1.呪いの魔女ですが、騎士様に言いくるめられています
王都から遠く離れた、人里なき森の最奥。
そこに一本の塔がそびえていた。
『魔女の塔』。
年中薄桃色の花をつける聖樹に守られた、常春の空間。
まるで現世から切り離されたようなその場所に、ひとつの怒声が響いた。
「本っっっ当にムカつくわ、あの男ーー!!!」
長い黒髪を振り乱しそう叫ぶのは、サクラ・トワ——この塔の主であり、『呪いの魔女』と恐れられる存在である。
薄桃色の瞳に鋭い光が宿し、居間の長椅子に外套を放り投げる。
その怒りの矛先はひとつ。
ジン・サイガ。
この塔の護衛騎士である、口うるさいあの男である。
「サクラってば、またジンに怒ってるのぉ?」
「チェチェ!」
そんなサクラの頭上に、ふわりと間の抜けた声が落ちる。
見上げるとそこには、掌ほどの妖精めいた少女が宙を飛び回っていた。
サクラの神力から生まれた精霊、チェチェである。
薄桃の髪と瞳を持つ彼女は、サクラとは長い付き合いだけあって、その機微にも聡い。
今もきっと、サクラの怒りを察知して飛んできてくれたのだろう。
花びらのような小さな羽根が、彼女の背中でパタパタと音を鳴らした。
「聞いてよ、チェチェ! 今日はいいお天気だから、魔草の採集に行こうとしたの。そうしたら、ジンの奴に捕まって……」
チェチェにそう愚痴をこぼしながら、サクラはわなわなと肩を震わせた。
この塔の護衛騎士であるジンは、どこに目がついているのかと思うほど目敏い。
サクラが塔を抜け出そうとしたり、日課の呪いを後回しにしようとすると、どこからか現れて彼女をとっ捕まえてしまうのだ。
そうして待っているのは、長い長いお説教。
まるで教育係のように、サクラの行動に何かと口を出してくる。
今日だって、塔を抜け出そうとしたことへの小言が終わったと思ったら次は、やれ食事を抜くなだの、やれ呪術研究の合間にも休憩をとれだの……
私を、子供か何かだと思っているの?
何度そう言っても聞く耳を持たない。
むしろ、
「子供より厄介な存在ですよ、あなたは」
……など、主を主とも思わないようなことを言ってくるのだ。
「また塔を抜け出そうとしたのぉ? 一人で危ないところに行くのはよくないって、チェチェも思うなぁ」
「危なくないわよ! ほんのちょっと、森へ足を伸ばそうと思っただけ」
「でもでもぉ、ジンは護衛騎士なんだから、それを止めるのはお仕事のうちじゃなぁい?」
「それは、そうだけど……」
チェチェの指摘に、サクラはつい口ごもる。
しばしの間もごもごと唇を動かしたあと、開き直ったように声を上げた。
「でも、毎日毎日塔の中で過ごすのはうんざりなのよ! 別にいいじゃない。何も王都の街へ行きたいと言ってるわけじゃないんだから!」
そうだ、そもそもうら若き乙女をこんな塔に閉じ込めているのが間違っているのだ。
いや、サクラはそれほど若くはないが。
それにジンは、かつては『鬼将軍』とまで呼ばれ恐れられた、腕利きの騎士らしい。
であるならば、サクラがどこにいようとも危険を察知し駆けつけるべきではないか?
ジンがするべきは自分へのお小言ではなく、危険が迫った時の対処である。
そう胸を張って言い切るサクラに、チェチェは小さくため息をついた。
「無茶言うなぁ」
「だいたい、このあたりの森には人も魔物もほとんど寄りつかないし、危険なんてないわよ。それをジンったら、大袈裟に騒ぎ立てて……」
「——魔物に襲われる心配ではなく、あなたの行動を心配しているのですよ、サクラさん」
「ジン!」
と、背後から、聞き慣れた声が割って入った。
振り向くとそこには、長身の男が居間の扉枠に肩を預けて立っている。
この塔の護衛騎士にして、サクラの天敵の男——ジンであった。
浅黒い肌に、銀の短髪。
服越しにも分かる逞しい腕を組み、女性にしては長身のサクラよりもなお高い位置から、黒鉄色の瞳で見下ろしている。
主を前にした騎士とは思えないその不遜な態度に、サクラは負けじと声を張り上げた。
「心配ですって? 私のどこに心配する要素があるのよ!」
「そうですね、たとえば塔を抜け出した挙句、採集に夢中になって帰り道を見失ったりだとか」
「うっ……!」
「食事も取らずに歩き回り、森の中で立ちくらみを起こしたりだとか……」
「うう゛っ……!」
だがあっさりと言い返され、最初の威勢はみるみるうちに萎んでいく。
返す言葉を失ったサクラは、やっとのことでこの一言を振り絞った。
「こ、この塔の主人は私なのよ。あなたなんて私が一言言えば、すぐに職なしにしてしまえるんだから!」
「俺の任命権をお持ちなのは国王陛下です」
「ぐぬぅっ!」
「サクラぁ。これはさすがに、サクラのほうが“ぶがわるい”って、チェチェは思うなぁ」
「……」
その脅しも、ジンの正論によって一刀両断される。
ついでにチェチェからの無意識の追撃を喰らい、サクラは今度こそ撃沈した。
——これだ、これである。
塔の護衛騎士とその主人という関係でありながら、サクラがジンを「大嫌い」と言い張る理由。
ジンはとにかく、サクラに対して遠慮がないのだ。
護衛としての職務態度は真面目すぎるほど真面目で、口うるさいほど。なのにそれ以外の場面では、こうしてサクラを馬鹿にしたような態度ばかりをとる。
顔を合わせれば軽口や皮肉、揶揄いの言葉を投げつけ、サクラがどれだけ怒ろうと飄々として意にも介さない。
不遜で、生意気で、慇懃無礼。
そんなジンが、サクラは気に入らなくて仕方ないのだ。
「……何よ。私を馬鹿にするために来たの」
「まさか、そこまで暇じゃありませんよ。書庫へ追加してほしい文献がありまして」
「文献?」
唇を尖らせながら、サクラは恨めしげにジンを睨み上げる。
そんなサクラの抗議など気にも留めず、手にしていた王宮図書院への取り寄せ申請書を差し出した。
ジンは凄腕の騎士でありながら、神学や呪術に目がなく、豊富な蔵書目当てにこの塔の護衛騎士に志願したという変わり者である。こうして文献の取り寄せを頼まれるのも、初めてではなかった。
自身も呪術の研究者であるサクラからすれば、本の取り寄せなどむしろ望むところだが……
「これなんですが」
「どれどれ……
『神代契約論』
『古代神術における魂と器』
『龍神転生〜姫のために龍の心臓を食べたら龍神になった件について〜』
……何よこれ」
「知りませんか? 龍の心臓を食べ、人外へ変生した武人の英雄譚です」
「神学書に混ぜて取り寄せるもの?」
「神術考証が優れているそうなんですよ」
「あなたもこういう俗っぽいものを読むのねえ……ん? ちょっと待って。『失伝呪術百選』もあるの!?」
その書名を見つけた途端、サクラは申請書へ顔を寄せ、薄桃色の瞳を輝かせた。
「ええ。禁呪指定を受ける以前の原本だそうです」
「原本! それなら仕方ないわね。特別に、私の名前で申請してあげるわ」
「ありがとうございます。さすがは『呪いの魔女』ですね」
「私は呪い師よ!」
サクラは即座に訂正した。
世間では災いをもたらす『呪いの魔女』と恐れられている彼女だが、本来は国に仕える呪い師だ。
この塔から国土の安寧と豊穣を願い、日々まじないを施している。
「これは失礼しました。では呪い師殿、申請をお願いしますね」
ジンはそう言うと、申請書をサクラの目の前の長机へと置き、満足げに居間から立ち去っていった。
サクラはいそいそとそれを持ち上げると、まだ見ぬ文献を夢見てにまにまと頬を緩める。
「まさか『失伝呪術百選』が取り寄せられるようになっていただなんて……ジンもたまにはやるじゃない」
「チェチェはねぇ、絵本が読みたいな!」
「いいわね。それじゃあ本が届いたらみんなで読書会を開きましょう」
「うん! ところで、サクラぁ」
「なあに、チェチェ?」
ご機嫌に鼻歌を歌うサクラに、チェチェもまたにこやかに語りかける。
「もうジンに怒ってないんだねぇ。喧嘩するよりそっちの方がいいって、チェチェも思うなぁ!」
「………………はっ!」
そう言われ、サクラは先ほどまでの怒りをようやく思い出した。
よく見たら、申請書も必要事項はすべて記入済み。あとはサクラが署名するだけになっていた。
まるで、最初からサクラが承諾することを見越していたかのように。
「あ……あの男ーー!」
手にしていた申請書が、ぐしゃりと音を立てた。
「私が主人なのに、どうしていつもいつも、あの男の思い通りにされているのよ!」
「ええ? 署名するって決めたのはサクラだよぉ?」
「そう仕向けられたことに怒ってるの! だいたい、ここは呪い師の塔よ! 呪術書ならともかく、神学だの古代魔術だの——よく見れば、ほとんどジンの趣味じゃない!」
「ほんとだぁ」
サクラは改めて申請書へ目を落とした。
どれも塔にあって困る本ではない。だが、今すぐ必要というわけでもなかった。要するに、ジンが自分で読みたいだけなのだ。
どう考えても、護衛騎士の立場を利用した公私混同である。
「悔しい……! あの澄ました顔を、一度くらい歪ませてやりたい……!」
説教を思い出すだけで、また頭が痛くなってくる。
この痛みを、そっくりそのまま本人へ返してやれないものか。
「そっくり返す……そうだわ!」
「サクラぁ?」
勢いよく立ち上がったサクラは、居間を飛び出して書庫へ駆け込んだ。チェチェも慌ててそのあとを追う。
壁一面に並んだ呪術書から目当ての一冊を抜き取り、ぱらぱらと頁をめくる。やがて、ある箇所でその指が止まった。
「あった! これよ……!」
薄暗い書庫の中、サクラは悪戯を思いついた子供のように笑った。
開かれた頁には、こう記されている。
——【痛み返しの呪い】、と。




