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瞳孔を冷やして。  作者: 橘樹 杏果


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16/59

16-ハードな日常の中で

麗叶が防御しようとした瞬間、芯がすっと立ち上がった。

「出来んじゃん」

「っは~~~。あり、がと…」

「ぁはっ!」

芯は、こぼれる笑みを腕で隠す。

「お礼? 俺に言ってんの?」

「おかしい?」

「ま、良いんじゃね」

「良かった…」

麗叶は全身の力が抜けてしまい、無意識の中で会話を続けていた。

立ちあがった芯が、麗叶に視線を落としている。

「やっぱ、睫毛、長いよな」

落ち着いた声に色香をたたえ、芯がつぶやいた。


麗叶の頭の中で、再び警告音が鳴り始めた。

(見上げちゃいけない)

でも…見たい…

(何か言わなきゃ)

焦れば焦るほど、俯くことしかできない。


ポンポン。

何かが麗叶の頭に軽くふれた。咄嗟に顔をあげると、芯が何も言わずに出て行こうとしていた。


長い指の感触。それだけなのに…

胸の鼓動は速まり、躰が熱を帯びていく。。。


ーーーーーーー


マーミヤこと間宮氏のレッスンは、非常に厳しい事で有名だ。

「ワントゥースリーフォ!あーっ!! 何やってんのよ! 寝ぼけてんの? リズム感じなさいよ!ばかっ!!」

バタン!

「ま~!! アキラったら! 大の字になっちゃってみっともない!まるで酔っ払いよ!」

「今日は飲んでねぇよ。。。」

「あらやだ! 生意気! あんた達アルコール禁止なんでしょ? ヤスオちゃん…、じゃなくって社長から、全部聞いてるんだからね!」

「だから飲んでねぇって」

とルゥが両膝に手をつき、背中を激しく上下させ、ぜーぜーと息をしている。

芯は片膝を立てて床に座り、後ろについた手でかろうじて身体を支えながら、言った。

「てか、水飲ませろ」

ノリは無言でフラフラと壁にぶつかり、そのままズリズリと崩れ落ちた。

麗叶は何度も腕時計を確認していたが、たまらず遠慮がちに提案した。

「マーミヤさん。さすがに今度こそ、ブレイクタイムにしませんか? 始まって4時間、休みなしですし。

何かお持ちしますよ! スポーツ飲料は、たしかレモン味でしたよね?!」

「あらっ!気が利くじゃない!さすが麗ちゃん。前の、なんてったかしら、中西だか中野だかっていうあのチビガキ。あれは全然だめ! 分かってないくせに言ことだけはいっちょ前で!あぁあ~! 思い出しちゃったわ。わたし、ほーーんと苦労したんだから」

「まったく、同感です」

「あらやだ、麗ちゃん。言うじゃない? あっはははははは~ん」

「なんでもいいから、早く飲みもん、ください。。」

芯が声を搾り出した。

「ウルサイ子ね! 仕方ないからちょっと休みましょ」

「や、や、、た~」と、力のなくノリが喜んだ。


レッスン場にへたり込む4人を前に、マーミヤはため息をついた。

「だいたいあんた達、体力なさ過ぎよ。ブロードウェイじゃ通用しないわよ。ま、私ぐらいにならないと立てない世界だけど」

「ずっとあっちで現役してりゃ良かったのに…」

「おバカさんね、アキラ! そしたらこの事務所で、誰があんた達に歌やダンスを教えるのよ。あら、麗ちゃん早いのね。ありがとう!ん。いい温度ね。美味しいわ」


「ったくよぉ~。なんであいつは日本に帰ってきちゃったわけ?」

「恋の力だって」と、麗叶はタオルと飲み物を渡しながら、アキラに囁いた。

「十年くらい前かな、大恋愛だったみたいね」

「?」

「ブロードウェイでの地位も名声も全部捨てて、愛する人のいる日本に帰って来たって話よ」

「…へぇ…」と、芯はぐったりしたまま、マーミヤに視線を移した。

「あのおっさんが?! 大恋愛?! どんなけキレイな女だったか見てみてぇ」

「あれ? アキラ、知らない? …ぇっと、お相手の方は…その…男性で…」

「うへ!! 冗談だろ? げぇ~~気持ちっ!」

アキラは舌を出した。

「なにゴニョゴニョ言ってんの? 早く回復しなきゃ、もたないわよ」

「はぁ~?!」

「終わりじゃねぇのかよ!!」

「おバカさんたち! あと10分したらボイトレするに決まってるでしょ?」


「鬼ぃ!!」

「ジジィ!!」

「やだぁ~!!」

「ばっかじぇねーの?!」


同時に発した言葉。

マーミヤさんはギロっと振り返り

「アキラ。あんただけ、今日は居残りだから…」

「は?!なんで俺だけ?」


(アキラ、ジジィはまずいわよ)と麗叶はため息をついた時、

ノリは違う理由でため息をついていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「ただいまぁ~。」

「…。」

ノリに返事を返す者は、当然いない。

真っ暗な合宿所の玄関で、人感センサーが灯りをともす。

疲れ果てたアキラもルゥも、無言で自室へひきあげる。

芯は、ドサっと、リビングルームのソファに転がり、目を閉じた。


「麗ちゃんさぁ~」と、キッチンで牛乳を飲みながら、ノリが話しかける。

「……あ?」

「今日は何分で帰ってくるかな?」

「……」

麗叶は彼らを降ろした後、しばらく車を走らせ、Uターンして合宿所に戻ってくる。

「カモフラージュなんでしょ? 社長の命令だろうけどさ、毎日だと疲れちゃうよね?」

返事をする代わりに、芯はソファで寝返りをうった。

ノリも言うだけ言うと、自分の部屋へ戻っていった。


芯は目を閉じ

(れ、い、か…)

唇を動かす。


どれくらい時間が経ったのか、車のエンジン音が聞こえた。砂利の軋む音が、ガレージに消えていく。

ジャリジャリジャリ。

足音はいつものように、玄関とは反対側にある勝手口へ向かっている。

勝手口は、キッチンにつながっている。

芯はゆっくり起き上がり、キッチンへ向かった。

冷蔵庫を開けていると

カチャっ

「ただいまぁ~」

誰に聞かせるわけでもない、独り言の「ただいま」。

麗叶も「おかえり」を期待していない。


「おかえり。」芯が、静かに返す。

「ぁ…」見上げた麗叶が、嬉しそうに微笑んだ。

「ただいま。」

「…おやすみ。麗叶」

「うん。芯。おやすみなさい。」


芯は何も取らずに冷蔵庫を閉め、キッチンを出ていった。


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