15.共同研究開始
翌日から、ジンとサクラの二人は、痛みの共有を解くための共同研究を始めた。
「うーん、今日もいいお天気。絶好の検証日和だわ!」
聖樹の咲き乱れる塔の庭。その真ん中で、昨夜の重苦しい空気を振り払うようにサクラは大きく伸びをした。
サクラの神力のおかげでこの塔一帯の天気が乱れることは滅多にないのだが、こういうのは気分の問題なのである。
「サクラさん、工房の準備が整いましたよ」
「ありがとう。今行くわ」
そう声をかけてくるジンの顔も、いつも通りの無表情でありながら、どこかスッキリして見える。この晴れた天気のおかげか、秘めていた想いを打ち明けかえって吹っ切れたのか、それはわからないけれど。
だから目下の問題は、サクラでもジンでもなく……
「さあ行きましょう、チェチェ」
「………………」
……この、昨夜からずっとむくれて黙り込んでいる、精霊チェチェなのだった。
「ねえ、チェチェ。そろそろ機嫌を直してよ」
「いやっ」
「……」
サクラがそう声をかけても、チェチェはぷいっと顔を背ける。
完全に、へそを曲げている。
サクラはどう対応していいかわからず笑顔のまま押し黙り、ジンはお手上げだとばかりにさっさと踵を返し、二人を待たずに工房へ戻っていった。
昨夜、チェチェの待つ寝室に戻ったサクラは、解呪が終わればジンの護衛騎士から解任することにしたとチェチェに語った。
それを聞いたチェチェはひどく怒り、こうして拗ねてしまったのだ。
(チェチェは、ジンに懐いていたものね……)
無理もない。サクラやチェチェに気兼ねなく接してくれる塔の住人は、ジンが初めてだった。
「……ごめんね。昨日は、のけものにしちゃって」
静かな声でそう言うサクラに、チェチェはサクラとお揃いの薄桃の瞳を向けた。
ジンの今後について、チェチェを除いて二人だけで決めてしまったことは心から申し訳なく思っている。彼女だって、立派なこの塔の住人なのに。
それでも、これはサクラとジンの今後に関わることだ。最後には二人で決めなければならなかった。
「これは、私とジン、二人で決めたことだから。……それにチェチェだって、ジンに不幸になって欲しくないでしょう?」
サクラはそう言うと、そっとチェチェの薄桃の髪を撫でた。
サクラの神力から生まれたチェチェは、サクラが唯一触れられる存在だ。チェチェは目を細め、しばらくその手を堪能した後、小さく頷いた。
「……わかったよぉ」
その表情にまだどこか不満を残しながら、チェチェは言う。
「……でも、ジンが出ていくのにはまだ反対だからねぇ」
「はいはい。まずは解呪に協力して頂戴」
サクラはそれに眉を下げて笑い、チェチェを連れてジンの待つ工房へと向かった。
*
「それではまず、現状の把握から始めましょう」
魔女の塔、魔術工房。
様々な魔術書や魔術素材の並ぶその場所で、サクラはジンとチェチェを前に、パンっと両手を合わせてそう言った。
「どうやら、私とジンの間に魔力回路が繋がってしまったのは本当みたい」
そして互いの『痛み』が、魔力回路を通じて相手へ伝わっている。
ならば最初に確認すべきは、どのような痛みが、どの程度まで伝わるのかという点である。
「……と、いうわけで」
サクラはそこで、おもむろに自分の頬をつねった。
「ほ(ど)う? ひ(ジ)ン、は(な)にか感じる?」
「そうですね……すごく、間抜けな顔をしています」
「痛みを感じるかと聞いているのよ!」
まじめくさってそう言うジンに、サクラは怒りに任せて叫んだ。
「わかってますよ。小虫にでも噛まれたかな、程度には感じます」
「ええ……? 結構力を込めてつねったつもりなのに……」
「ジン、やっぱり強いねぇ」
サクラは思わず眉を顰めた。
つねっていた指を離しても、頬にはじんじんと痛みが残っている。
「それじゃあ今度は、ジンの方が何かしてみて」
「わかりました」
「あいたたたたた!?」
「サクラぁ!?」
ジンが自分の頰をつねった瞬間、サクラはあまりの痛みに飛び上がった。
「ちょっと! 少しは遠慮しなさいよ!」
「しましたよ。赤子を撫でるくらいの力でやったつもりなのですが」
「あなたに赤子の世話は任せられないということはわかったわ」
サクラはじとりとした目でジンを睨んだ。
しかし当のジンはどこ吹く風で、むしろ研究対象を見つけたように目を輝かせた。
「なるほど、本当に痛覚が繋がっているのですね。これは面白い」
「ちょ、ちょっとジン……? 何を考えて……」
そう言い出したジンに、サクラは背中に冷や汗が伝うのを感じた。そして、
「いっ……!? 痛い痛い痛い!」
次の瞬間、サクラの腕に鋭い痛みが走った。見れば、ジンが自分の腕をつねっている。
「俺にはこの程度、痛みのうちにも入りませんが……同じ痛みが伝わっても、本人の耐性によって感じ方が違うようですね。実に興味深い」
「何を悠長に考察を……あっ! 待ってそこは……!」
「痛みの感覚だけでなく痛みの走った箇所まで伝わっているのか……それなら同時に複数箇所が痛んだ場合も……」
「ぎゃあああああ!」
「……ジン。そろそろやめてあげた方がいんじゃないかって、チェチェは思うなぁ」
——こうして、ジンとサクラ、二人の呪いの検証は続いた。
それが終わる頃には、サクラは魂が抜けたように作業台へ突っ伏していた。
*
「……それじゃあ、検証の結果だけど」
朝よりも幾分げっそりとした顔つき、サクラはそう話を切り出した。
目の前には、ジンが淹れた癒しのハーブティが置かれている。これくらいで先ほどの所業を水に流すと思ったら大間違いよ——そう思いながらも一口飲み、サクラは気を取り直して言う。
「おそらくこの魔力回路は、本人が明確に『痛い』と感じたものだけが伝わる仕組みのようね」
あれからサクラたちは、痛み以外の感覚——たとえば温度や味、疲労や感情そのものなど——も試したが、それらが相手へ伝わることはなかった。
共有されるのは、やはり肉体的・精神的な『痛み』だけらしい。
「つまり、どういうことぉ?」
「そうね。たとえばお腹が痛くなるくらい笑った時、『お腹が痛い』は伝わっても『おもしろい』って気持ちは届かないということよ」
「なるほどぉ!」
ジンが用意してくれたお菓子を齧りながら言うチェチェに、サクラは再度まとめた。
「共有される感覚の種類は、本来の【痛み返しの呪い】と同じということですね」
「そういうこと」
サクラの説明を、ジンが引き取って言う。
サクラが当初ジンにかけようとしていた【痛み返しの呪い】も、仕組み的には同じだった。一晩で消えてしまうような簡易な魔力回路を一方的に繋いで、そこを通して『痛み』を相手に伝えるのだ。
そうなると次に問題になるのは……
「なぜ呪いが変質したか。そしてなぜ神紋が現れたか、なのだけれど……」
そこでサクラは口をつぐみ、考え込むように手を顎に当てた。
そんな彼女に、ジンは疑問を口する。
「神が俺に、何らかの役目を与えた印という可能性は?」
「神意によって刻まれたのなら、神力なり神託なり、何かしらの変化が伴うはずよ。でも、あなたには何も起きていないのでしょう?」
それに神紋が刻まれたタイミングを考えても、呪いの影響ではないとは考えにくかった。
サクラの術式に誤りがないことは、すでに何度も確認している。呪詛返しの類も使われていない。神紋のことまで考えれば、やはり変質の原因はジン自身にあると考えるほかなかった。
と、なると。
「やっぱり、ジンの身体を調べる必要があるわね」
「お断りします」
即答だった。
「どうしてよ! 他に考えられる原因はないのだから、仕方ないじゃない」
「俺の身体に異常はありませんので」
「何も服をひん剥いて調べようって話じゃないのよ? 魔力の状態を確認するだけ」
「結構です」
言うと同時、ジンの目がすいっと逸れた。
……何か、隠している。
サクラは察した。
「今さら何を隠すことがあるの? 昨夜、『これ以上隠し事はするな』と言ったのはあなたでしょう」
「そうだよぉ。それに、危ないのはジンの方なんだよぉ?」
「……」
だがジンは、頑として拒否を貫く。
訝しんだサクラは、チェチェに目配せしてこう言った。
「何もないなら、調べられても困らないわよね。——行きなさい、チェチェ!」
「了解だよぉ!」
「待ちなさい、話を——」
サクラの言葉を合図に、チェチェはジンへと飛びついた。
ジンならチェチェを避けることも捕まえることも容易だったはずだが、観念したのか眉をわずかにひそめただけでその場から動かなかった。
チェチェは自分の額とジンの額を合わせると、そっと目を閉じた。
神力から生まれたチェチェは、他者の魔力や魂の性質を感じ取ることができる。
そうしてしばらく、ジンの魔力を自分の神力に共鳴させたのち——
その愛らしい顔をわずかに歪めた。
ぎこちない仕草でサクラの方を振り返ると、おそるおそるこう言った。
「……ジンの中に、人間じゃないものが混じってるよぉ」
「……え?」




