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瞳孔を冷やして。  作者: 橘樹 杏果


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30/58

30-這い上がる恐怖

「ぁ…。し…」


芯だった。


麗叶と中野を交互に見やった芯から、怒りのオーラが一気に噴出する。

座っている男を払いのけ、泥水で視界を失った中野を、無理矢理に立たせた。


ドスッ!

中野の口から、黒い液が飛んだ。

操り人形のように倒れ込む中野の襟首を、もう一度掴んでいる。

バシッ!

左手が鈍い音を作る。

ドカっ!!ガン!ガン!

芯は一瞬たりとも止まらない。

ドカッ!


「もういい!!」

麗叶は叫んだが、芯の耳には届かない。


ガンッ!!

止まらない芯の怒りを

ガッ!!

見知らぬその男が、制す。

「もう、止めとけ。死ぬ」

芯は肩で息をしながら、止めに入った男を睨みつけていたが

ドサっ!

力任せに中野を地面にたたき付けた。


中野は再び泥の中に顔をうずめた。

目に入り込んだ泥に顔を歪ませ、固く目を閉じたままだ。


麗叶はなんとか立ち上がろうとした。

しかし出来ない。ガクガクと脚の震えが止まらない。

芯がすばやく寄り添い、そっと支えた。


つかまった芯の左手、見ると指が赤く腫れている。血も…。

(私のせいで…)

麗叶は唇をきつく噛んだ。

(冷静に…考え、…考え、なきゃ、冷静に)

何度も大きく息を吸い込み、息をゆっくりと飲み込んだ。

(落ち着け、落ち着け…)


「中野さん。」

鋭い声に、ビクッと中野が身体を反応した。

麗叶は自分の声が震えないことを祈りながら、言った。


「取引を、しましょう。」


雨は止んでいく。


「今後、あの子達、”Seven C's”のメンバーに手を出したら

私は、全部話します。あなたが何をしたのかを。

そしてあなたを一生かけて追い詰めます。必ず!ただ…。

あなたが、彼らに構うことなく仕事で頑張っていくなら、この事は一切口外しません。

今ここにいる少年達にも、約束させます」


中野が泥の上で、泣いている。


「仕事のこと、部長に口添えしてもらえるよう頼んでみます。私からも社長に話してみます」

「なっ!!」

麗叶は芯を制して、中野に鋭く言い放った。

「中野さん!!」


うずくまる中野。


「…取引、しますか!?」


中野は力無く、言った。

「お願い…します。」


雨の音は消えている。


「了解しました。私は、約束は守ります、絶対に」


(負けちゃ駄目。もうちょっと。もうちょっとだけ)


「二人とも、行きましょう」


(守りたい。芯を。守らなきゃ)


麗叶は必死に歩みを止めた。

そして、あえて中野に向き直る。


「忘れないで。あなたの出方次第で、私は全面抗戦も辞さない。すべては、中野勇二さん、


あなた次第です。」


ーーーーーーー

どうやって帰ったか。

麗叶の記憶は、途切れ途切れで、断片的な破片しか刻まれていない。

男が運転している間、芯は麗叶の頭を自分に引き寄せ、優しく強く抱きしめた。


麗叶はボンヤリと、流れる景色を目に映していた。

今、実際に目にしている映像と、記憶の中の豪雨に黒く濡れた映像が

入り混じっている。


あの時はただ無我夢中だった。

(守りたい!)

その思いだけで啖呵を切っていた。

なのに、時がたつにつれ、恐怖がジワジワと足元から這い上がってくる。


(ヤァーーーッ!!!)

(イヤ!イヤ!イヤ!

(キャーーーー!!)


よみがえる戦慄。


脱力した麗叶の身体が、ビクンビクンと痙攣している。

その度に芯は、抱きしめる腕に力を入れた。



ザザザッ

合宿所のガレージで運転席から降りると、男は後部座席のドアを開けた。

「じゃあな、芯。帰るわ」

「洋介。」

「ん?」

「わりぃ…」

「ばぁか、気持ち悪いわ」

「借りは返す」

「やめろって。水臭いこと言うな」

洋介は歩いて去って行った。


フラフラして力の入らない麗叶を抱きかかえたまま、芯は麗叶の部屋の鍵を回す。

奥のソファに麗叶を横たわらせると、急いでバスルームへ向かった。


ジャバジャバと、バスタブに勢いよくお湯が溜まっていく。


一気に湯気が充満する浴室で

(俺が、あの5人協定にオーケイと言わなかったら)

「クソ!!」

(いや、俺が意地張って出かけたから)

「クッソ!!」

芯はバスタブの縁(ふち)に拳(こぶし)をグリグリと押しつけ、持って行き場のない感情をぶつけた。



戻ると、芯のシャツを羽織った麗叶が、放心状態で窓辺に立っている。

「……」


芯には、かける言葉が見つからない。


「雨、止んだね」

「……あぁ」

「……」

「………」

「あの人、友達?」

「洋介は、昔からのダチ」

「…そう。。。今日のこと…」

「大丈夫。あいつは言わねぇよ」

「…ん。良かった…」

「……」

「……」

「風呂、入れたけど」

「…ん。ありがとう」

麗叶は芯を見ないまま、バスルームに消えた。


ドバドバドバドバ…

…キュッキュッ。

っザー…


シャワーの音が聞こえる。

芯はどうすることもできず、しばらく立ちすくんでいた。

せめて、麗叶のそばにいたかった。


(俺は…何もできなかった)

(助けてやることも、何も……俺は…!!)


自分は、ただの弱いガキだった。

感情のまま突っ走っただけの、ただの子ども。

麗叶は…あの状況の中でも、麗叶は…


「クソ……!!」

自分の不甲斐なさに、思わず叫びだしそうになるのを、

息を止め、必死に堪(こら)えた。



ザーザーザー

ザーザーザー…


芯は、止まらないシャワーの音に、ふと不安を覚えた。

なんとなく嫌な予感がしてバスルームに向かう。


ザーザーザー

(……)

「麗叶?」

バスルームの外から声をかけたが

「……」

返事がない。


トントン…

…トントントントン!!

「……」


「悪い!開けるぞ!!」


ガチャ!!



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