表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
101/122

武将 蒲生氏郷 第101話 小牧・長久手の戦いの状況説明(1584)

――解説者目線の状況説明――

天正十二年(1584)、

羽柴秀吉と、徳川家康・織田信雄の間で行われた戦いが

「小牧・長久手の戦い」である。

この戦いの目的は、

本能寺の変後に揺らいだ“織田家の後継と天下の主導権”を、

どちらが握るかを決めることにあった。

秀吉は、

信長の後継として畿内を掌握しつつあったが、

織田家当主である信雄がこれに反発し、

家康と結んで秀吉の台頭を阻止しようとした。

そのため、

この戦いは単なる領地争いではなく、

「信長亡き後の天下の流れを、どちらが握るか」

という政治的意味を強く帯びていた。

さらに、この戦いは

単一の決戦ではなく、

尾張北部から三河西部にかけての広い範囲で、

複数の作戦が同時進行した“戦役”であった。


 主戦場の配置

戦場は大きく三つに分かれる。

① 小牧山(家康の本陣)

家康は小牧山に陣を構え、

周囲に砦を築いて防御線を固めた。

小牧山は独立丘陵で、

周囲を見渡せる天然の要害だった。

② 犬山・楽田(秀吉の拠点)

秀吉は犬山城を押さえ、

楽田に大規模な陣を敷いた。

ここから小牧山を牽制しつつ、

各方面へ兵を動かした。

③ 長久手(決戦地)

丘陵と林が入り組んだ地形で、

伏兵・奇襲が成立しやすい場所。

ここで家康軍が秀吉軍別働隊を撃破する。


  戦いの流れ

戦役は次のように進んだ。

① 小牧での対陣

秀吉軍と家康軍は、

小牧山を挟んでしばらくにらみ合いとなる。

両軍が砦を築き合い、

大規模な正面衝突は起きなかった。

② 秀吉の「三河中入り作戦」

膠着を破るため、

秀吉は池田恒興・森長可らに

別働隊を率いて家康本拠・岡崎を突かせる作戦を実行。

この別働隊が、

のちに長久手で家康軍と激突する。

③ 長久手の戦い

家康は秀吉の意図を察知し、

自ら兵を率いて別働隊を迎撃。

池田恒興

森長可

両名が戦死し、

秀吉軍別働隊は壊滅した。

この戦いは、

戦術的には家康の大勝利となった。

④ その後の展開

家康は追撃を避けて小牧山へ戻り、

秀吉も本隊を動かさず。

戦局は再び膠着した。

最終的には、

秀吉が織田信雄を懐柔し、

信雄が単独で秀吉と和睦。

家康は戦う理由を失い、

戦役は自然終息した。


  戦役の特徴

小牧・長久手の戦いは、

戦国時代でも珍しい 「戦略の読み合い」 が中心の戦役だった。

家康は小牧山で徹底防御

秀吉は広域機動で揺さぶり

別働隊同士の衝突が決戦となる

正面決戦は避けられたまま終わる

つまり、

大軍同士の正面衝突ではなく、

作戦・地形・兵站の読み合いが勝敗を決めた戦い だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ