上のヴァレリー伯爵家当主。社交界には出てこない、とんでもない不細工な女性だと聞かされた。
…無理だな。
旦那様のサインが入った婚姻承諾書を持たされて、坊ちゃまとヴァレリー伯爵家に向かって出発したのは、その日のうちだった。
「チェ、やっとミレーヌ嬢とのデートにこぎつけたって言うのに、ついてないなあ」
「……」
本当についていないのはあなたではなくて、あなたのお守りを任された私です。
そう思ったが、言わないでおいた。言ってもどうもこうもならない。静かに首になるしかない。
新しい屋敷では客間の控室が俺の寝床になった。何をしていてもいいと言われた坊ちゃまは、ほとんど部屋から出ない自堕落な生活を送り始めた。
俺はしばらくはそんな坊ちゃまに付き合っていたが、もとよりじっとしていられない性格もあって、その屋敷の執事長に言って仕事を貰うようになった。銀器磨きから、靴磨き…それでも時間が余ったので、厩舎の手伝いも始めた。首になったら旦那様から紹介状も貰えない。紹介状がもらえないということは、次の仕事が決まらずに路頭に迷うことを意味した。それなら、この屋敷の執事長から紹介状を貰おう。そう思ったのもある。
厩舎の仕事は案外面白かった。馬は表情が豊かで、新入りの俺のことを小ばかにしているのも分かった。良く磨いてやると、気持ちいい顔もする。人間よりわかりやすい。厩舎係のヤンじいさんが面倒を見てくれた。エデル、というくそ生意気な姉弟子もいた。俺はそいつに煽られれば煽られるほど、早起きになった。しまいには4時起き。坊ちゃまがまだ熟睡しているうちに、そっと部屋を出る。
「アンドレ、馬に乗っていいってさ!」
…呼び捨てかよ…6つも下の小娘に呼びつけられて、俺も馬に馬具を乗せる。
この娘は馬が本当に好きだ。乗馬姿もほれぼれするほど綺麗だ。絶対に言わないけど。
俺たちが広い放牧場を走っている間、坊ちゃまはヤン師匠に乗馬を習っている。
なんだか急にいろいろやり始めたけれど、俺は本気にはしていなかった。ブリア語を教えろと言われた時も、いつまで続くかな、と思っていた。まさか…商用語まで独学で勉強するとは…正直なところ驚きしかなかった。イリア語に至っては何か月かで習得した。
ブリアのゲレオン商会の会頭って男は…坊ちゃまも嫌っていたが、俺も警戒していた。背も高いし、いい男だし、キザだし…。しかも…金も名誉もある。呼び出されてエデルがしぶしぶ二人で話しているのを何度か目にして、なんだかおもしろくない。
ゲレオン商会の展示会に行った時も、こっそり呼び出されていた。
「いつ帰って来るんだ?いつまでそんな平民の真似をしているつもりなんだ?」
「21歳までは自由にしていいってお父様がおっしゃったわ!兄上には関係ないでしょ?それに私、ブリアに帰ったら馬の部門を立ち上げるつもり。フールの馬は綺麗なんですもの」
「まったく…じい様がお前にフールの馬なんか買い与えたから…」
…兄上?だって?
「まさかお前に付きまとっている平民と結婚するつもりか?」
「付きまとっているって…アンドレのこと?違うわよ、彼は…」
…付きまとって??そう見えるのか??
それに…違うのか。
クリスマスの日、坊ちゃまと教会から帰ると、屋敷は静かだった。ほとんどの使用人が家族と過ごすために帰されている。
「アンドレ。クリスマスおめでとう」
そう言いながら坊ちゃまが小さなブッシュドノエルの載った皿を俺に渡してきた。
「エデルが今日は厩舎当番なんでしょ?」
そう言って笑っていた。
俺とエデルは厩舎に積まれた藁の上で、坊ちゃま手作りのブッシュドノエルを食べた。
エデルの口の脇に付いたチョコレートを笑いながらぺろりと舐め取った。ほんの冗談のつもりだった。驚いたエデルの顔。そしたら…止まらなくなってしまった。
いつの間にか、このままこいつとここで生きていきたいと思っていた。そうはならないと…気が付いてしまってはいたが。
脱いだコートを敷いて…寒くないかと聞きながら、朝まで抱きつぶしてしまった。
ああ…なんてこった。
俺は早朝、敷き藁を交換しながら、自分のやらかしたことを反省した。後悔はしていないが…いや、エデルの初めてがこんな藁の上なんて…。坊ちゃま以下だな。
起き出したエデルがもぞもぞと服を着ている間、身の置き所がなかった。どんな顔で話せばいいのか…坊ちゃまに聞いておけばよかった。
「おはよう、アンドレ」
「お、おう」
「ん」
嬉しそうに目をつぶって俺に顔を向けるエデル。ここは…キスで良いんだよな?
軽く口づける。
「もちろん、責任取ってくれるんでしょう?ね?」
「お、おう。でもエデル…俺は違うって…言ってなかったか?いいのか?」
「え?」
「ほら、展示会の時…兄上と…」
「ああ。アンドレは付きまとってもいないし、平民でもない、って言ったのよ」
「……そうか。そうか」
「じゃあ、春になったら私とブリアに帰りましょう?馬も何頭か仕入れていくつもり」
「そ、そうか」
「あら?アンドレも知ってるでしょう?メス馬は自分の伴侶は自分で選ぶのよ?」
「あ、そうだな」
馬はメスがオスを選ぶ。気に入らないオスに言い寄られたメスは平気で蹴り倒す。
あれ?待てよ?
俺、いつの間にかこいつに選ばれて…狙われてた?




