8.呪いの魔女なので、魔術具を作ります③
「————ラさん」
……深い眠りの底で、誰かの声が聞こえた。
「——サクラさん」
聞き覚えのある声だ。だが、まだ起きるには早い。
サクラは顔を伏せたまま、声から逃れるように身じろぎした。
「ううん、あと五分……」
まどろみの中、言葉を返す。その瞬間、
『サクラさん! いい加減、起きてください!』
「はいぃっ!?」
耳元で響いた大音声に、サクラは勢いよく飛び起きた。
「な、何よ、うるさいわね……!」
「ようやく起きましたか」
目の前には、小型の拡声魔術具を手にしたジンが立っていた。
「あれ? ここは……」
寝ぼけたまま周囲を見回す。
作業台には工具や魔石が散らばり、その中央では改良を終えた護衛ちゃん一号【改】が沈黙していた。
そこでサクラはようやく、昨夜は魔術具の完成と同時に力尽き、工房で眠ってしまったことを思い出した。
「おやすみのところ失礼しました。その姿勢でいつまでも眠らせておくわけにはいかなかったので」
「だからって、もっと起こし方というものがあるでしょうが!」
「では、俺が手ずから抱き上げて寝室までお連れした方がよかったですか?」
「……起こしてくれてありがとう」
さすがに分が悪いと大人しく引き下がるサクラに、ジンは満足げに拡声魔術具を置いた。
「チェチェさんもお疲れのようだったので、先に寝室で休んでいますよ」
「遅くまで付き合わせちゃったものね。……あら?」
そのとき、爽やかな香りがわずかに鼻腔をくすぐった。
サクラが匂いの元を探すと、ジンの背後に給仕用のワゴンが見えた。
「昨夜は食事すら取らなかったでしょう。癒やしの効果があるハーブティーも淹れましたので、これだけ食べたら寝室できちんと休んでください」
ジンはそう言うと、作業台の上に用意していた軽食とハーブティーを置いた。
焼いたパンに、薄切りの肉とチーズ。
それを見た途端、忘れていた空腹が一気に押し寄せてくる。サクラは素直に「いただきます」と手を合わせた。
「……それにしても、いい魔術具ができたわね」
食事をしながら、完成した護衛ちゃん一号【改】を満足げに眺める。
「実用化を考えるなら、もう少し調整が必要ですがね。王宮の連絡網とつなぐなら先方にも話を通さなければなりませんし」
「それでも十分よ。そうだわ、来季の品評会へ出してみない?」
「この不気味な人形を……?」
「そのときには見た目も整えるわよ! 魔術具師連中みんな、きっと度肝を抜かすわね。この『護衛ちゃん一号【改】を見たら」
「そのとんちきなネーミングで……?」
「これ以上ない素敵な名前でしょうが!」
美味しい食事に舌鼓を打ちながら、いつものような軽口を叩き合う。
苛立ちの滲んだ言葉を放ちながらも、工房を包む空気は朝の日差しのように穏やかなものだった。
癒し効果のハーブの香りがそうさせるのか。サクラはジンが淹れてくれた二杯目に口をつけつつ、そう思った。
「……まあ、その奇怪な名前と見た目さえ改めれば、そこそこの評価を得られる出来ではないですか?」
ジンはそう言うと、作業台を挟んだサクラの正面へ腰を下ろした。
卓上に片肘をつき楽な姿勢をとる彼に、サクラはふと思う。
そういえば、ジンは睡眠や食事はとったのだろうか?
無理に一晩中付き合わせてしまったことを思い出し、サクラは少し申し訳ないような気持ちになった。
(ジンはその程度で音を上げるような人ではないって、わかってはいるけれど……)
そう思いつつ、サクラはジンを伺い見ながら切り出した。
「……ありがとね、研究に付き合ってくれて」
黒鉄色の瞳が、こちらに向けられる。
「その……楽しかったわ。誰かと協力して一つのものを作るなんて経験、私にはなかったし……知らないことを教えてもらうのも新鮮で、嬉しかった。
言葉にするほど気恥ずかしさが込み上げて、サクラはジンから目を逸らす。
逃げるようにハーブティの入った茶器で口元を隠した。
「だから……ありがとう」
口元をもごつかせたまま語るサクラの言葉を、ジンは黙したまま受け取る。
沈黙がなんだか面映くて、頬が熱くほてる感覚がした。
気まずさに視線を落とす。淡いゴールドの水面に睫毛の影が落ちた。
瞬間、
「……っ」
胸をぎゅっと掴まれたような痛みが走った。
驚いて顔を上げると、ジンが呆気に取られたようにサクラを見つめている。
(そうだ。忘れてた、呪いのこと……!)
昨夜は研究に夢中で、痛みの共有も、ジンが自分へ恋心を抱いていることも、すっかり頭から抜け落ちていた。自分の忘れっぽさに内心頭を抱える。
(そもそも護衛ちゃん一号は、ジンを追い出すために作ったものじゃない! 何を二人仲良く、徹夜で改良しているのよ。私の馬鹿……!)
意識した途端、さらに顔が熱くなる。
気まずい沈黙に耐えられず、サクラは茶器の陰からジンの様子を盗み見た。すると、
「……俺も、やりたくてやったことですから」
ジンもまた、どこか居心地が悪そうに顔を背けた。
浅黒い肌では分かりづらいが、その耳元が、いつかのように赤く染まっていることにサクラは気づいた。
(意外。実は、赤くなりやすいタイプなのね)
普段は何を考えているのか分からない無表情な男が、自分の言葉一つでこうも分かりやすく照れている。
そんな彼を見ながら、サクラは思った。
それって、なんだか……
(かわいい、かも……)
そう思った瞬間、胸の内側がむず痒くなる。
それは同時に、自分へ向けるジンの気持ちも思い知ることだったからだ。
(……ジンはいつから、こんな気持ちを抱えていたのかしら)
同時に、一つの疑問が浮かんだ。
サクラへ伝わってくるジンの恋情は、いつだって胸を締めつけるような痛みを伴っていた。痛みを伝える呪いの影響なのだから、当然ではあるのだが……。
それでも、こんな苦しい想いを抱え続けて、ジンはつらくないのだろうか。
そもそも自分たちは、顔を合わせれば口喧嘩ばかりだ。
そんな関係で、ジンはいいのだろうか?
唐突に襲いくるこんな痛みを抱えながら、彼は、ずっと自分のそばにいるつもりなのだろうか……。
「……ねえ、ジン」
サクラは茶器を両手で包み、その縁を指先でなぞりながら尋ねた。
「あなたはどうして、この塔の護衛に志願したの?」
突然の質問に、ジンが目を瞠る。サクラは続けた。
「だって、変でしょう。あなたは騎士として相当な地位にいたと聞いているわ。それなのに、どうして自分からこんな閑職へ来たの?」
ここは『呪いの魔女』が住む塔だ。好んで近づく者などいない。
歴代の護衛騎士も使用人も、嫌々ながらその任を受け、誰もがサクラを恐れていた。
だというのにジンは、自ら望んでこの塔へとやってきた。
サクラに怯えるどころか無遠慮に悪態ばかりつき、あまつさえその内心ではサクラに恋情を抱いているという。
それがサクラには不思議なのだ。
小憎らしいほど不躾な態度と、その胸に秘めた苦しいほどの恋心が、サクラの中でうまく噛み合ってくれない。
「……ここの方が気兼ねなく研究できると、前にも言ったでしょう」
「それなら騎士を辞めて、本格的な研究者になればよかったじゃない。そうしたら王宮でも、誰に憚ることなく蔵書を読み探れるわよ」
誤魔化そうとするジンにさらに踏み込む。
ジンはしばらく沈黙していたが、誤魔化しきれないと悟ったのか、やがて観念したように息を吐いた。
「……どうしても、たしかめたいことがあったのですよ」
「たしかめたいこと?」
「ええ。どうしても気になって仕方ないことです。気になって気になって……それをたしかめなければ、仕事に支障が出ると思うほどに」
「……っ」
ジンはそう言うと、黒鉄色の瞳でサクラを見据えた。
真っ直ぐな眼差しに射抜かれ、サクラの心臓がドキリと跳ねる。
「それって——」
「もう食べ終わりましたね。そろそろ自室へ戻って休んでください」
言いかけたサクラの言葉を遮り、ジンは立ち上がった。
「ええっ!? 嫌よ、まだ護衛ちゃん一号【改】の動作確認が残っているわ!」
「そんなものは後です、まずはきちんと休んでください。ついでに、その名前も改めるように」
「名前は関係ないでしょう! それに、動作確認くらいならちょっとで済むわよ」
「いいんですよ? 俺が手ずから抱き上げて、寝室までお連れしても」
「自分で行きます」
作業台越しにジロリと見下ろされ、サクラは渋々茶器をワゴンへと戻した。
(なんだか、うまく誤魔化されたわね……)
ジンの真意がわかるかもと思ったんだけど……
と、いささか残念に思いながら、サクラは椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、まじないの時間になったら起こして頂戴——きゃっ!」
「っサクラさん!?」
踏み出した途端、足元がふらついた。
寝不足のせいか、身体へうまく力が入らない。そのまま前のめりに倒れかけたサクラへ、ジンが咄嗟に手を伸ばした。
しかしその手はサクラの身体へ触れる寸前で動きを変え、服の襟元を掴んで強引に引き戻す。
「ふう……危なかった」
「ぐえっ……く、首! 首が締まるわ!」
——結果、自分の服によって首を絞められる羽目に陥る。
安堵の息をつくジンとは対照的に、サクラは自身の首を抑えながらうめき声を上げた。
「転んで頭を打つよりはましでしょう」
「もっと他に助け方があったはずよ!」
「厚手の服を着ていて助かりました。掴みやすかったです」
「もっと他に言うことはないの!?」
サクラが両足でしっかり立ったことを確かめ、ジンはようやく襟元から手を離した。
苦しみからようやく解放されたサクラは、涙目でジンに噛み付く。
先ほどまでの気恥ずかしさも、ジンに対する疑問も、すっかり吹き飛んでしまっていた。
「まったく、やっぱりちっともかわいくないわ!」
サクラはまだ痛む首元をさすりながら、ぷりぷりと怒って工房を出ていく。
苛立つ彼女は気づかなかった。
工房の中に一人取り残されたジンがわずかに表情を曇らせ、自分の首元に手を当て——
「……?」
あるはずのない圧迫感をたしかめるように、無言で喉をさすっていたことに。




