21.帰還とさよならの準備
「サクラ! ジン! おかえりなさぁい!」
明るい声とともに、小さな身体がサクラの胸へ飛び込んできた。聖樹の花と同じ薄桃色をした精霊、チェチェだ。
「ただいま、チェチェ。いい子にしてた?」
「もちろんだよぉ! 言いつけどおり、塔に残った素材もちゃんと管理してたもん。もっと褒めてくれてもいいんだよぉ?」
「ふふ、えらいえらい」
サクラが小さな頭を撫でると、チェチェは得意げに胸を張った。
「ただいま帰りました」
隣でジンも声をかける。チェチェはサクラから飛び立つと、今度はジンの周りを嬉しそうに飛び回った。
分離薬の素材をすべて集め、二人は『魔女の塔』へ帰ってきた。
見慣れた聖樹とチェチェの姿に、旅の疲れが少し和らぐ。
「……なんだか、帰ってきたという感じがしますね」
ジンの無表情も、いつもよりわずかに和らいで見えた。
彼がこの塔を帰る場所だと思ってくれていることが、サクラにはなんだか嬉しかった。
だけどそれも、あとわずかだ。
その夜は久しぶりに三人で食卓を囲み、早めに身体を休めた。
そして翌日には、ジンの解呪の準備に取り掛かり始めた。
*
「それじゃあ、【痛みの共有】の呪いの解呪について、手順を確認するわね」
翌朝、魔術工房。
朝食を終え、サクラとジン、そしてチェチェは、その場に集まっていた。
ジンの解呪を進めるためだ。
「解呪の手順は、大きく分けて三段階あるわ。第一に、分離薬を作成し、それをジンに用いること。第二に、呪いの術式を切断すること。第三に、私とジンの間に繋がった魔力回路を閉じること」
ジンとチェチェを前に、サクラは一つ一つ指を立てながらそう説明する。
「ふえぇ……いっぱいあるねぇ」
「言葉で説明するとそう感じるかもしれないけど、順番に進めれば大丈夫よ」
今回、解呪にここまで手間取ったのは、ジンの中で異なる三つの力——鬼格、神力、サクラの呪術——が、複雑に絡み合っているからだ。
まずはその三つの力が絡み合った状態を、分離薬を使ってほどく。それが第一段階。
そしてそれぞれが独立して操作できる状態になったら、次に第二段階として、分離されたサクラの呪術を取り除く。
最後に自分とジンの間に繋がった魔力回路を切断すればおしまいだ。
「それに、呪いを取り除く段階では、チェチェにも協力してもらうからね」
「チェチェも? やるやる、協力するー!」
サクラが言うと、チェチェがぱあっと顔を明るくし、サクラの周りを飛び回った。
その様子を見ながら、ジンだけが軽く片眉を上げる。
「チェチェさんに? 何をさせる気です」
「変なことはさせないわよ! 呪いの術式を切断する際、チェチェには一時的に私の代わりを務めて欲しいのよ」
「サクラの代わりぃ?」
「……ああ、なるほど」
首を傾げるチェチェとは逆に、ジンはそれだけで理解したように頷いた。
サクラのかけた呪いは今、【痛みの共有】という形で双方に向かっての流れがある。
この術式を解体するには、本来、回路の外側から手を加える必要があるのだ。
そこで同質の神力を持つチェチェに、少しの間だけサクラの代わりに回路の端を引き受けてもらう。その間に回路の外へ出たサクラが、術式を解体するのだ。
「他にもやりようはあるけど……私たちにはチェチェがいるから、これが一番簡単かと思って」
「チェチェさんがいいならいいですが……かなり力を使うでしょう。大丈夫ですか?」
「大丈夫だよぉ! チェチェ、二人の役に立てる方が嬉しい!」
チェチェは言うと、ジンの前までふわりと飛び立ち、にっこりとその薄桃色の瞳を細めた。
本人が引き受けると言う以上、ジンもそれ以上は止めない。ただ「無理はなさらないでくださいね」とわずかに眉を下げた。
「呪いの術式を外してもジンと私を繋いだ回路そのものは残るから、最後にそれを閉じればおしまいよ」
「神紋はどうなるのです?」
「あれは私の神力とあなたの中の神力が共鳴してできたものだから、私たちを繋ぐ魔力回路さえなくなればあとは自然に消えるわ。ただ……」
サクラはそこまで言うと、わずかにその薄桃色の瞳を伏せた。
この最終段階、魔力回路を閉じる際に、サクラは心配事があるのだ。
「……まだ気にしているんですか。回路を閉じる際、俺に直接触れなけらばならないことを」
「うっ……!」
そうなのだ。
二人の間に繋がった魔力回路を閉じるには、術者であるサクラがジンに触れ、神力を流さなけらばならない。
そうしてしまえば、ジンに負債が流れる。それがサクラには心配なのだ。
「何度も言いますが、神力を流すために少々触れるくらいならそこまでの不幸には見舞われませんよ。せいぜいタンスの角に小指をぶつけやすくなる程度です」
「……それもなかなか嫌じゃない?」
「なら、回路だけは繋げたままにしますか? 俺は構いませんけど」
「……わかったわよ、やるわ」
サクラは諦めたように深くため息をつく。
そして勢いよく顔を上げると、切り替えるようにパンっと自分の両手を打った。
「……さて、解呪についての説明は以上よ。それじゃあ、分離薬の作成に移りましょう」
——そうして三人は早速、分離薬の作成を始めた。
工房の中心に置かれた広い作業台の上に、サクラとジンが各地で集めた素材を並べていく。
希少な素材ばかりが必要なそれは、準備に時間と手間こそかかったが、集まってさえしまえばあとは簡単だ。
塔にあらかじめ用意してあった器具を使い、サクラは手際よく調合を進めていく。
ジンとチェチェの二人も、手慣れた様子でサクラを手伝った。
「サクラぁ、こっちに魔紙置いておくねぇ」
「サクラさん、無響石はこちらで砕いておきました」
「ありがとう、二人とも」
ジンが砕いた無響石の粉を渡し、チェチェは術式を記した魔紙を調合鍋の脇に広げる。
サクラが突然の思いつきで薬や魔術具を作り出すのはよくあることだ。その度に手伝いに駆り出されていた二人だ、サクラが次に何を欲しがるかもだいたい察しがつく。
(ええと、次に必要なのは……)
手元で薬をかき混ぜながら次の手順を考えていたサクラは、ほとんど無意識に台上の素材へと手を伸ばした。
その指先に、褐色の手が近づいた。
「っご、ごめんなさい!」
「……いえ、こちらこそすみません」
同じ素材に手を伸ばしかけていたジンに気づき、サクラは反射的に手を引いた。
申し訳なさそうに謝るジンが、思ったよりも近くにいたことに驚く。
(しまった。夢中になりすぎて、気づかなかった……!)
触れそうになった指先を思い出して、サクラの心臓がドキドキと大きな音を立てる。
触れたら危ない。そう思って手を引いたはずなのに、胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。
「……サクラぁ。なんだか、お顔が赤くない?」
「き、気のせいよ!」
サクラの肩に降り立ったチェチェが、その耳元で小さく問いかける。
それを否定しつつも、サクラは自分の頬に熱が集まるのを感じていた。
(調合の時のジンって、いつもこんなに近くにいたかしら……?)
細々とフォローを入れてくれるジンが、普段よりも自分の至近距離にいるような気がして、今更緊張してきたのだ。
気恥ずかしさに俯くサクラに、チェチェが嬉しそうに笑みを浮かべる。
「サクラ、かわいいっ! ねぇねぇ、旅の間に、ジンと何かあったのぉ?」
「な、何もないわよっ!」
揶揄うようなその言葉に、サクラはさらに顔を赤くした。
だがすぐにもう一度視線を落とし、静かな声で呟く。
「本当に、何も……」
どこか自嘲を滲ませて笑う。
痛ましいその表情に、チェチェは「サクラぁ……?」と心配げな声を上げた。
手元では、分離薬がほとんど完成に近づいていた。
サクラが術式へ魔力を流すと、混ざり合っていた薬液の色が三つに分かれ、やがて静かに一色へ戻った。あとは最後の朝露を加えるだけだ。
——もうすぐ、別れがやってくる。
それを自覚した瞬間、胸の奥につきんとした痛みが走った。
「……サクラさん?」
その痛みが伝わったのか、ジンがサクラを振り返る。
驚いたように目を見開き、何かを期待するようにサクラを見た。
「サクラさん、今の痛み……」
「な、なんでもないわ! さあ、早く解呪を進めましょう!」
サクラはそう言うと、ジンから大きく視線を逸らす。
そして最後に、手元の調合鍋に朝露を一滴落とした。
——神眠りの花の朝露。
ジンに触れたいと、初めて願ってしまったあの泉で採ったものだった。
お読みいただきありがとうございます。
今話をもちまして、クライマックスへ突入となります。
あと6話ほどで完結の予定ですので、どうぞあと少しお付き合いいただけると幸いです。
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