4.呪いをかけたら、返ってきたのは恋心でした
「……いや、まさか。そんなわけないわね」
けれどサクラは、あっさりとそう思い直した。
今しがた起き上がったばかりの寝台へ再び身を横たえ、頭からすっぽりと掛布を被る。
「ええっ!? どうしてぇ!?」
「普段のジンの態度を思い出してみなさいよ。恋どころか、私をこの塔の主人としてすら見ていないわ」
寝台の周りを慌ただしく飛び回るチェチェに、サクラは遠い目で答える。
ジンはいつだって小言ばかりだ。
言葉遣いこそ丁寧だが、態度には遠慮も敬意もない。
そんな男が実は自分を見るだけで胸を痛めるほど恋い焦がれているなど、到底信じられなかった。
「やっぱりサクラはお子様だよぉ」
チェチェは不服そうに唇を尖らせると、サクラの枕元へ降り立った。
「そういうのが恋なんだもん。見つめ合うと、素直におしゃべりできないの。この前聞いた恋歌でもそう歌ってたよぉ」
「やっぱり受け売りじゃない」
「受け売りじゃないもん! チェチェにはわかるんだからね。サクラと違って、“かんじょうのきび”ってものを知ってるの」
「覚えたばかりの言葉を使いたいだけでしょう」
サクラは眠たげにあしらい、ごろりと姿勢を楽にした。
「それにそんなもの、あの鉄面皮に備わっているかも疑問だわ」
まどろみに落ちそうな瞼の裏に、あの憎たらしい無表情が浮かぶ。
あれが恋する男の表情だと言うのなら、世の中の恋物語も恋歌も全て書き直すべきである。
(やっぱりこんなの、チェチェの勘違いね)
そう自分へ言い聞かせながら、サクラはゆっくりと眠りへ落ちていった。
*
「サクラさん。こちらの素材を確認していただきたいのですが——
ドタンッ、ガタンッ!
——何をしているんですか、あなたは」
「……なんでもないわ」
——翌朝。
魔術工房へ入ってきたジンの声に驚き、サクラは盛大に椅子から転げ落ちた。
ついでに作業台の脇へ積んでいた本まで巻き込み、床の上にひっくり返っている。
「なんでもないようには見えませんが」
「なんでもないったらないの!」
ジンは床へ散らばった本を拾い上げながら、訝しげにサクラを見下ろした。
サクラは答えながら、ようやく床に転がった体を起こす。
ジンが工房へ自由に出入りするのは、今に始まったことではない。
それなのにこれほど驚いてしまったのは、昨夜のチェチェとの会話のせいだ。
眠る前には否定したものの、ひとたび可能性を指摘されてしまえばどうしても意識せずにはいられない。
ジンと顔を合わせるたび昨夜のチェチェの言葉を思い出し、つい過剰に反応してしまうのだ。
「どうしたんです? 最近、いつにも増して様子がおかしいですが」
「お、おかしくなんかないわよ」
「……」
サクラは倒れた椅子を起こしながら、露骨に目を逸らした。
普段ならここで、「そうですね。様子がおかしいのはいつものことでした」くらいの皮肉を平然と返してくるはずだ。
ところが今日のジンは、軽口の一つも叩かない。
ただ精悍な眉を顰め、サクラの顔をじっと見つめてくるものだから、彼女の調子はますます狂った。
(どうして今日に限って、本当に心配そうな顔をするのよ……! これじゃあ、まるで……)
まるで本当に、サクラのことが好きであるかのような——。
「違うわ!」
浮かんだ考えを振り払うように、サクラはぶんぶんと頭を振った。
「何も言っていませんが」
「あなたに言ったんじゃないわよ! そ、それより、素材がどうしたの!?」
強引に話題を変え、ジンへ向き直る。
彼はしばらく疑わしそうにサクラを眺めていたが、やがて追及を諦め、手にしていた小箱を差し出した。
「これです。あなたなら使い道をご存知かと思いまして」
「使い道?」
促されるまま蓋を開け、サクラは思わず息を呑んだ。
「これ、幽蛾の羽じゃない!」
箱の中に収められていたのは、夜闇を閉じ込めたような一対の羽根だった。
幽蛾とは、虫型の魔物の一種だ。
人間と敵対する魔物ではなく、むしろ益虫とまで言われるほどなのだが、いかんせん気配を消して周囲へ溶け込むことに長けている。見つけること自体が難しいうえ、魔術で倒せば身体ごと光になって霧散してしまうため、素材を得るには純粋な武力だけで仕留めなければならない。
呪術の触媒として重宝される反面、市場にもほとんど出回らない希少素材だった。
「以前、欲しいけれどなかなか手に入らないとこぼしていたでしょう」
「覚えていてくれたのね」
「……塔の周囲を巡回していたところ、偶然見つけただけです」
「だからといって、こんなに綺麗な状態で仕留められるものではないわよ」
傷つけないよう、慎重に箱から持ち上げる。
あまりの美しさに薄桃色の瞳が輝いた。
強い強いとは聞いていたものの、幽蛾の羽をあっさり手に入れられるほどだったとは。
サクラは純粋に感嘆した。
「さすが、ジンは強いのね」
サクラは呪いのことも昨夜チェチェから言われたことも忘れて、心からジンへと微笑みかけた。
瞬間、
「……っ?」
とくん、と胸が大きく脈打った。
鼓動に合わせて、胸の奥が甘く締めつけられる。
苦しいはずなのに、先日感じた鋭い痛みとはどこか違う。
熱を帯びた疼きが、早鐘のような鼓動とともに何度も押し寄せてきた。
(またなの……!? なんで今、こんな痛みが……)
自分たちの周りに、胸を痛めつけるようなものなど一つもない。
怪訝に思いながらも顔を上げると、ジンは黙ったまま彼女を見つめていた。
「……?」
目が合うと同時、黒鉄色の瞳がわずかに逸らされる。
その仕草に、サクラは首を傾げた。
「……あなた、私に褒められるのがそんなに嫌なの?」
「どうしてそうなるんです」
「だって……」
サクラはまだ甘く痛む胸を押さえ、どう説明したものかと思案した。
自分が呪いをかけたせいで、あなたの胸の痛みが伝わってきた……なんて、バカ正直に言えるはずがない。
「……まあ、役に立ったのなら何よりです」
口ごもるサクラを見て、ジンはそれ以上追及せず踵を返した。
「それでは、失礼します」
それだけ言い残し、工房を後にする。
その後ろ姿を目で追いながら、サクラはあることに気づいた。
浅黒いジンの肌では分かりづらいが、だがはっきりと。
銀髪の隙間から覗く耳の先が——赤く、染まっていたことに。
「……うそ」
ぱたりと工房の扉が閉まる。
一人きりになったその中で、サクラは呆然と呟いた。
『それはねぇ、恋だよぉ!』
チェチェの間延びした声が、サクラの脳裏をよぎる。
嫌っているのなら、褒められて胸を高鳴らせるはずがない。
耳まで赤くして、視線を逸らす理由もない。
なら、ジンは本当に……
「私のことが、好き……?」
ぽろりと言葉が落ちる。
言葉にするとさらにそうとしか考えられず、サクラは顔を赤く染め——
「そんなの絶対、何かの間違いだわ!」
そしてすぐに、血の気を失いそう叫んだ。
しかし胸に残る甘い疼きは消えない。
それが尚更ジンの想いを証明するようで、サクラはたまらず頭を抱えた。
「ジンが私を好きなんて、そんなの……そんなの、困る!」
ついには両手で頭をかきむしり、その場にしゃがみ込む。
自分を恋慕う者が近くにいると知り、平気な顔をできるほどサクラは器用な性格ではなかったのだ。
(それに……)
サクラはジンに対して、同等の想いを返すことはできない。
かといって塔の護衛騎士と主人という関係で、ぎくしゃくするのも避けたい。
——ならば自分は、一体何を何をすればいいんだろう?
しばらくうずくまったまま考え込んでいたサクラは、悩みに悩んだ末、半ば捨て鉢のようにこう叫んだ。
「絶対に、ジンをこの塔から追い出さなくっちゃ……!」
薄桃の瞳が決意に燃える。
両手を握りしめ意気込むサクラに、だけどチェチェがここにいたならきっとこう言っていただろう。
『どうしてそうなるのぉ!?』
——と。
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