17.素材採集の旅
「うわあ、綺麗な景色……!」
サクラは、眼前に広がる光景に感嘆の声を漏らした。
その声はまるで満天の星空のような景色に吸い込まれ、一つも反響することはない。
青白い光の粒に覆われたその場所。そこは、分離薬の素材の一つである『無響石』のある巨大洞窟、通称『無響窟』だ。
「景色に見惚れるのはいいですが、よそ見して転ばないでくださいね」
「そこまで間抜けじゃないわよ……ぎゃー!」
「十分、間抜けでしたねえ……」
言ったそばから濡れた岩に足を滑らせるサクラに、ジンは冷たい視線を向ける。
言い合う彼らは二人とも、丈夫な外套と編み上げ靴を身につけ、背には素材採集用の鞄を負っていた。
長旅を想定した魔術師の旅装束だ。
あのあとサクラたちは分離薬を作るために必要な素材を確認し、塔では揃わなかったものを採集する旅に出ることにした。
最初はジン一人だけで行くはずだったのだが、その素材の一つに採取したあとも神力を注ぎ続けなければ効力を失うものがあり、サクラも同行することになった。
チェチェは戦う力を持たないうえ、他の素材の管理のため塔でお留守番である。不満を全身で訴えられたが、「あなたにしか任せられない重要な役目なの……!」と言ったら胸を叩いて引き受けてくれた。
「さて……これで『無響石』は手に入りました。あとは『界分け草』と、『鎮魔苔』、それから『神眠りの花の朝露』ですね」
そう言うジンの手には、手のひらほどの漆黒の石が握られていた。
分離薬の素材の一つ、痛みの反響を止めるための『無響石』だ。
「揃いも揃って、採取が面倒な素材ばかりねえ……」
「そうは言いますが、サクラさんのおかげで予定より早く集まっているくらいですよ」
眉を寄せるサクラに、ジンはそう返す。
実際、素材採集は当初の予定を上回る速さで進んでいた。
神子であるサクラは魔物から恐れられ、めったに襲われることがないからである。
おかげで本来なら魔物の縄張りへ踏み込まなければ採れない魔草も、戦闘を避けたまま難なく採集できた。
この無響窟でも、サクラが足を踏み入れた途端、ここをねぐらとする闇夜蝙蝠は神力を恐れて散り散りに逃げていった。
莫大な神力にあてられ恐慌状態となり、暴走してサクラの元に飛び込んできた個体もいたが、ジンによってあっさり無力化されていた。
「だからいつも、街へ行くならともかく、森くらい一人で行けるって言ってるのに」
「魔物に襲われる心配ははなからしてませんよ。迷った挙げ句三日三晩塔へ帰れなくなったり、何もないところで転んで動けなくなることを心配してるんです」
「そ、そんなことしないわよ! ……めったに」
「めったにあるから言ってるんですがねえ……」
ジンがじとりとした目でサクラを睨む。
だがすぐに真顔に戻り、周囲を確かめるように視線を左右に動かした。
「しかし、ここで迷われても困りますね。サクラさん、この洞窟を出るまで、俺の服の袖でも掴んでいてください」
「えっ」
そう言って、分厚い外套に包まれた腕を差し出される。
たしかにこれならはぐれることもないし、ジンの身に負債が流れる心配もない。だが——
(いや、それはなんだか……恥ずかしくない!?)
ジンの腕を掴む自分を想像して、サクラはぼっと顔を赤くした。
そんなのはまるで、恋人同士が手を繋ぐようではないか——実際にはまったくそうは見えないが——そう思ったサクラは、首をぶんぶんと横に振ってこれを拒絶した。
「い、いらないわよ。子供じゃあるまいし!」
「ですが、ここは足場も悪いですし……さっきも転びかけていたではないですか」
「完全に転んではないもの! とにかく、大丈夫!」
「あ、待ってください、サクラさん」
「何よ!」
「そっち、出口とは逆方向です」
「……」
——協議の結果、ジンが予備の荷紐の一端を持ち、サクラがもう一端を握ることになった。
「……私を犬か何かだと思ってるの?」
「我慢してください。塔の周りならともかく、このあたりで迷われたら大変ですから」
「別に、はぐれたって魔物に襲われることもないのに」
「探す手間はあるでしょう」
サクラはジンの背後で唇を尖らせる。
ぶちぶちと文句を続けるサクラに、ジンは足を止め、振り返った。
なんだ、文句でもあるのか? とサクラは顔を上げる。不機嫌を露わにした彼女に対し、
「——あなたが心配だ、と申しているのですよ」
静かな声でそうとだけ告げると、ジンは再び歩き出した。
ジンが合図するように紐を軽く揺らし、再び歩き始める。サクラが続くのを確かめながら、その歩調は普段よりもゆっくりとしていた。
今度こそサクラは、なんの文句も返すことができなかった。
サクラとて、気づいていた。
この旅が始まってから、ジンは、いつもサクラより一歩前を歩く。そうして歩きやすい道を探したり、突然飛び出してくる魔物や賊を警戒しているのだ。
それだけではない。疲れていないか、空腹ではないか。顔色のわずかな変化まで、細かすぎるほど気にかけてくる。
それはジンの優しさで——そして、サクラへの一途な想いだった。
「……ようやく外へ出ましたね。もう日も暮れますし、今日はこのあたりで野営にしましょう……サクラさん?」
「ふえっ!? な、何!?」
「何、はこちらのセリフですよ。何をぼーっとしているんですか?」
「い、いえ!? 久しぶりの外の光が眩しくて驚いていただけよ!?」
「久しぶりってほどでもないでしょう」
サクラはそう言って、覗き込んでくる黒鉄色の瞳から逃れるように目を逸らした。
その怪しい態度にジンは目を細めたが、体調不良ではないとわかると、すぐに野営の準備を始めた。
テキパキとテントを張り出すジンを見て、サクラは今更ながら思う。
(そういえばこれ、ジンにとっては想い人と二人きりでの旅ってことじゃない……!?)
塔でも似たようなものだが、あそこにはチェチェもいる。寝室も離れているし、普段からずっと一緒に過ごしているわけではない。
思えばジンとほとんど二人きりで過ごすなどこれが初めてだと、サクラは今更ながらひどく狼狽した。
「……サクラさん?」
「ひぃえいっ!?」
「なんですかその奇声。……やっぱり、何かありました?」
「だから何もな——」
そう言うジンの背後には、もうしっかりテントが張られている。
それを見て、サクラはさらに混乱した。
張られたテントは一つ。
街に降りて宿を取れる時は取っていたので、こうして野営をするのはこれが初めてだ。
(えっまさか、二人であの中で寝るの……!?)
サクラの脳裏に、狭いテントの中でジンと二人横になる画が浮かんだ。
(だ、だめ! そんなの緊張して寝れな——じゃなくて!)
間違ってジンに触れてしまうかもしれない。そんなの、許可するわけにはいかなかった。
「や、やっぱり、今からでも街に降りない?」
「無理ですよ、ここは街とは離れているから今日は野営と決めていたじゃないですか」
「そ、それじゃあ、私は一人で洞窟で寝る!」
「何を馬鹿なこと言ってるんですか。あそこは一応魔物の巣窟なんですよ」
「だ、だって……!」
平然と返すジンに、サクラ一人が慌てふためく。
ジンの無表情がどんどん訝しげに歪んでいった。そしてその顔色を確かめようと、サクラへ一歩だけ近づく。
その距離にさらに同様し、気づけば叫んでいた。
「うら若き男女が一緒のテントの中で寝るのはよくないでしょう……!」
「あなた若くないでしょう」
「心は若いのよ!」
平静を失った叫び声に、だけどもジンは淡々と返した。
そして、深いため息をつく。
「そんなことで狼狽えてたんですか。本物の馬鹿ですね」
「馬鹿とは何よ馬鹿とは!」
「護衛が、同じテントで寝るわけないでしょう。俺は外で休みますよ」
「なんだ、そっか……」
ジンに言われ、サクラは拍子抜けしたように呟いた。
言われてみれば当然である。
よく見てみれば、テントのすぐそばにジンが外で休むために用意したらしい敷物と毛布が置かれていた。動揺したサクラの視界に今の今まで入っていなかっただけで。
「……いや、それはそれで問題じゃない?」
「問題ないですよ。周囲に魔物の気配はないとはいえ、何があるとも限りませんし。あ、簡易結界くらいは張ってくださいね」
「それは張るけど……」
サクラはごにょごにょと語尾を濁した。
その様子に、ジンは片眉を上げて言う。
「……というか、なんです。そんなことを気にしていたんですか? ……今更?」
「うっ……!」
本当に今更だった。
これまで何年も塔で共に暮らし、ジンの前で寝落ちしたことなど一度や二度ではない。しかも思い返してみれば、彼の想いを知ったあとにさえ、工房で眠り込んでいる。
サクラは自分の行いを思い出し、今更ながら顔を覆いたくなった。
「……まあ、俺としては嬉しいですがね」
恥ずかしさにうつむくサクラに、しばしの沈黙を返したあと、ジンはそう言った。
「嬉しい? 何が?」
「あなたは今まで、そんなこと一つも気にしていなかったじゃないですか。たとえばひと月前のあなたなら、俺と同じテントで寝ろと言われても平気で寝落ちしたでしょう」
「それは……そうかも……」
ジンに言われた通りの行動をしそうな自分を想像して、サクラはげんなりとした顔をした。
「でも、それの何が嬉しいのよ」
「わかりませんか?」
尋ねるサクラに、ジンはもったいぶってそう返す。
いつもの鉄面皮には、薄く笑みが浮かんでいた。
「好きな人に意識されて、嬉しくない男はいないということですよ」
低く落とされた言葉を、サクラは懸命に咀嚼し——
意味を理解した瞬間、顔を真っ赤に染めて声にならない声を上げた。
——この旅、前途多難である。




