9.追い出し作戦ですが、難航中です
「結局、また失敗しちゃった……」
塔の庭にそびえる聖樹。その太い根へ腰掛け、サクラは深々とため息をついた。
護衛ちゃん一号は無事完成した。魔術具としても、満足のいく出来である。
だが、ジンを塔から追い出すという本来の目的は、少しも果たせなかった。それどころか、二人で徹夜して研究に没頭し、以前より距離が縮まってしまった気さえする。
一体どうしてこうなったのだろう。
落ち込んだ様子のサクラに、チェチェは聖樹の花で冠を作りながら言った。
「作戦が甘いからじゃないかなぁ?」
「う、うるさいわねっ!」
反射的に言い返したものの、すぐに口をつぐむ。
今まで自分が行った『ジン追い出し作戦』を思い起こせば、たしかにそう言われるのも無理もない気がしたからだ。
(いえ、違うわ。ジンが予想以上にしぶといだけよ!)
だがすぐに首を横に振ってその考えを追い出す。
そう自分に言い聞かせていると、チェチェが編みかけの花冠を掲げてみせた。
「もう、追い出さなくていいんじゃなぁい? これからもチェチェと、ジンと、三人で暮らそうよぉ」
「……チェチェは嬉しそうね。私の作戦が失敗しても」
「うん! だって、チェチェはジンが好きだもん。ジンがいなくなるのは、寂しいよぉ」
「……」
皮肉のつもりで言った言葉に素直な笑顔で返され、サクラは思わず押し黙る。
チェチェはそんな彼女の様子に気づかず、楽しそうに鼻歌を歌いながら、再び花を編み始めた。
その姿に、サクラの胸がちくりと痛む。
ジンから流れ込んできた痛みではない。これは、自分自身の罪悪感だ。
(……わかっているわよ)
サクラは心の中で呟きながら、聖樹の根の上で膝を抱えた。
自分がどれほど身勝手な理由でジンを追い出そうとしているのか、サクラとてわかっていた。
チェチェの寂しさも、ジンの意思も無視して、自分だけが安心できる結末へ押し込もうとしていることも。
……もっとも、肝心の作戦はことごとく失敗しているのだが。
(……でも、私にだって譲れない理由がある)
サクラは膝の上で、そっと拳を握り締めた。
「でも、チェチェには分からないなぁ。どうしてジンを追い出さなきゃいけないのぉ?」
花を編む手を動かしながら、チェチェが素直な疑問を口にする。
「ジンといるときのサクラ、いつも楽しそうなのに」
「楽しくなんかないわよ! いつもいつも、嫌な思いばかりさせられているんだから!」
「そぉ? 昨日だって、すごく楽しそうだったよぉ?」
「だから楽しくなんて……っ!」
チェチェの言葉を否定しかけ、だけどすぐに口を閉じた。
今さら誤魔化しても仕方がない。
昨夜の共同研究は、本当に楽しかった。それはもう、ジン本人にも伝えてしまっている。
「だって……」
言い逃れを諦めたサクラの口から、小さな声がこぼれる。
「……どんな顔していいか、わからないのよ。誰かに好きになられたことなんて、今まで一度もなかったから」
立てた膝へ顔を埋める。
照れているのか怯えているのか、その声はわずかに震えていた。
花冠へ向けられていたチェチェの目が、サクラへ移った。
膝の陰へ隠れているサクラの頬は、わかりやすく赤く染まっている。
「……サクラ、かわいい!」
「何よ、突然!」
チェチェは嬉しそうに飛び上がり、サクラの周囲をくるくると回り始めた。
「サクラ、照れてる! すっごくかわいい!」
「かわいくないわよ! それに、照れてもいない!」
「でも、ほっぺが真っ赤だよぉ?」
「赤くないったら!」
顔を隠しながら否定する姿には、まるで説得力がない。
チェチェはひとしきりサクラの周りを飛び回ると、やがてその顔の前で羽ばたきを止めた。
「どんな顔って、何か変える必要があるのぉ?」
「それは……」
「ジンだって、いつもとおんなじ顔をしてるよぉ。それならサクラも、そのままでいいんじゃなぁい?」
言うだけ言って、チェチェは編みかけの花冠のもとへ戻った。
薄桃色の花は、すでに一つの輪を形作っている。
チェチェは最後の花を丁寧に編み込むと、完成した冠を抱えて再び飛び上がった。
「ジンに何か言われたわけでもないんでしょぉ? だったら、サクラはサクラのままでいいんだよぉ」
そう言いながら、サクラの頭に花冠を載せる。
艶やかな長い黒髪に、淡い桃色の花はよく似合った。
チェチェはそれを見て、満足そうに笑う。
たしかに、ジン本人から想いを告げられたわけではない。呪いをきっかけに、サクラが勝手に彼の胸の内を知ってしまっただけだ。
このまま知らないふりをしていれば、今までと同じように暮らせるのかもしれない。だが——
「……怖いのよ」
サクラは花冠に触れながら、ふっと目を伏せた。
「自分のことを好きな人が、すぐそばにいるのが……どうしても怖いの」
サクラは恋愛ごとに詳しくない。
それでも、世間で人気の恋物語や、チェチェが好んで口ずさむ恋歌くらいは知っている。
そこで描かれるのは、誰かに恋い焦がれ、その手を取り、抱き締め、口づけたいと願う人々の姿だ。
恋をすると、人は、その相手に触れたいと願うらしい。
だというのなら。
「……ジンだっていつか、私に触れたいと思うかもしれないじゃない」
サクラには、それが怖かった。
ジンはいい男だ。
騎士としても研究者としても有能で、性格は真面目。少し口うるさくて無遠慮なところはあるが、細かなところではよく気がつく、優しい人だと思う。見た目だって悪くない。
そんな男が、自分に恋をしたせいで、その人生を台無しにしてしまうかもしれない。
サクラにはそれが、どうしようもなく怖いのだ。
「だから、今のうちに離れた方がいいのよ。この塔から——私から、解放してあげた方がいいの」
自分に言い聞かせるように、サクラは呟いた。
「サクラ……」
それがジンのためなのだと、苦しげに語るサクラをチェチェが心配そうに覗き込む。
聖樹の庭を、風が吹き抜けた。決して散らない薄桃色の花が揺れる。
しばらく黙ってそれを見ていたサクラは、やがて膝の上で握っていた拳を震わせた。
「……かくなる上は、最終手段よ」
「さいしゅーしゅだん?」
サクラは勢いよく顔を上げる。
「洗脳薬を作って、自らこの塔を出ていってもらうわ!」
「ええっ!?」
先ほどまでの沈んだ空気を吹き飛ばし、サクラは勢いよく立ち上がった。
「それ、すっごく悪いことじゃないのぉ?」
「本当に心を作り替えるわけじゃないわよ! ほんの少し、『塔を出たい』と思わせるだけ!」
「そうやって呪いも失敗したのに……」
いきり立つサクラに、チェチェは呆れたようにため息をつく。
そんなチェチェの声も、もはやサクラには届いていなかった。
「そうなると必要な素材は、月草の雫と夢見茸……それから、そうだわ、聖樹の若葉が必要ね!」
「本当にやるのぉ?」
「やるったらやるの! こうなったら素材だって、全部一人で集めてやるんだから!」
サクラは振り返ると、頭上高くまで枝を広げた聖樹を見上げた。
「待っていなさい、ジン・サイガ……!」
気合を入れるようにそう声に出すと、幹へと手をかけ、そのままよじ登っていく。
太い枝へ腕を回し、幹のわずかな窪みへ足をかけ。サクラは危なっかしい足取りで上を目指した。
「サクラぁ、危ないよぉ!」
「このくらい、どうってことないわ!」
「ジンに言って取ってもらおうよぉ!」
「どこの世界に、薬を盛りたい相手に素材採集を頼むバカがいるのよ!」
チェチェの心配をよそに、サクラはどうにか目当ての枝へたどり着いた。
そしてついに、聖樹の葉を掴み——
「よし、採れ——」
瞬間、足元で靴底が滑った。
「「あっ」」
身体が枝から離れる。
花冠が宙へ舞い、サクラはそのまま真っ逆さまに落下した。




