第16話 夕食。
どうしてもっと早くそうしなかったのかと思う。
メイドのミアに部屋に夕食を運んでもらって、一人で食べる。最初からこうすればよかった。あまりおいしいとも思えないが…そのうち慣れるだろう。それに…今はあんまりシリルの顔を見たくない。
スープとパンを少しだけ食べて、もう仕事に戻った。
アンヌがのぞきに来たので、
「仕事が忙しいだけだよ」と言った。
昼間は普通に仕事をして、夜は一人で夕食を摂った。私とシリルが話さないので、使用人たちもなんだか静かだった。
オーレリアンに離縁の書類を取り寄せるように言って、事務長のマルセルに、シリルの持参金全額に1500万フルールを足して、レミ伯爵家に送金するように指示を出した。マルセルは驚いていたが、しぶしぶ了承してくれた。
オーレリアンに聞いたのか、その夜、私の部屋にシリルが訪ねてきた。
「もうご実家に帰ってもいいですよ。楽しい一年でした。ありがとう。離縁の書類は明日にでもオーレリアンのところでサインしてください」
「……」
部屋の机で広げた仕事の書類を見ながら…私は顔をあげるのが嫌だった。
ペンを動かしながら、顔も上げずに別れを告げた。
「慰謝料はもう振り込んでおきました。お幸せにお暮しください」
「ジュリ…。ミレーヌとは本当に何にもない。本当に偶然なんだ。僕は…ここに来る前は自堕落などうでもいい生活を送ってきた。どうしようもない男で、親にも見放されたんだ。ここに来たばかりの頃は、1年限りの結婚で慰謝料貰えるなんて、なんてついているんだと思ったのも本当だ。でも…」
「……」
「でも…僕は変わることができた。君とここのみんなのおかげだ。だから、ここにいたいんだ。僕にはジュリが必要なんだ」
「……」
「ジュリ?」
「…私は、死んだ弟が帰ってきたようで楽しかっただけです。こちらの都合で一年もあなたの自由を奪ってしまって申し訳なかった。もう…お帰り下さい」
「……」
長い沈黙の後、ドアが閉まる音がした。
私はようやく閉まったそのドアを見つめながら、深いため息をついた。
我ながら…バカげた選択をした一年間だった。
仕事をしようと書類を見ると、随分と濡れていて、自分で呆れてしまった。
今年でもう25歳になるというのに、何をやってんだか。
相手はまだ19歳の若者だ。
…そう思いながら、ジュリエンヌは椅子に掛けて置いたエプロンを取って、顔を埋めて泣いた。
***
産気づいた馬がいて、すっかり遅くなってしまった。これから出産シーズンになる。
今日の馬はするりと産まれた。仔馬の体を拭いて、立ち上がるところまで見てから、遅番の人に交代して来たので遅くなってしまった。
アンドレはささっと風呂に入って、着替えてから部屋に戻ろうとしたところで、執事長に会った。
「ああ、アンドレ君…当主がね、明日にでも離縁届にサインをもらえと言い出してね…。慰謝料ももう、振り込んだらしい」
泣きそうな顔でそう俺に教えてくれた。
坊ちゃまはこのところ元気がない。それは気が付いていた。
メイドたちの話を聞くと、どうも先日の客が坊ちゃまの元カノだったらしい。赤い髪の美人さんだったと言っていたから…最後に口説いていたミレーヌ嬢、かな。
二人で手を握ったまま随分長いこと話していたらしい、とか、坊ちゃまがひたすら頭を下げて謝っていた、とか…。どうもその元カノが迎えに来たらしい、とか。
当主の呼び方が、婿殿、からシリルに変わったとか、もう一緒に食事をとっていないとか…。
俺に噂話をする人たちは皆、泣きそうな顔でそう言うのだ。
急いで部屋に戻ると、坊ちゃまが荷造りを終えて、机に向かって手紙を書いていた。
「坊ちゃま?」
「ああ、アンドレ。ジュリにもう帰れって言われちゃったよ。明日帰る」
「え?マジですか?それでいいんですか?」
「うん。とりあえず帰る。頭を冷やしてから、出直してくるつもりだから」
「坊ちゃま?」
「どうしても…どうしても欲しいものなんか僕には長いこと何一つなかった。おんなじくらい、誰も僕自身を必要としてくれなかったしね」
「……」
「今までいい加減に生きてきたツケが廻って来たんだね。でもね、僕はどうしても欲しいものを見つけたんだ。もう…だめかもしれないけれど」
「だったら…」
「君はここに残るんでしょ?馬の出産シーズンだしね。エデルさんと幸せにね」
「坊ちゃま?」
「帰って、父上とよく話してくるよ。それで、もう一度出直してくる。だから、アンドレ」
「だから?」
「だから…とりあえずの旅費を貸してくれないか?」




