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武将 蒲生氏郷 第98話 戦後の追撃

山道の奥で、敵の叫び声が途切れた。

押し返された柴田方の小勢が、

斜面を駆け上がりながら散り散りに逃げていく。

その動きは明らかに、

“退却”の色を帯びていた。

左馬允が耳を澄ませ、

静かに言った。

「殿。敵、引きます。

 ここが追撃の刻にございます」

ちょうどそのとき、

先鋒隊のほうから太鼓が鳴り、

秀吉軍全体に合図が伝わった。

「追撃――!」

山道に緊張が走り、

兵たちが一斉に前へ動き出した。

氏郷隊もその流れに乗り、

槍隊を先頭に山道を駆け上がった。

斜面の上では、

柴田方の旗が揺れ、

その下で兵が慌ただしく退いていた。

足場の悪い山道では、

退却は追撃よりも難しい。

敵は転び、

武具を落とし、

仲間にぶつかりながら逃げていく。

氏郷は槍隊に声をかけた。

「深追いするな。

 道を外れるな。

 敵の背を押すだけでよい」

兵たちはその指示に従い、

逃げる敵の背を突きながら、

一定の距離を保って追った。

山道の両側は急斜面で、

無理に踏み込めば足を取られる。

追撃は勢いよりも、

隊列を崩さぬことが肝要だった。

やがて、

敵の退却が完全に乱れ、

山上の旗が消えた。

その瞬間、

秀吉軍の太鼓が再び鳴り、

追撃の終わりを告げた。

左馬允が馬を寄せる。

「殿。ここからは戦場整理に移ります」

氏郷はうなずき、

兵たちに声をかけた。

「止まれ。

 列を整えよ。

 負傷者を前へ」

兵たちが動き、

倒れた味方を担ぎ出し、

敵の遺棄した武具を集め始めた。

山道には折れた槍、

落ちた草鞋、

血の跡が点々と続いていた。

斥候が戻り、

報告した。

「殿。谷側に敵の遺体が数名。

 湖畔へ逃げた者もおりますが、

 追う必要はないかと」

左馬允が短く答える。

「はい。

 追撃はここまで。

 これ以上は無用の消耗です」

氏郷は山の上を見上げた。

先ほどまで敵の旗があった場所は、

いまは静まり返っていた。

風が木々を揺らし、

その音だけが山に残っていた。

「……勝ったのか」

氏郷がつぶやくと、

左馬允が静かに言った。

「はい。

 しかし、これはまだ“前段”にすぎませぬ。

 柴田方の本隊は、

 この先にございます」

氏郷は深く息を吸い、

山道を見下ろした。

兵たちは黙々と戦場整理を続け、

捕虜となった敵兵は縄で縛られ、

列の端に座らされていた。

「殿、捕虜の処置はどういたしますか」

足軽頭が尋ねる。

「軽傷者は後方へ送れ。

 重傷者はここで手当てを。

 武具は回収し、

 使えるものは整えておけ」

足軽頭がうなずき、

兵たちが動き始めた。

山道には、

戦の痕跡が静かに積み重なっていく。

折れた槍、

落ちた旗、

血に濡れた土。

それらを一つひとつ片づけながら、

氏郷隊は次の戦に備えていった。

やがて、

遠くから新たな使者が駆けてきた。

「北ノ庄――陥落!」

その声が山に響き、

兵たちがざわめいた。

柴田勝家の本拠が落ちたという報だった。

左馬允が静かに言った。

「殿。

 これで戦の流れは決まりました」

氏郷はうなずき、

山の向こうに広がる空を見つめた。

賤ヶ岳の戦は、

ここでひとつの区切りを迎えた。


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