↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/32

第六話 未来 前編

あの日から数週間が過ぎた。


王都は今日も賑やかだった。


石畳の大通りには露店が並び、獣人の商人が果物を高く積み上げている。


赤い果実。


黄色い果実。


見た事もない紫色の実。


その隣では、ドワーフの職人が小さな鍋を槌で叩き、乾いた金属音を響かせていた。


空には小型飛竜が飛んでいる。


荷台を吊るした飛竜が、王都の屋根の上をゆっくり横切っていく。


羽ばたく度に、干された洗濯物が揺れた。


香辛料の匂い。


焼きたてのパンの匂い。


果実茶の甘い匂い。


人々の笑い声。


誰かを呼ぶ声。


馬車の車輪が石畳を叩く音。


様々な音と匂いが混ざり合いながら、王都は今日も朝を迎えていた。


古竜騒動の噂も、今では少しずつ人々の日常へ溶け込み始めている。


市場の片隅で誰かがまだその話をしていた。


「古竜を鎮めた少女がいるらしいぞ」


「王都ケアギルドの見習いだってな」


「英雄様か」


そんな言葉が聞こえる度に、アリアは少しだけ肩を縮めた。


英雄。


天才。


奇跡の少女。


どれも自分には似合わない。


そう思っていた。


けれど。


アリアの中には、それとは別にまだ残っているものがあった。


夕暮れの教室。


赤く染まる窓際。


そして。


少し困ったように笑ったリナの顔。


結局。


リナがなぜ変わったのか。


何があったのか。


私はまだ聞けていなかった。


聞きたい。


でも。


聞いてはいけない気もする。


知りたい。


でも。


踏み込んではいけない場所がある気もする。


そんな曖昧な気持ちのまま、時間だけが過ぎていた。



王都ケアギルド本部。


研修室。


朝の光が窓から差し込んでいる。


机の上には資料の山。


その隣にも資料の山。


さらにその奥にも資料の山。


アリアは机へ突っ伏した。


逃げ場がない。


知識に包囲されている。


人生とは時に残酷である。


「おはよう」


聞き慣れた声だった。


アリアはゆっくり顔を上げる。


リナだった。


黒髪。


整った姿勢。


無駄のない歩き方。


今日も隙がない。


同じ人類とは思えなかった。


リナは資料を机へ置いた。


静かな音が教室へ響く。


アリアはその横顔を見る。


相変わらず無表情。


相変わらず淡々としている。


けれど。


あの日、少しだけ笑ったリナを知ってしまった。


昔はよく笑っていたらしいリナを知ってしまった。


だから。


今のその静けさが、前より少しだけ違って見えた。


「アリア」


「はい」


「あなたは何をしたい?」


唐突だった。


アリアは瞬きをする。


「何を、ですか?」


「ケアラーとして」


教室が静まり返る。


窓の外で鳥が鳴いた。


遠くで鐘の音がする。


アリアは考える。


利用者を助けたい。


話を聞きたい。


支えたい。


理解したい。


困っている人のそばにいたい。


色々な言葉が浮かぶ。


けれど。


どれも違う気がした。


どれも答えじゃない気がした。


あまりにも綺麗で。


あまりにも薄い。


自分の中から出てきた言葉なのに、どこか借り物みたいだった。


しばらく考えた末。


アリアは小さく言った。


「分かりません」


それしか出てこなかった。


リナは頷く。


怒らない。


失望もしない。


ただ、当然の答えを聞いたような顔だった。


「そう」


一拍。


「なら、もっと見なさい」


アリアは顔を上げる。


「何をですか?」


リナは迷わず答えた。


「人」


そして。


少しだけ間を置いて続ける。


「施設」



王都ケアギルド附属ケア施設。


王都北区。


魔導庭園に隣接する大規模施設だった。


施設が見えた瞬間。


アリアは思わず足を止めた。


大きい。


想像していたより、ずっと大きかった。


三階建ての石造り。


白い外壁には蔦が絡み、窓辺には季節の花が並んでいる。


大きな門の上には、王都ケアギルドの紋章。


両手で小さな灯を包み込む図案だった。


建物は中庭を囲むように作られていた。


門の向こうには噴水が見える。


花壇も見える。


木陰には長椅子。


日向には車椅子に似た椅子がいくつか並んでいる。


椅子の脚には魔法陣の刻印があり、床からほんの少しだけ浮いていた。


病院とも違う。


宿とも違う。


家とも違う。


それでも。


確かに生活がある。


そんな場所だった。


「行くよ」


リナが歩き出す。


アリアは慌てて後を追う。


門をくぐると、空気が少し変わった。


王都の喧騒が遠ざかる。


代わりに。


水の音。


葉の擦れる音。


誰かの笑い声。


柔らかい音が近付いてくる。


玄関前まで来たところで、リナが懐から小さな結晶を取り出した。


透明な六角柱。


掌に収まる大きさ。


内部には青白い光がゆらゆらと揺れている。


「これ」


アリアは受け取る。


ひんやりしていた。


まるで朝露に触れたみたいだった。


「通信用結晶」


「通信用?」


「緊急時に使う」


リナは歩きながら説明する。


「強く握ると、近くの職員と繋がる」


アリアは結晶を見る。


青白い光が、呼吸するように揺れていた。


「便利ですね」


「便利」


一拍。


「落とすと怒られる」


アリアは慌てて両手で持った。


リナは何も言わない。


けれど。


口元が少しだけ動いた気がした。



大扉が開く。


温かな空気が流れてきた。


薬草を煎じた香り。


焼きたてのパンの香り。


果実茶の甘い香り。


洗い立ての布の匂い。


様々な匂いが混ざっている。


そのどれもが、不思議と心地良かった。


廊下の奥から笑い声が聞こえる。


誰かが歌っている。


誰かが怒られている。


誰かが笑っている。


生活の音だった。


アリアは中へ足を踏み入れる。


そして。


思わず立ち止まった。


白い角を持つ老ミノタウロスが、窓辺で新聞を読んでいた。


大きな身体に対して、眼鏡は妙に小さい。


紙面をめくる指は太く、けれど動きはゆっくりだった。


長耳のエルフの老婆は、膝掛けを広げながら編み物をしている。


白銀の髪が肩へ流れていた。


傍らの職員へ、昨日も聞いたらしい千年前の戦争の話をしている。


職員は頷いていた。


きっと昨日も頷いたのだろう。


そして明日も頷くのだろう。


羽根の生えた妖精族が、浮遊補助の刻印が施された椅子の上で舟を漕いでいる。


小さな身体が椅子ごとふわふわ揺れていた。


近くの職員がそっと毛布をかける。


すると妖精族は寝ぼけたまま羽根を少しだけ震わせた。


廊下の奥では、巨大な獣人の老人が職員に叱られていた。


「薬を飲んでください」


「嫌だ」


「昨日も聞きました」


「昨日も嫌だった」


「飲んでください」


「嫌だ」


「飲んでください」


「嫌だ」


アリアは思わず吹き出した。


獣人の老人は本気だった。


職員も本気だった。


まるで終わりの見えない戦いだった。


リナは平然としている。


「普通」


「普通なんですか」


「普通」


アリアは施設を見渡す。


人間だけじゃない。


種族も。


寿命も。


身体も。


価値観も違う。


それでも。


皆ここで暮らしている。


皆ここで老いていく。


初めて。


アリアは思った。


ケアラーの仕事って。


思っていたより、ずっと広いのかもしれない。



施設の中は忙しかった。


職員達は止まらない。


食堂へ向かう者。


薬草茶を運ぶ者。


記録を書く者。


利用者に呼び止められる者。


浮遊椅子を押す者。


窓辺で話を聞く者。


誰かを探している者。


誰かを笑わせている者。


廊下には木靴の音が響く。


食堂からは食器の音が聞こえる。


浴室の方からは湯気が流れてくる。


どこかで呼び鈴が鳴る。


それに応じて、職員が一人、足早に廊下を曲がっていく。


訪問班とは違う。


一人の利用者と向き合う時間は短い。


けれど。


その分だけ、多くの人生が交差していた。


一つの施設の中に。


いくつもの暮らしがある。


アリアは圧倒されていた。


「どう?」


リナが聞く。


アリアは正直に答えた。


「大変そうです」


「うん」


リナは頷く。


「大変」


それだけだった。


でも。


その一言には妙な重みがあった。



エドガー・ローウェルと出会ったのは、その日の午後だった。


中庭だった。


噴水の水音が静かに響いている。


春を待つ花壇。


まだ花より土の方が多い。


柔らかな風が吹く度に、植えたばかりの苗が小さく揺れていた。


その花壇の前に、一人の老人がいた。


しゃがみ込んでいる。


麦わら帽子。


杖。


使い込まれた革手袋。


膝には土。


皺だらけの指先が、小さな苗を支えていた。


その手つきは驚くほど優しい。


まるで壊れ物を扱うみたいだった。


移植ごてが石に当たる。


カツ。


乾いた音が響く。


老人は顔を上げた。


鋭い目だった。


アリアは思わず声を掛ける。


「何してるんですか?」


老人は眉をひそめる。


「見て分からんか」


「えっと……」


「花だ」


それは見れば分かった。


アリアは困る。


老人は鼻を鳴らした。


「見習いか」


「はい!」


「声がでかい」


「すみません!」


「素直なのも腹立つな」


アリアは返事に困った。


老人は苗へ土を被せながら言う。


「エドガーだ」


「アリア・エイルです!」


「知っとる」


「え?」


「見習いが来るって聞いた」


そう言って、エドガーは再び花壇へ向き直る。


土を均し。


苗を置き。


優しく土を被せる。


その横顔は、さっきまでの鋭さとは少し違っていた。


風が吹く。


花壇の向こうには、まだ空いた区画が広がっている。


「春になったらな」


エドガーが言う。


「向こうも植え替える」


アリアは空いた花壇を見る。


かなり広い。


「全部ですか?」


「全部だ」


「大変じゃないですか?」


エドガーは立ち上がる。


腰を押さえながら。


ゆっくりと。


そして花壇を見渡した。


まだ土ばかりだった。


咲いている花より。


植えたばかりの苗の方が多い。


それでも。


エドガーは満足そうだった。


「当たり前だ」


少し笑う。


「だから楽しみになるんだ」


風が吹く。


苗が揺れる。


春はまだ遠い。


それでも。


エドガーの目は、その先を見ていた。



「花はいい」


突然、エドガーが言った。


「そうなんですか?」


「待ってりゃ咲く」


一拍。


「人間と違って素直だ」


アリアは思わず吹き出した。


エドガーは不機嫌そうに眉をひそめる。


「何がおかしい」


「いえ」


「失礼な奴だな」


でも。


その口元は少しだけ笑っていた。


アリアはまだ知らない。


この老人が。


自分のケアラー人生を変える事になるのを。


第六話


未来


前編 完


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。