16-ハードな日常の中で
麗叶が防御しようとした瞬間、芯がすっと立ち上がった。
「出来んじゃん」
「っは~~~。あり、がと…」
「ぁはっ!」
芯は、こぼれる笑みを腕で隠す。
「お礼? 俺に言ってんの?」
「おかしい?」
「ま、良いんじゃね」
「良かった…」
麗叶は全身の力が抜けてしまい、無意識の中で会話を続けていた。
立ちあがった芯が、麗叶に視線を落としている。
「やっぱ、睫毛、長いよな」
落ち着いた声に色香をたたえ、芯がつぶやいた。
麗叶の頭の中で、再び警告音が鳴り始めた。
(見上げちゃいけない)
でも…見たい…
(何か言わなきゃ)
焦れば焦るほど、俯くことしかできない。
ポンポン。
何かが麗叶の頭に軽くふれた。咄嗟に顔をあげると、芯が何も言わずに出て行こうとしていた。
長い指の感触。それだけなのに…
胸の鼓動は速まり、躰が熱を帯びていく。。。
ーーーーーーー
マーミヤこと間宮氏のレッスンは、非常に厳しい事で有名だ。
「ワントゥースリーフォ!あーっ!! 何やってんのよ! 寝ぼけてんの? リズム感じなさいよ!ばかっ!!」
バタン!
「ま~!! アキラったら! 大の字になっちゃってみっともない!まるで酔っ払いよ!」
「今日は飲んでねぇよ。。。」
「あらやだ! 生意気! あんた達アルコール禁止なんでしょ? ヤスオちゃん…、じゃなくって社長から、全部聞いてるんだからね!」
「だから飲んでねぇって」
とルゥが両膝に手をつき、背中を激しく上下させ、ぜーぜーと息をしている。
芯は片膝を立てて床に座り、後ろについた手でかろうじて身体を支えながら、言った。
「てか、水飲ませろ」
ノリは無言でフラフラと壁にぶつかり、そのままズリズリと崩れ落ちた。
麗叶は何度も腕時計を確認していたが、たまらず遠慮がちに提案した。
「マーミヤさん。さすがに今度こそ、ブレイクタイムにしませんか? 始まって4時間、休みなしですし。
何かお持ちしますよ! スポーツ飲料は、たしかレモン味でしたよね?!」
「あらっ!気が利くじゃない!さすが麗ちゃん。前の、なんてったかしら、中西だか中野だかっていうあのチビガキ。あれは全然だめ! 分かってないくせに言ことだけはいっちょ前で!あぁあ~! 思い出しちゃったわ。わたし、ほーーんと苦労したんだから」
「まったく、同感です」
「あらやだ、麗ちゃん。言うじゃない? あっはははははは~ん」
「なんでもいいから、早く飲みもん、ください。。」
芯が声を搾り出した。
「ウルサイ子ね! 仕方ないからちょっと休みましょ」
「や、や、、た~」と、力のなくノリが喜んだ。
レッスン場にへたり込む4人を前に、マーミヤはため息をついた。
「だいたいあんた達、体力なさ過ぎよ。ブロードウェイじゃ通用しないわよ。ま、私ぐらいにならないと立てない世界だけど」
「ずっとあっちで現役してりゃ良かったのに…」
「おバカさんね、アキラ! そしたらこの事務所で、誰があんた達に歌やダンスを教えるのよ。あら、麗ちゃん早いのね。ありがとう!ん。いい温度ね。美味しいわ」
「ったくよぉ~。なんであいつは日本に帰ってきちゃったわけ?」
「恋の力だって」と、麗叶はタオルと飲み物を渡しながら、アキラに囁いた。
「十年くらい前かな、大恋愛だったみたいね」
「?」
「ブロードウェイでの地位も名声も全部捨てて、愛する人のいる日本に帰って来たって話よ」
「…へぇ…」と、芯はぐったりしたまま、マーミヤに視線を移した。
「あのおっさんが?! 大恋愛?! どんなけキレイな女だったか見てみてぇ」
「あれ? アキラ、知らない? …ぇっと、お相手の方は…その…男性で…」
「うへ!! 冗談だろ? げぇ~~気持ちっ!」
アキラは舌を出した。
「なにゴニョゴニョ言ってんの? 早く回復しなきゃ、もたないわよ」
「はぁ~?!」
「終わりじゃねぇのかよ!!」
「おバカさんたち! あと10分したらボイトレするに決まってるでしょ?」
「鬼ぃ!!」
「ジジィ!!」
「やだぁ~!!」
「ばっかじぇねーの?!」
同時に発した言葉。
マーミヤさんはギロっと振り返り
「アキラ。あんただけ、今日は居残りだから…」
「は?!なんで俺だけ?」
(アキラ、ジジィはまずいわよ)と麗叶はため息をついた時、
ノリは違う理由でため息をついていた。
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「ただいまぁ~。」
「…。」
ノリに返事を返す者は、当然いない。
真っ暗な合宿所の玄関で、人感センサーが灯りをともす。
疲れ果てたアキラもルゥも、無言で自室へひきあげる。
芯は、ドサっと、リビングルームのソファに転がり、目を閉じた。
「麗ちゃんさぁ~」と、キッチンで牛乳を飲みながら、ノリが話しかける。
「……あ?」
「今日は何分で帰ってくるかな?」
「……」
麗叶は彼らを降ろした後、しばらく車を走らせ、Uターンして合宿所に戻ってくる。
「カモフラージュなんでしょ? 社長の命令だろうけどさ、毎日だと疲れちゃうよね?」
返事をする代わりに、芯はソファで寝返りをうった。
ノリも言うだけ言うと、自分の部屋へ戻っていった。
芯は目を閉じ
(れ、い、か…)
唇を動かす。
どれくらい時間が経ったのか、車のエンジン音が聞こえた。砂利の軋む音が、ガレージに消えていく。
ジャリジャリジャリ。
足音はいつものように、玄関とは反対側にある勝手口へ向かっている。
勝手口は、キッチンにつながっている。
芯はゆっくり起き上がり、キッチンへ向かった。
冷蔵庫を開けていると
カチャっ
「ただいまぁ~」
誰に聞かせるわけでもない、独り言の「ただいま」。
麗叶も「おかえり」を期待していない。
「おかえり。」芯が、静かに返す。
「ぁ…」見上げた麗叶が、嬉しそうに微笑んだ。
「ただいま。」
「…おやすみ。麗叶」
「うん。芯。おやすみなさい。」
芯は何も取らずに冷蔵庫を閉め、キッチンを出ていった。




